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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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ほんの少し、息抜きが出来ていました。
と言っても、実生活では試験続きで息抜きなんて出来てないのですが
心のほうは少し休息してました。
昨日はなぜかビタ先生が朝から超ご機嫌で
おはようございますと挨拶したら
笑顔でお早うが返ってきました。
そしてお昼に学生課の名前は知らないけど
何かと私の携帯に電話を(しかも自分の携帯から)かけてくる人に
呼び止められ
巨大な果物をいただいたのですが
名前が分からなかったので煙研に行ったら
そこでもビタ先生にこにこ。
・・・・・・・・。
彼に何があったのだろう。
(ついそう思ってしまう非素直なわたくし。)

でも人の笑い顔っていいですね。
なんだか幸せな気持ちになれます。

私は人の写真を撮るのは苦手で
被写体に人を撮りたいと思ったのは
古池以外では今までないのですが
久し振りにカメラを手にしたので、
なんかこう、人間を撮ってみたくなりました。
人間を写真に撮るのは私には難しいです
でも、今私はとても素敵な人たちに支えられて生きているので
そういう人たちを撮ってみるのもいいな、と思い始めています。

カメラのファインダーから見る風景と
私の中に流れる時間。
時間を切り取っているような感触。
心の中が一瞬空っぽになります。
写真を撮っている瞬間というのは
人にどう思われようとか
自分の存在は何なんだろうとか
そういうことを考えたりしない時間で
なんだか不思議です

今の世の中を生きる間は
心が空っぽになる時間というのがとても少ない。
常に何かが頭の中で巡って
常に心の中に誰かがいる。
そして人間はそういうものに囚われて
本当の自由な時間というものを
持ち合わせる余裕が無くなってしまったのではないでしょうか。

と、心の余裕がこのところなかった私は
そんなことを思いながら
また「自然の中に放たれたい」病にかかりつつあります。

自然の中に放たれたい。

たぶん、この思いは心を空っぽにしたい、ってことなんでしょうね。

空っぽになっているからこそ
色んな事がダイレクトに届いて
いろんな事が心に響く。
それをきっと人々は
「心の余裕」と呼ぶんでしょうね。


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