ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
薬物治療学なんて、今までの知識で
勉強してなくてもできると思って
ぱらぱらっと過去問&予想問題をやっていったら
全部できたので余裕と思っていたら、
抗コリン作用があれば1、なければ2という回答で
まさかのある方を2、ない方を1で書いてしまった私。
マイナス10点が大きくて、すごくショックを受けていました。
薬物治療なんて、すごく得意科目だったのに。
いや、これで得意不得意とか決まるわけじゃないか。
得意なことは得意だけど
たまたま、回答マークミスしただけ。
これでこの科目が不得意ってことにはならないよね
今までコツコツやってたから
試験前にあわてて勉強しなくたって対応出来たんだし
そのことは自信に変えたい。
変えようと思う。
学年順位は悪いかもしれないけど
これからある模擬試験やブロック試験で
積み重ねて勉強してきたところがきちんと出せるように
コツコツ勉強したい。
私は薬剤師も持つ医師になるつもりです。
だから、こんな程度のことでうわぁん、なんて
落ち込んでる場合じゃないし
なんて目の前の事しか見られないんだと思う。
勉強だってそう。
この程度のことがクリアできなくて
医学部の解剖とか診断学とか神経とか
太刀打ちできるはずもない。
大学ではある先生に
「毎日コツコツやってるけど、そのまんま試験前に
同じペースでやってるから駄目なんだお前は」
っていわれた。
でもその先生は、試験前にあわてる学生には
「毎日コツコツやってれば、試験前にぱっと思い出すだけでいいのに」
という。(つまり、とにかく私に関してはケチ付けたいんだろうと。)
そうそう、私がこの間まで
やりっぱなし、言いっぱなしだといわれていて
それがどういう意味か判らなくて悩んでいて
私の分析医に相談してみました
そしたら意外な答えが返ってきました
「その人にとっては、相手を一人の人間として尊重して
”これはこういう風考えてみたら出来るから
ちょっとじゃあ解いてみてごらん”
なんて言うのは突き放した対応なんだよ。
中途半端に教えてるってこと。
教えるだけじゃなく、解き方を言うだけでなく、
相手は解いてあげないとわからない人間(自分が
いないと出来ない人間だということで)
最後まで解いてあげろよっていう事でしょうね
つまり、その先生は自分以外の人間を
自我がない、人間としての個を尊重しない
もしくは認めてないんでしょうね」
がーーーん!!
たしかに!!
その先生は学生が過去問を持ってくると
まず全部問題を解いてあげちゃう。
答えを作ってあげちゃう。
その先生が作った過去問の解答が回ってるくらいだ。
一緒に教えながら解くのは面倒だから嫌いみたいだけど。
私が家庭教師のバイトとか
同級生に教えているような
やり方だけ教えて、別の似たような問題を解かせてみる
ってやり方は、その先生には
言いっぱなし、教えっぱなしになるんだろうなあ。
解いてあげないとだめだったのか・・・
でも、その先生に好かれようとももう思わないけどね。
殴る父に殴られないように気に入られようと
過剰に父に取り入ろうとしていた時の自分に
似ているなと思った。
でもそんなことをしたって
何の意味もないし
気にいられることはないし
殴られることも止まるわけがないって
もう十分、わかってるのに
その方法しかしたことがなかったから
それしか自分には出来なかったんだと反省。
父さんから逃げて
母さんから離れて
僕は走った
走り続けて立ち止まったあの砂浜の
左手に咲いた浜昼顔が
僕には何故か、許せなかった。
右も左も鉄鎖につながれている。
僕は逃げて逃げて逃げまくる。
(村上昴「浜昼顔」より一部引用)
私は家を出て
殴られる事は無くなったけど
あの頃の抱いた気持ちは
同じ場面で思い出す。
うろたえて私は、あの頃と同じ行動を
とってしまう。
PTSDという鎧は
もう手放したから
泣かずに私は、新しい生き方を
探さなくてはいけないな。
あ、またすごい話が飛躍してしまいました。
ごめんなさいねー
勉強してなくてもできると思って
ぱらぱらっと過去問&予想問題をやっていったら
全部できたので余裕と思っていたら、
抗コリン作用があれば1、なければ2という回答で
まさかのある方を2、ない方を1で書いてしまった私。
マイナス10点が大きくて、すごくショックを受けていました。
薬物治療なんて、すごく得意科目だったのに。
いや、これで得意不得意とか決まるわけじゃないか。
得意なことは得意だけど
たまたま、回答マークミスしただけ。
これでこの科目が不得意ってことにはならないよね
今までコツコツやってたから
試験前にあわてて勉強しなくたって対応出来たんだし
そのことは自信に変えたい。
変えようと思う。
学年順位は悪いかもしれないけど
これからある模擬試験やブロック試験で
積み重ねて勉強してきたところがきちんと出せるように
コツコツ勉強したい。
私は薬剤師も持つ医師になるつもりです。
だから、こんな程度のことでうわぁん、なんて
落ち込んでる場合じゃないし
なんて目の前の事しか見られないんだと思う。
勉強だってそう。
この程度のことがクリアできなくて
医学部の解剖とか診断学とか神経とか
太刀打ちできるはずもない。
大学ではある先生に
「毎日コツコツやってるけど、そのまんま試験前に
同じペースでやってるから駄目なんだお前は」
っていわれた。
でもその先生は、試験前にあわてる学生には
「毎日コツコツやってれば、試験前にぱっと思い出すだけでいいのに」
という。(つまり、とにかく私に関してはケチ付けたいんだろうと。)
そうそう、私がこの間まで
やりっぱなし、言いっぱなしだといわれていて
それがどういう意味か判らなくて悩んでいて
私の分析医に相談してみました
そしたら意外な答えが返ってきました
「その人にとっては、相手を一人の人間として尊重して
”これはこういう風考えてみたら出来るから
ちょっとじゃあ解いてみてごらん”
なんて言うのは突き放した対応なんだよ。
中途半端に教えてるってこと。
教えるだけじゃなく、解き方を言うだけでなく、
相手は解いてあげないとわからない人間(自分が
いないと出来ない人間だということで)
最後まで解いてあげろよっていう事でしょうね
つまり、その先生は自分以外の人間を
自我がない、人間としての個を尊重しない
もしくは認めてないんでしょうね」
がーーーん!!
たしかに!!
その先生は学生が過去問を持ってくると
まず全部問題を解いてあげちゃう。
答えを作ってあげちゃう。
その先生が作った過去問の解答が回ってるくらいだ。
一緒に教えながら解くのは面倒だから嫌いみたいだけど。
私が家庭教師のバイトとか
同級生に教えているような
やり方だけ教えて、別の似たような問題を解かせてみる
ってやり方は、その先生には
言いっぱなし、教えっぱなしになるんだろうなあ。
解いてあげないとだめだったのか・・・
でも、その先生に好かれようとももう思わないけどね。
殴る父に殴られないように気に入られようと
過剰に父に取り入ろうとしていた時の自分に
似ているなと思った。
でもそんなことをしたって
何の意味もないし
気にいられることはないし
殴られることも止まるわけがないって
もう十分、わかってるのに
その方法しかしたことがなかったから
それしか自分には出来なかったんだと反省。
父さんから逃げて
母さんから離れて
僕は走った
走り続けて立ち止まったあの砂浜の
左手に咲いた浜昼顔が
僕には何故か、許せなかった。
右も左も鉄鎖につながれている。
僕は逃げて逃げて逃げまくる。
(村上昴「浜昼顔」より一部引用)
私は家を出て
殴られる事は無くなったけど
あの頃の抱いた気持ちは
同じ場面で思い出す。
うろたえて私は、あの頃と同じ行動を
とってしまう。
PTSDという鎧は
もう手放したから
泣かずに私は、新しい生き方を
探さなくてはいけないな。
あ、またすごい話が飛躍してしまいました。
ごめんなさいねー
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