ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
しばらくブログのコメントフォームがおかしくなっていて
修正するのに四苦八苦していました
結局、ものすごい簡単なことで直ったのですが・・
私は結構、単純なことを見落としたり
気がつかずに一生懸命やり続けていることが多い。
対人関係でもそういうことがある。
私は、なかなか人に心を開くことは無いけれど
いったん、この人は信じられると思うと
すべてを開示するような濃いコミュニケーションを
取ろうとしてしまう。
その、まさにコミュニケーションを取ろうしている時の私は
私自身でも止められないような大きな波の中に飲まれていて
力加減が良くわからなくなる。
そうしてたいがい、やりすぎることになる。
この力加減に、手嶋先生や北先生は
よく付いてきてくれたなあ、と
今更ながら感謝で一杯だ。
煙先生は心を開きそうになってブレーキがかかった。
信じ切れないのだ。
煙先生が、電話口で私に聞こえてないと思って
そばにいる先生に放った「ほら、あいつだよ」の一言が
私にとって決定的に、大衆的な関わりを感じでしまったのだ。
私は表面的なものに誤魔化されて信じてしまうことは無い。
人が適当にごまかしたり
簡単な嘘で見過ごしてしまうようなことを
見逃さない(見逃せない)のだ。
基本、人間を信じてないんでしょうね。
人に影響を与えるときもかなりあると思うけど
その逆の、影響を受ける時は徹底して受けてしまうことがある。
大学に入ってからというもの
私の閉鎖的な「人間との関わり」が開放されてしまい
演じることで乗り切っていたことが
うまく乗り切れなくなった時
私は「私ができる範囲で私でいること」しかできないと
そう、悟ったのだ。
年相応なんて、私には関係ない。
だって18年間も眠っていたのだから。
きのう、廊下のずっと向こうで
所長が帰るところに出くわした
所長も私に気づいたようで
「先生 さよならー!」というと
大きく手を振ってくれた。
ありがとう。
この大学に入って
怖くて何年も言えなかった「さよなら」が
言えるようになりました。
定期試験まであと13日。
今度こそ。
修正するのに四苦八苦していました
結局、ものすごい簡単なことで直ったのですが・・
私は結構、単純なことを見落としたり
気がつかずに一生懸命やり続けていることが多い。
対人関係でもそういうことがある。
私は、なかなか人に心を開くことは無いけれど
いったん、この人は信じられると思うと
すべてを開示するような濃いコミュニケーションを
取ろうとしてしまう。
その、まさにコミュニケーションを取ろうしている時の私は
私自身でも止められないような大きな波の中に飲まれていて
力加減が良くわからなくなる。
そうしてたいがい、やりすぎることになる。
この力加減に、手嶋先生や北先生は
よく付いてきてくれたなあ、と
今更ながら感謝で一杯だ。
煙先生は心を開きそうになってブレーキがかかった。
信じ切れないのだ。
煙先生が、電話口で私に聞こえてないと思って
そばにいる先生に放った「ほら、あいつだよ」の一言が
私にとって決定的に、大衆的な関わりを感じでしまったのだ。
私は表面的なものに誤魔化されて信じてしまうことは無い。
人が適当にごまかしたり
簡単な嘘で見過ごしてしまうようなことを
見逃さない(見逃せない)のだ。
基本、人間を信じてないんでしょうね。
人に影響を与えるときもかなりあると思うけど
その逆の、影響を受ける時は徹底して受けてしまうことがある。
大学に入ってからというもの
私の閉鎖的な「人間との関わり」が開放されてしまい
演じることで乗り切っていたことが
うまく乗り切れなくなった時
私は「私ができる範囲で私でいること」しかできないと
そう、悟ったのだ。
年相応なんて、私には関係ない。
だって18年間も眠っていたのだから。
きのう、廊下のずっと向こうで
所長が帰るところに出くわした
所長も私に気づいたようで
「先生 さよならー!」というと
大きく手を振ってくれた。
ありがとう。
この大学に入って
怖くて何年も言えなかった「さよなら」が
言えるようになりました。
定期試験まであと13日。
今度こそ。
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気づいたら期末試験2週間前。
いつもよりスタートが2週間遅い
(いつも1ヶ月前からやり始めるので)
どうしましょ。
めーさんのところでこつこつやっているけれど
結局は目の前の実習試験や中間試験におわれて
それの勉強をしているだけで
全体的な勉強をまったくやっていないのだ。
大体それ以前に先週と先々週は気分的にもいまいちで
なんだかいたたまれない気分になることも多かった。
そしてここ数週間
たくさん人と話すことが出来た
いったいこの私が何をこんなに話しているのだろう?
と思うほどの交流と会話
すごくいいけど、時にとても疲れる
自分を飾らなければ楽ちんだ。
だけどそれは今の私のような
社会的な年齢の人間がやることではないと思う
他人に合わせすぎて、自分自身が見えなくなるのは嫌なのだ。
だからと言ってすぐにこのざわざわ感から
逃げ出してしまうことはしないでいたい。
今、楽ちんなのは
今、簡単なほうに逃げるのは
未来のしんどさや
その先の辛さを生み出すだけなのだ。
だから今
出来る限り立ち向かうしかない。
人を遠くで見守るというのは
遠くでも見守れるということは
とても幸せなことだと思う
何も望んでいない
といったら嘘になるかもしれないけれど
遠くで見守っていられたらいいなと思う
たとえそこにいることが
恐怖心と裏腹でも
それでも見守っていたいと思う
2人でいるのは怖い。
だけど
逃げたらもうその先、どこにも行くところが無い。
私は臆病で
とても怖がりだけど
逃げずにいることは出来る
いつの間にか
時間がたっていて
気づけば
莫大な時間を
一緒に過ごしている。
愛さなくてもいいし
判ってくれなくていい。
だけどその横顔があまりに無防備で
見守らずにはいられない。
それは恐怖心に勝っている。
いまのところ。
いつもよりスタートが2週間遅い
(いつも1ヶ月前からやり始めるので)
どうしましょ。
めーさんのところでこつこつやっているけれど
結局は目の前の実習試験や中間試験におわれて
それの勉強をしているだけで
全体的な勉強をまったくやっていないのだ。
大体それ以前に先週と先々週は気分的にもいまいちで
なんだかいたたまれない気分になることも多かった。
そしてここ数週間
たくさん人と話すことが出来た
いったいこの私が何をこんなに話しているのだろう?
と思うほどの交流と会話
すごくいいけど、時にとても疲れる
自分を飾らなければ楽ちんだ。
だけどそれは今の私のような
社会的な年齢の人間がやることではないと思う
他人に合わせすぎて、自分自身が見えなくなるのは嫌なのだ。
だからと言ってすぐにこのざわざわ感から
逃げ出してしまうことはしないでいたい。
今、楽ちんなのは
今、簡単なほうに逃げるのは
未来のしんどさや
その先の辛さを生み出すだけなのだ。
だから今
出来る限り立ち向かうしかない。
人を遠くで見守るというのは
遠くでも見守れるということは
とても幸せなことだと思う
何も望んでいない
といったら嘘になるかもしれないけれど
遠くで見守っていられたらいいなと思う
たとえそこにいることが
恐怖心と裏腹でも
それでも見守っていたいと思う
2人でいるのは怖い。
だけど
逃げたらもうその先、どこにも行くところが無い。
私は臆病で
とても怖がりだけど
逃げずにいることは出来る
いつの間にか
時間がたっていて
気づけば
莫大な時間を
一緒に過ごしている。
愛さなくてもいいし
判ってくれなくていい。
だけどその横顔があまりに無防備で
見守らずにはいられない。
それは恐怖心に勝っている。
いまのところ。
やっと今日で中間試験が終わり。
女神様の学問、有機化学Ⅳの中間試験でした。
私は化学の実習試験を落としてしまったので(がーん;)
来週さらにまた試験ありますが
22日から始まる前期期末試験の勉強にとりかかることが
ようやくできるような環境になりつつあります
そうそう
ビタミン先生とめーさんが私に
向いてない、とかダメだとか言ったことにショックを受けていたので
思い切って「すっごい落ち込んだ!」と言ってみました
そしたら二人ともそれなりに励ましてくれた(というかその言葉を
放った自分自身に対する言い訳かもしれないが)ので
ああ、言ってよかったなと少し思いました。
納得いかない事や
傷ついたことがあったとき
私は今まではそれでも自分に非があるに違いないと
そのことを飲み込んでいた。
だけど、たとえ自分に非があったとしても無かったとしても
大切なのはそこではないと思う
理由を尋ね、理解しようとすること
それが他人の心をかすめる言葉を放たれた者の鉄則だ。
言葉を飲み込んでも
その言葉の意味や真意は理解できない。
ただの「ことば」という文字が消化されずに出て行くだけだ。
自分の中で消化して血や骨や肉にするならば
理由を尋ね、理解することを繰り返すべきだ
そしてそれはことばを受け取る者の側もまったく同じこと
相手がなぜそれを放ったかの理由を尋ね
理解しようとすること
ことばをやり取りすることは簡単に見えて実はとても重い。
そういった面倒くさいけれどとてつもなく大切なことが
隠されているのですよ
女神様の学問、有機化学Ⅳの中間試験でした。
私は化学の実習試験を落としてしまったので(がーん;)
来週さらにまた試験ありますが
22日から始まる前期期末試験の勉強にとりかかることが
ようやくできるような環境になりつつあります
そうそう
ビタミン先生とめーさんが私に
向いてない、とかダメだとか言ったことにショックを受けていたので
思い切って「すっごい落ち込んだ!」と言ってみました
そしたら二人ともそれなりに励ましてくれた(というかその言葉を
放った自分自身に対する言い訳かもしれないが)ので
ああ、言ってよかったなと少し思いました。
納得いかない事や
傷ついたことがあったとき
私は今まではそれでも自分に非があるに違いないと
そのことを飲み込んでいた。
だけど、たとえ自分に非があったとしても無かったとしても
大切なのはそこではないと思う
理由を尋ね、理解しようとすること
それが他人の心をかすめる言葉を放たれた者の鉄則だ。
言葉を飲み込んでも
その言葉の意味や真意は理解できない。
ただの「ことば」という文字が消化されずに出て行くだけだ。
自分の中で消化して血や骨や肉にするならば
理由を尋ね、理解することを繰り返すべきだ
そしてそれはことばを受け取る者の側もまったく同じこと
相手がなぜそれを放ったかの理由を尋ね
理解しようとすること
ことばをやり取りすることは簡単に見えて実はとても重い。
そういった面倒くさいけれどとてつもなく大切なことが
隠されているのですよ
マイケル・ジャクソンが亡くなってしまいました。
最初、私は冗談かと思っていたけれど
数日たって、本当だと知った。
だけど、驚いたとか、悲しくなったとか
寂しいとか、そういうのが今、感じない。
あんなにマイケル大好きだったのに。
heal the worldの歌詞を
下敷きに挟んでいたくらいなのに。
感情が抑圧されているのかなあ。
人は、いつか死ぬ。
当たり前なことなのに、それは
簡単に受け入れることは難しい。
今まで動いていた、生きていた人間という命が
失われるという感覚を、真に実感するのは
とてもしっくりくる言葉が見つからない。
喪失感だけが、残る。
ただ、手の届かない人間の場合は
普段接触しているわけではないので
余計に現実感がない。
人が死ぬこと
私にはまだ、よくわかっていないのかもしれない。
最初、私は冗談かと思っていたけれど
数日たって、本当だと知った。
だけど、驚いたとか、悲しくなったとか
寂しいとか、そういうのが今、感じない。
あんなにマイケル大好きだったのに。
heal the worldの歌詞を
下敷きに挟んでいたくらいなのに。
感情が抑圧されているのかなあ。
人は、いつか死ぬ。
当たり前なことなのに、それは
簡単に受け入れることは難しい。
今まで動いていた、生きていた人間という命が
失われるという感覚を、真に実感するのは
とてもしっくりくる言葉が見つからない。
喪失感だけが、残る。
ただ、手の届かない人間の場合は
普段接触しているわけではないので
余計に現実感がない。
人が死ぬこと
私にはまだ、よくわかっていないのかもしれない。
今日、シラガ先生のところで眠気覚ましのコーヒーを入れていたら
2年生の学生がスキーサークルのメンバーを募集していたので
ノリで入ってしまいました。
スキーは旭医大にいた時に毎日のように仕事が終わってから
行っていたので、懐かしいな~、と思って。
シラガ先生のところで学生が
アルバイトして引っ越し代をためたーとか
えらいでしょー私ー
とか
いろいろ話していたら突然シラガ先生が
このねーちゃんを見なさい
そんな甘いもんじゃないよなあ
このねーちゃん苦労してんだぞー
なんて言い出したので笑ってしまった。
めーさんが私のダークな生い立ちを知っているとしたら
シラガ先生は私の職や生活に関する苦労を知っている
だからこそ、勉強もやって、仕事もして
そして研究 大学職員 セクハラ 転職 大学入学
お仕事 お仕事 そして趣味 太陽 キノコ 自然大好き
実験 製薬メーカー 精神科勤務
なんていう
そういうめちゃめちゃな部分を把握してるので
苦労人ってことになってるみたい。
自分的には苦労なんだか麻痺してるのか判りませんけど
それほど苦労したような感じはしないのだけど。
苦労なんて、他人から見て苦労ならそれはそれでよし。
私は、過去を背負った今で一杯一杯なんだから。
今日はめーさんが怖くて仕方なかった。
そして多分やきもちやいた。
好きでもないのに。
2年生の学生がスキーサークルのメンバーを募集していたので
ノリで入ってしまいました。
スキーは旭医大にいた時に毎日のように仕事が終わってから
行っていたので、懐かしいな~、と思って。
シラガ先生のところで学生が
アルバイトして引っ越し代をためたーとか
えらいでしょー私ー
とか
いろいろ話していたら突然シラガ先生が
このねーちゃんを見なさい
そんな甘いもんじゃないよなあ
このねーちゃん苦労してんだぞー
なんて言い出したので笑ってしまった。
めーさんが私のダークな生い立ちを知っているとしたら
シラガ先生は私の職や生活に関する苦労を知っている
だからこそ、勉強もやって、仕事もして
そして研究 大学職員 セクハラ 転職 大学入学
お仕事 お仕事 そして趣味 太陽 キノコ 自然大好き
実験 製薬メーカー 精神科勤務
なんていう
そういうめちゃめちゃな部分を把握してるので
苦労人ってことになってるみたい。
自分的には苦労なんだか麻痺してるのか判りませんけど
それほど苦労したような感じはしないのだけど。
苦労なんて、他人から見て苦労ならそれはそれでよし。
私は、過去を背負った今で一杯一杯なんだから。
今日はめーさんが怖くて仕方なかった。
そして多分やきもちやいた。
好きでもないのに。
つい先日
ひょんなことから大学の実習センターの先生と(女)と
物理系の先生(男)と帰り道が一緒になり(二人は一緒にご飯を
食べにいくところだったよう)
私までご飯をご一緒することに。
私があまりに薬に詳しいので
「よく知ってるわね~?なにかやってたの?」
といういつもの話しになり
実は大学に行きながら休みはクリニックで働いていること
そこで何年も患者さんと薬の関係をみていること
そしてその前に研究開発機関に数年いたこと
いろいろ話していました
職場の教育制度(これは私が大学に行くことになり
急きょできた制度なのですが)を利用して
大学へ通っていることを話すと
「いやー、しっかりした子だなあとは思っていたけど
そういうことだったのね~
小遣いかせぎでホステスしてる子よりよっぽどいいわ」
・・・・・・・・。
いいのか悪いのか判りませんが。
個人的には
高額な学費を稼ぐ手っ取り早い方法として
空き時間じ高額な時給のバイトをすること自体は
私はいい悪いは判断できかねるけど
親から学費と生活費が出ている上で
プラスアルファの小遣い稼ぎで
夜のバイトをし、それを
「今日仕事だ~」
っていうのはどうなのか。
仕事じゃないでしょ、それはバイトでしょ。
と言いたい。
それがなければ生計が成り立たないわけじゃなく
欲しい鞄や洋服を買うのに我慢する生活になるってだけ。
それにバイトはいつでもやめられる。
保険もかかってない。
仕事は違う。
責任の度合いも。
働く日だって「水曜と金曜」みたいに調整できる。
それがアルバイト。パートタイムでしょ。
それなのに
「私だって仕事しながら大学来てるし」
「仕事のせいで勉強する暇ない」
って言われると
ちょっとカチン!と来てしまう。
二日酔いで大学に来て講義中寝るとか
朝起きられなくて大学休むとか
それが「働きながらの大学生」?なのだろうか。
アルバイトを「仕事」といい
単なる逃げ口実になってはいないだろうかと思う。
私は、逃げたくなっても逃げる場所すらないのに。
ひょんなことから大学の実習センターの先生と(女)と
物理系の先生(男)と帰り道が一緒になり(二人は一緒にご飯を
食べにいくところだったよう)
私までご飯をご一緒することに。
私があまりに薬に詳しいので
「よく知ってるわね~?なにかやってたの?」
といういつもの話しになり
実は大学に行きながら休みはクリニックで働いていること
そこで何年も患者さんと薬の関係をみていること
そしてその前に研究開発機関に数年いたこと
いろいろ話していました
職場の教育制度(これは私が大学に行くことになり
急きょできた制度なのですが)を利用して
大学へ通っていることを話すと
「いやー、しっかりした子だなあとは思っていたけど
そういうことだったのね~
小遣いかせぎでホステスしてる子よりよっぽどいいわ」
・・・・・・・・。
いいのか悪いのか判りませんが。
個人的には
高額な学費を稼ぐ手っ取り早い方法として
空き時間じ高額な時給のバイトをすること自体は
私はいい悪いは判断できかねるけど
親から学費と生活費が出ている上で
プラスアルファの小遣い稼ぎで
夜のバイトをし、それを
「今日仕事だ~」
っていうのはどうなのか。
仕事じゃないでしょ、それはバイトでしょ。
と言いたい。
それがなければ生計が成り立たないわけじゃなく
欲しい鞄や洋服を買うのに我慢する生活になるってだけ。
それにバイトはいつでもやめられる。
保険もかかってない。
仕事は違う。
責任の度合いも。
働く日だって「水曜と金曜」みたいに調整できる。
それがアルバイト。パートタイムでしょ。
それなのに
「私だって仕事しながら大学来てるし」
「仕事のせいで勉強する暇ない」
って言われると
ちょっとカチン!と来てしまう。
二日酔いで大学に来て講義中寝るとか
朝起きられなくて大学休むとか
それが「働きながらの大学生」?なのだろうか。
アルバイトを「仕事」といい
単なる逃げ口実になってはいないだろうかと思う。
私は、逃げたくなっても逃げる場所すらないのに。
ここ数週間、土曜日が毎週試験だったせいもあり
日曜一日しか休んでいない日々を過ごしていたら
今日、大学で心臓がバクバクして苦しくなってしまった。
時折いうことを利かない自分の心臓。
でも、これは生きているということ
生きているということは、死と隣り合わせでもあることを
教えてくれる。
生きていると実感することは
当たり前に心臓を動かしているとほとんど無いに等しい。
明日が来ることが当たり前で
大切な人が明日もそこにいることが当たり前で
毎日は当たり前のようにやってくる。
それが「当り前」だ。
先週の土曜日
私の青春と人生をかけた(というと大げさかもしれないが)
大切なレース仲間と再会してきました。
あるメンバーとは5年ぶりくらいかな
一緒に南の大陸を縦断し
ぶつかりあい、そして大きな一つの目標に向けて
力を合わせてまっすぐそこを見続けた
私の大切な仲間たち。
久しぶりに会っても、変わってないなあ、と
懐かしい気持ちになりました。
そのころは、その仲間たちといるのが
私にとっては当たり前だった。
だけどそれは本当はちっとも当たり前なんかじゃなかった。
日々の出会いや生きている瞬間は
過去からの積み重ねからできる偶然が支配している。
あんな日々がもう二度と来ないと気づいてから
あの日々は当たり前なんかじゃなく
光輝いた奇跡な時間だった。
多分、今だってそう。
この時間はきっと
光輝く奇跡の時間になる。
だから大切に生きよう。
未来の自分のために。
日曜一日しか休んでいない日々を過ごしていたら
今日、大学で心臓がバクバクして苦しくなってしまった。
時折いうことを利かない自分の心臓。
でも、これは生きているということ
生きているということは、死と隣り合わせでもあることを
教えてくれる。
生きていると実感することは
当たり前に心臓を動かしているとほとんど無いに等しい。
明日が来ることが当たり前で
大切な人が明日もそこにいることが当たり前で
毎日は当たり前のようにやってくる。
それが「当り前」だ。
先週の土曜日
私の青春と人生をかけた(というと大げさかもしれないが)
大切なレース仲間と再会してきました。
あるメンバーとは5年ぶりくらいかな
一緒に南の大陸を縦断し
ぶつかりあい、そして大きな一つの目標に向けて
力を合わせてまっすぐそこを見続けた
私の大切な仲間たち。
久しぶりに会っても、変わってないなあ、と
懐かしい気持ちになりました。
そのころは、その仲間たちといるのが
私にとっては当たり前だった。
だけどそれは本当はちっとも当たり前なんかじゃなかった。
日々の出会いや生きている瞬間は
過去からの積み重ねからできる偶然が支配している。
あんな日々がもう二度と来ないと気づいてから
あの日々は当たり前なんかじゃなく
光輝いた奇跡な時間だった。
多分、今だってそう。
この時間はきっと
光輝く奇跡の時間になる。
だから大切に生きよう。
未来の自分のために。
余裕がないなぁ。
時間も、気持も。
たくさんの人がいると、どこに合わせてよいか
わからなくなるので
結局沢山の人が作り上げたテンションにまで
自分を持って行ってしまう。
それでだいぶ後悔する上に、とても疲れる。
意識して自分のテンションを維持しようとすると
どうも暗いような気がする。
どうしたものか。
昨日ほんの少しだけ、鈴先生と話をした。
相変わらず忙しそうだけど
なんだか幸せそう。
私には家族の持つ意味や
本当の血のつながりの持つ絆が
いまひとつ心の底から実感できないけれど
幸せな家族という形態をみているのは
なんとなく、こっちまで安定した気分になる。
今の私には、見ているくらいがちょうどいい。
めーさんも
見ているだけでいい。
そばにいれたらそれでいい。
無言になると心臓がバクバクする。
何か自分が気に入らないことをしたのではないかとか
余計なことを考えてはバクバクする。
全然恋じゃない。
恐怖心と隣り合わせな日々です。
それでもなぜだか、心が通じるような
そんな気がするんですよ。
めーさんには。
もうすぐまた試験です
知識を身につけるのは、しんどいけど楽しい。
時間も、気持も。
たくさんの人がいると、どこに合わせてよいか
わからなくなるので
結局沢山の人が作り上げたテンションにまで
自分を持って行ってしまう。
それでだいぶ後悔する上に、とても疲れる。
意識して自分のテンションを維持しようとすると
どうも暗いような気がする。
どうしたものか。
昨日ほんの少しだけ、鈴先生と話をした。
相変わらず忙しそうだけど
なんだか幸せそう。
私には家族の持つ意味や
本当の血のつながりの持つ絆が
いまひとつ心の底から実感できないけれど
幸せな家族という形態をみているのは
なんとなく、こっちまで安定した気分になる。
今の私には、見ているくらいがちょうどいい。
めーさんも
見ているだけでいい。
そばにいれたらそれでいい。
無言になると心臓がバクバクする。
何か自分が気に入らないことをしたのではないかとか
余計なことを考えてはバクバクする。
全然恋じゃない。
恐怖心と隣り合わせな日々です。
それでもなぜだか、心が通じるような
そんな気がするんですよ。
めーさんには。
もうすぐまた試験です
知識を身につけるのは、しんどいけど楽しい。
テスト続きだと周りの学生の変化を感じます
とりあえず目の前の試験が突破できればいいもんね
若いころは私もそうだった。
とにかく短いスパンでしか見ることができないから
その日だけ覚えていれば、それでいい。
それで高得点や好成績がとれるけど
きっとその人には何も残っていない。
だけど、そういう先のことまで見渡せるような
そんな余裕というか、大人の無駄な考えは
若い時にはないからね。
学ぶというチャンスは滅多に得られるものではない。
自力で学ぶならいくらでもやればできるが
学校という、学びのお膳だてをしてくれるところは
お金を払って犠牲を払ってしか得られないのだ。
クラスに一人、私と同い年の女性がいる。
彼女は社会人経験者なのだか
最初のうちは私に対しても、周りに対しても
「まじめにやらない人とは付き合いたくない」
「自分のお金で大学に行ってるんだから」
「授業サボるとかありえない」
「そんな人にノートやプリント貸したくない」
なんて言っていたのに
最近は週末のテストに備えてその週の授業を
代返頼んで全部サボるとか
出ていないのに授業が終わった後に
「カードエラー」(注:うちの大学は出席はカードリーダーなので)
に記入しにいったり。
そういうことを一番嫌っていたのは
誰よりもあなた自身ではなかったのか?
自分は付き合う友人を選んでいて
そういう人とは付き合いたくないと言っていたのは
あなただったはずなのに。
今は彼女も、目の前のことしか見えていない。
注告だってうざったいだけなんだ。
だからもう何も言わないけれど
見ているのはとても嫌な気分になる。
自分のことは棚にあげて
「試験に落ちるなんてやる気が足りないんじゃないの?」
などと言い放つ始末だし。
毎回何個も落としてる人にそんなこと言われたくないですよね。
知識として身に着くのではなく
言葉としてインプットされるだけの学問なんて
何の意味があるというのだろう。
時間の無駄だ。
と私は思うのだけどね。
学ぶチャンスや
学ぶということの貴重さ
それは、学べなくなって初めてわかる。
過ぎ去ってから、その貴重さに気がつくものなのか。
とりあえず目の前の試験が突破できればいいもんね
若いころは私もそうだった。
とにかく短いスパンでしか見ることができないから
その日だけ覚えていれば、それでいい。
それで高得点や好成績がとれるけど
きっとその人には何も残っていない。
だけど、そういう先のことまで見渡せるような
そんな余裕というか、大人の無駄な考えは
若い時にはないからね。
学ぶというチャンスは滅多に得られるものではない。
自力で学ぶならいくらでもやればできるが
学校という、学びのお膳だてをしてくれるところは
お金を払って犠牲を払ってしか得られないのだ。
クラスに一人、私と同い年の女性がいる。
彼女は社会人経験者なのだか
最初のうちは私に対しても、周りに対しても
「まじめにやらない人とは付き合いたくない」
「自分のお金で大学に行ってるんだから」
「授業サボるとかありえない」
「そんな人にノートやプリント貸したくない」
なんて言っていたのに
最近は週末のテストに備えてその週の授業を
代返頼んで全部サボるとか
出ていないのに授業が終わった後に
「カードエラー」(注:うちの大学は出席はカードリーダーなので)
に記入しにいったり。
そういうことを一番嫌っていたのは
誰よりもあなた自身ではなかったのか?
自分は付き合う友人を選んでいて
そういう人とは付き合いたくないと言っていたのは
あなただったはずなのに。
今は彼女も、目の前のことしか見えていない。
注告だってうざったいだけなんだ。
だからもう何も言わないけれど
見ているのはとても嫌な気分になる。
自分のことは棚にあげて
「試験に落ちるなんてやる気が足りないんじゃないの?」
などと言い放つ始末だし。
毎回何個も落としてる人にそんなこと言われたくないですよね。
知識として身に着くのではなく
言葉としてインプットされるだけの学問なんて
何の意味があるというのだろう。
時間の無駄だ。
と私は思うのだけどね。
学ぶチャンスや
学ぶということの貴重さ
それは、学べなくなって初めてわかる。
過ぎ去ってから、その貴重さに気がつくものなのか。
昨日も試験。
ここ一週間はこの試験対策につきっきりで
ほとんどこの勉強ばかりやっていたのに
結果はうろ覚えの部分はすべて不正解で
6割しか取れてなかった。
がっくし。
択一ではなく、正しい文章の番号をマークする方式で
勉強の方向的には間違っていなかったことは確信できました。
しかしながらこの自分のおっちょこちょいさをどうしてくれるのだ。
これさえなければ8割突破していたのに。
なぜいつもそれが出来ないのだろう。
答えに確固たる自信が持てない。
勉強不足だよなあ。
最近勉強が楽しい、と思える。
苦しいのだけれど、楽しい。
理解するのには、苦しさを伴う。
だけど、理解できて自分のものになった時の感覚は
まるでモルヒネのよう。
実際脳内モルヒネが出ているんだろうけど。
多分、一生勉強していたいと思う人達というのは
きっとこの脳内モルヒネの快感が忘れられない人なのだろう。
昨日めーさんと久ぶりに途中まで一緒に帰ったが
帰りの電車の中で2駅、二人で医学部入試問題をずっと
解いていた。
この人もきっと、勉強する、知識を得るということ
そのものが楽しいと思える人間なのだろう。
本来人間は
知識を得ること、知識欲がある生き物だと
きょーじゅが言っていた。
きょーじゅ本人もそういう人。
最近そういう人間が少なくなった来たように思うけど
やっぱり私は、ずっと何かを知りたいし
そのために勉強していたい。
勉強って、強制的にするものではなく
本来は知識欲を満足させるためにするもの、
なのだと思う。
勉強は、やらされていると思うと辛い。
だけど知りたい、と思えば
そこには麻薬のような快感が待っている。
こんな風に勉強するための箱に入っていられるのも
あとほんのわずか。
時間はあっという間に過ぎて行って
私はここから去っていかなければならない。
あともう少し。
私にとって勉強とは
モルヒネのようなものなのかもしれない。
ここ一週間はこの試験対策につきっきりで
ほとんどこの勉強ばかりやっていたのに
結果はうろ覚えの部分はすべて不正解で
6割しか取れてなかった。
がっくし。
択一ではなく、正しい文章の番号をマークする方式で
勉強の方向的には間違っていなかったことは確信できました。
しかしながらこの自分のおっちょこちょいさをどうしてくれるのだ。
これさえなければ8割突破していたのに。
なぜいつもそれが出来ないのだろう。
答えに確固たる自信が持てない。
勉強不足だよなあ。
最近勉強が楽しい、と思える。
苦しいのだけれど、楽しい。
理解するのには、苦しさを伴う。
だけど、理解できて自分のものになった時の感覚は
まるでモルヒネのよう。
実際脳内モルヒネが出ているんだろうけど。
多分、一生勉強していたいと思う人達というのは
きっとこの脳内モルヒネの快感が忘れられない人なのだろう。
昨日めーさんと久ぶりに途中まで一緒に帰ったが
帰りの電車の中で2駅、二人で医学部入試問題をずっと
解いていた。
この人もきっと、勉強する、知識を得るということ
そのものが楽しいと思える人間なのだろう。
本来人間は
知識を得ること、知識欲がある生き物だと
きょーじゅが言っていた。
きょーじゅ本人もそういう人。
最近そういう人間が少なくなった来たように思うけど
やっぱり私は、ずっと何かを知りたいし
そのために勉強していたい。
勉強って、強制的にするものではなく
本来は知識欲を満足させるためにするもの、
なのだと思う。
勉強は、やらされていると思うと辛い。
だけど知りたい、と思えば
そこには麻薬のような快感が待っている。
こんな風に勉強するための箱に入っていられるのも
あとほんのわずか。
時間はあっという間に過ぎて行って
私はここから去っていかなければならない。
あともう少し。
私にとって勉強とは
モルヒネのようなものなのかもしれない。
恋愛を成就させたいときは
絶叫マシンに一緒にのるのがいいという。
絶叫マシンのドキドキが、恋してる時のドキドキと
錯覚して恋に落ちてしまう確率(あくまで確率)が
高くなるのだと。
確かに
まだよく分からないドキドキほど
厄介なものはない。
自分のことすら分からないうちに
体が勝手に反応してしまうと
これは恋ですか?
はい、これは恋です。
みたいな自問も出来てしまう。
何のドキドキか、自分で理解できないのがポイントなのだが。
めーさんのいる研究室で
時々めーさんと私で二人きりになるときがある。
緊張するけど、なぜか心地よい安心感がある。
そしてドキドキする。
コワイのだ。
いつ、自分が否定されるんじゃないか
殴られるんじゃないかという
そういう怖さ。
だけどそのドキドキが
まるで恋しているようなドキドキと錯覚してしまう。
いや、もはやこれは恋なのかもしれない。
めーさんが好きなのかもしれない。
いや、たぶん私はめーさんが好きなのだ。
一緒にいる時に、なるべく笑っていてほしいと思うから。
私はめーさんに笑顔でいてほしいのだ。
溜息ばかりつかれるとビクビクしてしまう。
恐怖で氷りついてしまう。
だけど、私はめーさんが好きなのだ。
一緒にいたいのだ。
これは、でも恋ではないのかもしれない。
私もただ、恐怖のドキドキを
恋する鼓動のドキドキと錯覚しているだけなのかもしれない。
いつ怒鳴られるかもわからないドキドキは
二人きりの時に起こるのなら、それは合点がいく。
そしたらこれは、恋ではない。
めーさんが大好きだ。
顔も性格もそんなに一目ぼれするような
そんな人ではないけれど
60度の角度で惹かれるのだ。
なんだろう、こういう時に
非科学的なものでも信じてしまう。
説明のつかない部分で惹かれている自分がいる。
この気持ちは、何だろう。
絶叫マシンに一緒にのるのがいいという。
絶叫マシンのドキドキが、恋してる時のドキドキと
錯覚して恋に落ちてしまう確率(あくまで確率)が
高くなるのだと。
確かに
まだよく分からないドキドキほど
厄介なものはない。
自分のことすら分からないうちに
体が勝手に反応してしまうと
これは恋ですか?
はい、これは恋です。
みたいな自問も出来てしまう。
何のドキドキか、自分で理解できないのがポイントなのだが。
めーさんのいる研究室で
時々めーさんと私で二人きりになるときがある。
緊張するけど、なぜか心地よい安心感がある。
そしてドキドキする。
コワイのだ。
いつ、自分が否定されるんじゃないか
殴られるんじゃないかという
そういう怖さ。
だけどそのドキドキが
まるで恋しているようなドキドキと錯覚してしまう。
いや、もはやこれは恋なのかもしれない。
めーさんが好きなのかもしれない。
いや、たぶん私はめーさんが好きなのだ。
一緒にいる時に、なるべく笑っていてほしいと思うから。
私はめーさんに笑顔でいてほしいのだ。
溜息ばかりつかれるとビクビクしてしまう。
恐怖で氷りついてしまう。
だけど、私はめーさんが好きなのだ。
一緒にいたいのだ。
これは、でも恋ではないのかもしれない。
私もただ、恐怖のドキドキを
恋する鼓動のドキドキと錯覚しているだけなのかもしれない。
いつ怒鳴られるかもわからないドキドキは
二人きりの時に起こるのなら、それは合点がいく。
そしたらこれは、恋ではない。
めーさんが大好きだ。
顔も性格もそんなに一目ぼれするような
そんな人ではないけれど
60度の角度で惹かれるのだ。
なんだろう、こういう時に
非科学的なものでも信じてしまう。
説明のつかない部分で惹かれている自分がいる。
この気持ちは、何だろう。