突然登場してきました
私はそのニュースに耳を疑いました
私は誰それのカウンセリングをしたなんて言うこと自体
カウンセラーとして最低だと思います
そしてその相談内容までも公表するなんて。
守秘義務という一番基本のことができてない。
だから亡くなったんだよ。
中途半端な気持ちでカウンセリングだなんだって
カウンセラー風吹かしてたんだからね
おまけに
「もう少し頑張って」って声をかけた、と
共感も受容もできずに あなたが頑張って欲しかったから
頑張ってと言ってしまったんだろうね
あなたの意見なんか聞いてないはずなのに
自分のところに来たクライアントが亡くなったのに
名乗り出られるなんてどんな世間知らずなんだろう
あなたが止められたかもしれないのに
自分が失敗したことにすら気づいてない
自分自身は精一杯やったと
自己満足感に浸ってるんだろうね
だからこそ
恥ずかしげもなく名乗りでる事ができたんだろう
自分が有名人のカウンセリングを担当した嬉しさを
我慢できなかったんだろうね
人に喋ってしまうってことは。
あー やだやだ
日本のカウンセラーは。
勘違いしてるやつが多すぎる。
ここ最近の私の急激な鬱状態への加速の中で
TBSの元アナウンサーの方の訃報が飛び込んできました
色々な意見があるでしょうが
私は「なぜ周囲に相談しなかったんだ」とか
「それ以上に悩んでいる人は一杯いる。その程度で死ぬなんて」
というコメントには
私はどうも首をかしげてしまうのです。
もし鬱病という、病気のせいだったとしたら
今の私がそれにとても近いように
「相談する内容」というのが自分でも見当たらないのです
ただ単に 人と会話をすることによって気分を晴らす
ということは出来たとしても
相談してアドバイスをもらうような悩みが
もともと存在しないのです
見当たらないし あったとしても気が付いてないのです
自分の中で。
鬱がセロトニンの枯渇によって起こる
器質的な病気なのであれば(実際に神経症性抑鬱状態の鬱でなければ)
セロトニンが枯渇することによって
考えが堂々巡りし
気分が優れないのであって
アドバイスを求めて何かが解決したらOKになるとか
そういうことではないと思うのです
だから
「そのぐらいの悩みで死を選ぶなんて世間知らずの弱い人間」
なんて どっかのブログに書いてあったみたいですが
私はこの一言こそ 言語道断だと思うのです
本当の鬱病にだったら。
だって鬱になった原因(反応性のもの)ならばまだしも
積もり積もってある日セロトニンが枯渇した時に
それぐらいの悩みもへったくれも無いわけです
悩んでないの?と言う問いに対して 答えただけで
それが根本の鬱になった原因だとは
私は思えないのです
たまたま口にだした今悩んでいること、がそれなだけで
それが原因で私は死ぬほど悩んでいたり
死を選んだとは 私は思えないのです
あくまで、うつ病だったら、ということですが。
もし 何か原因が特定されることがあったら
それは鬱の自殺ではないと私は思うのです
私の経験上
鬱はどうしてこれほど
静かな死を選ぶのでしょう
それはやはり
アピール性のある死ではなく
内面から沸き起こる 脳が正常な働きを失うことによって起こる
ニュートラルな選択肢へ続く神経が
遮断もしくはそれに近い状況になっているのではないだろうか
原因が特定される悩みで死を選ぶ場合
アピール性がある死が多いような気がします
静かに人生に終止符を打つとき
人は何を考えるのでしょうか
死んだらその先に何があるのでしょうか
私たち生きている人間から見たら
何もなくなってしまいます
何も残りません
だけど
死を選んだ人は解放されたのだと私は思います
自分の意思とは関係なく頭を過ぎる鬱の思考や
原因が特定できず 自分で頑張っても自分ではもはや
どうにも出来ない落ち込み
自分の気持ちしだいでどうにでもなるなんて大きな間違いです
自分の気持ちでセロトニンが大量に出るなら楽なもんです
どうにも出来ないから苦しいのです
ニュートラルな思考回路が遮断されている時
そのときには答えが2つしか思いつくことができません
死ぬか 生きるか
○か ×か
白か黒か
しばらく考えよう という
どちらでもない考えが出来ることは健康なんだと思います
苦しさは誰にも解き放つことは出来ないし
誰かや何かと 比べることなんかできないのです
なんだか鬱日記っぽくなってきましたね・・・
まあ事実なのでいいのですが。
別に自分のために書いてある記録を
誰か楽しみにしている人がいたら読んでくれたら
それはそれで良いわけでありまして。
今日は一限はお休みだったので
まー、ビタ先生に少し相談というか
ただきっと
喋って頭の中を整理したいだけなんでしょうけど
しに行ったのですが
今日はそういえばビタ先生は煙先生の講義を聞きに
行っているので いませんでした。
でばなをくじかれた・・・?
いやいや そうじゃないだろう。
なんだか自分のネガティブな思考がこの抑鬱のせいだと
自分で分かってしまっているので
自分で自分の思考や行動にチェックいれてしまいがち。
職業病だよねえ。、
まあ しばらくこのまま付き合っていくしかありません。
それよりも心配なのが
いろんなことが手に付かなくなってしまったこと。
今までやれていたこと、たとえば本を読むとか、教科書を読むとか。
そういったささいな「集中力が必要」なことが
出来ない自分に気づいているのです。
あー、典型的な抑鬱状態だね、こりゃ。
しかもブログをたどって行ったら、結構前から暗い。
(もともと明るくも、決してありませんが)
3月くらいから既にこのぐるぐる状態ですよね。
春休みあたりから。
でもそのくらいのことは まえからも思っているので
コレといって大きなショックとか出来事とか
思いつかないんですよね
思いつかないのが問題なのかもしれないんだけど
ちょっとしたことが大量に積もり積もった
とも考えられる。
ちょっとしたことのつもりつもりなら
思い当たるふしはあるな・・・
年明け早々過労死するかと思ってましたから。
ビタ先生はなんて言うだろ
聞いてみたい気もするし
言いたいこともあるんだけど
なんとなく 腰が重いんです
鉛が入っているみたいに・・・
しかも再来週からもう実習なの(泣き)
もういやー
そこで北先生の教え子の鷹さんと合流して、五反田で海外の大学にいく
鷹さんの壮行会みたいな飲み会をしました。
私も鷹さんも同じように北先生の講義を受けて
こうして卒業してから何年もたっても
ただ何となく社会人でいるのではなく
色んな森に入り込んでは経験という実を収穫して
そして別の実が欲しくなったら他の森に行くという
なんかそんな感じ。
そんな二人が、秋田の北先生でつながってるという現実が
なんだかとても不思議だなあと思ってしまいました
私も相当変わってるはずだけど、鷹さんも相当変わってる。
でもさすが私よりしっかりしてて(当たり前か・・・年は私の方が下だし)
なんだか色々やってるけど地に足しっかり付いてるなーと。
ほとんど関東に出てからと言うもの
個人的人脈を広げるような出会いが皆無だったため
(個人的な行動がほとんど取れてないというほうが事実かも)
久しぶりに新しい人間に会ったなあ~ というような気がしました
あんまり喋ってないけど、今度機会があったら
今度こそ色んな話がしたいなあ。
そんな感じの人でした。
北先生の前情報とギャップがあったので
ああ、私は何て前情報での先入観と誤解と偏見がある人間なんだと
改めて反省しきり。
鷹さんは高速バスにのるので五反田駅で別れて
そのあと北先生と再会した鯨バーへ。
でもあんまり核心を深く話すことできなかったなー。
時間が無かったというのも事実だけど
核心に行くまでに前情報をまずは北先生に伝えないといけないので
その前情報(前ふりか?)を話しているうちに
時間オーバーしたというような感じ・・・・
まあまた機会があったらぜひまた。
私は相変わらずダメダメです
北先生をみて改めてその凄さがわかったです。
さっきふと
竹ちゃんから教えてもらってから
毎週必ずチェック入れてる 星占いの石井NP日記を見たら
こんなことが書いてあったのです(長いので途中略)
「2008年 さそり座の空模様。」
夢を夢のままにしておくことは、どうやら、ムリのようです。
夢を本当に「叶える」ために
貴方は勢いよく動き出します。
すると、夢見ていただけのときにイメージしていた世界とは
全然違った景色が見えてみます。
それに驚いて
不安になったり、先行きが真っ暗に感じられたりするかもしれません。
でも、そこで諦める必要はないのです。
諦めるのは最後でいいはずです。
少しずつ、先に進めばいいのです。
一気に最後まで行き着く必要はないのです。
もし、本当にそれが自分の望みと違っていたなら
新しい道を探すこともできます。
でも、それだって
慌てる必要はないのです。
2008年の蠍座がもし、
何かに不安や焦りを感じるとすれば
それは「やっているからこそ感じる」感覚です。
更に言えば、
2008年の蠍座が一番、
穏やかな風の中にいる、と言ってもイイかもしれません。
2008年の蠍座に吹いている風は全て
何らかの形で、追い風です。
それも、突き飛ばすような無礼な風ではなく、
あたたかく心地よい、
弾むようなリズムを持った楽しい風なのです。
この風を確実に受け取りながら、
貴方は着々と前に進んでいきます。
心に強く願ったことは、
ゆっくりと、でも確実に叶っていきます。
2008年、貴方が何かを願えば
それはかならず、貴方の手で叶えることが可能です。
それがたとえ、
今まで取り組んだことがないことでも、
いえ、取り組んだことがないことであればあるほど、
そのことは実現に向けて
さくさくと先に進むことでしょう。
夢を実現するために
2008年はたくさんのことを学ぶ年です。
コミュニケーションと移動は、
2008年を通しての蠍座のテーマです。
では、何のために語り、何のために聞き、何のために学び、何のために旅するのか。
それは、夢を現実に変えるためです。
信頼できる人たちとのしっかりしたつながりが
少数精鋭
の形でできあがるでしょう。
曖昧な友人関係にしがみついて自分を支えていた人は
もはや、不要な関わりから自由になれます。
「友達」とは
いつも一緒にいるための存在でもなければ、
それがなければ困るというものでもありません。
友達が「いる」ことでプラスになることはあっても、
友達が「いない」ことは、別にマイナスではないのです。
いてくれて助かった!とか、楽しい!ということは当然ありますが、
友達がいないから不幸だとか元気でいられないとか
そういうことは、本来、ないはずなのです。
しっかりと自立して応援しあえる、
大事な友人関係だけが、この時期
貴方の手の中に選別されて残ることでしょう。
時期的なことを少し申しますと、
年の前半、旅行する人が多そうです。
引っ越しの可能性もあるかもしれません。
特に3月から5月上旬は
何らかの形で動きがあるでしょう。
また、この時期から勉強をスタートさせる人もいるでしょう。
あきらめていたことに可能性が出てきたり、
逆に、もっと現実的な方向を選ぶことになる人もいるかもしれません。
たくさん学んだところで、情報が集まり、
自分の夢や将来設計を
客観的に、冷静に見つめられるようになります。
そこで、もう一度スケジュールを立て直すことができるのです。
秋は特に10月、とても忙しく、活気のある時期となりそうです。
年末はたくさんの人と語り合う時間に恵まれるでしょう。
学んだり、人間関係の中から経験をつかみ取ったりする中で
貴方の人に対する理解力は
2008年、飛躍的に伸びます。
この成長分は恋愛にポジティブに作用し、
予想外の結果を引っ張り出してくれるはずです。
2008年は、とても「おもしろい」年になると思います。
夢見たことを叶えていくのは
おもしろくないはずはありません。
でも、夢と現実には多少なりとも
ズレがあります。
このズレを受け止め、さらにズレについて学び、
耳と目を開いてそれを心につなげておくことで
夢でしかなかったことが
ちゃんと貴方の現実として、生まれ変わっていくことになるだろうと思います。
(石井ゆかり 石井NPより一部引用)
そっか。
なんとなく 今の状況がそのものずばりな感じ。
何となく 人と(周りの学生と)が傍にくると億劫
その割りに 近くにきたらとりわけ
元気な振りして 余計なエネルギー使ってしまう
何となく
朝 憂鬱な気分で
何となく 何も考える気がしなくて
でも それでも
漠然とした不安感だけに苛まれる。
こんなときに限って
自分の力を振り絞ろうとしてしまう。
こんなときに限って
誰に頼っていいか分からなくなる。
need your help と言うのは簡単だけど
私は誰にそれを言っていいのかの
区別が付かないのだ。
大学で泣いたら
もう大学に行くの辞めようと思っていたけど
この間ほんとに泣いてしまったので
ああ、私はここにいられないわ。とか。
私を超えるすべての者に不安になる。
そして私の未来に立ちふさがる壁。
こんなときに相談業務なくて本当によかったと
つくづく思う。
こんなときにやったらPTSDの患者さん相手にした時には
いっぺんに巻き込まれてしまうだろうよ。
泣きそうになるか、吐きそうになるか。
危ない。
とにかく今は
春からの鬱々状態から抜け出せないでいますのです。
冷静に考えたらこれって思い切り抑鬱状態だよ。
もしかして鬱かもしれない。
ホルモンバランスにしては長すぎる。
とか考えて
ますます鬱っぽくなる私。
いけませんねこりゃ。
こう年に何回も風邪引くようになると
どっか悪いんじゃないかと思ってしまう今日この頃。
体力落ちてるんだね・・・
GW前から引き始めてるから、治りかけがぶり返したのかも。
スケジュール一週間びっしりで、全部参加しようと思ったけど
ついに昨日はギブして仕事行かずに寝てました。
時間を勘違いしていたので、起きても打ち合わせに間に合わなかった
っていうのもあるけど
実習が始まるんですよ
もうすぐ
でも、本心は実習なんかやりたくないと思っている
それは 私が今現役そこそこの学生だったらともかく
もう付いていくことに疲れちゃってるので
周りにどれだけ我慢できるかが自分でも疑問なわけで
教官の先生方はみんな
そういう人はほっといたらええねん
っていうけど
立場が違えばそれも出来ると思うけど
同じカテゴリーに属しちゃってるから
ほっておくにも限界があるんだよねえ・・・
自分だけほっといた所で
教官には同じカテゴリーで見られちゃうし。
難しいねえ。
これでももっとそれなりに覇気のある大学ならともかく
学生の大半が
「どこにも入る大学ないからここー」
「親に行けって言われた」
とか
「薬剤師になるなんて思ったことも無かったけど、受けたら受かったから来た」
とか
そんなんばっかり。多分、他の薬学部と人種が違うんだよね
もともと薬学自体に興味ある人で、薬剤師目指してた人
なんてホントに一握りなんですよ
薬剤師目指してないけど、
家が薬局経営してるから跡継ぎのために入学した人も
結構いるけど
でもそれなりにみんな、誰かかしら薬剤師ライセンスとってくれることを
望んでるわけよね。手に職じゃないけど。
私の場合、誰も薬剤師になることを望んでないんだよなあ
いろんな人に
「薬学部に前から入りたかったの?」って聞かれるたびに
言い訳するのも 疲れてきたし
これでもう5年くらい若かったら
一度薬剤師になってから もう一度
その次目指すっていうのも 十分ありだと思うんだけど
この間所長のところで冷静に二人で計算したら
それには余りにも時間が遠すぎて二人して落胆。
薬学に何の魅力も感じてないっていうのが
今の自分に一番の問題なんだろうなあ。
薬剤師になって喜ぶ人が誰もいないっていうのも
問題なんだよなあ
せめて誰かに
「薬剤師になって欲しい」って言われたい・・・
風邪の日はどうも心が弱くなってダメですね
来週は久しぶりに北先生と、私の後輩(に当たる人)と会ってきます
何か少しでも 新しいことを吸収したいなあ
そんな感じです
あー。
シラガ先生と食事会。
シラガ先生、2本足が食べられないのに焼き鳥やっていうチョイスで
ごめんね・・・
シラガ先生と師匠は楽しそうに2時間ほど語り合ってました。
私はその脇で まあ、添え物程度に参加してました。
あんなに楽しそうな師匠を久しぶりに見たなー
師匠が科学者だったことを、改めて認識したと言う感じです。
ここ最近
私のマスター・オブ・サイエンスは
俗世間に流されちゃったのか もともとそういう性格なのか
なんだか詰まんないサイエンティストになってしまっていて
この間なんか講義中に
「みんなの悩みは自然に比べたらちっぽけなもんだ!
悩んでる人もいるだろうけど、旅行にでも出て、気分転換しよう!」
・・・・。
おいっ。
たまたま私が死んでないだけで
これ、究極に悩んでいる若い子とかに
このアドバイスや返しだったら
ホントに死んじゃいますって。
悩みなんて何かや誰かと比較するものではないのに
それを「どうせみんなの悩みなんてちっぽけなもん」なんて
一蹴しちゃった時には
心がポキって折れちゃいますよ。
悩みを何かと比較していいのは本人だけだっつうの。
つくづく科学者として尊敬できるけど人間としてはダメだ。
(ん・・・?デジャヴだ・・・そんな科学者前もいた)
でも確かに
周りの学生のお悩みは
私から見ても小さいと思うこともある。
それは自分の経験と比較しているからだ。
でも、その基準でその学生達に「小さい悩みだよ」
なんて決して言わない。
だって本人にとってはそれで一杯一杯かもしれないから。
たとえ
「うちは貧乏だから」といいつつ
娘一人ここで暮らさせるには心配だ!と
家族で高級住宅地に一戸建て(しかも車庫2台分つき)を
買っちゃってお引越ししたり
「私は自分のお金で大学通うの」といいつつ
実は社長の娘で実家暮らしで、学費は彼氏持ちだったりとか
それで
「お金ない~」といいつつランチで1300円使ってたりとか
そういうことばっかりだったとしても
私は我慢しますよ。
住む世界とか
もともとの価値観やお金の基準値が全く違ってるので
お金がナイナイ言ってても私の基準とは違うのですよ。
(仕送り30万で「足りない!」って言ってるような人もいるので)
悩みもおんなじ。
基準値がもともと違うわけですよ。
それを急に
「皆の悩みはちっぽけ」
とか一括りにしちゃったらねえ。
私なんかどーすんだよ
20過ぎてから親からお金もらったことないっつうの。
入学金を一度頼んでみたものの、あっさり断られたから
やっぱりこの人たちにお金を頼ってはいけないのだと
改めて思ったくらいだし。
後にも先にも、今の大学の入学金の時だけだなあ、親に
お金の相談したの。
一人暮らしで生活費も学費もローンを駆使してやりくり
職環境は普通より恵まれてるのが何よりの救いです
だけど困り方が普通の学生より段違いな気がする
それなのに一緒にされた腹立たしさっていうのが
私の中であるので(性格悪いから?心が狭いから?)
でてきちゃうわけ。
イガイガ。
いがぐりあったら投げつけたい。
そんな気分。
相変わらずある人の記憶が急に頭を支配して
この記憶の奴隷から逃れるには
○○しかないのかな・・・・とか
思いつめる日々です。
そんな感じのここ数日。
ここ最近
夜はキャンドルともして寝ています
もともとキャンドルが好きだったけれど
忘れっぽい私は火事を起こしそうだったので
なかなか夜 たくさんのキャンドルを灯していることが
出来なかったのですが
ある人から、ろう(wax)でできていて、芯だけが
LEDというキャンドルを頂いて
それから毎晩、灯しています
本物の炎のようにゆらぐので
見た目は本物のキャンドルそっくりです。
キャンドルの光は1/fゆらぎを持っているので
波だった心がすぅっと落ち着いていくのですが
夜、暗い中でキャンドルを一つだけ灯していると
意識の集中(狭窄)がおき、解離を誘発したり、揺らめく炎と同調して
ますます不安が増長されたりする危険性が出てきますので
キャンドルライトを灯すときには、必ずキャンドルは複数にするのが
良いと思います。
私の部屋は今2個のLEDキャンドルがありますが
今後もう少し増やして行こうかなと思っています。
私の場合
一日の大半が大学もしくはクリニックなので
結構精神的に消耗が激しいみたいです
(自分で言うなって感じですが。)
昨日うちの室長に
「もとさんの場合、睡眠時間6時間って言っても、
他の18時間フル稼働で睡眠6時間でしょ」
と言われてしまった。
・・・・・。
いいところ突いてる。
家に帰ってきてからも
人工的な明かりで過ごしているので
もう少し上手に自宅でリラックスしないといけないなあと
ここ最近 いっぱいいっぱいなので
つくづく思ってしまいました
ふと 来週のスケジュール見たら
月曜日から土曜日まで毎日
大学終わった後にスケジュールが
びっちり!
大学のない土曜日まで
既にスケジュール埋まり済み。
がんばれ自分。
大学にいるための存在の在り処がわからなくなって
鈴先生のところに行ってみました
(二日酔いのところごめんね)
泣くつもりは無かったのに
鈴先生の顔みて一言二言、口をついて出たら
あとはぶわーっとぽろぽろ。
泣くつもりは無かったのよ。(ホント)
でもいっぱいいっぱいだったんだよね
自分の中で
やっぱりここにいる自分の居所を
どこに置いていいかが判らなくなってしまった。
迷子の迷子。
もう自分がどの山にいるかさえ判らなくなりそう。
そんな気分だったのよ。
「自分でも答えがわかっているけど
判っているから余計辛いんだろなあ」っていう言葉に
まさに急所を突かれた気がして
ますます泣けてきた。
自分の中での「正しい答え」は導き出せているのに
それに「?」をつける自分も確かにいる。
そしてその「?」を理論的に説得できる自分もいる。
でも、そのおかげで自分の中でさえ逃げ場が無かった。
鈴先生のところをおいとまして(二日酔いひどそうだったので)
所長の顔でも見ようかなあと思っていたところ
所長の顔みてまた大泣き(笑)
ごめんね、所長。
ありがとね。
所長の考えは
きっとスタンダードではないし
教官としてのアドバイスでは絶対にないことだと
判ったけど
それが自分の中での本当の希望だと判っている
精神論でも なんでもなく
それは本当に私の思う そのものだった。