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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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新しい命と手をつなごう
まだ小さい手
まだ新しい手
握り返す手は何を掴もうとしてるのだろう

命と命をつないで生まれる
新しい命

その小さな命の後ろには
沢山の命のリレーがある。


産科不足が深刻化している昨今
命は誰に委ね、誰に取り上げられるだろうか


命と手をつなごう

まだ小さく頼りない命だけど

その命は
脈々と絶えることなく受け継がれた
小さな握手の先頭なんだ。


まだ小さな手


おめでとう。

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毎日少しずつ歩いたら
いつか後ろを振り返ってああ、良く歩いたなと
思える日が来るだろうか。

それとも
あまりにスタートした場所から離れて
振り返ることさえ怖くなるだろうか。


人間として必要なことは
あまりに単純で見過ごされている。
お金でもない。優しさだけでもない。
強さだけでも、包容力だけでもない。

一体何が必要で何が不要なのか
道を歩いているうちに見つかるだろうか。
気付かず見過ごしたことに気付いて
引き返すことが出来るだろうか。

引き返す勇気と
後ろを振り返る勇気
前を向き続ける力。

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今日は最後の医療経済学の講義でした。
講義では、オバマ支持者対マケイン支持者との、医療改革についての
ディベート番組をを流していました。

私は国民皆保険制度は素晴らしい制度だと思います。
医療が受けられない状況では、安心して何もできないと
思うからです。
しかし、国民皆保険を宝かに宣言している日本は、以前も書きましたが
見かけの「皆保険」でしかないのが実情です。
派遣労働者が今日本全国に何人いらっしゃるでしょうか。
派遣社員でないにしろ、契約やパート、アルバイトのかけもちをしている
日本人がどれほどいるでしょうか。
そういった形態で働く人たちも、はたして全員保険に加入しているでしょうか。
もちろん、この場合個人事業主と同じなので国民健康保険にです。

答えはノーです。

春闘の賃上げ交渉が行われても
最低賃金をかする程度の時給で働いている労働者が山のようにいます。
その人達は、いつかかるか分からないけがや病気の補償としての
国民健康保険料を支払うよりも
今日を、明日を、どう生きていけばいいかが問題なのです。
今すぐに必要でない、健康への補償に回す余裕がないのです。
そして結局無保険になる。
日本は無保険(保険料を滞納もしくは未払いによって、保険証を交付されていない人)
が相当数います。
しかし、国保に入れる資格は持っているため「いつでも国保が使える」資格の証明書を
発行してもらい、とりあえず病院の窓口負担は10割支払い
保険料を納めた時点で役所の窓口で償還払いする、というシステムがあります。
このため、政治家は「日本は国民皆保険だ」と錯覚しているのだと思います。
保険料滞納や未納による資格証明書は、保険証ではありません。
つまり、私は資格証明書を持っている人達は、無保険者と同じだと思うのです。
保険に加入するだけの余裕がない人、つまり無保険者が大量に存在する
アメリカと違いがないのではと思うのです。

アメリカのようになれば、日本は発展すると勘違いをしている政治家が
とても多いと思います。
医師会も政治とツーカーの仲といわれています。
アメリカは製薬会社と保険会社がつながっていると習いましたが
国民の健康、つまり命は値ぶみするものでもなければ
取捨選択するものでもないと思います。
つまり、医療にかかれる権利は、最低限の生活を保障する
その最低限に入ってると思うのです。
どこかの誰かが得をして儲ける仕組みを
そこに入れること自体が間違いなのです。

日本は税金を上げれば国家収入は増えると
単純に考えていると思いますが
日本は無駄に人間関係の構築にお金を使いすぎる。
買収した票集め おべっか
政治でそういったものに不正にお金を使う
そして不正に一点に集中して税金を使う
不条理なものにだって、人の顔を立てるとか
昔世話になったからとか
そういった人ことで無駄に税金を使っていく。
税金をただ上げて国家収入が増えても
今の日本の政治家のやり方じゃあ、支出や不正使用分が増えるだけ。
そしていくらお金があったって
医療に回すお金なんて無くなるんじゃないでしょうか。

アメリカの自由競争が悪いとは言いません。
日本の(自称)国民皆保険も、私は素晴らしい制度だと思います。
しかしこれらは、人間は運営する不完全なシステムです。
点検する人間も不完全です。
真似をするだけでは、不完全なままなんです。

完全に少しでも近づくには
私は他者の意見に耳を傾けることからだと思います
日本の政治にはそれが欠けていると
私は思えて仕方ありません。

今日の講義のディベートの番組を見ていて
日本のディベートと圧倒的に違う部分を見つけました。
それは、アメリカでは相手が話し終わるまで必ず
耳を傾ける。対立する意見の人の話を最後まで聞く。
たとえ途中、どんなに誤ったことを言ったとしても。
どんなに自分と違う考えを述べても
決して邪魔をすることはないのです。
しかし日本は違います。
対立する意見の人が明らかに「それはないだろ」という
考えを話したとたん
相手がまだ話している途中なのにそこにかぶせて
自分の意見をしゃべり始める。
人の意見を最後まで聞かない。
相手がまだ話している途中なのに、そこの上から
自分の言葉をたたみかけて相手の主張を妨害する。

ディベートの授業がないから、アメリカのようにはいかないと
思いますが、これは日本の政治家がテレビの討論番組に
出ているのを見ると、顕著だな、と感じます。
討論番組でなくても、国会の代表者質問だってそう。
人の意見を聞きなさいよ。ヤジ飛ばすなんて
あなた小学生でもしませんよ。

政治家だけでなく、科学者の集まりでもそんなことが起きる。
それを見ていると、日本人はなんて稚拙な人たちなんだと思う。

人の主張を最後まで耳を傾けてから自分の意見を話す。
そういった単純なことが出来ない日本の政治家が
日本をきっとダメにしているように思えてならないです。

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何となくパッとしない感じが続いています

先月末に医大受験をした同級生は
一次試験の結果も報告がありません。
ただ、今日その子の友達からこんなこと言ってたよ、と言われました。

「落ちられないというプレッシャーがすごくて落ちた」


・・・・・・・・・・・・・。

今まで
「親のお金だから、たぶん落ちるかもしれないけど受けたいから受けよう」
みたいな
そういうノリで医学部受験してたのか!?
親のお金だから落ちてもいいか、っていう考えだったのか?
その程度の気持ちで受験勉強してたのかよ!!
みたいな・・・

今回もあれだけ親を説得して
お金の目途も付けて だから

「今回は落ちられない」

って思ったの?!
そしてそのプレッシャーにつぶされたせいで受験失敗した?!

人のお金なら落ちられないけど
親のお金なら落ちても平気だったの?
本気本気って言うのは口だけだったのか・・・やっぱり。

落ちられない、っていうプレッシャーがあった割りには
大学にきて試験前日まで毎日講義受けてるし(出席気にして)
受験に無関係なセンター試験に手をだしたりしていたのは
彼女にとって結局は「今の大学から逃避したい」という
ただの逃避行動の表れでしかなくて
本気で医学部に行きたかったわけでは
無いのだろう。
彼女の中で、自分が逃避行動を起こしているということに
未だ気づけていないだけか。

医学部に本気で入学するには何が必要かを
全く考えられていないようじゃあねえ・・・
これでも、大学休んで勉強して落ちたらなら
しょうがないよねえ、頑張ったけど、と言ってあげられるのに
大学のせいで勉強時間がなかっただの
プレッシャーが・・・とか
結局言い訳に使える行動をして落ちた理由にしてしまう。
しかも落ちられないと自覚しておきながら
落ちる方向の行動をしてしまう彼女。

これじゃあ一生ダメだわ。

と思った一日でした。

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笑うことが出来るのは人間だから・・・
というCMがありましたが
笑うということは、どういうことなんだろう、と
ここ最近考えています

笑うこと、笑顔でいること 
それはとても素敵なことだと思います。
対外的な事だけではなく
笑うことによって免疫力が上がるとか
元気になるとか
そういうことも言われています
科学的な根拠はよくわかりませんが
笑うことが全ていいことであるという押し付けが
最近世の中に多いと思いませんか。
悲しみに打ちひしがれている人にも
落ち込んでいる人にも
人は「笑顔になってほしい」とか
「笑ってほしい」と簡単にいうし 簡単に願う。
それで元気になれるのだと、錯覚しているのです。

だけど私は、それは「心から笑う」からこそ
そんな結果が生まれるのだと思います。
無理した笑いや作り笑いに
そんな正の効果が表れるような気がしないのです。
笑うという表面的な行動だけに着目して
笑顔でいなければならないだとか
笑顔でいることが大事だとか
そういったことに縛られて
中身のない笑顔(中身があるかないかは本人しか
分からないと思いますが)をしても
そこに自己肯定感は生まれるのでしょうか。

笑っていることがけして正しいこととは
限らないのではないかとこのところ思います
悲しい時は悲しくあればいい。
その悲しさや辛さを乗り越えずに
笑うことでごまかすことは
何の強さも生まない。
それを乗り越えて笑えるようになって初めて
心が好転するような気がするのです。
だからそんな時に無理やり
笑わせるようなことはしなくてもいいし
無理に笑うことに努力するようなことは
しなくたっていいと 私は思うのです。

そんなことをしても、本人は笑っている自分に
自己嫌悪するだけではないか
一瞬笑ってもその後のぶり返しの波が
大きくなってしまうのではないか、と。

だったら自分の気持ちに素直になればいい。
笑える時まで、笑顔は取っておいたらいいんです。
だから笑えない自分をどうか嫌いにならないでください。
笑うことが出来る日まで、無理に笑って
心をどうかすり減らさないでください。

本当に笑える日まで。

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日本語なのにうまく通じないし
日本語なのに
上手く伝えることが出来ないなあ。

せっかく「えいやー」っといったのに
作り笑いしてそこから逃げ出してしまった。

またしばらくパワー貯まるまで行けないです。

どうして私はここにいると
きちんと会話さえ出来ないのか…。

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久しぶりに服部祐民子を聞く。


大人です、なんてどの面下げて言えばいい?

あのころの私にどの面下げて
会えばいい?


さなぎからまた生まれてしまった青虫は

殻を破って這い出たはずがまだ地を這っている

さなぎから蝶へとなり損ねた青虫は

暖かくって
優しい布団から
まだ、出られない


だけどまだ蝶になれるいつかを見上げて歌うよ



服部祐民子「青虫」

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北先生からメールが届いて
久ぶりに古池のことを振り返ってみた。
思えば振り返りの一つ一つの事例の間が
一週間二週間ならまだしも
1年2年間隔がざらだということに気づいた。
あの頃の一年は、今より若かったにもかかわらず
あっという間に過ぎていったように思う。
そして面白いことに、あの頃私は一週間を
木曜を中心で考えていた。

週末から三日間だけはがんばろう。
あと三日頑張れば週末だ。

この繰り返しで生きてきたのです。
今考えれば不思議な考え方だなあと思う。
三日単位でしか気力が持たなかったのかも知れない。
そんな風にして嵐のように時を過ごし
気付いたら一年たっていた、という感じがします。
あの頃時間を過ごすことに、何の躊躇もなかった。
無駄に日々の時間を垂れ流していた。
明日も明後日も、今日みたいな一日が続くような
そんな気がしていたのです。

だけど本当は一生に一度しか経験できない日付を
繰り返し繰り返しているということ
ただそれがあまりに少しだけの目に見える違いで
人は一生に一度の繰り返しだということに
気がつくことが難しいのかもしれません。

あれから何年もたって
今になったらほんとうに些細な出来事や
些細な踏ん切りさえあれば良かったことが
どうして出来なかったのだろうと思う。
今思い返せば、本当に簡単な事だったのに
あの頃はものすごい壁だった。

人間時間がたたないと分からないことが
沢山あるんですよね
時間が解決することばかりではないのに。
いやむしろ
時間は何も解決してくれないのかもしれません。

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近頃試験ウィークに突入したので
時々同級生から不思議な質問が来ます。
どこ大事ですか?という質問は序の口として
この間ものすごい質問をされたのです。

「ねえねえ、薬理って薬の効く仕組みって覚えたほうがいいの?」

「・・・・・・・・・・。」

それ覚えなくてあと何覚えるんだよ!!

薬理が分からない薬剤師って
薬剤師としてどうなんでしょう?

薬の作用する仕組みが分からなくても、とりあえずピッキングして
袋に詰めて患者に渡すだけなら、確かにできる。
でもそれじゃ国家資格まで取るような、6年も大学に行って勉強するような
そこまでの仕事じゃないと思うのです
袋に詰めるだけなら、ピッキングと言って医師の指示で
「あ、それとそれ、袋入れて」という感じで色んな病院で看護師さんとかが
やっています。

薬学部2年の後半のこの時期に
「何で薬学部なのに薬理やんないといけないの」とか
「どうして作用機序覚えないといけないのだろう?」とか
そういう疑問が湧いてきちゃうところに疑問。
そしてそれを聞いてきちゃうところがさらにハテナ。
いったい薬剤師という仕事に対してどういうスタンスなんだろうか。
一度その人に聞いてみたいと思う。
薬剤師って何する仕事だと思う?みたいな。
まさか薬局で薬袋に詰めて薬の説明するだけだとか
思ってるんじゃないだろうなあ。
いや、たぶん思ってるに違いない。
臨床実習が何で必要かとか
そんなことも言っていたし。

薬学部って薬だけを学ぶところじゃないと思うんです。
化学構造からこんな薬が出来るとか
こういう反応で水に溶けるとか
そういう「化学」がやりたかったのなら化学科で十分だと思う。
でも、薬学部というのは医療系三大学部の一つで
臨床から離れられない。
臨床から離れられないということは、患者さんの薬に対して
色んな方向から多面的に考えられる知識が必要になるはず。
薬理作用なんて、薬剤師として本当に基礎の基礎だと思うのです。

そこを

「ねえ、作用機序覚えなきゃだめ?」

って言われても・・・

じゃああと何覚えて試験に臨むつもりなのか?
それをとりあえず聞かせてほしい・・・・


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何かを書けば書いたで
無理してるような気がして
何かを伝えれば伝えたで 
後になって後悔するような気がして
それが伝わったのかの確証も持てず
分からないからただ笑うしかなくて
だけど笑うことは嘘を付いているような
そんな気分になるのです
だけど一生懸命伝えたくなる。
それに何の意味もないような気がするのに。

大学で仕事モードだったら
それなりに壁があって楽ちんだけど
多分3か月持たないだろうな。
自分の存在というものが自分でも見えなくなる。
自分で自分がつかめなくなるというのは
回りに非常に迷惑をかけてしまうしね。

入口が少しでも開くと
そこのドアから入りたくなる。
その開いたドアを閉めるのが
なんだか勿体ないようなそんな気がするのです
未練なのか執着なのか
色んな事に当てはまります
人でも生活でも
そのドアをバーン!と思い切って閉めて
ドアの向こうにいる人にサヨナラと手を振って
この世界から飛んでいけたらいいのに。
すっきりするだろうなあ。
先生、どう思う?

だけど大人になると無責任すぎてそんなこと出来ない。
いや、できるんだろうけどしたくない。
人生短いのに、そのバーン!がやりづらくなる。
やってもいいはずなのに。

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久しぶりに所長のところでコーヒーを飲ませてもらった。
最近顔出すことはあっても、なかなかコーヒーまで
いただくことがなかったので
今日は「コーヒー下さい」と言って、こぽこぽ自分で淹れて
飲ませてもらいました。

なんか今日は所長に聞いてほしいことがあったのだけど
コーヒー淹れているうちに忘れてしまい
結局他愛無い話をぽつぽつしただけで終わってしまった。
(せっかく行ったのにこれでいいのか自分。)

最近人に話を聞いてもらう時に
なんだか躊躇してしまうのです
この話を聞かされた相手はどう思うだろうか、とか
聞かせた私はどんな人間に思われるかなあ、とか
それを考え出したらお気軽に鈴先生のところで
愚痴っていた自分が今では考えられない。
自分のもつ確固たる何かに対する意見もあるし
それを誰かに聞いてもらいたいけど
聞いてもらう相手には、それを聞く理由が見当たらないような
そんな気がしてしまう。

大学で気を張るのを徐々にやめるようになってから
私は元気がないんじゃありません。
もともと多分こうなんです
だけど色んな場面で私は
私以上に私にならないといけない場面があるのです。
その名残で、本当の素の自分が妙に力が入ってないような
そんな気がして違和感があるのが、ここ最近の私です。

だけどそれは多分きっと、みんなそうなのだと思います。
色んな場面でその場に合わせた振る舞いをするし
その場にあった自分になることはよくあります
それが人間の多面性というやつです。

人間は誰でも多面性を持っています
人間は紙のように、いつ誰が見ても同じように見えるものでは
決してありません。人間は立方体なのです。
私はその立方の一面に違和感があるというよりも
表から見えていた自分自身が
本当の芯に当たる自分と結構離れていたこと
それを一生懸命隠して表の部分を出していたこと
そして今になってそれが
とても違和感のあることだったと気が付いてきたのです
だから余計に所長や鈴先生と話せないのかもしれない。
今まで余計な自分を出しすぎた。

なんだか最近自分のことばかり書いてますね
以前の存在をめぐるまなざしと、なんか離れてきちゃってますけど
まあこれはこれで良しとしましょう
私は私のためにこの記録をつけているだけなのだから。


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今日は久しぶりの休みの日曜日。
診療所もカウンセリングもお休みなので本当のお休みです。
携帯電話やメッセンジャーに連絡がくることもなく
のんびりとすごし・・・てはいけないのですが
穏やかな一日を過ごすことができました。

いよいよもうすぐ試験が迫ってきました。
これさえ突破すればついに3年生です。
大学生活の半分になります。

今の大学に通うことになって
本当にたくさんの出来事があり
沢山の人に出会ったり、再会したりしました。
そしてその一人一人を、こっそり勝手に心の支えにして
大学生をやってきました。
きっとこれから先にある大学生活もそうやって
こっそりと心の支えにしてやっていくつもりです。

私に大学生というカテゴリーが合わないのか
私が今の大学生に合わせることができないのか
それがどうもわかりませんが
とにかく今の大学生活は、勉強的に辛くはないのですが
雰囲気的に辛いことが多いです
所長からも、雰囲気的に辛いことが多いと思うけど
やると決めたら師になった自分を想像して頑張れ、と
言ってもらいました。

やると決めたからには
私は辛くても目の前の試練でも試験でもなんでも
とにかく片っぱしからこなしていくしかないけれど
やっぱりそれにだけ集中するのには疲れてしまいます
私が弱いからすぐ疲れるのかも知れませんが
弱くても弱いなりに次々と突破していくしかないんだと
最近悟ってきました。
いろいろと浮き沈みする私の心に
いつも支えとしてこっそり寄り添ってもらっているのは
この大学に私が独りぽつんと投げ込まれて
心細いことが多いからです

強く生きていこうと思っても
やっぱり私はここでは独りで助けがない。
そして独りをあまりに意識しすぎると
私はここで身動きが取れなくなる。

外を向けば
北先生がいて
大学には、所長も鈴先生もいる。
ビタ先生の弟子になりたいなんて
何をうぬぼれたことを言っていたんだろう。
目の前のことをこなすこともできずにもがいている私に
そんな資格などないのに。
北先生や鈴先生に頼っているような自分が
ビタ先生の近くに独りで立つことが出来るわけがない。
そこに立っても自分の無力さに圧倒されるだけ。

患者さんの目の前に立ち
何を私はやっていたのだろう。
患者さんには、そんな私はどう映ったのだろうか。
もがき苦しんでいないとでも、思っただろうか。
それとも自分と同じように
もがき苦しみ溺れる途中なのだと
気付かれていただろうか。


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お友達がついに開業しました。
お友達というか知り合いというか。
中学生のころ、夏期講習でお世話になった渡り鳥先生です。
2年くらい前に15年ぶりに会った時
「開業しよかな~と思ってるんだけど」と相談されて
いいんじゃない、絶対いける!と言ってから
連絡も取ってなかったのでどうしたかと思っていたら
その冬から着工してたみたいです
やっぱり一緒にご飯食べに行った時は
もう腹くくってたんだね。
開業するって。

今産科はどちらかというと減るばかりの話を聞きますが
この渡り鳥先生は本当に信念をもった病院を
建てたかったんだなと思います。
病院のホームページ見てもそう。
すごく信念を感じました。
世田谷に出来たのですが、なんだかわくわくします。
って、私がわくわくしてどうするんだ(笑)
でも、昔から思い続けていたことを
きちんとその夢がかなうように
努力を伴って叶うのは、とてもうれしいと思う。
しっかりしないとな、自分も。という気分になる。

試験までの時間がぐいぐいと迫ってきます
どうしてこんなに時間が過ぎるのが早いんだろう。
最近時間の流れに心が追い付かない気がします
そしてなんだか大学に居づらい。
私の思い過ごしかな
そうだといいんだけど。


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朝に親友の一人から電話あり。
義理の弟が列車事故で亡くなったこと
親友の父ががんで亡くなったこと
今年の始まりは失うものが多い幕開けになりました。



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どんなに理不尽で
どんなに不遇でも
どれだけ辛くても
ここにいると決めたのは
私が生きる私の「生」なら
それに言い訳したくない
それに尽きる。

生きるなら
いくらだって理由など付けられるだろう。
逆に  生きないなら
その理由だって幾らでも付けられよう

だけど自分は
職務を全うすると決めたんだ。
どんなに周りが騒がしくても
何が大切なのかを
自分まで見失いそうになっても

私は私が生きるのなら
目の前の道を一生懸命歩こう

ただひたすら
良く歩いたと納得がいくように。

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一昨日久しぶりに医師採用の面接をしました
本当に紹介会社から紹介される医師の質の悪さと
対応する会社の動きの悪さに呆れて
ここ数年は採用会社から採用しない!ということに
なっていたのですが
心療内科を外し、精神科一本でやろうということで
地区でも特色性のあるクリニックとして一本立ちすることに
なったために、ここらで医師を増やそうか、という話に
なったためです。

うちのクリニックがかなり特殊なのか
昨日まで一般外来(待っていれば必ず診察が受けられる)を
行っていて 一日100人近く診ていた先生が
明日から急にうちに来て
40~50人患者が来る訳がないのです
だって完全予約外来ですもの
しかも精神科という科の特性上
初診した先生と、先週受診した先生と
来週診察受ける先生が違うって
患者的にも違和感あると思うのですよ

どうしても完全予約だから患者の予約が入らないと
ただ単に置物のように診察室にいるしかない
患者はそうそう簡単に主治医を変えたくないんです
変えたくなるにはかなりの理由があるはずなんです

だから急に来て給料分の働きをするのは
すごく難しいクリニックなんですね、うちは
よっぽど前から準備して予約入れていかないと
作戦立てないといけないんです
じゃないとほんとに診察室の置物になっちゃいますから・・・

でもそういうのを経験してないと
どうして明日から働けないのか
患者が来ないのかが分からないみたいです

結局お互いお断り

医師探すのって難しい・・・

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