忍者ブログ
ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
[396]  [395]  [394]  [393]  [392]  [391]  [390]  [389]  [388]  [387]  [386
相手に何かを求めるのは
とても傲慢で自分勝手なことだと
私は勝手に考えているけれど
でも、やっぱり人間だから
誰かと分かり合いたいと思う。
でも、分かってもらいたいとか
知ってほしいという方向は傲慢な気がしてならない。

ならば人間はどうしたらいいだろう。
求めることが傲慢だとしたら
要求することが自己中心的なのなら
そこには、もう祈ることしか残っていないのではないだろうか

祈ることは、神様への要求だ。
願うことは、自分の意思だ。
賛美歌でこう歌っている。

「神様は友達なんだから
悩みも苦しみも全部聞いてあげるよ。
だから一人で苦しまないで
神様に話してごらん」

私はクリスチャンでもないし
神様の存在を確信してもいない。
だけど、祈ることはできる。
願うのではなく、祈ること。
祈りは、願うことよりも
強く自分中心の意識を反映させていないというか
もっと自分だけではなく、広い意味だと思うのです。

私は今まで祈ることというのは
特にありませんでしたが
最近思います

願える程、私は他人に掬ってもらえる人間ではないなら

私は祈るしかないのではないだろうか

私が、私として
一人の人間として生きていくのに
平和でありますように
目の前の人間が
そこにいるあなたが
幸せでありますようにと。





拍手[0回]

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
<< 一つ年上症候群 HOME 笑顔 >>
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
木蓮
性別:
非公開
自己紹介:
山へ行けばわかるよ
カウンター
最新コメント
[05/07 pochi]
[05/01 moto]
[05/01 moto]
[05/01 バード]
[04/29 pepipo]
忍者ブログ [PR]