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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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のんびりできる春休みももうあと残り1週間になりました
こんなに休んでいると、大学始まってからのペースに
戻すのがちょっと心配です。

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最近北先生とかの相談メールを読んだりしていて
いつの間に大学っていうところは
「純粋に学問を追求するところ」から
「学生の生活まで関わって、勉強を教えてあげるところ」
に変化してしまったのだろう。

本来、わざわざ受験までして
勉強したくて入学するところ
もしくは
勉強が嫌いでも、そのリスクを負いつつ
何かを探すための居場所として
勉強するという代償(?)を払いながら
知識を身につけていく場だったはず。

勉強することや、知識を得ることに対して
いつから学生は否定的になったのだろう。
そして、否定的でありつつも
大学という組織に依存するのは
なぜなのだろう。

大学に存在することが
ステータスであるといわんばかりの学生は
ただ、大学生でいられればいいだけなので
勉強するということが、本来の目的ではないのだ。

自分の存在価値が
大学生であること、というものであれば
国家試験はおろか、定期試験さえも
実地の勉強さえも意味をなさない。

ただ、こなすだけの試練なのだ。
その先にあるものが見えない労働と一緒だ。
しかも、その対価がない
まるで

「穴を自分で掘って、その穴を埋める」

という拷問と同じではないのだろうか?


私の周りには
勉強をしに来ている学生と
拷問をしかたなく受けている学生がいる。
拷問の先にあるのは、一体何だろう?

それは、何も変わらない
多分、そう思っているうちはきっと
何も得られない、楽しい思いでづくりの一環でしか
無いのではないだろうか


私は「若いころは・・・」と回顧するのは好きではない。
昔と比較することもあまり好きではない。

けれども
大人たちが振り返る「かつての大学」というものは
こんな場所ではなかったはずなのだ。

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