忍者ブログ
ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
[503]  [502]  [501]  [500]  [499]  [498]  [497]  [496]  [495]  [494]  [493
昨日は大学に行き、ぼちぼちと勉強。
途中からみんな来て、そこにめーさんも参加したけど
なぜかきのうの私とめーさんはことごとく会話が対立。
まるで父と話しているようだった。

私は基本的に自分が見たこと
自分が確かめたことではないと話さない。
どんな些細なことでも
この手で、この目で、確かめなければ
信用なんてしないのだ。

だから、例えば
「あそこに○○があったよ」
と、私が見たままを言ったのに

「いや、そこにそんなのはない」
「そこにあるなんて聞いたことない」
「嘘ついたって、すぐにバレるんだよ」

というように、見たこともない人に
全否定されるなんてどうも駄目なのだ。
まるで、私が嘘をついているみたいに否定されると
それが好きな人だと余計に

違う、違うんだよ、本当なんだって。

と言いたくなってしまう。
本当にめんどくさいやつだ。
昨日もそう。
否定されるだけなら、父と同じだ。
わかってもらえないと見切って黙っていればいい。
その人の中で、私が嘘つきだと思われていてもいい。
それが、好きな人でないなら。

だけどどうしてもめーさんには
そう思われたくないの。

私は、
自分で見たもの
自分で感じたもの
この手で触ったもの
実感したものしか信用しない。
自分の目で確かめなければ
情報なんて信じない。
それなのに。

確かめてもいない人から
世の中の常識のように
当たり前のことのように
否定されるのは嫌いだ。

あらしのよる

帰りは教員の先生方と一緒になった。
そのまま夕食をごちそうしてもらったのだけど
その時

「もとは、教員の中でも好き嫌いはっきり分かれているけど
俺は好きだよ」

と言われて、ああ、全く同じことを中学の頃に
担任の田中先生に言われたことを思い出し
全く私って変わってないんだなあ、って思った。
というより あの頃はまだ自分がこれから
どうなるのかもわからず
小さな違和感を抱えながらも
自分が一人の人間だと思って生きていけていた。
それは、ここでは目立っている。
いやなのに無意識にそうなる。
そうしている自分が
まだまだ私の中にいる。

私は私の見たこと
聞いたことしか信じない。

自分で確かめたものしか信用しない。

その部分は、きっと賛否両論あるし
私の中の「わたし」は
小さくて不安定でどうしようもなく
強がりで弱くて悲しくてどうしようもなく。

認めてもらいたくて
でも
強がりで
でも弱くて

だけどしっかりある。

私はきっと、自分の生き方に
腑に落ちたいんだということが。

だからもがく
こんな、あらしのよるにも。


拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
プロフィール
HN:
木蓮
性別:
非公開
自己紹介:
山へ行けばわかるよ
カウンター
最新コメント
[05/07 pochi]
[05/01 moto]
[05/01 moto]
[05/01 バード]
[04/29 pepipo]
忍者ブログ [PR]