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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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今日、久しぶりに加藤諦三の本を買いました。
「大人になりきれない人の心理」(PHP出版)です。

この本を読んで、なるほどなーと思う事が沢山あり
妙に自分自身と他人に納得してしまいました。

今、生きることが辛い大人が沢山存在しています。
それはどうしてだろうかと考えた時に、加藤氏は
「心が5歳のままだから」と言い切ったのです。
一瞬のうちに納得してしまいました。

5歳というのは、人格形成においてもっとも重要な分岐点だと
私は思います。それは、自我が形成されるぎりぎりのラインだからです。
多重人格(DID)になるには、少なくとも4歳までに死の恐怖を味わう経験を
しているといわれています。(注:今は自我形成があやふやで、すぐに解離して
逃避する「なんちゃってDID」も多量に発生していますが)
5歳になると、やりたくないこと、自分の好きなもの、そういったことが
少しずつ確立していくのです。
まさに、「自分」が「自分である」という存在を、自らが感じる時が
私は5歳だと思うのです。

そんな小さな5歳の時に、自分のやりたいことをのびのびとやれなかった子供
そして、そんな時に親から、社会から、環境から、抑えられて育った子供は
「やりきった」という経験を持たないまま、体だけ社会的に大人になってしまうと
いうのです。

やりきった経験がない、というのは、自分はこれだけ我慢したのに
という負の感情になっていくと、加藤氏は書いています。
私もそう思います。
ちゃらちゃらして我慢できないやつ、我慢しないで他人から簡単にそれを奪うやつ
そういうのがやたらと許せないのです。
そりゃそうですよね。自分が自分を殺してまでやらされていたことなのに
それをあっさりと奪っていかれたら
不真面目なやつを許せなくなるのが当然です。
しかし、反撃したい心をぐっとこらえて、もくもくとそれに従っていれば
世間的にも、親的にも「根気のある子」「我慢強い子」と
言われてしまうのです。

加藤氏はこんな例をあげています。

「鉛筆を無理やり削らされていた子供は、鉛筆を削ってこなかった子供にけして鉛筆を貸さない」

そりゃそうですよね。
それに対して私はもっともな子供の反撃だと思います。

そんな子供の思いを、大人になってもずっとずっと持っているというのです。

相手を許すことが出来ない。

心は5歳のままなら、それはできなくて当然だと思います。
でも、社会ではたとえば30歳なら30歳の責任を負わされる。
社会的な「30歳」を押し付けられるのです。
それは想像しただけで辛いと思います。5歳児には心理的負担が大きすぎる。
それなのに世間は社会年齢だけを基準にして
いろんなことを押し付ける。
そりゃ鬱にもなるし、自殺もしたくなるわ。
本人が悪いわけじゃない。

だけど、愛されて育った、心も体も同じように年齢を重ねることができた子供は
そのような人が理解できません。
いつまでたっても理解できず、理解できないどころか
精神的にダメな人とまで色眼鏡をかけることもある。

だけど精神的にダメなのではなく


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