豊橋
昨日は雨でさんざんでしたが、今日はいい天気です。
ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
川田さんの担当をしたというカウンセラーさんですが
もしかしたら、本当はカウンセラーじゃないかもしれないですね
カウンセラーは国家資格ではない(臨床心理士も)のは
医師の下で法的に責任をもった職務を負いたくないから
国家資格化の時に協会が反対したんだった
この方はあまりにもカウンセラーとしては失言が多すぎるので
本当にカウンセリングを学び、精神医学を学んだカウンセラーでは
ないのだろうと思います
そういう
「カウンセラーってただ話きいてれば出来る」
とか
「自分が人生で鬱になった経験があるからこそ相手の気持ちがわかる」
(からカウンセラーになった、カウンセラーをやる)
とか
そういうのって大間違いだと思うんですよ
私はカウンセリングではなく分析屋なのですが
経験があるのと共感できるのは全く別の問題だと思うのです
何かの経験に基づく人間の気持ちは
誰一人として同じものはないと思うのです
経験があるからこそ辛い人の気持ちがわかる、とは
カウンセラーの面接でよく聞くし
それを言う人はたいてい私は不採用するのですが
あたかも「あなたの今の気持ち、私も昔感じたわ!」と
無理やり相手の気持ちを自分の経験した時の気持ちと
同化させてしまいがちなんです
でも、人間は10人いれば10通りの微妙に違った気持ちがあるわけで
絶対にクライアントさんは
自分の辛い経験や気持ちが
カウンセラーの経験したそれと同じかどうかなんて判りようがないし
比べてほしくなんて無いと思うんです
そもそも 比べるものでは無いと思います
川田さんのカウンセラーを名乗る方の発言は
あまりにも問題をある一点から逸らそうとしているような
操作がかかっているように思えてなりません。
私の思いすごしならいいのですが
本物のカウンセラーではないことは、確かだと思います。
ここ最近の私の急激な鬱状態への加速の中で
TBSの元アナウンサーの方の訃報が飛び込んできました
色々な意見があるでしょうが
私は「なぜ周囲に相談しなかったんだ」とか
「それ以上に悩んでいる人は一杯いる。その程度で死ぬなんて」
というコメントには
私はどうも首をかしげてしまうのです。
もし鬱病という、病気のせいだったとしたら
今の私がそれにとても近いように
「相談する内容」というのが自分でも見当たらないのです
ただ単に 人と会話をすることによって気分を晴らす
ということは出来たとしても
相談してアドバイスをもらうような悩みが
もともと存在しないのです
見当たらないし あったとしても気が付いてないのです
自分の中で。
鬱がセロトニンの枯渇によって起こる
器質的な病気なのであれば(実際に神経症性抑鬱状態の鬱でなければ)
セロトニンが枯渇することによって
考えが堂々巡りし
気分が優れないのであって
アドバイスを求めて何かが解決したらOKになるとか
そういうことではないと思うのです
だから
「そのぐらいの悩みで死を選ぶなんて世間知らずの弱い人間」
なんて どっかのブログに書いてあったみたいですが
私はこの一言こそ 言語道断だと思うのです
本当の鬱病にだったら。
だって鬱になった原因(反応性のもの)ならばまだしも
積もり積もってある日セロトニンが枯渇した時に
それぐらいの悩みもへったくれも無いわけです
悩んでないの?と言う問いに対して 答えただけで
それが根本の鬱になった原因だとは
私は思えないのです
たまたま口にだした今悩んでいること、がそれなだけで
それが原因で私は死ぬほど悩んでいたり
死を選んだとは 私は思えないのです
あくまで、うつ病だったら、ということですが。
もし 何か原因が特定されることがあったら
それは鬱の自殺ではないと私は思うのです
私の経験上
鬱はどうしてこれほど
静かな死を選ぶのでしょう
それはやはり
アピール性のある死ではなく
内面から沸き起こる 脳が正常な働きを失うことによって起こる
ニュートラルな選択肢へ続く神経が
遮断もしくはそれに近い状況になっているのではないだろうか
原因が特定される悩みで死を選ぶ場合
アピール性がある死が多いような気がします
静かに人生に終止符を打つとき
人は何を考えるのでしょうか
死んだらその先に何があるのでしょうか
私たち生きている人間から見たら
何もなくなってしまいます
何も残りません
だけど
死を選んだ人は解放されたのだと私は思います
自分の意思とは関係なく頭を過ぎる鬱の思考や
原因が特定できず 自分で頑張っても自分ではもはや
どうにも出来ない落ち込み
自分の気持ちしだいでどうにでもなるなんて大きな間違いです
自分の気持ちでセロトニンが大量に出るなら楽なもんです
どうにも出来ないから苦しいのです
ニュートラルな思考回路が遮断されている時
そのときには答えが2つしか思いつくことができません
死ぬか 生きるか
○か ×か
白か黒か
しばらく考えよう という
どちらでもない考えが出来ることは健康なんだと思います
苦しさは誰にも解き放つことは出来ないし
誰かや何かと 比べることなんかできないのです
なんだか鬱日記っぽくなってきましたね・・・
まあ事実なのでいいのですが。
別に自分のために書いてある記録を
誰か楽しみにしている人がいたら読んでくれたら
それはそれで良いわけでありまして。
今日は一限はお休みだったので
まー、ビタ先生に少し相談というか
ただきっと
喋って頭の中を整理したいだけなんでしょうけど
しに行ったのですが
今日はそういえばビタ先生は煙先生の講義を聞きに
行っているので いませんでした。
でばなをくじかれた・・・?
いやいや そうじゃないだろう。
なんだか自分のネガティブな思考がこの抑鬱のせいだと
自分で分かってしまっているので
自分で自分の思考や行動にチェックいれてしまいがち。
職業病だよねえ。、
まあ しばらくこのまま付き合っていくしかありません。
それよりも心配なのが
いろんなことが手に付かなくなってしまったこと。
今までやれていたこと、たとえば本を読むとか、教科書を読むとか。
そういったささいな「集中力が必要」なことが
出来ない自分に気づいているのです。
あー、典型的な抑鬱状態だね、こりゃ。
しかもブログをたどって行ったら、結構前から暗い。
(もともと明るくも、決してありませんが)
3月くらいから既にこのぐるぐる状態ですよね。
春休みあたりから。
でもそのくらいのことは まえからも思っているので
コレといって大きなショックとか出来事とか
思いつかないんですよね
思いつかないのが問題なのかもしれないんだけど
ちょっとしたことが大量に積もり積もった
とも考えられる。
ちょっとしたことのつもりつもりなら
思い当たるふしはあるな・・・
年明け早々過労死するかと思ってましたから。
ビタ先生はなんて言うだろ
聞いてみたい気もするし
言いたいこともあるんだけど
なんとなく 腰が重いんです
鉛が入っているみたいに・・・
しかも再来週からもう実習なの(泣き)
もういやー
さっきふと
竹ちゃんから教えてもらってから
毎週必ずチェック入れてる 星占いの石井NP日記を見たら
こんなことが書いてあったのです(長いので途中略)
「2008年 さそり座の空模様。」
夢を夢のままにしておくことは、どうやら、ムリのようです。
夢を本当に「叶える」ために
貴方は勢いよく動き出します。
すると、夢見ていただけのときにイメージしていた世界とは
全然違った景色が見えてみます。
それに驚いて
不安になったり、先行きが真っ暗に感じられたりするかもしれません。
でも、そこで諦める必要はないのです。
諦めるのは最後でいいはずです。
少しずつ、先に進めばいいのです。
一気に最後まで行き着く必要はないのです。
もし、本当にそれが自分の望みと違っていたなら
新しい道を探すこともできます。
でも、それだって
慌てる必要はないのです。
2008年の蠍座がもし、
何かに不安や焦りを感じるとすれば
それは「やっているからこそ感じる」感覚です。
更に言えば、
2008年の蠍座が一番、
穏やかな風の中にいる、と言ってもイイかもしれません。
2008年の蠍座に吹いている風は全て
何らかの形で、追い風です。
それも、突き飛ばすような無礼な風ではなく、
あたたかく心地よい、
弾むようなリズムを持った楽しい風なのです。
この風を確実に受け取りながら、
貴方は着々と前に進んでいきます。
心に強く願ったことは、
ゆっくりと、でも確実に叶っていきます。
2008年、貴方が何かを願えば
それはかならず、貴方の手で叶えることが可能です。
それがたとえ、
今まで取り組んだことがないことでも、
いえ、取り組んだことがないことであればあるほど、
そのことは実現に向けて
さくさくと先に進むことでしょう。
夢を実現するために
2008年はたくさんのことを学ぶ年です。
コミュニケーションと移動は、
2008年を通しての蠍座のテーマです。
では、何のために語り、何のために聞き、何のために学び、何のために旅するのか。
それは、夢を現実に変えるためです。
信頼できる人たちとのしっかりしたつながりが
少数精鋭
の形でできあがるでしょう。
曖昧な友人関係にしがみついて自分を支えていた人は
もはや、不要な関わりから自由になれます。
「友達」とは
いつも一緒にいるための存在でもなければ、
それがなければ困るというものでもありません。
友達が「いる」ことでプラスになることはあっても、
友達が「いない」ことは、別にマイナスではないのです。
いてくれて助かった!とか、楽しい!ということは当然ありますが、
友達がいないから不幸だとか元気でいられないとか
そういうことは、本来、ないはずなのです。
しっかりと自立して応援しあえる、
大事な友人関係だけが、この時期
貴方の手の中に選別されて残ることでしょう。
時期的なことを少し申しますと、
年の前半、旅行する人が多そうです。
引っ越しの可能性もあるかもしれません。
特に3月から5月上旬は
何らかの形で動きがあるでしょう。
また、この時期から勉強をスタートさせる人もいるでしょう。
あきらめていたことに可能性が出てきたり、
逆に、もっと現実的な方向を選ぶことになる人もいるかもしれません。
たくさん学んだところで、情報が集まり、
自分の夢や将来設計を
客観的に、冷静に見つめられるようになります。
そこで、もう一度スケジュールを立て直すことができるのです。
秋は特に10月、とても忙しく、活気のある時期となりそうです。
年末はたくさんの人と語り合う時間に恵まれるでしょう。
学んだり、人間関係の中から経験をつかみ取ったりする中で
貴方の人に対する理解力は
2008年、飛躍的に伸びます。
この成長分は恋愛にポジティブに作用し、
予想外の結果を引っ張り出してくれるはずです。
2008年は、とても「おもしろい」年になると思います。
夢見たことを叶えていくのは
おもしろくないはずはありません。
でも、夢と現実には多少なりとも
ズレがあります。
このズレを受け止め、さらにズレについて学び、
耳と目を開いてそれを心につなげておくことで
夢でしかなかったことが
ちゃんと貴方の現実として、生まれ変わっていくことになるだろうと思います。
(石井ゆかり 石井NPより一部引用)
そっか。
なんとなく 今の状況がそのものずばりな感じ。
ここ最近
夜はキャンドルともして寝ています
もともとキャンドルが好きだったけれど
忘れっぽい私は火事を起こしそうだったので
なかなか夜 たくさんのキャンドルを灯していることが
出来なかったのですが
ある人から、ろう(wax)でできていて、芯だけが
LEDというキャンドルを頂いて
それから毎晩、灯しています
本物の炎のようにゆらぐので
見た目は本物のキャンドルそっくりです。
キャンドルの光は1/fゆらぎを持っているので
波だった心がすぅっと落ち着いていくのですが
夜、暗い中でキャンドルを一つだけ灯していると
意識の集中(狭窄)がおき、解離を誘発したり、揺らめく炎と同調して
ますます不安が増長されたりする危険性が出てきますので
キャンドルライトを灯すときには、必ずキャンドルは複数にするのが
良いと思います。
私の部屋は今2個のLEDキャンドルがありますが
今後もう少し増やして行こうかなと思っています。
私の場合
一日の大半が大学もしくはクリニックなので
結構精神的に消耗が激しいみたいです
(自分で言うなって感じですが。)
昨日うちの室長に
「もとさんの場合、睡眠時間6時間って言っても、
他の18時間フル稼働で睡眠6時間でしょ」
と言われてしまった。
・・・・・。
いいところ突いてる。
家に帰ってきてからも
人工的な明かりで過ごしているので
もう少し上手に自宅でリラックスしないといけないなあと
ここ最近 いっぱいいっぱいなので
つくづく思ってしまいました
ふと 来週のスケジュール見たら
月曜日から土曜日まで毎日
大学終わった後にスケジュールが
びっちり!
大学のない土曜日まで
既にスケジュール埋まり済み。
がんばれ自分。