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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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なんだかきれいな言葉を紡ごうとしているわけではないのに
何となく言葉がうまく使えない日々です

8日の水曜日、久ぶりに北先生とその教え子(私もだけど)の鷹さんと私で
鷹さんがまたまた海外へ飛び立つというので
壮行会をしてきました

鷹さんと北先生とは1年ぶりの再会です
あっという間の一年でした
その間に私はと言うと
変わったか変わってないかよく分からないけど
三年生になりました。

鷹さんに北先生と沢山話してもらいたかったので
二人が話しているのを隣で聴いてました
二人の世界は私の知らない世界なのだけど
不思議と二人の話を聞いているだけでも
なぜかつまらないと思わないところがイイのです。
組み合わせ的には変な3人なのだけど。
鷹さんはいつも鷹らしく大きな羽を広げてのびのび空を飛んでいるので
いつ会ってもすごいなー、なんて思ってしまいます。
私は化学と格闘してる毎日ですが
そのうち私も空を飛べるようになるかもしれません。
その時はいつか同じ空で出会えるといいな。

そのあとは北先生と二人で二次会(?)。
会社の話とか、大学の話とか
北先生といろいろ話せて良かった。
楽しかったです。ほんとに。
楽しすぎてここに色々書いたら嘘になりそうなくらいです。

あの頃私にとって北先生は
手が届かない程大人だと思っていたけれど
いつの間にか私もその近くにいるようになったんだなあ。

最近人と話したい衝動が高まっているので
北先生や鷹さんと一緒に過ごせて
沢山話しが出来て良かった。

それにしてもいつの間に私は
こんなに遠くに来たのだろうか
あんなに遠いと思っていた北先生のいる大人の世界が
今ではこんなにも傍にある

あの頃の私と一体
私はどのくらい離れてしまったのだろうか

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昨日進級ガイダンスが終わり
重たい真新しい教科書を担いでいろんな先生のところへ行き
最後の最後に、帰るバスを逃して1時間待ちだったので
久しぶりに煙研を覗いてみました
そしたら鈴先生とビタ先生が話しこんでいて
そこにお邪魔してきました

久しぶりにビタ先生の近くにいたら
なんだか超緊張してしまい足の震えと動悸が止まらず
一瞬逃げてしまおうかとも思ったけど
それにしてもそんな緊張の中
鈴先生ともビタ先生とも沢山話せてよかったなと思います

相変わらずビタ先生の「元気?」という言葉に
何だか答えることが出来ず
ただにっこり笑うだけだったけど
「はい」とか「うん」とか答えるよりも
何も考えずに出た笑顔の方が
調子を表してるかなと思ったり。
(たぶん伝わってないと思うけど)
そんな感じで後から自分の行動について
相変わらず反省会をしてしまいました

大学の桜も今が満開。

多分この壮大な桜色が 今私が
笑っていられる気力になっていると思います

桜が咲いている時は
なぜか力強さしか感じない。
どうしてだろう。
ものすごい力を感じる。
葉がないからかな
それとも
普通の花のように小さいところから徐々につぼみになって
ぽっ、と咲いたりしないで
葉も出さずに突然に
神々しいほどの力で花を
全力で咲かせるからだろうか

何だか霊気すら感じてしまう、この力強さ。



ビタ先生はやっぱり古池には似てない。


古池を好きになったのは誰にも似ていなかったからだ。


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人は何をもってして人と向き合うのだろう

目の前にある純粋な命に
何を余分なものを与える必要があるのだろう
何もかもを捨てて守りたいと思うのは
守るためには体裁や見栄や虚栄など
必要ないからではないか。


言葉の限りを尽くして飾り立てること

真実を隠す綺麗な嘘
両手に余るほどの自尊

本当はきっと
生きるためには何も必要など無いのではないか。

子供が命だけを背負って産まれるように
人は
人と手をつなぐために
本当は何も持っていない方がいいのではないだろうか


人が命をかけて手をつなぐために
ミサイルなどはいらないはずなのだ。

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長い春休みもようやく終わり。
春休みらしいこと、何にもしてないなあ、と思いつつ
春自体は今ちょうど本番なので
休みではないけれど春は満喫したいなあ、と思っています。

そういえば鈴先生のお子さんは春生まれ。早生まれですね
食堂で「来年の二月~」なんてお話していたのが
ついこの間のような気がします

季節が過ぎるのが、時間が過ぎるのが早い。

あっという間に大学も3年目。
早いものです。
時間がごうごうと音を立てて過ぎていく。
そしてそれは何か真っ黒な闇に吸いこまれて行き
「もう戻っては来ない」ことが分かる。

音を立てて。

この音が聞こえるか聞こえないかで
私は生きている濃さが変わってくると思っている。
耳を澄ませば、地球が自転する音さえ聞こえるような。
そのくらいの研ぎ澄まされた感覚でいたい。

研ぎ澄まされた感覚というものを
教えてくれたのは遠い青い森にいるあの人だった。
雨の音と一緒に。
だけどそれももう私の手元には残っていない。
残っているのは言葉と受け継いだ感覚だけ。

そんな風に思いながら、新年度を迎えようとしていたら
ビタミン先生の夢を見た。
ビタミン先生の子供を奥さんから預かって
あやしているビタ先生がとても笑っていて
そして私は相変わらず普通の私で
「自分の遺伝子が残ることはうれしい」とか言っていた
ビタ先生のセリフを頭の中で復唱していた・・・・という夢。

古池の代わりにビタ先生が出てきたのかな。
古池に似ているな、と思ってはいたけれど
もはや今どんな顔をしているのかなど想像できない。
私の中の古池は、ずっとずっと26歳の古池のままなので。
これほどの大きな存在を私は
ずっとこのまま一生背負って生きていくのだろうか
たぶん・・・

私が生きている限り
私が手を放した人の手を
つなぎとめられなかったことを責めて
きっとずっとずっと
その手のぬくもりを
忘れられないでいるだろうな。

明日から大学。
頑張って生きよう。



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このところご無沙汰してました
追再試験が終わった後、何となく大学の春季講習に参加して
なんとなく過ごしつつ、密かに冷戦状態の社長を避けるように
過ごしていました。相変わらずです。

一時期「こっちから折れようかな」とも思ったのですが
とある事件であえなくその考えは払拭されてしまったのでした。

大学の新年度の教科書販売の日程とその値段が公開されたのですが
大学って結構直前に発表されるもんなんですよね
でも年に春と秋の2回は教科書代として大金が出ていくわけです
これはもう3年目なので予測がつくことなんです
そして経理担当者に「今年も教科書代~」とお願いしたところ
4日くらいでこつこつ用意してくれて(そういう類の大金なんですよ)
私に渡してくれました。

そして数日後
冷戦状態の社長から突然怒りのメール。

「勝手に会社のお金持っていかないでください。
今後は大学で必要なものはすべて事前に申請するか
それが出来ない場合は都度私に申し出てください。内容を見て
判断します。つきましては会社の決算の7月末までに大学で必要となる
教科書やその他のものをすべて3月末中に申請するように」

って・・・!!

そんなこと出来るかいな。

そんな計画性のあるようなとこじゃないのよ大学っつうもんは。
教科書ですら販売の2週間前に掲示されてるのに
はるか遠い未来の7月末までに何買わされるか今時点で
分かるわけないだろうっつうの。
しかも、3月中に申請できないものは都度許可をとれって・・・
大学で必要なのをどうして大学にも行ってないあなたが
不要かどうか判断できるのか。
意味が分からん。
思いっきりその旨反論したら


「あなたがやってることはね、
家計を今月は1万円でやりくりしなきゃいけないと言う時に
母がふと財布をみたら2千円しかなくなっていた。
近くにいた娘に聞いてみると

あ~、お姉ちゃんが教科書買うって8千円持っていったよ

というのと同じです。黙って親の財布からお金抜き取ったのと同じですよ!」


・・・・・・・・・・・・・・・。

一体どういう例えだよ。
黙って持っていったってさ、私は経理にちゃんと話しましたよ?!
1円たりとも自分が許可しないとお金動かせないようなことは
おかしいともう一人の取締役の人も言ってましたよ?
普通に考えておかしいでしょ。

自分は許可なく健康食品だか病院買収だか知らんけどお金使って
他の人間は経費1円も使えないこの状況ってどうなのよ。
しかも自分が把握してないからと言って財布から金盗んだかのような
その言い方って人間としてどうなのか。
上から目線で空気が読めない。
相手がどんな言葉で嫌な気持ちになるか分ってない。
それがあるから、心の狭い私がいちいち仕返ししてるのだ。
自分が相手に何をしているか
気がつかないようでは絶対に仲直りなんて私にはできない。
結局また繰り返すだけだから。
もしくは私がずっとそれに我慢するだけで
社長はどんどん「俺イケてる」と勘違いしていくだけ。

気の利いたセリフだと思っていたり、いい例えだと思っているかもしれないが
確実に相手を傷つけていることに、この人は気づいていないのだ。
たとえ仕返しをされたとしても
自分が傷ついたことばかりを訴える。
その前にあなたは何度も積み重ねていることに
気がつかなければ無理なのだ。

しかも私が「いい方がまずいです」
と返したら

「まあまあ、感情的にならないで」

自分が相手の感情を逆撫でしたことをお気づきではないのだろうか。

結局こういうことがあり再び前よりひどい冷戦状態へ突入。

ま、春休み中はずーっとクリニック勤務なので
顔合わせる必要ないんですけどね。
しかし一生顔合わせずに過ごすというのは無理なので
この先どうしたもんかな~と考えています。

最初は無理やり私に「すみませんでした」と謝らせて(!?)
握手させて仲直りさせようとしていた院長もさすがにそれは言わなくなりました。
そうよそうよ。無理よ、そういう「うわべだけとりあえず仲直り風」なことは。

空気が読めないと言っていたら院長に

「そんな人間だって見りゃわかるじゃん!
いちいち反論すんなよ」

とさらに怒られてしまった・・・。

すみませんね、大人げないんです私。

そんな春休みです。(休み?)

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明日が見えないから
今日を精一杯生きよう

明日が見えないから

今日だけは
精一杯生きよう


また明日がくる

繰り返される日々

だけど明日は見えない。

今日を精一杯生きよう。


生きるしかない。

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桜の季節は5月だとずっと思っていたけれど
青い森を離れてから
桜の季節は3月末から4月なんだと
思い知らされております

ちょうど進路を決める時期ですね

私の小さい頃の夢は科学者になること、でした。
キュリー夫人の伝記が、私の初めて買った本です
私も科学者になりたいと思っていました
その中でも医学を目指したのは
一生勉強していられる学問だと思ったからです
自由な発想と豊かな想像力が必要な学問だと
そう思ったからです
今は医療の中でも薬学を勉強していましすが
頂をのぞむならまずはその麓からという気持ちです
とは言っても薬学は医学とは別の峰で
同じくらいの高さにそびえる高く大きな山なのですけどね

医学の下に薬学があるのではない、と
最近そう思います
医療の中で医学・薬学は法律の中での序列はあれど
別々の頂で、麓は同じという感じがします

一生をかけられる仕事がしたい、と
ずっとずっと思っていました
そして桜の咲く季節になると毎年のように
体に追い付かない心が、ちくちくと痛んでいました
自分の道は、これでいいのか、と。
実験助手として、実験者としての人生が長かったけれど
本格的に学んだことは少なかった私が
今こうして薬学を学べること
とても幸せに思っています

体の年齢に追い付かない私の心は
ある意味とても冷静で大人で褪めている
けれどもある部分でとてつもなく子供で弱い
こんな私は自分が自分に追いつけるように
それでも必死に毎日を生きています

生まれてから何度桜を見ただろう。
青い森には、桜川という川が流れています
その岸のベンチに座って、古池の帰りを待った日々。
桜とともに散っていった私の10代
根っこが張れなかった私の20代
そして今心と体の年齢の乖離に悩みながら
30年目の桜を見つめています



私の心の中には桜の樹がある。



強い光をいっぱいに葉に受けて
人々に木陰を作ってやれるだけの力量はない。
だけど冬の季節もしっかり根を張り
一年のうちに一瞬でも満開の桜を咲かせてみたいと思う。
そしてその花を見て 笑ってくれる人たちがいるなら
とても幸せだなあと思います

覚えていてね
思いだしてね
桜の花の咲くころに。


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医療事務チームミーティングで
保険請求の報告もあるのですが
今月どうしても納得できなかった査定があります

時々納得いかない査定があるのですが
大体が原因がわかるので改善のしようがあるのですが
どう考えても今回のはひどい。

その内容は
初診でかかった患者さんなのですが
傷病名に抑うつ状態と神経症をつけました
当然うちは精神科ですし、精神保健指定医が初診しています
この指定医の初診だと初診で「通院精神療法Ⅰ指定医による診察」
の算定が取れるのです。
これとは別にもちろん普通の初診料も算定します。
ここまで普通ですよね。
普通です。

・・・・・・・・・・・・・だがしかし

その初診料と指定医の診察について

「C:不要と認められるもの」

として保険請求が却下されていました。

どういうこと!?
初診が不要、指定医の診察も不要と認められるって
紙の上で病名にあった診察や治療が行われているかを
審査しているのに、その初診すら不要ってどういうことなんでしょう
どういう査定なんでしょうか・・・
これが神奈川ルール?
そんなわけないです 
明らかに審査委員のミスです
というか少し嫌がらせが入っているかもしれないです(あり得る)
保険請求点の高い医療機関は時々
こういった牽制が実際あるのです。
鬱なのに「この人にこんなに薬出す必要ない」と
保険が認められる範囲内での請求でさえ
医療知識のない一部の審査委員や
その患者を実際に見たこともない人に病名だけで
薬が多いだの少ないだの
この検査は必要ないだの
実際に患者を見てもいない人に言われるのです。
その分は有無を言わさず請求した7割の保険料は入ってきません。
再審査請求をしなければならなくなるのです。

処方した薬と適応病名がかみ合ってないことで
請求が切られるのならまだ納得いきますが
患者の症状も知らない人に

「この患者さんにこの治療は不要」「過剰」

と判断されるのはいかがなものか
これこそ、医師の裁量権の侵害だと思うのです。

それにしても
初診に対して「不要と認められる」ってどういうことよ?
その患者知ってるのかよ!!と突っ込みたい
というより
不要が必要かは診察(初診)しないと分かんないでしょうに。
なのにその初診料さえ保険請求却下されてしまうなんて。

医師は診察して病気だったら初めて保険請求していいという
そういうことなのだろうか
いやいや

有り得ない。

簡単に却下だとか不要だとか過剰だとか
紙の上の文字を見て判断されますが
その理由を一切公開しない保険審査は
裏でものすごい黒いものが動いている気がします。
審査した委員のいる医療機関は査定を甘くしてくれるとか
そう言ったことがまことしやかに言われるのも
仕方ないのではないでしょうか。

保険請求の実態をきちんと国が把握しなければ
医療費の削減なんて夢のまた夢です。
コンビニ受診が横行していますが
保険点数をさげて受診しても医療費の国庫負担を少なくする
その発想は医師にどれだけ負担を強いるものなのか
同じ条件で給料を下げてるのと一緒
医師の苦労や過酷さに対して、ダウン査定してるのと同じです。
医師不足もそう
一人30秒で診察終わらせた方が儲かる科を増やすことで
最近の考えのぬるい一部の若者はそっちに流れていくでしょうに。

もっと根本的な何かを
考え方と変えていかないといけないと思います
理想だけでは変えることはできません
現実は違うのです

コンビニ受診で医療費がかさむなら
受診以前で食い止める防波堤が必要でしょう。
保険点数の引き下げはそれこそ

C:不要と認められるもの

なのだと思います。



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何度も躓いても
それでも納得いかないことがある。

目の前に据えられているのは
けして正しいこととは限らない。

妥協の産物?

あなたの中で?

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やっと試験おわりました
今となってはなんでこんな難しくもないような
この科目を落としたのか謎です
精神的に大ダメージがあると
何も手につかなくなるのは私の悪い癖ですね

今日はけがして初めての試験だったのですが
転んだ時についた腕の筋力が回復していないので
試験開始30~40分あたりで筋肉が限界に達してしまい
鉛筆持ってぐりぐり計算したりすることが出来なくなって
しばし休憩したりしてしまいました。
意外に字を書く、という行為は腕の筋肉使うんだなあと
改めて実感しました
普段何も考えずに字を書いたり何かを持ったりしているけれど
実は筋肉って使ってるんですよね

座りながら本を読んでいる時
本の背表紙に手を添えていることがよくあると思いますが
あのただ添えているだけでも腕の筋肉って相当使ってるんです
けがしてから、それ自体が出来なくなってしまい
当分は痛めた筋肉を回復させないと何もできませんね・・・。

できなくなって、初めてそれを使っていたことに気づく。


そうそう
全然話は違いますが
今日、なるほど、と思ったセリフ。

「勉強は、続けて初めてその面白さが分かる」


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大人になる=年をとる、ということでいえば

大人になると 
いろんなものを冷めた目で見られるようになった反面
有り得ないほど無理をしてしまったりする。

そして私は
いつまでも何かに拘泥している。
今の自分でいっぱいいっぱいなのに
自分は今の自分以上のものになろうとしている。
まだ若い人たちがとてもうらやましい。
再チャレンジする時間がたっぷりある。

私は恵まれていなかったのだろうか?
日々に忙殺されて
後ろ盾のない毎日。
何かを変えることは可能だっただろうか。
私はあの頃ときっと
何かは変わっているけれど
考えていることは何も変わっていない。
同級生や一つ上の先輩が
大学で教鞭をとっている姿を見ると
私はどこでどうここに迷い込んで
どう生きていけばいいんだろうという気にさえなる。

私はいつか一人で生きるために
そこを目指したはずなのに
いつか一人で生きられないような
そんな自分の心の迷いが生まれるような道に
いるような気がする。

一日一日
確実に命が短くなっているのが怖い。

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昨日大学から出たら雪が降ってました。
最終バスの時間に間に合いそうにないので
ダッシュしてみました

すると、いつもは片方しか脱臼しない腱が
昨日に限って両方脱臼してしまい
雪降る真っ暗な大学前の道路で思いきり・・・

転倒。

ものすごい派手に転んだ上
左に持っていたカバンと、ひざをかばおうとして
右にひねったのがさらに良くなかった。

右手を付いて体を支えた後に、右肩から落ちました。

手がみるみる腫れてむくむくになり
やばいなー、テスト前に骨折してたらどうしよう
と思いつつ朝を迎えると
内出血してないので骨折は否定されました。
よかったー、と思っていたら

肩が動かない・・・・

そうです、手首を軸に肩から道路に着地した時
肩の腱を痛めてしまったのです。
かかりつけの整形の先生も
「・・・・・・。あんまり走んないでって言ったでしょ。」
といいつつ、肩の状態と手首の状態を見るのに
レントゲンを撮られました。
しかも足首もいれて今日だけで7枚。
いったい一年に何枚レントゲン撮ってるんでしょう私。

とにかく手首と地面についたために痛めた手は固定されて
今日一日おとなしくしてることにしました。

しかし私が少し走るとあまりにもよく転ぶので
先生も少し困惑気味でした・・・・

けして私は雪で滑って転んだわけではない。

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私は沈黙が怖いから
どうでもいいことを話てしまうのだろうか
それとも
私の方に注目してほしいから
話すのだろうか

どうでもいいことを

私はでも
話したいことがある
というよりも
聞いてほしいことがあるのだろうな
自分の心のなかでは消化できないから
誰かに聞いてもらいたい
だけど聞かされた方は
聞かない方がよかった、という。

それは聞いたら
何かが変わってしまうということだろうか
聞いても聞かなくても変わらないということは
普通の人間には無理なのだろうか
私があまりにも人間が話すということに
慣れ過ぎてしまったから麻痺してるのだろうか

そんなことを
今日考えてしまいました

何も話さなければ後悔しないのに。

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昨日服部祐民子のライブDVD「主成分」が届いた
前に買ったDVDもちゃんと見てないのに
いつ無くなるか分からない(インディーズになっちゃったからね)ので
とりあえず無くなる前に買っておいたもの。

そのDVDに、ずっとずっと前に服部祐民子のライブに行った時に
「まだ作り途中・・・」と言って披露してくれた「幸せになりたい」(ブログでもちょっと書いたけど)
が入っていました。
もう完全に仕上がっている状態の「幸せになりたい」という曲。
ライブで聴いた時も鳥肌がたったけど
こうして完成したものを聞くと、ちょっとテンポが変わっていたり
アレンジが変更になったりしているけれど
やっぱり服部祐民子は歌詞とメロディの一貫性があっていいなと思う。

この「幸せになりたい」の歌詞もそう。

たかが数万で人を殺したり
子供が親を殴り殺したり
親が子供を付き落としたり
でもみんなほんとは
幸せになりたいんだよね
戦争の爆撃の中継をテレビで見ながら
私たちは何ともなテレビゲームを見ている感覚で
それを夕飯を食べながら見る
そんな時代なんだ、と。
だけどみんな幸せになりたいんだよね、と歌う。

人間って不思議な生き物だと思う。
幸せになりたいと願い、幸せに生きたいと願う。
だけどそのために何をしたらいいか
何が出来るのか
それが漠然としていて目に見えない
そんな霧の中を手さぐりで、だけど容赦なく明日になる。
幸せって何だ?そんな中で幸せの意味など
考えることができるだろうか
だけど本当の幸せなんて判らないままで
幸せになりたいという思いは消えない。

「しあわせ」とはいったい何を指すのだろう
幸せは塊ではなくて
すごく小さいものの集合体のことを
「幸せ」というのではないだろうか
でもそれはすごく小さいものの集団だから
近すぎるとただの小さい集団にしか見えない
でも少し遠くから離れて見たら
それは大きな大きな一つの塊に見えて
そのことをみんな「幸せ」と呼んでいるのではないのだろうか・・・

形のないものはきっと
積み重ねることでしか
その形を想像することが出来ない。
それならば
積み重ねてみよう
集めてみよう
遠くからその形がはっきりとわかるくらいまで。

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あーしんどい。
何がしんどいってなにも手につかないことがしんどい。
あと3日で追試なのに・・・

昼までぼーっとして
そのあとまたぼーっとして
机の前に座ったけど何も手につかず
だらだらしてたら夕方になってて
ちょっとお茶飲んだだけでもうこんな時間。
夕飯なんてまだ食べたくないのに・・・・


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