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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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昨日の経済の講義。

今の医療改革はまだ不十分だから、このような不具合が
生まれるのだという話をしていた。
まさに、北先生が指摘していた「壮大な勘違い」。
私もそうじゃないだろ!と突っ込みを入れたくなった。
いじめを例に出して、うまく行かない物には必ず両方に
問題がある。イジメでも、イジメられる方にも原因がある。と。

私はこの意見には昔から真っ向に反対です。
イジメには原因がある?
イジメられるほうにも原因がある?
何を戦国時代みたいな話をしてるんだ。
今のイジメには理由なんて存在しない。自分にとって
気に入らないから、ただそれだけで十分なのだ。
逆にあらゆることがイジメの理由になりうる。
極端なことを言えば
父親の職業だとか、家族にハゲがいるとか
家で珍しい犬を飼っているとか
携帯メールを1分以内に返さなかったとか
自分が気に入っている男の子と会話したとか
上げていったらキリがない。そんなくだらないどうでも
いいようなことでイジメの理由になるのだ。要はイジメ
る側の「気に入らなさ」にかかっているのだ。

それを
「イジメ等れる側にも原因がある」ですと?
ふざけるんじゃない。時代錯誤も甚だしいとはこのこと。
自分の子供がいじめの原因として、あなたの容姿のこと
をあげられたらどうするつもりなのか?
そういう、本人のどうにも出来ないことを理由にされても
納得すると言うのか。
もし身体障害があって苛められたら、
「障害があるから」と仕方ないと思うのか。

つまり、イジメにはイジメられるほうにも原因があると
言う人間は、理由さえあればイジメを認める人間なのだと
私は思う。だからイジメを否定するのではなく、イジメら
れるほうも悪い、原因があるからイジメられるんだという
大きな勘違いをするのだ。

イジメは理由がたとえ何にせよ有り得ない事なのではないか。
自分の気に入らなさで相手を不快にさせることは
自己中心的で甘ったれた他罰的思考である。
私はイジメという方法でしか自己を肯定できない、そんな
人間の心こそに問題の焦点を当てるべきではないかと 思う。
他人をいたぶることで、その人間の満たそうとしている ことは
一体何なのか。そこに目を向けず、単純な理由づけや
犯人探しで納得し片付けたつもりになることは、日本人の
最も根の深い問題点ではないか。

私は犯罪が起きた後に、犯人が捕まったからといって
その問題が解決したとは 思えない派だ。
何故なら答えはそこにはないからだ。
犯人が捕まり、理由が判ったところで何になると言うのだ。
大切なのは繰り返されないことではないのか。

私たち日本人は、確実に注目すべき点を見逃している。

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