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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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昨日とある女の子が

「引っ越ししたいな~ ペットが飼えるところがいいな~、家に帰ってもさみしいから」

と言いました。

私が、「ペットは大変だよ~。どこにもいけないよ~」
というと、

「えっ、家に置いておいたらだめなの?それっていたずらとかするから見てないと
だめってこと?」

というので

「餌だってあげるでしょ、それに、生きているんだから部屋に閉じ込めておくこと
できないじゃない。見ててあげないといけないんだよ」

と、さらに言うと

「ペットホテルとかに預けるっていうのは?」と。
(お前は週三日しか家に帰らないから家に閉じ込めておくか誰かに預けるつもりなのか)

なのでさらに私が

「ペットホテルだって、普段からちゃんと飼ってるならいいけど、普段放置したあげく
突然預けたって駄目だよ~。それに、万が一ってこともあるし・・・」

というと、彼女の口から衝撃的発言が・・・


「だって、別に死んじゃったりしても、保障してくれるでしょ!?」


・・・・・・・あーた。

保障って、死んじゃっても
「あ、すいません、弁償します。30万の犬ですよね?じゃあ30万弁償します」 
って言って君は納得するのか。動物はモノじゃないんだっつうの。
家族が万が一旅行で死んでも、「事故は保障があるから」と言われて素直に納得するのか!?

でも、この発言から彼女は完全なる「動く人形」として動物がほしいと言っているということが
わかりました。

一人暮らしで、部屋に帰ってもさみしいから、部屋に帰ると動くイキモノがほしい。
かわいいところだけをいいとこどりしたい。
死んだら換わりを買えばいい。

きっとこういうタイプの人間が

「飽きたから」と言って動物を簡単に捨てたり、ほうり出したりするのだろう。
なんというエゴだ。

小さいころに、動物を飼うこと、生き物を命を自分の手が握ること
自分が世話をしなければ死んでしまうということ
死ぬということは、もう二度と会えない喪失感と一生付き合うということ
そういうことを学ばなかった、もしくは親により避けて生きてきたのだろうなあと
思いました。

命の大切さは
残酷なようだけど、実際にその手で、体で感じなければ
理解することはできないだろうし
想像すること、共感することさえ不可能だろう。
しかし そういったことは現代社会では
「経験しなくていいもの」の部類、そう経験しなければしないで
大したことないと思われているものになってしまったのではないだろうか。

命とはとても重く
その手から放したら二度と戻ってくることはない。

生き物は、「死んでしまうとかわいそうだから」と言って、飼うことを反対する親や
そう思って飼わない人も多いだろう。
でも、私はそれは違うと思うのだ。

生きているものは、死んでしまう。それが当たり前だ。
だけど、「死んでしまうから」かわいそうと言って避けるのではなく、
私たちが世話をしなければ死んでしまうからこそ、大切に、大切に
その命を守り、世話していかなければならないものなのだ。
そこで学べるもの、経験できることは、人間として大切なものがぎっしり詰まっている。

命とは、なんとはかないものだろう。

シュバイツァー博士はそういったけど
それをただの「悲しい現象」としてのみとらえるのではなく
それを取り巻く様々な心の動き、弱いものを守る気持ち
そういったことを学ぶことが 大切なのではないでしょうか。
そして大切な命と過ごした時間は、お金などでは決して買えない
かけがえのない時間と経験だと 私は思います。


彼女が動物を飼うのは、まだまだ早いなあ・・・


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