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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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鬱と戦う○○のブログ、とか
鬱と戦っています、などというタイトルを
たまに見かけるのですが
私個人的な考えとしては
鬱は戦って勝つ負けるの相手ではないように
思っています
その方は戦っていると思いますが、自分自身ならば
きっと戦ったりはしないと思います。

鬱は
外からやってきた敵でもなく
自分の中から湧き上がってきた病魔でもなく
まして 自分の心が弱いからでも何でもないと思うのです
(内因性の鬱の場合)
何かに悩みまくると鬱になる、などと
学生や若者の間では 教育者が間違えた理解を伝えるため
誤解や偏見がまかり通っている
そのため 鬱病には何か悩みが付き物なんだと
勝手に解釈して誤解を生むことになると思う

鬱が広げるその人の内面がある。
今まで気づかなかった些細なことが
病気のために思考回路が障害されているのだ
そして
悩みが特に無いのにも関わらず
そういった誤解や偏見から

「悩みなんか誰だってあるよ」

「鬱になる前に相談してくれればいいのに」

などと言われても
もともと悩んで鬱になったわけではないので
非常に困るわけです

5月病が病気だと言い放った心理学の教授。
ありえません。
どこの医学書に「五月病(症候群)」という記載があるのか。
そもそも症候群という捉え方がまちがっとる。

心理と精神医療のつなぎ目は
非常にあいまいで
精神と心理は別のものだと私は思っています
その境をどういうシステムで結びつけるか
どういう仕組みでシステムづいて結びついているのか
そこを考えるのが肝だと思うのです

だから私は鬱病になっても戦いません
鬱病は敵ではないし
憎むべきものでもなく 愛すべきものでもないからです

鬱病は複雑骨折です。
治療するものです
風邪のように皆よく起こるものではけしてありません
内因性の鬱病の発症率は0.5%です
だけどメディアのお気楽な鬱対策の啓蒙のおかげで
まるで風邪のようにひいてはすぐ治るものだと
誤解している気がするのです
もし そんなのだとしたら 
それは鬱病ではなく抑鬱状態だときちんと枠を決めるべきです
そうしないと 本当の抑鬱が鬱にされることで
鬱の偏見の狭間で
抑鬱状態が回復した後にも「この人は大丈夫なんだろうか」と
いらぬ心配をされた上に 偏見をもたれてしまうのです

と なんだか朝からそういうことを書いたのは
昨日 久しぶりにビタ先生からメールが来て
なんとなく ずれてる感じがしたからです

頑張るのは
誰のためでもありません
そして私は
頑張ると言う言葉が自分を縛り付けていることに
なんとなく 気がついてきたのです

できることを、できる範囲で、できるだけ。
そういうスタンスで臨みたいと思います。

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