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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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最近、大学への足となる交通機関が廃止されることとなった。
その影響を受けて、学生達は

「公共バスでわざと騒いで、スクールバスを作ってください、と
地元住民に陳情されるようにしようぜ!」

という方向を打ち出していた。
騒いだらバスに乗る権利はないのか!と
反論する人まで出る始末。

権利を主張する前に、まず義務を果たそう。
そう考えられるのは単に自分が彼らよりも年をとっているからだろうか。
いや、きっとそうではないと思う。
不自由の無い生活を与えられて育ち
その不自由の無い生活を当たり前だと
そう思って生きてきたからではないだろうか。

義務を果たそう、と言われても
義務が一体何なのかを理解できていない。
理解できていないというより、義務なんか無いと思っているようにも見える。
それはきっと、今の子供たちは義務を果たしたりしなくても
権利だけを与えられて、教えられて育ったからではないだろうか。
義務はすべて親任せ。
その存在があることすら知らずに育ってきたのではないだろうか。
だからこそ、自分が当然もつべき権利が認められないと
爆発的にその怒りや不満を、認めてくれない社会に向けて
ぶちまけていくのではないだろうか。

テレビで犯罪を犯した人の
動機を聞いていて思う。

「あなたは、それに対抗しようと何かを自分の中で変えましたか」

ただ待っていても
何もかも与えられた飽食の時代を過ごした子供たち。
それは自分の意思とは関係なしに、まるでフォアグラのように
お金も勉強も生活も
与えられて育った
それは、親が苦労した分
子供にはそんな思いをさせたくないという
親心の結果かもしれない。

だけどその「豊かな」生活に疑問を持ったとしても
それを自ら失おうとする人間は少ない。
与えられることに飽き飽きしても
失うことが怖いのだ。

豊かに与えるものを
間違ってはいませんか。
それは教育でもお金でもなく
心にたまるものでなくてはなりません
お金やものはいつか無くなります
学歴も社会が作った幻想です
想像力や共感力は
親がものとして買い与えることができません
強い心も 折れない心もです
だけどそれを
教えることはできるし
見せてあげることもできる
証明することはできるはずです

与えるものを
間違っていませんか

今の社会は

飽きるほど与えるべきものを

見失っているような気がします。

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