ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
いつもどおり神田明神へのお参りのあと(数年ぶりのおみくじ大吉!)
ささやかな新年会をしたのだけれど
その時に集まったいつもの理系メンバー(太陽メンバーで、かれこれもう12年の付き合いです)
と、エコについての話題で盛り上がった。
そもそも、今「流行」のエコって何なのか。
エコノミーのエコなのか、エコロジーのエコなのか。
はたまた、エンバイロメント・コンシャスの「エコ」なのか。
基準は今の段階では、受け取る側に任せられている。
今、社会では「ゴミ排出量を何10%削減した」などという企業の宣伝が
テレビで流れているけれど、突然そんなことが可能なのだろうか。
某メーカーでは、ゴミが80%削減されたという。
そんなに急に削減できるものなのだろうか?
だいたい、人間生きているうちにゴミを全く出さないというのは無理なこと
だと思うし、ましてや書類を使う企業のこと。
ゴミが急に20%になるなんてどう考えてもあり得ません。
どんなに頑張っていても、そんなに削減することは、私は不可能だと
思うのです。
その「ゴミを何%削減した」というからくりは
実は「燃やせばリサイクルしたことになる」という考えがあるからです
燃やすというのは基本的で究極な処理方法だと思うが
実は燃やしたことで
「燃料として使った」
というカテゴリーに入るのだそうだ。
よって、書類は燃やすことで「焼却燃料」としてリサイクルされたことになる、と。
私はこのことを聞いて「えええーーー!!」と思いました
日本人一般の認識とあまりにかけ離れている。
今の世の中は、そういったことを知らずに
エコという言葉だけが、本質から外れて独り歩きしてはいないだろうか。
ゴミを業者に回収してもらう時も
ゴミを出す企業が
「これは、資源ごみですから、資源ごみカテゴリーで回収してください」
と申し出れば、そのゴミは資源ごみでごみではないのだ。
しょせんゴミなのに。言い値みたいなものです。
「これただのゴミじゃないよな?資源ごみだよな?リサイクル対象だよな?」
という回収業者への押し付けが、まかり通っているというのです。
そういう実態があるのに、何が「ゴミ排出量を80%削減」だ。
ゴミが出てる量は変わらないけど、回収するカテゴリーや廃棄方法を
ただのゴミ扱いされないようにしただけの
単なる悪知恵状態ではないか。
日本人は世界でも頭のいい人種と言われている(大学の経済学の先生談)
そうだが、その知恵を単なる屁理屈づくりや悪知恵に働かせているような
そんな気がして仕方がなかった。
以前、尊敬する養老先生が
「本当にエコするなら、エコ替えなんか言ってないで車は壊れるまで乗れ!
そして車が壊れたら電車に乗れ!」
と言っていた。
はっきりいってその通りだと思う。
まだ使える状況なのにそれを捨てるのがエコか?
環境にやさしいとはどういうことを指すのか。
資源を使わなければいいのか。
それとも、環境に良ければいいのか。
そもそも、環境に良いとはどういう基準からなのだろうか。
そんなことを真面目にあほらしく語り合ってしまいました。
京都議定書というものがあります。
京都議定書で取り決められているCO2排出量についての決まりも
自分のところで出したそのCO2を、どこの国に押しつけて処理させるかで
今世界で見えない火花が散っているというのです。
期限までに削減するために、どっか他の国にお金出して「燃料」として売る。
どこか根本的なことが間違っていると思いませんか?
表面的な薄っぺらいクリアをしたところで
いったい何の利益が地球にあるのか?
エコからかけ離れていませんか?
これを機械に、エコを考え直してみませんか。
エコという二文字は、いったい何を指しているのかを。
ささやかな新年会をしたのだけれど
その時に集まったいつもの理系メンバー(太陽メンバーで、かれこれもう12年の付き合いです)
と、エコについての話題で盛り上がった。
そもそも、今「流行」のエコって何なのか。
エコノミーのエコなのか、エコロジーのエコなのか。
はたまた、エンバイロメント・コンシャスの「エコ」なのか。
基準は今の段階では、受け取る側に任せられている。
今、社会では「ゴミ排出量を何10%削減した」などという企業の宣伝が
テレビで流れているけれど、突然そんなことが可能なのだろうか。
某メーカーでは、ゴミが80%削減されたという。
そんなに急に削減できるものなのだろうか?
だいたい、人間生きているうちにゴミを全く出さないというのは無理なこと
だと思うし、ましてや書類を使う企業のこと。
ゴミが急に20%になるなんてどう考えてもあり得ません。
どんなに頑張っていても、そんなに削減することは、私は不可能だと
思うのです。
その「ゴミを何%削減した」というからくりは
実は「燃やせばリサイクルしたことになる」という考えがあるからです
燃やすというのは基本的で究極な処理方法だと思うが
実は燃やしたことで
「燃料として使った」
というカテゴリーに入るのだそうだ。
よって、書類は燃やすことで「焼却燃料」としてリサイクルされたことになる、と。
私はこのことを聞いて「えええーーー!!」と思いました
日本人一般の認識とあまりにかけ離れている。
今の世の中は、そういったことを知らずに
エコという言葉だけが、本質から外れて独り歩きしてはいないだろうか。
ゴミを業者に回収してもらう時も
ゴミを出す企業が
「これは、資源ごみですから、資源ごみカテゴリーで回収してください」
と申し出れば、そのゴミは資源ごみでごみではないのだ。
しょせんゴミなのに。言い値みたいなものです。
「これただのゴミじゃないよな?資源ごみだよな?リサイクル対象だよな?」
という回収業者への押し付けが、まかり通っているというのです。
そういう実態があるのに、何が「ゴミ排出量を80%削減」だ。
ゴミが出てる量は変わらないけど、回収するカテゴリーや廃棄方法を
ただのゴミ扱いされないようにしただけの
単なる悪知恵状態ではないか。
日本人は世界でも頭のいい人種と言われている(大学の経済学の先生談)
そうだが、その知恵を単なる屁理屈づくりや悪知恵に働かせているような
そんな気がして仕方がなかった。
以前、尊敬する養老先生が
「本当にエコするなら、エコ替えなんか言ってないで車は壊れるまで乗れ!
そして車が壊れたら電車に乗れ!」
と言っていた。
はっきりいってその通りだと思う。
まだ使える状況なのにそれを捨てるのがエコか?
環境にやさしいとはどういうことを指すのか。
資源を使わなければいいのか。
それとも、環境に良ければいいのか。
そもそも、環境に良いとはどういう基準からなのだろうか。
そんなことを真面目にあほらしく語り合ってしまいました。
京都議定書というものがあります。
京都議定書で取り決められているCO2排出量についての決まりも
自分のところで出したそのCO2を、どこの国に押しつけて処理させるかで
今世界で見えない火花が散っているというのです。
期限までに削減するために、どっか他の国にお金出して「燃料」として売る。
どこか根本的なことが間違っていると思いませんか?
表面的な薄っぺらいクリアをしたところで
いったい何の利益が地球にあるのか?
エコからかけ離れていませんか?
これを機械に、エコを考え直してみませんか。
エコという二文字は、いったい何を指しているのかを。
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