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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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三が日もすぎてさっそく仕事をしています。

一年すぎるのが本当に早く
いまだに2015が終わったような気がしません。
やることやらなくてはならないこと、やりたいことにかこまれ
その半分もできなかったのではないか。

ふと、昨日夜道を歩いていて
ここ数年間の自分を思い返してみた。

ずいぶんと変わったと思う。
年賀状に数枚
「優しい笑顔に癒されます」と書いてあった。
笑わない、モナリザと言われていた私が。

たまに笑うと、「氷の微笑」と皮肉られたくらい
笑わない人間だったのに。

3年前には、ネガティブな自分に対して
正面から戦う人が現れて
ネガティブな発言ばかりしていた自分が
これじゃだめだ、回りの人間が離れていくし
ネガティブに思考している自分が幸せになれるわけがない、と
気づいてから

ネガティブなことは言わない、聞かない、思わないことを
極力心がけていた。

以前の私なら、「きょう、お節料理食べたよ」と言われただけで

・おせちか。豪華だな。自分は子供のころからおせちなんか食べたことなかったよ。
・今日は私なんかコンビニの弁当だよ。

と、ネガティブモード全開な返しをしていたと思う。

人から言われたことに対して、素直に「そうなんだ」とだけ思えず
自分はそれに比べていかにダメか、いかに不幸か、暗いかを
いちいち相手に返していた。それで大好きだった人には
「お前といるとこっちまで思考がネガティブになる」
「そんな卑屈なことばかり言っていったい誰の何のためになるんだ」
とぴしゃりと言われ、音信普通になった。(要はフラれた)

確かに、卑屈になって返事をして自分を下げることで
深層心理のさらに奥底では、同情されて、構ってほしい
注目してほしい、優しくしてほしい、守ってほしい、自分の幸せを
与えてほしい、そういった「自分に〇〇してほしい」という
幸の求めを気づかぬうちにしていたと思う。

そんなことないよー!とか
大丈夫だよー、とか。
ごめんね、もそう。

優しい言葉をかけられたり、同情されたかった。
そういう行動をとることで、たいていの人は優しくしてくれると
思っていた。勘違いしていた。

だから、私は
「どうせ私は」「私なんて」「それに比べて私は」
という思考を繰り返し、確かに幸せになったためしがなかった。

でも、それを2014年で知り、2015年で完全に手放した。

大昔、私から離れていった人たちの多くが
そんな私が嫌だった人たちだ。

何を言っても、ネガティブ思考にしか持っていけない私に
疲れたのだ。そんな私と、一緒にいて楽しいわけがない。


だって とか どうせ ってもう言わない。

2013年の夏にそう決めたんだ.

それは今も、続いている。

そしたら少しずつ、状況が変わってきた。

今年もそうやって生きていこう。

もう、自分の人生を自分で作れる大人になったのだから。
しがらみは自分で作っているだけ。
行動して少しずつ外していくことができるんだと
国家試験に合格して思った。

「自分は働いているから」「予備校に行っていないから」
「周りより10歳以上上だから」

ただの言い訳。

働いてなくても予備校に行かなくても、周りより10歳以上上でも
やれば現役で、予備校に行くお金のある20代よりも早く合格してる。

可能性は0になることは無い。

何に対しても。

今年も自分の未来をあきらめないでいたい。

ここを見る、誰しも
未来はこれから、いくらでも今の自分で作っていける。

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