ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
試験前に私がやってはいけないこと。
それはノートまとめ。
ノートまとめする科目はたいてい落ちる。
前期の薬理もそうだし、後期の環境衛生Ⅱもそう。
でも、苦手と思えば思うほどノートをまとめたくなるし
ノートまとめる時って何も考えてない「ノート転写人間」
になってしまっている感じで
結局頭に入ってないのよね。
そんなこんなで、でも、じっくり
環境衛生学Ⅱの教科書を読んでみて
2週間かかって読み切りました(笑)
試験前にこんなに根詰めてこの科目だけ
やれるはずもないので
一番苦手な科目を2回3回と復習する
いい機会になりました。
これでギリギリで受かった人よりも
この科目が得意になったに違いない。
今いる大学に
旭医から転職しようと思って受けた会社で
面接官していた先生がいるんです
薬理の実習の時に「あれ・・・?」って思ったので
「先生、もしかして・・・」って話かけたら
「どっかで会ったことあるよね?」
そう、その先生も覚えていたのです
私が医局の助手からとらばーゆしようと思っていた
あの試験のことを・・・
(ちなみにその就職の面接は落ちました)
後にも先にも、就職で落ちたのそこだけなんです。
今思えば落ちて良かったとおもうのだけど
面白い巡りあわせだな、とつくづく思います。
北先生も、巡り巡って今じゃ関東で先生やってるし。
中学の時の塾の先生は、今住んでいるところの
近所で開業してるし。
どこで再会するか分からないものですね、人って。
私は小さいころから家では駄目な子と言われていて
(外では活発な元気な子という評価にも関わらず)
家を出てから自由を手に入れたと同時に
カルチャーショックを受けました。
同時にどう生きていけばいいかも
分からなくなったのです。
生きる方法は、人間に本能的に備わっているものなのに
それすらも曖昧であやふやになってしまったのです。
そんな時の状況を知っているのは、その時周りにいて
どうでも良い話とかを、嫌な顔せずに聞いてくれた
いろんな人達です。(特に短大~社会人最初の職場あたり)
私は、その人達とはその場を離れたら
もう一生会う事は無いと思っていました。
辛い思い出話と一緒に
そこに置いてくるものだと思っていました。
そうやって、人っていうものは
時と場所を区切って
生きていくものだと考えていたからです。
だから私にとって
昔お世話になった人とは
自分が会いに行かない限り、近くに行くことも
出来ないと思っていました。
だけどそうじゃないんだね
私の存在が年代ごとにバラバラでいたからこそ
そう思っていただけで
本当は同じ人間の「人生」という流れで
つながっているものだったんだ。
あの頃出会った北先生と今の北先生は
ずっとつながっている同じ人なんだ。
だけど私にはそういう「つながり」の感覚が
ずっとずっと持てないでいたのです。
でもこうしてそういったつながりを
自分の人生というつながりを
しっかりと、少しずつ理解できるようになってきて
あの頃の私も、今の私につながっているんだと
考えられるようになってきたのです。
人生ってステージみたいなもので
そこにどんな人が何人上がっているか
そのステージの上で私はそこの人たちと
どんな関わりをするか
そしてそのステージから次のステージに
飛び移ってくれる人もいるだろうし
いなくなってしまう人もいるだろうけど
もし、また次でも同じ舞台にいられるなら
そのつながりは大事にしていきたいと思っています。
次に会う時に恥ずかしくないような
そんな生き方がしたい。
書いていてふと思った。
もしかしたら
ステージはずっと、
つながっているのかもしれないね。
私という人間の生きる道の上に。
それはノートまとめ。
ノートまとめする科目はたいてい落ちる。
前期の薬理もそうだし、後期の環境衛生Ⅱもそう。
でも、苦手と思えば思うほどノートをまとめたくなるし
ノートまとめる時って何も考えてない「ノート転写人間」
になってしまっている感じで
結局頭に入ってないのよね。
そんなこんなで、でも、じっくり
環境衛生学Ⅱの教科書を読んでみて
2週間かかって読み切りました(笑)
試験前にこんなに根詰めてこの科目だけ
やれるはずもないので
一番苦手な科目を2回3回と復習する
いい機会になりました。
これでギリギリで受かった人よりも
この科目が得意になったに違いない。
今いる大学に
旭医から転職しようと思って受けた会社で
面接官していた先生がいるんです
薬理の実習の時に「あれ・・・?」って思ったので
「先生、もしかして・・・」って話かけたら
「どっかで会ったことあるよね?」
そう、その先生も覚えていたのです
私が医局の助手からとらばーゆしようと思っていた
あの試験のことを・・・
(ちなみにその就職の面接は落ちました)
後にも先にも、就職で落ちたのそこだけなんです。
今思えば落ちて良かったとおもうのだけど
面白い巡りあわせだな、とつくづく思います。
北先生も、巡り巡って今じゃ関東で先生やってるし。
中学の時の塾の先生は、今住んでいるところの
近所で開業してるし。
どこで再会するか分からないものですね、人って。
私は小さいころから家では駄目な子と言われていて
(外では活発な元気な子という評価にも関わらず)
家を出てから自由を手に入れたと同時に
カルチャーショックを受けました。
同時にどう生きていけばいいかも
分からなくなったのです。
生きる方法は、人間に本能的に備わっているものなのに
それすらも曖昧であやふやになってしまったのです。
そんな時の状況を知っているのは、その時周りにいて
どうでも良い話とかを、嫌な顔せずに聞いてくれた
いろんな人達です。(特に短大~社会人最初の職場あたり)
私は、その人達とはその場を離れたら
もう一生会う事は無いと思っていました。
辛い思い出話と一緒に
そこに置いてくるものだと思っていました。
そうやって、人っていうものは
時と場所を区切って
生きていくものだと考えていたからです。
だから私にとって
昔お世話になった人とは
自分が会いに行かない限り、近くに行くことも
出来ないと思っていました。
だけどそうじゃないんだね
私の存在が年代ごとにバラバラでいたからこそ
そう思っていただけで
本当は同じ人間の「人生」という流れで
つながっているものだったんだ。
あの頃出会った北先生と今の北先生は
ずっとつながっている同じ人なんだ。
だけど私にはそういう「つながり」の感覚が
ずっとずっと持てないでいたのです。
でもこうしてそういったつながりを
自分の人生というつながりを
しっかりと、少しずつ理解できるようになってきて
あの頃の私も、今の私につながっているんだと
考えられるようになってきたのです。
人生ってステージみたいなもので
そこにどんな人が何人上がっているか
そのステージの上で私はそこの人たちと
どんな関わりをするか
そしてそのステージから次のステージに
飛び移ってくれる人もいるだろうし
いなくなってしまう人もいるだろうけど
もし、また次でも同じ舞台にいられるなら
そのつながりは大事にしていきたいと思っています。
次に会う時に恥ずかしくないような
そんな生き方がしたい。
書いていてふと思った。
もしかしたら
ステージはずっと、
つながっているのかもしれないね。
私という人間の生きる道の上に。
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