ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
怒涛のように村上春樹の著「1Q84」を読破した。
この後、空気さなぎは一体どうなったのか
天吾とふかえりは?青豆は本当に失われてしまったのか?
その物語は、続きそうで、続かない。
これが村上春樹の村上春樹たるところだ。
この本の中で、いくつか印象的なフレーズがある。
さきがけのリーダーであり、ふかえりの実の父を
青豆がいつもの(と言ってもそう頻繁ではないが)
天命を全うしに行った時
リーダーは全身にレシヴァとしての代償とも言うべき
痛みを抱えていた。
そしてその苦痛を取り除くために筋肉ストレッチを
青豆が施すのだが、そのストレッチも痛みを伴う。
痛くはないですか。
そう尋ねる青豆に対して彼はこう言う。
痛みは相対的なものでしかない
より強い痛みがあれば
その前の痛みなど消えてしまう、と。
この言葉は私の中にすとん、と
まるでそこがもともとの居場所のように
自然に 体に吸い込まれていった。
なぜなら私の人生がそのまま集約されているような
そんな気がしたからだ。
生きることは、痛みを伴う。
しかしその痛みを忘れるためには
より強い痛みを受け入れるしかなかった。
そしてそれは、この「リーダー」のように
他人に対して、自ら望んで受け入れるものだった。
痛みを忘れるために、和らげるために
より強い痛みを求めていたのだ。
それは体をやがて蝕み
傷つき、ぼろぼろになる。
そして再び立ち上がろうとするとき
今までよりももっと鋭い痛みを伴う。
それは痛みを忘れるための痛みではなく
ただの痛みそのものとして存在する。
立っているだけでも辛い
だけど、立ち続けなくてはならないのだ。
それだけは判る。
月がこの世界には一つしかないのだから。
この後、空気さなぎは一体どうなったのか
天吾とふかえりは?青豆は本当に失われてしまったのか?
その物語は、続きそうで、続かない。
これが村上春樹の村上春樹たるところだ。
この本の中で、いくつか印象的なフレーズがある。
さきがけのリーダーであり、ふかえりの実の父を
青豆がいつもの(と言ってもそう頻繁ではないが)
天命を全うしに行った時
リーダーは全身にレシヴァとしての代償とも言うべき
痛みを抱えていた。
そしてその苦痛を取り除くために筋肉ストレッチを
青豆が施すのだが、そのストレッチも痛みを伴う。
痛くはないですか。
そう尋ねる青豆に対して彼はこう言う。
痛みは相対的なものでしかない
より強い痛みがあれば
その前の痛みなど消えてしまう、と。
この言葉は私の中にすとん、と
まるでそこがもともとの居場所のように
自然に 体に吸い込まれていった。
なぜなら私の人生がそのまま集約されているような
そんな気がしたからだ。
生きることは、痛みを伴う。
しかしその痛みを忘れるためには
より強い痛みを受け入れるしかなかった。
そしてそれは、この「リーダー」のように
他人に対して、自ら望んで受け入れるものだった。
痛みを忘れるために、和らげるために
より強い痛みを求めていたのだ。
それは体をやがて蝕み
傷つき、ぼろぼろになる。
そして再び立ち上がろうとするとき
今までよりももっと鋭い痛みを伴う。
それは痛みを忘れるための痛みではなく
ただの痛みそのものとして存在する。
立っているだけでも辛い
だけど、立ち続けなくてはならないのだ。
それだけは判る。
月がこの世界には一つしかないのだから。
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