ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
昨日で微生物実習もおわり、第一クールの生物系実習Ⅱが終わりました。
最終日はグラム染色の実技試験と、大腸菌培地と黄色ブドウ球菌に対する
抗生物質の感受性を調べる実験でした。
簡単に言うと、前の日に、各種抗生物質を含んだ小さい紙(薬剤ディスク)を
大腸菌や黄色ブドウ球菌が含まれている培地に載せて、紙のまわりに菌が生えず
円形に透明な培地になれば(これを阻止円といいます)その紙に含まれている抗生
物質は、その培地に生えている菌に対して有効だということ。
私の班は前日に大腸菌培地と黄ブ培地に8種類すべてを入れなければならないの
ですが間違えて2個ずつ入れてしまった薬剤があり、各培地で1種類ずつ、感受性を
調べられないものがあったのです。
実習担当の先生は
「もし、菌が生えなかったり、阻止円ができなかったような場合は、観察できないから
その分だけ他の班の様子を見せてもらってレポートに書いて」と言っていました。
しかし、うちの班のメンバーたちは
「一種類だけ他の班のやつ書いたら、ディスクの並びも違うからおかしくなんねぇ?
めんどくせーから全部隣の班の結果写そうぜ」
うちの班のやつも、他のはちゃんと結果でてますけど、あたかも自分の班がそうだった
みたいに隣の班の培地の様子を書くつもりか。
しかも、阻止円の大きさを定規で測るのだが、私が長さを測っているとさらにもう一人の
班の子が私に
「もとさん、測った長さ同じにしないといけないんで・・(勝手に測らないで)」
なぜそれぞれ自分で測った結果をレポートに書くのに、全員同じ長さに揃える必要が
あるのか。どうせ違っていたってその誤差1ミリくらいだ。
しかも君たちは隣の班の培地をあたかも自分の班の結果だとスケッチし、長さも隣の班
の一人が代表して測ったものをまる写しじゃないの。
なので私が
「同じにする必要ないじゃない。それぞれ測ればいいんだよ」
と言ったら、「他人と1ミリでも違う数値が違うと間違いで、その間違いを書くのがいや」
というような感じでもごもご。結局私以外の二人は、自分の班の培地の結果ではなく
隣の班の成功したものをスケッチしていた。
失敗すると考察しないといけないから面倒なのだろう。
要するに、なぜか19班の結果は、20班の私を除いた班員とまるっきり同じ値。
私だけ全然違う培地のスケッチで、当然阻止円径も別の値。
どーいうこっちゃ。
まあ別に他の班のメンバーがたとえ自分たちの結果に満足できなかったからと、
隣の成功結果を写したっていいけどね。
私は科学者としてのプライドがあるので自分の班(20班)の事実をレポートしますけど。
さらにその実習には課題があり、8種類の抗生物質について、用法用途などを調べて
レポートしなさい、というものがおまけであったのだ。
そこでまた班の一人が、隣の班と打ち合わせたらしく私に
「課題調べるのって8種類もあるからめんどくないですか?
みんなで2種類ずつくらいで手分けして調べようってことになったんンすけど」
(勝手に「なったんですけど」って決めるなよ)
と、言ってきた。
内心
「何で生まれて初めて大学生やって、しかも微生物なんか初めて調べるようなそんな
若造が調べたものをレポートに写さなきゃなんないんだよ?
人がやったやつなんか当てになんないし、あてにするつもりないから
結局自分で全部調べることになるから無意味。
それに調べたものが間違ってたら、この班と隣の班のメンバーが全員同じ間違いする
ことになるんだぞ。そうなったら誰が責任とってくれんだよ・・・
だいたいなー、たった8種類調べんのをめんどくせぇとか言ってんじゃねぇよ!」
と、大人げなく思いましたがそこは堪え、
「そうすると、隣の班も含めて、全員同じレポート書くことになるよね?
文章まったく同じやつ。それでいいの?先生いいって言ってた?」
と返しました。
あからさまに「こいつKYだ」みたいなふてくされた顔されましたよ。
彼らの意図が踏みにじられたわけですから。
彼らはとりあえず助手の人にきいてみる、と言って聞きに行きましたが
「うーん、わかんないから先生に聞いてみな」
との答え。
そのあたりでもう彼らは分担する気満々だ。
そりゃそうだよね。テストさえ高得点とれば、実習で優がもらえるなら
とにかく結果だけ、答えだけを暗記すればいいんだ。
調べる時間なんか彼らには無駄以外の何ものでもない。
結局先生に
「自分で考えろ」
と言われたみたいです。あはは、あたり前ですよね。
今回の微生物実習は、「当然のことはいちいち言わない」方針だったようですが
今の学生にはそれはちょっと酷だったようです。
例えば、菌を扱う前に白金耳を焼く、と初日教わりましたが、翌日の別の実験の日には
言いませんでした。そのため学生が
「ねえ、白金耳って今日も焼かないとだめなの?」と言い出す始末。
私が
「そうだよー。常に焼かないといけないんだよーこの操作では
白金耳焼くっていうのはもう常識的にやんなきゃいけない操作なんだよー」
と答えると
「だって今日先生焼けって言って無いじゃん。」とふてくされて反論。
いかにも私が嘘ついたような、そんな感じで睨みつけてきます。
もちろん、上記2つの言動により、私は班から浮いてしまいましたよ。
村八分(死語)です。彼らには「こいつうぜぇ」と思われたに違いない。
その他にも
「せんせー! シャーレに植えた菌とか班の番号は書かなくていいんですかー?」
と、手をあげて質問していたやつがいた。
先生は
「当然です!いちいちそんなこと聞かないでください。常識です」
と答えたのだが、学生側はブーイング。
「だって言わなきゃわかんないじゃん。」
「言ってくれなくちゃ、後から書かなくていいって言われたら嫌じゃん」
「今回の実習って、先生あんまり説明してくれないよね」
しまいには
「あの先生キライ。ちゃんと説明してくれない」
・・・・・・・・・・・・・・・。
おねーさん返す言葉がありません。
そこまで指示出さないと何もできないのか。
答えだけは覚えるのが得意で
テストすれば高得点とり、何も理解してないのに「できたー」とか
いい点取ることだけが正しいことで
間違うことは不要なこと、ただ回答だけ覚えることに心血を注いだ
偏差値教育体制が悪いのか
それともゆとり教育という名の、子供に「自ら考える」ことをさせない
そういった体制が悪かったのか。
ゆとり教育は日本史上最高のバカを生んだと
何かの集会で聞いたことがあるが
いま、まさにそのゆとり教育第一世代・第二世代と机を並べて
学生生活を送っている私には
その発言はけして間違ってはいないと思っている。
全員がバカとは言わないが
日本史上最高に「自分の力で考えられない子供」や「常識なし人間」を
量産したことは間違いないだろう。
答えを間違うことを、なぜそんなに恐れるのだろう。
そして、周りと違うことをなぜそんなに恐れるのだろうか。
他人に迷惑をかけるような、個性とも呼べないようなものを
「これはうちの子の個性ですから」
と言ってはばからない親。
そして、それが正しいと信じて疑わずに育った子供。
医療系に進んでいいんだろうか?こんな学生たちが。
自分で調べることがそんなに「超だりぃ」ことなのか。
だったら大学生なんかやめちまえと言いたい。
親からのお金で何の不自由もなく学生生活を送っているのに。
自分で勉強したくて、薬学について学びたくて、もしくはその必要があって
わざわざ大学入学という道を選んだのではないのか。
まさか「親に行けって言われた」とかいうんじゃないだろうね・・・
もう 親の庇護がなければ
生きていけない幼児でもないのに
なにかあれば親のせいにするし、親がいないと生きられないようなことをいう。
しかし、その割には親への文句を言う。
「早く死んでほしい」なんて発言は何度学生から聞いたことか。
自分の力で働いて、生活したこともないひよっこが。
気分だけは一人前なのに、実際には一人をものすごく恐怖する。
アンビバレントな思春期が、大学生になってまで続いているかのようだ。
高校卒業してすぐ働いているような、そんな若者がいる一方
何も考えずにただ毎日だりぃ、と文句をいいつつ
お気楽に大学生をやっているような若者もいる。
そんなことを考えるのは
私がもう年よりだからでしょうか?
これがジェネレーションギャップというものなんでしょうか。
甘やかして育てられた若者は、困難を回避し、打たれ弱く
苦労なんて言葉は死語と化しているだろう。
最終日はグラム染色の実技試験と、大腸菌培地と黄色ブドウ球菌に対する
抗生物質の感受性を調べる実験でした。
簡単に言うと、前の日に、各種抗生物質を含んだ小さい紙(薬剤ディスク)を
大腸菌や黄色ブドウ球菌が含まれている培地に載せて、紙のまわりに菌が生えず
円形に透明な培地になれば(これを阻止円といいます)その紙に含まれている抗生
物質は、その培地に生えている菌に対して有効だということ。
私の班は前日に大腸菌培地と黄ブ培地に8種類すべてを入れなければならないの
ですが間違えて2個ずつ入れてしまった薬剤があり、各培地で1種類ずつ、感受性を
調べられないものがあったのです。
実習担当の先生は
「もし、菌が生えなかったり、阻止円ができなかったような場合は、観察できないから
その分だけ他の班の様子を見せてもらってレポートに書いて」と言っていました。
しかし、うちの班のメンバーたちは
「一種類だけ他の班のやつ書いたら、ディスクの並びも違うからおかしくなんねぇ?
めんどくせーから全部隣の班の結果写そうぜ」
うちの班のやつも、他のはちゃんと結果でてますけど、あたかも自分の班がそうだった
みたいに隣の班の培地の様子を書くつもりか。
しかも、阻止円の大きさを定規で測るのだが、私が長さを測っているとさらにもう一人の
班の子が私に
「もとさん、測った長さ同じにしないといけないんで・・(勝手に測らないで)」
なぜそれぞれ自分で測った結果をレポートに書くのに、全員同じ長さに揃える必要が
あるのか。どうせ違っていたってその誤差1ミリくらいだ。
しかも君たちは隣の班の培地をあたかも自分の班の結果だとスケッチし、長さも隣の班
の一人が代表して測ったものをまる写しじゃないの。
なので私が
「同じにする必要ないじゃない。それぞれ測ればいいんだよ」
と言ったら、「他人と1ミリでも違う数値が違うと間違いで、その間違いを書くのがいや」
というような感じでもごもご。結局私以外の二人は、自分の班の培地の結果ではなく
隣の班の成功したものをスケッチしていた。
失敗すると考察しないといけないから面倒なのだろう。
要するに、なぜか19班の結果は、20班の私を除いた班員とまるっきり同じ値。
私だけ全然違う培地のスケッチで、当然阻止円径も別の値。
どーいうこっちゃ。
まあ別に他の班のメンバーがたとえ自分たちの結果に満足できなかったからと、
隣の成功結果を写したっていいけどね。
私は科学者としてのプライドがあるので自分の班(20班)の事実をレポートしますけど。
さらにその実習には課題があり、8種類の抗生物質について、用法用途などを調べて
レポートしなさい、というものがおまけであったのだ。
そこでまた班の一人が、隣の班と打ち合わせたらしく私に
「課題調べるのって8種類もあるからめんどくないですか?
みんなで2種類ずつくらいで手分けして調べようってことになったんンすけど」
(勝手に「なったんですけど」って決めるなよ)
と、言ってきた。
内心
「何で生まれて初めて大学生やって、しかも微生物なんか初めて調べるようなそんな
若造が調べたものをレポートに写さなきゃなんないんだよ?
人がやったやつなんか当てになんないし、あてにするつもりないから
結局自分で全部調べることになるから無意味。
それに調べたものが間違ってたら、この班と隣の班のメンバーが全員同じ間違いする
ことになるんだぞ。そうなったら誰が責任とってくれんだよ・・・
だいたいなー、たった8種類調べんのをめんどくせぇとか言ってんじゃねぇよ!」
と、大人げなく思いましたがそこは堪え、
「そうすると、隣の班も含めて、全員同じレポート書くことになるよね?
文章まったく同じやつ。それでいいの?先生いいって言ってた?」
と返しました。
あからさまに「こいつKYだ」みたいなふてくされた顔されましたよ。
彼らの意図が踏みにじられたわけですから。
彼らはとりあえず助手の人にきいてみる、と言って聞きに行きましたが
「うーん、わかんないから先生に聞いてみな」
との答え。
そのあたりでもう彼らは分担する気満々だ。
そりゃそうだよね。テストさえ高得点とれば、実習で優がもらえるなら
とにかく結果だけ、答えだけを暗記すればいいんだ。
調べる時間なんか彼らには無駄以外の何ものでもない。
結局先生に
「自分で考えろ」
と言われたみたいです。あはは、あたり前ですよね。
今回の微生物実習は、「当然のことはいちいち言わない」方針だったようですが
今の学生にはそれはちょっと酷だったようです。
例えば、菌を扱う前に白金耳を焼く、と初日教わりましたが、翌日の別の実験の日には
言いませんでした。そのため学生が
「ねえ、白金耳って今日も焼かないとだめなの?」と言い出す始末。
私が
「そうだよー。常に焼かないといけないんだよーこの操作では
白金耳焼くっていうのはもう常識的にやんなきゃいけない操作なんだよー」
と答えると
「だって今日先生焼けって言って無いじゃん。」とふてくされて反論。
いかにも私が嘘ついたような、そんな感じで睨みつけてきます。
もちろん、上記2つの言動により、私は班から浮いてしまいましたよ。
村八分(死語)です。彼らには「こいつうぜぇ」と思われたに違いない。
その他にも
「せんせー! シャーレに植えた菌とか班の番号は書かなくていいんですかー?」
と、手をあげて質問していたやつがいた。
先生は
「当然です!いちいちそんなこと聞かないでください。常識です」
と答えたのだが、学生側はブーイング。
「だって言わなきゃわかんないじゃん。」
「言ってくれなくちゃ、後から書かなくていいって言われたら嫌じゃん」
「今回の実習って、先生あんまり説明してくれないよね」
しまいには
「あの先生キライ。ちゃんと説明してくれない」
・・・・・・・・・・・・・・・。
おねーさん返す言葉がありません。
そこまで指示出さないと何もできないのか。
答えだけは覚えるのが得意で
テストすれば高得点とり、何も理解してないのに「できたー」とか
いい点取ることだけが正しいことで
間違うことは不要なこと、ただ回答だけ覚えることに心血を注いだ
偏差値教育体制が悪いのか
それともゆとり教育という名の、子供に「自ら考える」ことをさせない
そういった体制が悪かったのか。
ゆとり教育は日本史上最高のバカを生んだと
何かの集会で聞いたことがあるが
いま、まさにそのゆとり教育第一世代・第二世代と机を並べて
学生生活を送っている私には
その発言はけして間違ってはいないと思っている。
全員がバカとは言わないが
日本史上最高に「自分の力で考えられない子供」や「常識なし人間」を
量産したことは間違いないだろう。
答えを間違うことを、なぜそんなに恐れるのだろう。
そして、周りと違うことをなぜそんなに恐れるのだろうか。
他人に迷惑をかけるような、個性とも呼べないようなものを
「これはうちの子の個性ですから」
と言ってはばからない親。
そして、それが正しいと信じて疑わずに育った子供。
医療系に進んでいいんだろうか?こんな学生たちが。
自分で調べることがそんなに「超だりぃ」ことなのか。
だったら大学生なんかやめちまえと言いたい。
親からのお金で何の不自由もなく学生生活を送っているのに。
自分で勉強したくて、薬学について学びたくて、もしくはその必要があって
わざわざ大学入学という道を選んだのではないのか。
まさか「親に行けって言われた」とかいうんじゃないだろうね・・・
もう 親の庇護がなければ
生きていけない幼児でもないのに
なにかあれば親のせいにするし、親がいないと生きられないようなことをいう。
しかし、その割には親への文句を言う。
「早く死んでほしい」なんて発言は何度学生から聞いたことか。
自分の力で働いて、生活したこともないひよっこが。
気分だけは一人前なのに、実際には一人をものすごく恐怖する。
アンビバレントな思春期が、大学生になってまで続いているかのようだ。
高校卒業してすぐ働いているような、そんな若者がいる一方
何も考えずにただ毎日だりぃ、と文句をいいつつ
お気楽に大学生をやっているような若者もいる。
そんなことを考えるのは
私がもう年よりだからでしょうか?
これがジェネレーションギャップというものなんでしょうか。
甘やかして育てられた若者は、困難を回避し、打たれ弱く
苦労なんて言葉は死語と化しているだろう。
PR
この記事にコメントする