ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
ご無沙汰しています
外は雪が降っています。
つい先週の金曜日は20℃もあったのにね
春は3歩進んで2歩下がるです
この間10年ぶりに知人とあってから
その人に関係あるいろんな事を少しずつ
思い出しています
私とその人の共通の知人でD子さんという方が
いました。
私は10年ぶりに会った知人(Tさんとしましょう)に
「Dが死んだの、知ってるか?」
と聞かれました。
その時は、びっくりしたし
「知らないっ!えっ。どうしたの!?病気?」
なんて聞いていましたが
よく記憶をたどっていくと
ずっとずっと昔
何年も前に誰かに聞いたような気が
してきたのです
でも、それも曖昧。
誰にいつ聞いたのか
私がうっすら聞いたような気がしている
D子の死の記憶はもしかしたら
Tさんに聞いたのかもしれないし
妄想なのかもしれないし
死ぬ前に私に電話がかかってきたのかもしれない。
なかなかTさんが教えてくれないので
自殺かな・・・とおもった瞬間
「あっ、自殺だ!自殺だったんだ」
と、何かの糸口がつかめたような感じで
ずるずるずる、と記憶がよみがえって
うっすら聞いた記憶が
だんだんと思い出されてきたのですが
それは誰に聞いたんだろう?
そして私の思い出した記憶は正しいのか
誰に確かめたらいいのだろう
高速で地面にたたきつけられる雪ともいえぬ
雨とも言えぬものを窓から眺めながら
D子の記憶をたどっています
彼女のニックネームは
だいきち だった。
だいきち、なはずだったのに。
外は雪が降っています。
つい先週の金曜日は20℃もあったのにね
春は3歩進んで2歩下がるです
この間10年ぶりに知人とあってから
その人に関係あるいろんな事を少しずつ
思い出しています
私とその人の共通の知人でD子さんという方が
いました。
私は10年ぶりに会った知人(Tさんとしましょう)に
「Dが死んだの、知ってるか?」
と聞かれました。
その時は、びっくりしたし
「知らないっ!えっ。どうしたの!?病気?」
なんて聞いていましたが
よく記憶をたどっていくと
ずっとずっと昔
何年も前に誰かに聞いたような気が
してきたのです
でも、それも曖昧。
誰にいつ聞いたのか
私がうっすら聞いたような気がしている
D子の死の記憶はもしかしたら
Tさんに聞いたのかもしれないし
妄想なのかもしれないし
死ぬ前に私に電話がかかってきたのかもしれない。
なかなかTさんが教えてくれないので
自殺かな・・・とおもった瞬間
「あっ、自殺だ!自殺だったんだ」
と、何かの糸口がつかめたような感じで
ずるずるずる、と記憶がよみがえって
うっすら聞いた記憶が
だんだんと思い出されてきたのですが
それは誰に聞いたんだろう?
そして私の思い出した記憶は正しいのか
誰に確かめたらいいのだろう
高速で地面にたたきつけられる雪ともいえぬ
雨とも言えぬものを窓から眺めながら
D子の記憶をたどっています
彼女のニックネームは
だいきち だった。
だいきち、なはずだったのに。
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私は10年前
兵庫のとある街でエフエム放送の
手伝いをしていたことがあります。
そのエフエムを主催していた人と知り合いで
しばらく手伝っていたのですが
10億円の負債を抱え 倒産しました
その後みんなバラバラになり
私もその人達との付き合いもなくなり
音信不通でいましたが
昨年三軒茶屋に事務所を作ったと知りました
ふと私を思い出したらしく
10年ぶりに連絡が来て、会おう!という事になり
昨日、22時から今朝の6時まで飲みながら話して
しまいました。
10年と言う月日は
思っていたより重かった。
沢山話をしました。
沢山判ってもらえました。
私の記憶に無いことも
沢山教えてもらいました。
彼は一言も私を責めなかった。
あの頃の私は
ひどいことも、沢山きっとしただろうに。
最後に私をハグして手を振って別れました。
私の背中の十字架が少し
軽くなったような
そんな気がしました。
私は私の人生を、もう一度生きているんだと
昔の私が会った人に私が再び会う度に
そう、思うのです
兵庫のとある街でエフエム放送の
手伝いをしていたことがあります。
そのエフエムを主催していた人と知り合いで
しばらく手伝っていたのですが
10億円の負債を抱え 倒産しました
その後みんなバラバラになり
私もその人達との付き合いもなくなり
音信不通でいましたが
昨年三軒茶屋に事務所を作ったと知りました
ふと私を思い出したらしく
10年ぶりに連絡が来て、会おう!という事になり
昨日、22時から今朝の6時まで飲みながら話して
しまいました。
10年と言う月日は
思っていたより重かった。
沢山話をしました。
沢山判ってもらえました。
私の記憶に無いことも
沢山教えてもらいました。
彼は一言も私を責めなかった。
あの頃の私は
ひどいことも、沢山きっとしただろうに。
最後に私をハグして手を振って別れました。
私の背中の十字架が少し
軽くなったような
そんな気がしました。
私は私の人生を、もう一度生きているんだと
昔の私が会った人に私が再び会う度に
そう、思うのです
私の地元では津波ニュースでもちきり。
古池は今頃記者だから取材に行ったかな。
気をつけてと、届かない空から願ってみたり。
(願うくらいは許されるかな)
ここ何日か第二の故郷で過ごしていました。
パソコンも持っていかなかったので何も
ネットに関わってませんでした
毎日夕飯と一緒に飲み会になり(さすが東北人)
ガリガリ勉強もしないですごしてしまった。
試験前なのにね(笑)
そういえば3年生になってから
いろんな医療系の大学生と知り合いになり
普段の生活や勉強などを教えてもらったりしていたら
試験前だからと言って、友達付き合いをやめたり
飲み会に行かなくなったりとか
そういう事をしない、っていう人がほとんどで
驚きました。
私、いつも試験前には私生活を犠牲にしていたし
だからこそ今までそれなりの点数をとれていたと
思い込んでいたのです。
そうしなければ駄目なんだ、って。
だけど、どうもそうじゃないって気づいたのです。
試験前に数時間くらい飲みに行こうが
あまり結果には影響しないって。
普段からやってなければ影響するかもしれないけど
普段からやっていれば、試験前の数時間なんて
あまり関係ないんだって。
だから今回は寝たし
誘われればご飯も食べに行きました。
寝なくても環境Ⅱは落ちたと思うし。
なんかそういう風に
自分の凝り固まった考え方がほぐれていくのは
30年も生きてきていても、はっとする。
気持ちのいいものです。
明日は再試験の日。
やることはやったし、沢山勉強もした。
あとは、それを紙の上に、きちんと出せればいいだけ。
私は試験慣れしていないので
つい試験の雰囲気にのみこまれてしまうので
そこだけが問題かな。
古池は今頃記者だから取材に行ったかな。
気をつけてと、届かない空から願ってみたり。
(願うくらいは許されるかな)
ここ何日か第二の故郷で過ごしていました。
パソコンも持っていかなかったので何も
ネットに関わってませんでした
毎日夕飯と一緒に飲み会になり(さすが東北人)
ガリガリ勉強もしないですごしてしまった。
試験前なのにね(笑)
そういえば3年生になってから
いろんな医療系の大学生と知り合いになり
普段の生活や勉強などを教えてもらったりしていたら
試験前だからと言って、友達付き合いをやめたり
飲み会に行かなくなったりとか
そういう事をしない、っていう人がほとんどで
驚きました。
私、いつも試験前には私生活を犠牲にしていたし
だからこそ今までそれなりの点数をとれていたと
思い込んでいたのです。
そうしなければ駄目なんだ、って。
だけど、どうもそうじゃないって気づいたのです。
試験前に数時間くらい飲みに行こうが
あまり結果には影響しないって。
普段からやってなければ影響するかもしれないけど
普段からやっていれば、試験前の数時間なんて
あまり関係ないんだって。
だから今回は寝たし
誘われればご飯も食べに行きました。
寝なくても環境Ⅱは落ちたと思うし。
なんかそういう風に
自分の凝り固まった考え方がほぐれていくのは
30年も生きてきていても、はっとする。
気持ちのいいものです。
明日は再試験の日。
やることはやったし、沢山勉強もした。
あとは、それを紙の上に、きちんと出せればいいだけ。
私は試験慣れしていないので
つい試験の雰囲気にのみこまれてしまうので
そこだけが問題かな。
試験前に私がやってはいけないこと。
それはノートまとめ。
ノートまとめする科目はたいてい落ちる。
前期の薬理もそうだし、後期の環境衛生Ⅱもそう。
でも、苦手と思えば思うほどノートをまとめたくなるし
ノートまとめる時って何も考えてない「ノート転写人間」
になってしまっている感じで
結局頭に入ってないのよね。
そんなこんなで、でも、じっくり
環境衛生学Ⅱの教科書を読んでみて
2週間かかって読み切りました(笑)
試験前にこんなに根詰めてこの科目だけ
やれるはずもないので
一番苦手な科目を2回3回と復習する
いい機会になりました。
これでギリギリで受かった人よりも
この科目が得意になったに違いない。
今いる大学に
旭医から転職しようと思って受けた会社で
面接官していた先生がいるんです
薬理の実習の時に「あれ・・・?」って思ったので
「先生、もしかして・・・」って話かけたら
「どっかで会ったことあるよね?」
そう、その先生も覚えていたのです
私が医局の助手からとらばーゆしようと思っていた
あの試験のことを・・・
(ちなみにその就職の面接は落ちました)
後にも先にも、就職で落ちたのそこだけなんです。
今思えば落ちて良かったとおもうのだけど
面白い巡りあわせだな、とつくづく思います。
北先生も、巡り巡って今じゃ関東で先生やってるし。
中学の時の塾の先生は、今住んでいるところの
近所で開業してるし。
どこで再会するか分からないものですね、人って。
私は小さいころから家では駄目な子と言われていて
(外では活発な元気な子という評価にも関わらず)
家を出てから自由を手に入れたと同時に
カルチャーショックを受けました。
同時にどう生きていけばいいかも
分からなくなったのです。
生きる方法は、人間に本能的に備わっているものなのに
それすらも曖昧であやふやになってしまったのです。
そんな時の状況を知っているのは、その時周りにいて
どうでも良い話とかを、嫌な顔せずに聞いてくれた
いろんな人達です。(特に短大~社会人最初の職場あたり)
私は、その人達とはその場を離れたら
もう一生会う事は無いと思っていました。
辛い思い出話と一緒に
そこに置いてくるものだと思っていました。
そうやって、人っていうものは
時と場所を区切って
生きていくものだと考えていたからです。
だから私にとって
昔お世話になった人とは
自分が会いに行かない限り、近くに行くことも
出来ないと思っていました。
だけどそうじゃないんだね
私の存在が年代ごとにバラバラでいたからこそ
そう思っていただけで
本当は同じ人間の「人生」という流れで
つながっているものだったんだ。
あの頃出会った北先生と今の北先生は
ずっとつながっている同じ人なんだ。
だけど私にはそういう「つながり」の感覚が
ずっとずっと持てないでいたのです。
でもこうしてそういったつながりを
自分の人生というつながりを
しっかりと、少しずつ理解できるようになってきて
あの頃の私も、今の私につながっているんだと
考えられるようになってきたのです。
人生ってステージみたいなもので
そこにどんな人が何人上がっているか
そのステージの上で私はそこの人たちと
どんな関わりをするか
そしてそのステージから次のステージに
飛び移ってくれる人もいるだろうし
いなくなってしまう人もいるだろうけど
もし、また次でも同じ舞台にいられるなら
そのつながりは大事にしていきたいと思っています。
次に会う時に恥ずかしくないような
そんな生き方がしたい。
書いていてふと思った。
もしかしたら
ステージはずっと、
つながっているのかもしれないね。
私という人間の生きる道の上に。
それはノートまとめ。
ノートまとめする科目はたいてい落ちる。
前期の薬理もそうだし、後期の環境衛生Ⅱもそう。
でも、苦手と思えば思うほどノートをまとめたくなるし
ノートまとめる時って何も考えてない「ノート転写人間」
になってしまっている感じで
結局頭に入ってないのよね。
そんなこんなで、でも、じっくり
環境衛生学Ⅱの教科書を読んでみて
2週間かかって読み切りました(笑)
試験前にこんなに根詰めてこの科目だけ
やれるはずもないので
一番苦手な科目を2回3回と復習する
いい機会になりました。
これでギリギリで受かった人よりも
この科目が得意になったに違いない。
今いる大学に
旭医から転職しようと思って受けた会社で
面接官していた先生がいるんです
薬理の実習の時に「あれ・・・?」って思ったので
「先生、もしかして・・・」って話かけたら
「どっかで会ったことあるよね?」
そう、その先生も覚えていたのです
私が医局の助手からとらばーゆしようと思っていた
あの試験のことを・・・
(ちなみにその就職の面接は落ちました)
後にも先にも、就職で落ちたのそこだけなんです。
今思えば落ちて良かったとおもうのだけど
面白い巡りあわせだな、とつくづく思います。
北先生も、巡り巡って今じゃ関東で先生やってるし。
中学の時の塾の先生は、今住んでいるところの
近所で開業してるし。
どこで再会するか分からないものですね、人って。
私は小さいころから家では駄目な子と言われていて
(外では活発な元気な子という評価にも関わらず)
家を出てから自由を手に入れたと同時に
カルチャーショックを受けました。
同時にどう生きていけばいいかも
分からなくなったのです。
生きる方法は、人間に本能的に備わっているものなのに
それすらも曖昧であやふやになってしまったのです。
そんな時の状況を知っているのは、その時周りにいて
どうでも良い話とかを、嫌な顔せずに聞いてくれた
いろんな人達です。(特に短大~社会人最初の職場あたり)
私は、その人達とはその場を離れたら
もう一生会う事は無いと思っていました。
辛い思い出話と一緒に
そこに置いてくるものだと思っていました。
そうやって、人っていうものは
時と場所を区切って
生きていくものだと考えていたからです。
だから私にとって
昔お世話になった人とは
自分が会いに行かない限り、近くに行くことも
出来ないと思っていました。
だけどそうじゃないんだね
私の存在が年代ごとにバラバラでいたからこそ
そう思っていただけで
本当は同じ人間の「人生」という流れで
つながっているものだったんだ。
あの頃出会った北先生と今の北先生は
ずっとつながっている同じ人なんだ。
だけど私にはそういう「つながり」の感覚が
ずっとずっと持てないでいたのです。
でもこうしてそういったつながりを
自分の人生というつながりを
しっかりと、少しずつ理解できるようになってきて
あの頃の私も、今の私につながっているんだと
考えられるようになってきたのです。
人生ってステージみたいなもので
そこにどんな人が何人上がっているか
そのステージの上で私はそこの人たちと
どんな関わりをするか
そしてそのステージから次のステージに
飛び移ってくれる人もいるだろうし
いなくなってしまう人もいるだろうけど
もし、また次でも同じ舞台にいられるなら
そのつながりは大事にしていきたいと思っています。
次に会う時に恥ずかしくないような
そんな生き方がしたい。
書いていてふと思った。
もしかしたら
ステージはずっと、
つながっているのかもしれないね。
私という人間の生きる道の上に。
今日RHの後にコンビニで立ち読みしてたら
「トライ・アンド・エラー」って言葉が出て来ました。
トライ・アンド・エラー。
なんか、胸にぐぐっと来たのです。
思えば私はトライしまくりで、エラーはなるべく見たくない
というか、エラーを恐れるあまり正当化したり合理化したり
していたような気さえする。
エラーに目を向ければもっとよりよいものになるハズなのに
そのエラーが、見られない。というか見たくない。
恥ずかしいやら、悔しいやら、そういう黒い気持ちが
どろどろになるのが怖かったから。
それでまた、うろ覚えのままトライしてまたエラー。
こう考えるとなんて非合理的なんだ。
エラーを恐れないで
それを糧にできるような
そういう強い人になりたいな。
私は負けず嫌いだけど
エラーを見なければきっと
同じエラーを繰り返してしまうよね。
それじゃ全然意味ないじゃん。
目先のことをついつい見てしまいがちな大学の勉強だけど
(とりあえず大学の試験さえ通ればいいや、みたいな)
大学で得た知識を基盤として、臨床やらなきゃ意味ないし
臨床やるのに大学での基礎が役に立たないわけない
ということは、ずっと覚えてなきゃいけないし
それを忘れないように努力しなくちゃならない。
つまり、一生勉強ってことだよね。
目先の試験で間違えても人は死なないけど
臨床で間違えたら大変なことになる。
もっと遠くまで見られるようになりたいな。
エラーを振り返るってことは
もしかしたら躓いた石の大きさや形を
確かめることと似ているのかもしれない。
石の色や石までの距離を
きちんと覚えていよう。
「トライ・アンド・エラー」って言葉が出て来ました。
トライ・アンド・エラー。
なんか、胸にぐぐっと来たのです。
思えば私はトライしまくりで、エラーはなるべく見たくない
というか、エラーを恐れるあまり正当化したり合理化したり
していたような気さえする。
エラーに目を向ければもっとよりよいものになるハズなのに
そのエラーが、見られない。というか見たくない。
恥ずかしいやら、悔しいやら、そういう黒い気持ちが
どろどろになるのが怖かったから。
それでまた、うろ覚えのままトライしてまたエラー。
こう考えるとなんて非合理的なんだ。
エラーを恐れないで
それを糧にできるような
そういう強い人になりたいな。
私は負けず嫌いだけど
エラーを見なければきっと
同じエラーを繰り返してしまうよね。
それじゃ全然意味ないじゃん。
目先のことをついつい見てしまいがちな大学の勉強だけど
(とりあえず大学の試験さえ通ればいいや、みたいな)
大学で得た知識を基盤として、臨床やらなきゃ意味ないし
臨床やるのに大学での基礎が役に立たないわけない
ということは、ずっと覚えてなきゃいけないし
それを忘れないように努力しなくちゃならない。
つまり、一生勉強ってことだよね。
目先の試験で間違えても人は死なないけど
臨床で間違えたら大変なことになる。
もっと遠くまで見られるようになりたいな。
エラーを振り返るってことは
もしかしたら躓いた石の大きさや形を
確かめることと似ているのかもしれない。
石の色や石までの距離を
きちんと覚えていよう。
昨日朝からメッセは大混雑。
私は大学生になって実習が入るようになってから
普段はSOHOで仕事をこなすようになっていて
メッセ(ンジャー)が職場との連絡手段なのです。
昨日の朝は、まずは訃報の連絡から。
私が初診の陪席をした患者さんが、無くなったそうです。
管轄の警察署から病状確認の電話がかかって来て
スタッフ一同驚いたそうです。
その方は初発のS(schizophrenia)だったのですが
病状も安定していて今は維持量の薬しか出しません。
むしろ、調子よくてマイナー減らした位だ。
それなのに、どうして・・・と
しかも見た目に事件性がないからこそ警察が電話してきた
のであって、目立った外傷がないのは明らか。
どうしたんだろなあ・・・
ミーティングの前もみんなで死因について
検討していました。
中性脂肪が350と非常に高く、喫煙も一日30本と多かった。
心筋梗塞かな、という話も出ました。
高脂血症がでるのも、メジャーの特徴だし。
そこに喫煙やストレスといったものが加わり
心筋梗塞を発症したのではないか、と。
でも本当のところは判りません。
Sは難しいです。
了解不能だから。
Sの患者さんの行動や言動について理解は出来るんだけど
了解はできない。
了解不能な事で、もしかして・・・ということはあります。
ご冥福をお祈りします。
私の勤めている病院で患者さんが亡くなることは
本当に少ないですが
少ないからこそ、1人1人のことを絶対に忘れません。
絶対にその死を無駄にしたくないと思います。
明日の医療に、必ずつなげたいです。
私は大学生になって実習が入るようになってから
普段はSOHOで仕事をこなすようになっていて
メッセ(ンジャー)が職場との連絡手段なのです。
昨日の朝は、まずは訃報の連絡から。
私が初診の陪席をした患者さんが、無くなったそうです。
管轄の警察署から病状確認の電話がかかって来て
スタッフ一同驚いたそうです。
その方は初発のS(schizophrenia)だったのですが
病状も安定していて今は維持量の薬しか出しません。
むしろ、調子よくてマイナー減らした位だ。
それなのに、どうして・・・と
しかも見た目に事件性がないからこそ警察が電話してきた
のであって、目立った外傷がないのは明らか。
どうしたんだろなあ・・・
ミーティングの前もみんなで死因について
検討していました。
中性脂肪が350と非常に高く、喫煙も一日30本と多かった。
心筋梗塞かな、という話も出ました。
高脂血症がでるのも、メジャーの特徴だし。
そこに喫煙やストレスといったものが加わり
心筋梗塞を発症したのではないか、と。
でも本当のところは判りません。
Sは難しいです。
了解不能だから。
Sの患者さんの行動や言動について理解は出来るんだけど
了解はできない。
了解不能な事で、もしかして・・・ということはあります。
ご冥福をお祈りします。
私の勤めている病院で患者さんが亡くなることは
本当に少ないですが
少ないからこそ、1人1人のことを絶対に忘れません。
絶対にその死を無駄にしたくないと思います。
明日の医療に、必ずつなげたいです。
いつもとあんまり変わりませんでした。
落ちたと思っていたものは落ちていたし。
でも、ボーダーすごい低くしたと先生に言われて
あと2問(4点)で合格だったよ、って。
といっても、60点には程遠い点数なんですけどね。
結局、毎日ちょっとずつなんだかんだやっていれば
直前に教科書ぱらぱらめくる程度だろうが
受かるものは受かると思いました。
あんまりやってなくて、直前2週間で集中的にやった時と
結果ほとんど変わらん。
むしろ、体力的に疲れないだけこっちの方が良い気がします。
うん、きっと私にはこっちの方が合ってる。
ビタミン先生に
「他の科目結構いい点とってんのに、なんで落ちた
環境衛生だけこんな衝撃的に悪いんだよ・・・」
って言われちゃいました。
スミマセン・・・
落ちた人をみな59点にして落とす先生と
自分で決めたボーダー以上を60点にして
そのボーダー以下は素点にする先生といるのです。
私が落とした奴は、ボーダー以下は素点。
つまり、あと4点の差が、15点の差になっちゃった(笑)
くやしい~!!
でも、60点ボーダーだとしても落ちてることには
変わりないし、追試で合格したら60点になるから
あんまり気にしないでマイペースでいこう。
私にとって一番難しいのが「マイペース」なんです。
ほんと、マイペースが難しいです。
とりあえず、1科目だけなので4年進級は確定。
今年の3年生の試験は大甘採点だったな~って思う。
来年はちゃんと、過去問しっかり手に入れよう。
こつこつ勉強はつづけよう
薬剤師、専門薬剤師、医師
全部とれるように、がんばろう。
私多分、頑張ることしか取り柄がないのではないかと思う。
生きること、病気と闘ったこと
辛い治療に耐えたこと
勉強をがんばること、自分自身を客観視すること。
振り返れば、「がんばってたなあ」って思えるような
そういう、しっかりした生き方がしたい。
周りの雑音に振り回されたくない
そういう音など、聞こえなければいいのに。
朝の雪の降り方がまるで青い森みたいで
ひらひら落ちる雪の綿を眺めてました
こいちゃん元気にしてるかな。
今年もはくちょうさんにポックポーンあげたかな。
もう、瞼の裏にしか見られない面影が
そこにあるんだろうね。
私は私のしたいことをして生きる。
羽をなくしても、私は飛べるから。
心配しないで。
時々、桜吹雪みたら思い出してくれるだけでいい。
ごめんね。
落ちたと思っていたものは落ちていたし。
でも、ボーダーすごい低くしたと先生に言われて
あと2問(4点)で合格だったよ、って。
といっても、60点には程遠い点数なんですけどね。
結局、毎日ちょっとずつなんだかんだやっていれば
直前に教科書ぱらぱらめくる程度だろうが
受かるものは受かると思いました。
あんまりやってなくて、直前2週間で集中的にやった時と
結果ほとんど変わらん。
むしろ、体力的に疲れないだけこっちの方が良い気がします。
うん、きっと私にはこっちの方が合ってる。
ビタミン先生に
「他の科目結構いい点とってんのに、なんで落ちた
環境衛生だけこんな衝撃的に悪いんだよ・・・」
って言われちゃいました。
スミマセン・・・
落ちた人をみな59点にして落とす先生と
自分で決めたボーダー以上を60点にして
そのボーダー以下は素点にする先生といるのです。
私が落とした奴は、ボーダー以下は素点。
つまり、あと4点の差が、15点の差になっちゃった(笑)
くやしい~!!
でも、60点ボーダーだとしても落ちてることには
変わりないし、追試で合格したら60点になるから
あんまり気にしないでマイペースでいこう。
私にとって一番難しいのが「マイペース」なんです。
ほんと、マイペースが難しいです。
とりあえず、1科目だけなので4年進級は確定。
今年の3年生の試験は大甘採点だったな~って思う。
来年はちゃんと、過去問しっかり手に入れよう。
こつこつ勉強はつづけよう
薬剤師、専門薬剤師、医師
全部とれるように、がんばろう。
私多分、頑張ることしか取り柄がないのではないかと思う。
生きること、病気と闘ったこと
辛い治療に耐えたこと
勉強をがんばること、自分自身を客観視すること。
振り返れば、「がんばってたなあ」って思えるような
そういう、しっかりした生き方がしたい。
周りの雑音に振り回されたくない
そういう音など、聞こえなければいいのに。
朝の雪の降り方がまるで青い森みたいで
ひらひら落ちる雪の綿を眺めてました
こいちゃん元気にしてるかな。
今年もはくちょうさんにポックポーンあげたかな。
もう、瞼の裏にしか見られない面影が
そこにあるんだろうね。
私は私のしたいことをして生きる。
羽をなくしても、私は飛べるから。
心配しないで。
時々、桜吹雪みたら思い出してくれるだけでいい。
ごめんね。
女子モーグルの決勝を見ていて
里谷選手のすごさを見た気がします。
今までメダルをとっていない上村選手や
若い選手ばかりをメディアは追って来たけれど
里谷選手の今日の滑りを見て
ああ、この人は本当に才能のある選手なんだ
と思いました。
第二エアで転倒してしまったけれど
あの転倒がなければメダルにも届いていたのではないかと
思います。(たらればですが)
オリンピックってでも「競技会」じゃないんですね
ゲームなんですね
日本人はとにかく「終わりよければすべてよし」っていう
風潮なのか、メダルさえとればもうそれが全てみたいなことを
言うけれど
なんとなくねー、私そういうプロセス重視しない風潮って
あんまり好きじゃなかったりします。
日本の教育が結果重視だから
そういう考え方が主流になっていても仕方がないけれど。
よくテレビで
日本の算数の問題はこうです
でもイギリスではこうです
みたいなCMやっていますよね
あれが日本の「プロセス無視」的教育の
発端じゃないかとも思うのですが
与えられた教育内容すらまともにこなしてない私は
そういう文句言えた立場じゃないですが。
でもなー、なんか日本人が「伸びない」っていうの
そのあたりにある気がするのです。
プロセス重視してないから
自由な発想が妨げられているっていうか
自由なプロセスは選んじゃいけないっていうか。
生きることって結果がありませんよね
結果が見えてないというか
生きること=プロセスでしかないんです
それなのにそのプロセスを重視しない教育って
短絡的な発想を助長するような気がするのですが・・・
オリンピックでメダルが取れないことは
本人にとっても悔しいかもしれない。
だけど、全力出し切ってそれなら
それが100%なんだから
周りがそれ以上望む必要ないと思います
押しつけることないと思うのです
彼女たちがここまできたプロセスを褒めてあげたい。
良くやった、って。
多分、彼女たちの母親達は皆そうであると思います。
親はいつも、きっとずっと見ているのだから。
みんな、お疲れ様
良くやった!100点だよ!
ってみなさん迎えてあげてくださいな。
里谷選手のすごさを見た気がします。
今までメダルをとっていない上村選手や
若い選手ばかりをメディアは追って来たけれど
里谷選手の今日の滑りを見て
ああ、この人は本当に才能のある選手なんだ
と思いました。
第二エアで転倒してしまったけれど
あの転倒がなければメダルにも届いていたのではないかと
思います。(たらればですが)
オリンピックってでも「競技会」じゃないんですね
ゲームなんですね
日本人はとにかく「終わりよければすべてよし」っていう
風潮なのか、メダルさえとればもうそれが全てみたいなことを
言うけれど
なんとなくねー、私そういうプロセス重視しない風潮って
あんまり好きじゃなかったりします。
日本の教育が結果重視だから
そういう考え方が主流になっていても仕方がないけれど。
よくテレビで
日本の算数の問題はこうです
でもイギリスではこうです
みたいなCMやっていますよね
あれが日本の「プロセス無視」的教育の
発端じゃないかとも思うのですが
与えられた教育内容すらまともにこなしてない私は
そういう文句言えた立場じゃないですが。
でもなー、なんか日本人が「伸びない」っていうの
そのあたりにある気がするのです。
プロセス重視してないから
自由な発想が妨げられているっていうか
自由なプロセスは選んじゃいけないっていうか。
生きることって結果がありませんよね
結果が見えてないというか
生きること=プロセスでしかないんです
それなのにそのプロセスを重視しない教育って
短絡的な発想を助長するような気がするのですが・・・
オリンピックでメダルが取れないことは
本人にとっても悔しいかもしれない。
だけど、全力出し切ってそれなら
それが100%なんだから
周りがそれ以上望む必要ないと思います
押しつけることないと思うのです
彼女たちがここまできたプロセスを褒めてあげたい。
良くやった、って。
多分、彼女たちの母親達は皆そうであると思います。
親はいつも、きっとずっと見ているのだから。
みんな、お疲れ様
良くやった!100点だよ!
ってみなさん迎えてあげてくださいな。
久しぶりに古池の夢を見た。
夢の内容は、いつもと違っていた。
古池の住んでいる家なんか知るはずもないのに
夢の中で私は彼の家族と住んでいるマンションで
彼がドアの前にいるのを知ってて
顔が見えない位置から彼にこう、言ったのだ。
「古池、さよなら」
その瞬間
いつものように目がばっ、っと覚めて
朝の5時半だったけど、そこから眠れなくなってしまいました。
もう手が届かないところにいる彼は
今一体どんな生活をしているのか
どんなふうに暮らしているのか
知る由もない。
だけどずっと祈ってる。
幸せでいてほしい、って。
その幸せに
私は参加できないけれど
あなたのいた私の人生は
とても素敵で、きらきらしていて。
辛いこともあったけど、私の中であなたは
魂の何かがつながっていると信じていた。
それは今でもそう。
私独りが思っているとしても。
めちゃめちゃに傷つけて
自分もめちゃめちゃに傷つけた。
だけど変わらない。
あなたが大好きだったこと。
今でも大好きだってこと。
あなたにもう、2度と会えないことも知っている。
私は一度死んだのだ。
一瞬、彼に手紙を出してみたくなった。
あなたを傷つけたこと
申し訳なく思っていること
遠くからあなたの幸せを願っていること
私は今、独りで生きていけていること
あなたを今でも大切に思っていること
あなたに辛い思いをさせたこと
謝っても謝りきれないこと
今でもあなたの夢をときどき見ること
私が生きていること
会えないけれど
つながった空から祈っていること
あなたが大丈夫であるように。
あなたが幸せであるように。
あなたが傷つきませんように。
辛い思いを、もうしませんように。
夢の内容は、いつもと違っていた。
古池の住んでいる家なんか知るはずもないのに
夢の中で私は彼の家族と住んでいるマンションで
彼がドアの前にいるのを知ってて
顔が見えない位置から彼にこう、言ったのだ。
「古池、さよなら」
その瞬間
いつものように目がばっ、っと覚めて
朝の5時半だったけど、そこから眠れなくなってしまいました。
もう手が届かないところにいる彼は
今一体どんな生活をしているのか
どんなふうに暮らしているのか
知る由もない。
だけどずっと祈ってる。
幸せでいてほしい、って。
その幸せに
私は参加できないけれど
あなたのいた私の人生は
とても素敵で、きらきらしていて。
辛いこともあったけど、私の中であなたは
魂の何かがつながっていると信じていた。
それは今でもそう。
私独りが思っているとしても。
めちゃめちゃに傷つけて
自分もめちゃめちゃに傷つけた。
だけど変わらない。
あなたが大好きだったこと。
今でも大好きだってこと。
あなたにもう、2度と会えないことも知っている。
私は一度死んだのだ。
一瞬、彼に手紙を出してみたくなった。
あなたを傷つけたこと
申し訳なく思っていること
遠くからあなたの幸せを願っていること
私は今、独りで生きていけていること
あなたを今でも大切に思っていること
あなたに辛い思いをさせたこと
謝っても謝りきれないこと
今でもあなたの夢をときどき見ること
私が生きていること
会えないけれど
つながった空から祈っていること
あなたが大丈夫であるように。
あなたが幸せであるように。
あなたが傷つきませんように。
辛い思いを、もうしませんように。
今日で期末試験が終わりました。
今回の試験は、やる気がまったく出ないままスタートし
やる気がみなぎらないうちに終了してしまいました。
そして普段はあり得ないようなミスもしたし
(○なら1、×なら2を○を2、×を1でマークしてしまった)
私がうつっぽくなったときにありがちな
「一刻も早く大学から立ち去ってしまいたい」
という気分もあり
さらに、要領よくいい成績をとるタイプの人と
一緒に勉強しなかったせいか
公表されていない「裏過去問」を入手することができず
過去問と同じ問題が解けなかったりと
いろいろな問題点がでてしまった試験でした。
ただ、
「定期試験のためだけの、試験範囲だけを直前に詰め込むような
そんな勉強はしたくない」
という気持ちだけはずっと持っていて
大学から帰って勉強して、試験期間だからといって
徹夜したり、早起きしたり、夜型にしたりといった
特別なことは一切せず
普段通りに、講義が終わったら勉強し
0時前には必ず寝て、朝6時半に起きるという生活を
そのまままったく変えずに試験を過ごしました。
前の日徹夜して、試験終わったらすっぱり忘れるとか
そういう無駄に脳に負担かけたくない(かけられない)
というか、何というか・・・
沢山悔しいミスもしたし
思ったより点の伸びない科目もあったし
(そりゃ前期に比べて詰め込んでないから当然か)
追試も過去最高の数になりそうだけど。
そしていつも、
「いつになったら、納得いく答案が出せるのだろう」
と反省しているけれど
今日
最後の薬物動態で
その答案を作り上げることができました。
問題用紙5枚の、ものすごい量の試験だったし
最後は動態の計算問題だったけど
いつも計算ミスしてるけど
今日は、計算ミスに気がつくことができて
それを、試験終了時刻が迫っていたけど
焦らず、きちんと全部解きなおすことができた。
これは、いつもの私ならきっと出来てないと思います。
焦ってテンパって、もうどうでも良い気分がこみあげて
計算ミスを直す計算でもまたミスしたりして。
最後は適当に解答選んだりとか。
そういうことが、今日に限っては無かったのです。
あきらめずに解いて
あきらめずに解き切った。
私にとって少しだけ進歩したかもしれない。
さ、明日から追試になってそうな科目の勉強始めなきゃ。
今回の試験は、やる気がまったく出ないままスタートし
やる気がみなぎらないうちに終了してしまいました。
そして普段はあり得ないようなミスもしたし
(○なら1、×なら2を○を2、×を1でマークしてしまった)
私がうつっぽくなったときにありがちな
「一刻も早く大学から立ち去ってしまいたい」
という気分もあり
さらに、要領よくいい成績をとるタイプの人と
一緒に勉強しなかったせいか
公表されていない「裏過去問」を入手することができず
過去問と同じ問題が解けなかったりと
いろいろな問題点がでてしまった試験でした。
ただ、
「定期試験のためだけの、試験範囲だけを直前に詰め込むような
そんな勉強はしたくない」
という気持ちだけはずっと持っていて
大学から帰って勉強して、試験期間だからといって
徹夜したり、早起きしたり、夜型にしたりといった
特別なことは一切せず
普段通りに、講義が終わったら勉強し
0時前には必ず寝て、朝6時半に起きるという生活を
そのまままったく変えずに試験を過ごしました。
前の日徹夜して、試験終わったらすっぱり忘れるとか
そういう無駄に脳に負担かけたくない(かけられない)
というか、何というか・・・
沢山悔しいミスもしたし
思ったより点の伸びない科目もあったし
(そりゃ前期に比べて詰め込んでないから当然か)
追試も過去最高の数になりそうだけど。
そしていつも、
「いつになったら、納得いく答案が出せるのだろう」
と反省しているけれど
今日
最後の薬物動態で
その答案を作り上げることができました。
問題用紙5枚の、ものすごい量の試験だったし
最後は動態の計算問題だったけど
いつも計算ミスしてるけど
今日は、計算ミスに気がつくことができて
それを、試験終了時刻が迫っていたけど
焦らず、きちんと全部解きなおすことができた。
これは、いつもの私ならきっと出来てないと思います。
焦ってテンパって、もうどうでも良い気分がこみあげて
計算ミスを直す計算でもまたミスしたりして。
最後は適当に解答選んだりとか。
そういうことが、今日に限っては無かったのです。
あきらめずに解いて
あきらめずに解き切った。
私にとって少しだけ進歩したかもしれない。
さ、明日から追試になってそうな科目の勉強始めなきゃ。
薬物治療学なんて、今までの知識で
勉強してなくてもできると思って
ぱらぱらっと過去問&予想問題をやっていったら
全部できたので余裕と思っていたら、
抗コリン作用があれば1、なければ2という回答で
まさかのある方を2、ない方を1で書いてしまった私。
マイナス10点が大きくて、すごくショックを受けていました。
薬物治療なんて、すごく得意科目だったのに。
いや、これで得意不得意とか決まるわけじゃないか。
得意なことは得意だけど
たまたま、回答マークミスしただけ。
これでこの科目が不得意ってことにはならないよね
今までコツコツやってたから
試験前にあわてて勉強しなくたって対応出来たんだし
そのことは自信に変えたい。
変えようと思う。
学年順位は悪いかもしれないけど
これからある模擬試験やブロック試験で
積み重ねて勉強してきたところがきちんと出せるように
コツコツ勉強したい。
私は薬剤師も持つ医師になるつもりです。
だから、こんな程度のことでうわぁん、なんて
落ち込んでる場合じゃないし
なんて目の前の事しか見られないんだと思う。
勉強だってそう。
この程度のことがクリアできなくて
医学部の解剖とか診断学とか神経とか
太刀打ちできるはずもない。
大学ではある先生に
「毎日コツコツやってるけど、そのまんま試験前に
同じペースでやってるから駄目なんだお前は」
っていわれた。
でもその先生は、試験前にあわてる学生には
「毎日コツコツやってれば、試験前にぱっと思い出すだけでいいのに」
という。(つまり、とにかく私に関してはケチ付けたいんだろうと。)
そうそう、私がこの間まで
やりっぱなし、言いっぱなしだといわれていて
それがどういう意味か判らなくて悩んでいて
私の分析医に相談してみました
そしたら意外な答えが返ってきました
「その人にとっては、相手を一人の人間として尊重して
”これはこういう風考えてみたら出来るから
ちょっとじゃあ解いてみてごらん”
なんて言うのは突き放した対応なんだよ。
中途半端に教えてるってこと。
教えるだけじゃなく、解き方を言うだけでなく、
相手は解いてあげないとわからない人間(自分が
いないと出来ない人間だということで)
最後まで解いてあげろよっていう事でしょうね
つまり、その先生は自分以外の人間を
自我がない、人間としての個を尊重しない
もしくは認めてないんでしょうね」
がーーーん!!
たしかに!!
その先生は学生が過去問を持ってくると
まず全部問題を解いてあげちゃう。
答えを作ってあげちゃう。
その先生が作った過去問の解答が回ってるくらいだ。
一緒に教えながら解くのは面倒だから嫌いみたいだけど。
私が家庭教師のバイトとか
同級生に教えているような
やり方だけ教えて、別の似たような問題を解かせてみる
ってやり方は、その先生には
言いっぱなし、教えっぱなしになるんだろうなあ。
解いてあげないとだめだったのか・・・
でも、その先生に好かれようとももう思わないけどね。
殴る父に殴られないように気に入られようと
過剰に父に取り入ろうとしていた時の自分に
似ているなと思った。
でもそんなことをしたって
何の意味もないし
気にいられることはないし
殴られることも止まるわけがないって
もう十分、わかってるのに
その方法しかしたことがなかったから
それしか自分には出来なかったんだと反省。
父さんから逃げて
母さんから離れて
僕は走った
走り続けて立ち止まったあの砂浜の
左手に咲いた浜昼顔が
僕には何故か、許せなかった。
右も左も鉄鎖につながれている。
僕は逃げて逃げて逃げまくる。
(村上昴「浜昼顔」より一部引用)
私は家を出て
殴られる事は無くなったけど
あの頃の抱いた気持ちは
同じ場面で思い出す。
うろたえて私は、あの頃と同じ行動を
とってしまう。
PTSDという鎧は
もう手放したから
泣かずに私は、新しい生き方を
探さなくてはいけないな。
あ、またすごい話が飛躍してしまいました。
ごめんなさいねー
勉強してなくてもできると思って
ぱらぱらっと過去問&予想問題をやっていったら
全部できたので余裕と思っていたら、
抗コリン作用があれば1、なければ2という回答で
まさかのある方を2、ない方を1で書いてしまった私。
マイナス10点が大きくて、すごくショックを受けていました。
薬物治療なんて、すごく得意科目だったのに。
いや、これで得意不得意とか決まるわけじゃないか。
得意なことは得意だけど
たまたま、回答マークミスしただけ。
これでこの科目が不得意ってことにはならないよね
今までコツコツやってたから
試験前にあわてて勉強しなくたって対応出来たんだし
そのことは自信に変えたい。
変えようと思う。
学年順位は悪いかもしれないけど
これからある模擬試験やブロック試験で
積み重ねて勉強してきたところがきちんと出せるように
コツコツ勉強したい。
私は薬剤師も持つ医師になるつもりです。
だから、こんな程度のことでうわぁん、なんて
落ち込んでる場合じゃないし
なんて目の前の事しか見られないんだと思う。
勉強だってそう。
この程度のことがクリアできなくて
医学部の解剖とか診断学とか神経とか
太刀打ちできるはずもない。
大学ではある先生に
「毎日コツコツやってるけど、そのまんま試験前に
同じペースでやってるから駄目なんだお前は」
っていわれた。
でもその先生は、試験前にあわてる学生には
「毎日コツコツやってれば、試験前にぱっと思い出すだけでいいのに」
という。(つまり、とにかく私に関してはケチ付けたいんだろうと。)
そうそう、私がこの間まで
やりっぱなし、言いっぱなしだといわれていて
それがどういう意味か判らなくて悩んでいて
私の分析医に相談してみました
そしたら意外な答えが返ってきました
「その人にとっては、相手を一人の人間として尊重して
”これはこういう風考えてみたら出来るから
ちょっとじゃあ解いてみてごらん”
なんて言うのは突き放した対応なんだよ。
中途半端に教えてるってこと。
教えるだけじゃなく、解き方を言うだけでなく、
相手は解いてあげないとわからない人間(自分が
いないと出来ない人間だということで)
最後まで解いてあげろよっていう事でしょうね
つまり、その先生は自分以外の人間を
自我がない、人間としての個を尊重しない
もしくは認めてないんでしょうね」
がーーーん!!
たしかに!!
その先生は学生が過去問を持ってくると
まず全部問題を解いてあげちゃう。
答えを作ってあげちゃう。
その先生が作った過去問の解答が回ってるくらいだ。
一緒に教えながら解くのは面倒だから嫌いみたいだけど。
私が家庭教師のバイトとか
同級生に教えているような
やり方だけ教えて、別の似たような問題を解かせてみる
ってやり方は、その先生には
言いっぱなし、教えっぱなしになるんだろうなあ。
解いてあげないとだめだったのか・・・
でも、その先生に好かれようとももう思わないけどね。
殴る父に殴られないように気に入られようと
過剰に父に取り入ろうとしていた時の自分に
似ているなと思った。
でもそんなことをしたって
何の意味もないし
気にいられることはないし
殴られることも止まるわけがないって
もう十分、わかってるのに
その方法しかしたことがなかったから
それしか自分には出来なかったんだと反省。
父さんから逃げて
母さんから離れて
僕は走った
走り続けて立ち止まったあの砂浜の
左手に咲いた浜昼顔が
僕には何故か、許せなかった。
右も左も鉄鎖につながれている。
僕は逃げて逃げて逃げまくる。
(村上昴「浜昼顔」より一部引用)
私は家を出て
殴られる事は無くなったけど
あの頃の抱いた気持ちは
同じ場面で思い出す。
うろたえて私は、あの頃と同じ行動を
とってしまう。
PTSDという鎧は
もう手放したから
泣かずに私は、新しい生き方を
探さなくてはいけないな。
あ、またすごい話が飛躍してしまいました。
ごめんなさいねー