ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
北先生からメールが届いて
久ぶりに古池のことを振り返ってみた。
思えば振り返りの一つ一つの事例の間が
一週間二週間ならまだしも
1年2年間隔がざらだということに気づいた。
あの頃の一年は、今より若かったにもかかわらず
あっという間に過ぎていったように思う。
そして面白いことに、あの頃私は一週間を
木曜を中心で考えていた。
週末から三日間だけはがんばろう。
あと三日頑張れば週末だ。
この繰り返しで生きてきたのです。
今考えれば不思議な考え方だなあと思う。
三日単位でしか気力が持たなかったのかも知れない。
そんな風にして嵐のように時を過ごし
気付いたら一年たっていた、という感じがします。
あの頃時間を過ごすことに、何の躊躇もなかった。
無駄に日々の時間を垂れ流していた。
明日も明後日も、今日みたいな一日が続くような
そんな気がしていたのです。
だけど本当は一生に一度しか経験できない日付を
繰り返し繰り返しているということ
ただそれがあまりに少しだけの目に見える違いで
人は一生に一度の繰り返しだということに
気がつくことが難しいのかもしれません。
あれから何年もたって
今になったらほんとうに些細な出来事や
些細な踏ん切りさえあれば良かったことが
どうして出来なかったのだろうと思う。
今思い返せば、本当に簡単な事だったのに
あの頃はものすごい壁だった。
人間時間がたたないと分からないことが
沢山あるんですよね
時間が解決することばかりではないのに。
いやむしろ
時間は何も解決してくれないのかもしれません。
久ぶりに古池のことを振り返ってみた。
思えば振り返りの一つ一つの事例の間が
一週間二週間ならまだしも
1年2年間隔がざらだということに気づいた。
あの頃の一年は、今より若かったにもかかわらず
あっという間に過ぎていったように思う。
そして面白いことに、あの頃私は一週間を
木曜を中心で考えていた。
週末から三日間だけはがんばろう。
あと三日頑張れば週末だ。
この繰り返しで生きてきたのです。
今考えれば不思議な考え方だなあと思う。
三日単位でしか気力が持たなかったのかも知れない。
そんな風にして嵐のように時を過ごし
気付いたら一年たっていた、という感じがします。
あの頃時間を過ごすことに、何の躊躇もなかった。
無駄に日々の時間を垂れ流していた。
明日も明後日も、今日みたいな一日が続くような
そんな気がしていたのです。
だけど本当は一生に一度しか経験できない日付を
繰り返し繰り返しているということ
ただそれがあまりに少しだけの目に見える違いで
人は一生に一度の繰り返しだということに
気がつくことが難しいのかもしれません。
あれから何年もたって
今になったらほんとうに些細な出来事や
些細な踏ん切りさえあれば良かったことが
どうして出来なかったのだろうと思う。
今思い返せば、本当に簡単な事だったのに
あの頃はものすごい壁だった。
人間時間がたたないと分からないことが
沢山あるんですよね
時間が解決することばかりではないのに。
いやむしろ
時間は何も解決してくれないのかもしれません。
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