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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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テスト続きだと周りの学生の変化を感じます
とりあえず目の前の試験が突破できればいいもんね
若いころは私もそうだった。
とにかく短いスパンでしか見ることができないから
その日だけ覚えていれば、それでいい。
それで高得点や好成績がとれるけど
きっとその人には何も残っていない。
だけど、そういう先のことまで見渡せるような
そんな余裕というか、大人の無駄な考えは
若い時にはないからね。

学ぶというチャンスは滅多に得られるものではない。
自力で学ぶならいくらでもやればできるが
学校という、学びのお膳だてをしてくれるところは
お金を払って犠牲を払ってしか得られないのだ。

クラスに一人、私と同い年の女性がいる。
彼女は社会人経験者なのだか
最初のうちは私に対しても、周りに対しても
「まじめにやらない人とは付き合いたくない」
「自分のお金で大学に行ってるんだから」
「授業サボるとかありえない」
「そんな人にノートやプリント貸したくない」
なんて言っていたのに
最近は週末のテストに備えてその週の授業を
代返頼んで全部サボるとか
出ていないのに授業が終わった後に
「カードエラー」(注:うちの大学は出席はカードリーダーなので)
に記入しにいったり。

そういうことを一番嫌っていたのは
誰よりもあなた自身ではなかったのか?
自分は付き合う友人を選んでいて
そういう人とは付き合いたくないと言っていたのは
あなただったはずなのに。
今は彼女も、目の前のことしか見えていない。
注告だってうざったいだけなんだ。
だからもう何も言わないけれど
見ているのはとても嫌な気分になる。
自分のことは棚にあげて
「試験に落ちるなんてやる気が足りないんじゃないの?」
などと言い放つ始末だし。
毎回何個も落としてる人にそんなこと言われたくないですよね。


知識として身に着くのではなく
言葉としてインプットされるだけの学問なんて
何の意味があるというのだろう。
時間の無駄だ。

と私は思うのだけどね。

学ぶチャンスや
学ぶということの貴重さ
それは、学べなくなって初めてわかる。
過ぎ去ってから、その貴重さに気がつくものなのか。

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