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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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また一週間が過ぎました。
この一週間も、ちょっとしんどめな一週間でした。
私は人に合わせる、というようなことをめーさんのように
意識したことはないけれど、気づけばきっと合わせている。
だけどそれはとても下手っぴで、うまくいかない。

押しても押しても、大丈夫なんじゃないかと思う。
というよりも、どこまで押したら大丈夫なのかを
探ってしまう癖がある。
でも、相手のスイッチが入る瞬間の閾値近くなっても
ひょうひょうとしている人の前では、私は鈍感なのか
寸止め出来ない。自分では止められない勢いが付いてしまう。

仕事や何でもない人に対しては、あれだけ慎重になるのに
自分の好きな人に対してだと、それが狂ってしまう。
自分らしさ、が出せていないのか。
それとも、それがだめだめな自分の本質なのか。
どっちだろう。どっちもかな。

あの部屋での沈黙が怖い。
だけど、あの部屋が一番安心できる。
アンビバレントだなあ。

でもほんと
あの場ではめーさんしか信じてないのよ。

この山は
いつまで続く山なんだろう
めーさんに手を差し伸べられることを求めてないし
私は一人でこの山を登りたい
だけど時々
ただ、私は励ましてほしいだけなのに。

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変われない自分を嘆くだけなら
そこにいる資格なんてない。

変わることができるまで傷ついて

あなたに認めてもらうまで。

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めーさんの誤解を訂正したり伝えようとしないと
すっぱりと決めて今日からは普段のもとむらに戻ります。

めーさんの前で言いたいことを言えない私は
やはり自分の幼少のころの父と重ねているのだと思う。
所長より、鈴先生より、誰よりも言いたいことが言えない。
それがめーさんで、明らかに二人きりでは
何言われるかにビクビクしてしまう。
怖い。でも大丈夫。
怖いけど大丈夫。その繰り返し。
二人でいる時は思いきり閉じ込めて
友達が来たら急にそれを開放する。
そうすると、心の解放バルブの開ける量が
微調整できなくなって
言わなくてもいいことまで、口から出てしまう。
そんなこと、言うつもりなどないのに。
言いたくなどないのに。


服部祐民子が歌っているように

毎日
自分の一番好きな自分でいたい
でもそれが出来ないから悔しいんだろう
瞬く間に人は変わり
瞬く間に人は戻る
あなたに会いたい気持ちと
あなたに会えない気持ちは
おんなじもので出来ている

だから私は
会わないより会う

放さないより、放つ。

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一生懸命伝えたい気持ちになっていたけど

もういいや。

人に何か伝えたいなんておこがましいことなんだ。
たぶんきっとそうなんだ。
伝えたいとか、判ってほしいとか
もうほんと、無意味な気になった。

たとえ伝わらなくても誤解されててもいいや。
意図してない風に捉えられてても
もうそれは仕方ないことなんだろうね。

そこを伝えよう、本当はこうなんだって言いたい、と
一生懸命頑張ったところで
その人のベクトルが同じ方向を向いていなければ
伝えたいと思うことさえ、伝わってない。
ただウザいだけになる。
何をしたいのかが分からない相手には
何のつもりかも分からないだろう。
ここだって、見るはずなんかないのに。
それでも伝えたくなった。
アホです。
私は。

もうやめよう。
伝わらなくたっていい
判ってもらえなくたっていい
そこにいられるなら
もうそれ以上何も望みません。

ごめんね、めーさん。
私が間違ってた。

伝えたい、と思った私がアホでした。
伝えたところで、きっと何の意味もなくて
ただ、聞いてほしいだけになってしまい
ああ、人間って超無意味な存在で
無意味なことするんだなって
そう、思うだけでした




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直接会って話すのは
北先生くらい心を許してないと難しい。
せっかく目の前にいて、誰も他にいないのに
結局言いだせないままでいる。
外堀から核心に誘導しようと試みても
外堀の話に「興味無い」と言われてしまったら
核心へ話を誘導することが出来ない。
そんな感じで
結局昨日も何も言えないまま。

なんとなく「その辺り冷めてる」と言われた時
あー、そういうことじゃないんだよなあと思っても
それを説明することができなくて
結局それを言い出せなくて
ここに書いてはみたけれど。

何となく違う風に伝わってるような気がしたとき
メールもできないし
直接話すこともできないなら
どうやって伝えたらいいですか。
↓みたいなことを。

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私は
私の過去や今までの人生において
起こった出来事について
それに対して
「こういうことがあった私だから」と
何か、こう

優しくしてほしいとか
気にかけていてほしいとか
何か声をかけてほしいとか
助けてほしいとか
救ってほしいとか

そういった何かを求める時代は
もう終わったのだと思う。
今はそんなことは求めていない。
そういった分かりやすい援助を求める時代は
私の中ではとっくにもう終わっている。

ただ、自分の好きな人には
知っていてもらいたいなとは思う。
でもたったそれだけのことが
十分すぎるほどの要求と傲慢さで
それ以上何を相手に望めるというのか。

話さないことと
隠していることは違う。
隠していることと
嘘を付いていることは違う。

だけど
過去を知った時に
嘘を付いていたとか 
黙っていたとか
汚らわしいとか
そういった偏見や誤解を持たれるくらいなら
そうやって今の私を見てはくれないのなら
私は過去を知ってから今の私を
見てほしいと思う

無かったことにはできない。

今日という日は
突然登場したのではなく
生まれた時から少しずつの積み重ねで
今日という日を作っている
だけど私は過去だけが
今の私を作っているとは思いたくない。

過去はあってもそのせいで私の根っこは
きっと腐ってはいない。

私は自分の過去も、今も未来も
大事にできるような人間になりたい。
そして今私の周りにいる
私に関わっている人たちを
大事にできる人間になりたい。
そうしたらいつかめーさんの言うように
「自分の家族が大事」と素直に思えるようになるだろう。


自分が自分を知るということは今でも難しい


それでも私は今は
命のスイッチが切れるまで生き続ける義務があるし
私は私の知らない私を知り続けて行かなくてはならない。
そこですごく辛いことがあったとしても
今まで死なずに生きてこれたのだから
生きて、生きて、生きまくらないといけないのだ。


過去ゆえに弱いところは確かにあるかもしれない。

だけど過去ゆえに強く生きるところもあると思うのだ。

それをめーさんに、判ってもらいたかった。

全てを知ってもらう必要などないし
全てを知って欲しいとも思わない。
全部知ることなど、きっと何の意味も無い。
ただ単に傲慢なだけだ。

だからどうしたらいいかな
どうしたら伝わりますか

つまずいた石の色を

裏切った胸のつかえを

忘れられない言葉を

忘れたい長い夜を

やりきれない思いを

飲み込めない悲しみを

それでも生きてく力を

越えられる可能性を


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差別用語だとか
意味も判らず使っている私たちに
それは差別用語だから、と
言葉だけを規制しては意味が無い。


差別や偏見は時代を超えて言葉だけが残る
だけど私たちはそれよりも
差別や偏見を持つ心の方を問題にするべきではないか。

ただ言葉を規制するのではなく
私たち大人がその言葉を使うことの意味を
心無い言葉ではなく態度を
次の世代に問いかけるべきではないか。


その言葉の由来や放す時の心構えはどんなものか
そこを正さないことには言葉だけなくなり差別や偏見は
いつまでも残っていく。

差別や偏見は言葉の問題ではない。
使う人間一人一人の気持ちが問題なのだ。

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新型インフルエンザ関連の報道が連日なされていますが
どうも報道中に耳障りな言葉がある。
それは

「今、PCR検査を行っているところです」
「PCR検査を受けて下さいね、ということになりました」

PCR検査を受けて下さいね、ってまるで
「人間ドックを受けて下さいね」と同じノリで報道されているのは
報道する本人がPCRが何かが分からない故だろう。

PCRは、「ポリメラーゼ・チェイン・リアクション」の頭文字をとったもので
ポリメラーゼ連鎖反応という意味です。つまり、反応させるやり方です。
と、ポリメラーゼもチェインも分からない人に説明したところで
「???」となり、結局「何だかよくわかんないけどすごい検査なんだ」
という印象しか受けず、しまいには冒頭のように

「あなたもPCR検査を受けてみなさいよ、ということに・・・」

なんてなってしまうのだ。
PCRは人が受けるものではないので、アナウンサーのこの一言で
ドン引きした研究者は私だけではないだろう。

ではいったい今この世間を騒がせている、いかにもすごそうな
PCRとは一体何なのだろうか。

簡単に説明すると、私たちは個人を特定するための情報は、DNAという
遺伝情報が詰まった本のようなものに書かれています。
この本の全てのページが一致すれば、同一人物と特定されます。
遺伝情報が全く同じ=同じ人間、ということです。
同じ人がいてもいいんじゃないか?と思いますが、最近は細かく、詳しく
その本の内容の一致を確認できるようになっているので、その確率は全
世界の人口、つまり50億分の1以下になっています。ということは、
地球上で一人だといえます。

新型インフルエンザのもつDNA、つまり遺伝子情報のつまった本の
ようなものが、何ページ一致するかを調べるために、PCRを使います。
ちょっとのDNAでも、連鎖反応によって大きく増やすことができるので
DNAを含むものであれば量が少なくても大丈夫です。
ほんの少しの体液(血液)でも、個人が特定できるのはこのためです。
今回の場合も、少しの体液を採取して、PCRにかけているのでしょう。

どうしてではPCRにかけるのか。(PCR検査を行う、というような使い方
ではなくPCRにかける、といった使い方をします。PCRをさせる機械にか
けるので)

それは、少しの本の断片では、詳しく調べるには小さすぎるので、大量に
複製する必要があります。
ここで、連鎖反応を使ってDNAを倍々に増やしていく。これがPCRです。
小さい本は文字が小さくて読みにくいけど、PCRを使ってそれを5倍、10倍に
すればそれだけ文字も大きくなって読みやすく、解読しやすくなる、といった感
じですかね。
そうやって大きく見やすくした本(DNA)が、「新型インフルエンザ」という本(DNA)
とどのくらい一致するかを比較するために使われるのが、このPCR法と呼ばれる
手法なのです。(手法というか、反応方法というか)

といったことなので、「あなたPCR検査を受けて下さいね」というのは
日本語としてどうなのか。
「PCRをかけて詳しく検査する必要があります」ならわかるけど。

メディアで「PCR、PCR]と連呼していると
どんだけすごい検査なのかと思ってしまいますが
実は正しい言葉の使われ方をしていないのに「すごい方法」みたいな
ことになっています。だけど、けしてそうではないと思うのです。
メディアという舞台で、言葉だけが独り踊っているのです。

私たちは、そこで一緒に踊ってはいけないと思うのです。
それは自らが踊っているのではなく、踊らされているのですから。
このようなことがあると、そのうち病院に行って

「私もPCR検査受けたい!」

なんていう患者さんが出ては来ないだろうか・・・

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非日常から帰ってきました。
今の私にとってはかなりの非日常なのだけど
元をたどるとこれが日常だったような気もします。

青い森のほんとに近くまで行きながら
私はことしも青い森には足を踏み入れることはなかった。
そのかわりこの10年以上
私の周りに変わらず存在している仲間たちが
私の存在を確かに感じさせてくれる。
そんな連休を今年も過ごすことができました。
会えなかったたけちゃん、また暇みつけて会えるといいね。

そして今年も
私が人生で尊敬する恩師の3人のうちの一人
(のうち二人は同じ苗字なんだけど)
と久ぶりに再会してきました。
北先生の話もしましたよん。

あいかわらずしゃきっとしていて
話す内容はしっかり筋が通ってて
私の尊敬する先生の一人です。
また会えて良かった。

色んな人がいて
色んな事を言う。
色んな考え方があって
色んな思いがある。

私は

その中から取捨選択をしなければならないし
自分の道を探さなくてはならない。
色んな人が色んな事を伝えるけれど
どれも間違いではなくて
どの道もきっと
その人にとって正しいし
正しかった。

私は
私の道を選んで進む。

たとえ青い森を捨てても。

さよなら、私の青い森。

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いつもこの時期になると来る場所があります。
それはとても青い森に近いけど
ここから先にはなかなか行けない(行かない)。

なぜかずーっとめーさんを考えている。
めーさん。

元気でね。


とりあえず非日常してきます。

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インフルエンザのことで
名越先生が

世界をつなげることはできるんだ、と
言った。

瞬く間に世界が手をつないでいく。


じゃあ先生?

つないだ手から

世界を変えることはできますか


偏見に溺れた世界から

人間を掬うことはできますか。

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もう泣かずに済むように
神様に祈るしかないのだろうか
もう泣かないように。
体の中から涙が涸れてしまえばいいのに。

手のひらは冷たいまま。


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あとどのくらい泣いたら
私の涙は涸れるのでしょうか

言葉よりも先に
涙を覚えた心は
悲しむより先に
生きること、明日に立ち向かうことを知る

あとどのくらい泣いたら
私は大人になれるのでしょうか
そして心は
あとどのくらいで
私の体に追い付くのだろう

あとどのくらい泣けば
涙は涸れてしまうのですか。

あとどのくらい
私は大人にならなくてはならないのでしょうか
空白の日々を埋めることが
こんなにも辛いことだとは思わなかった

どれだけ歩いたら 私は
よく歩いたと認めてもらえるのだろうか

あとどのくらい

あとどのくらい泣いたら

もう、泣かずにいられるのだろうか

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なんだか調子が悪いです。
めーさんが今日も「あーしんど」と言っていたけど
先に言われてしまった為
私の弱音が吐けません。
だけどめーさんのそばにいると
緊張の上をいく不思議な何かを
感じることが出来る。
それはめーさんには分からないし
私すら、なんとなくしか分からないのだけど。
そこに確かに存在している、触れられない何か。

話したいことが沢山あるのに
口から言葉を放すことが出来ない。
きっと上手にも笑えてない。

さようなら、がうまく言えない。

引きとめているのはどっち?

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こいちゃん。
あなたの声は
録音されたままの留守番電話のメッセージや
ハガキを読んでるあの時のカセットテープでしか
もう聞けないんだね。
あなたの存在を感じられるものが無くなってしまった。


守るものとか
背負うものとか今はもう二人違うけれど
君の手を離して
僕は
夢を選んだ
君の
言葉をつないで
僕は
大人になった


判らなくても君がいたのに
あの頃の私は
分け合える強さが無かった。

(服部祐民子「声」より)

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