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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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今日は土曜日。
私たちの学年だけ、授業がある日。

授業が終わって、バスの時間までのほんのちょっとの間
鈴先生を一目見たくて 4階まで階段を上っていった。

と考えつつ、途中でげほげほぜーはーしながら 
はじっこの研究室へ。
「在室」のところに磁石が置いてあったけど
なぜか心臓がバクバクしてしまい 
どうしても研究室のドアを開けることが
できなかった。

外から、いるかなー、と覗くだけ。
それだけでいいと思ってた。

鈴先生に会うのが怖くなっちゃったんだよね。
この状況が、眼科の先生のときの私に似ていること
自分で気づいているんだ



                           聞いて欲しい。



でも 鈴先生の周りには 私の心が近づけないような
ものすごい緊迫した構造のバリアがある気がして
半径1メートル以内にはいられないようになってしまった。
その構造に 足を踏み込もうとしていた私。
それに気づいて 今度は近寄れなくなった私。

だから、見えるところで一目見るだけでよかった。

なのに今日 ドアの前で立っていたら


ガラガラ~

鈴先生、なんてタイミングで登場するんだ・・・

急なことに驚いて、思わず会釈だけしてその場を足早に立ち去る私。

やっと階段まで来て、てくてく降りたら

な  ん  で   そ   こ  に 鈴  先生  が!!!???


「勉強進んでる?」
「全然」
「寝てるか~?」
「あんまり寝てないです」
「とりあえず 家事はあんまりしなくてもいいよ」
「うーん。先生やってくださいよ~」

「もう帰るの?」

「はい」

「こっちは論文の準備とかで忙しいんよ~」(←コレ。)

「あんまり悩むなよ~」

「はい、ありがとうございました」(私)


満面の笑顔でこっち見られるのが痛い。
まっすぐ見返せないときに、まっすぐな視線は
突き刺さって私にはイタイのです。。。



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今日は久しぶりのお休みです
朝からのんびりしています。

朝家にいると テレビのニュースの精神医学用語が耳につきます
今は1月に起きた 渋谷の妹バラバラ殺人事件と
朝青龍の仮病?病気?(これは昨日書きましたが・・・)

今日は妹バラバラ殺人の被告のお兄さん
「解離性障害」か「回避性人格障害」ではないか・・?みたいな。

どうして日本人は
犯罪者は何らかの精神疾患があるのではないかと
想像してしまうのだろう

今や日本の教育も家庭の環境も変化して
ごく普通の人間が凶悪犯罪とかしてしまう世の中なのです
というより それがすごく悪いこと/してはいけないことであると
そういう意識がそんなに植え付けられてないんですってば。
(ここでいう普通というのは、精神疾患の有無に関わらずという意味です)

精神疾患は隣の別世界ですか?
犯罪は隣の別世界の人間が起こすことでしょうか?

けしてそうではありません。
犯罪と呼ばれるものが 精神疾患のある人によって
「犯罪という認識なく」行われることもあるでしょう

精神鑑定はそういった
「病気によって犯罪ではないという認識で行った行為」を
救うためにあるのです
精神疾患を持っている人間に 犯罪を許すためにあるのではないのです


犯罪のすべてが精神疾患によるものではないのに
全部がそうであってほしい、病気であって欲しいと願っている
それっておかしいでしょう?

今回のこの事件も
やれ解離性障害だ、回避性人格障害だ あーだ こーだ
言うけれど 

別に精神疾患じゃなくたっていいじゃない と 思う・・・

解離性障害の解離は「物忘れでは説明できないほと記憶の欠損がある」
という基準があります
バラバラにした数日後、初日の出に「妹が生きていて、平気な顔して家にいますように」
と願っている被告に、法廷で「覚えていません」といわれたところで

記憶がない=解離 

あまりにも安直すぎて失笑しますよ

日本人は簡単に精神疾患に結び付けすぎる
きちんとした知識も無いから
憶測やありえない病名が飛び交う

そして にわか精神科医や心療内科医というなの「内科医」が登場し
さらにまたおかしな知識を披露し始めることもあるんだよね・・
本気でまともな本物の精神科医も出てきますが
そうそう多くは無いですね

メディアは正しい知識を社会に発信する義務がある
それを怠り やらせや隠しマイク 
そういった「無理やりスクープ作りたい」気持ち
(この流れで行けば、こういう人達も精神疾患にしてしまうのでは・・?)

日本は見直さなければならないと思う
精神科、精神疾患に対して今までしてきた数々の仕打ちを
そしてメディアは
それを反省し 正しい知識をシャワーのように浴びせなければ
イジメも偏見も 無くなるはずは無いのだから

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朝青龍が仮病?抑うつ状態?急性ストレス障害?神経衰弱?

相変わらずだな~、日本の精神医療って、と思わず笑ってしまう。
神経衰弱も抑うつ状態も「病名」じゃないし
だいたい形成外科医なのか指定医(注:精神保健指定医)なのかはっきりしろよ!
と言いたい・・・
というか 指定医なのになんで形成なんだー 何がやりたいんだー!

形成のカウンセリングと、精神科のカウンセリングは全く別物なのに
日本では「カウンセリング」という一種類でまとめられているのも
大きな問題だと思います。

「あなたのご希望はパッチリした二重ですけど、この辺から切開しますと・・」

っていうのも「カウンセリング」 だし

精神科で

「その時あなたはどう感じたの?」
「辛かったね、その時の気持ちはどんな気持ちでしたか」

っていうのも「カウンセリング」

化粧品売り場のカウンターで
「お客様にはこのお色がお似合いだと思います~」

これも「カウンセリング」

要するに日本は英会話だろうが美容整形だろうか化粧品だろうが
本格的な心理カウンセリングだろうがみーんな「カウンセリング」の一言で
片付けてしまっているのです。そしてそれをしている人はみんな
自分を「カウンセラー」と名乗る。
これでいいのか、日本の精神医療は。

最初の「神経衰弱」(いつの時代だよ・・長らく精神科から離れているのがバレバレ)
と診断した医師が「カウンセリングもやってます」と言ったけれど
カウンセリングの内容も意味合いも目的も全然違うものです

日本のカウンセリング文化をそろそろ根本的に見直さなくてはならないと
私は考えています

カウンセラーの応募で、経験あり、というから聞いたら
育毛カウンセラーやってた、という場合があります(ホント)
だけどその経験で、強迫性障害やPTSDのカウンセリングができるであろうか?!
精神分析や認知行動療法やその他の技法を駆使して
医師やコメディカルと連携した、心理的な援助が果たして可能なのか?

きちんとしたカウンセラー自体、日本にはそういないと思います
まずは日本の精神医療の根本を変えなければならないと思うけど
上にいるのは 堅物ばかり
難しいですね だから日本の精神科は遅れているって言われる
そして 医学部の中でも「誰でもなれる科」「手術もないし、ミスで人を殺すことも無い」
と 学生に思われている
レベルが低くなるのも当然な気がします・・・・

だって先輩たちがそうなんだもの。

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今日のお昼休みに、クリニックから一本の電話がかかってきました

「患者さんの○○さん、今日再初診だったんだけどもとさんに挨拶したいからそっちいくよ」


ええー!!

この患者さん、実は2年半前に突然通院をやめて、その後どうしているかなあ、と
思っていたのです。
いろいろあったけど、もどってきたのね

待っていると、ドアを開ける大人びた女の子が

「うわあぁああ!! こんにちは!! 名前は判らなかったけど
顔みてすぐわかったー!!」

と大喜び!

私もそんなに喜んでもらえるなんてうれしいわー

そうね、あなたと初めて会ったのはあなたが15歳のとき。
今から4年前だわ。
その後3年通って2年会わなくても、私もすぐ判ったよー

お帰りなさいが良いのか悪いのか判らないけど
患者さんにとって「忘れられない存在」に なれたらいいなと思います


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今日はのんびりしています。
授業が午後からなので、これからちょっとだけ職場に顔を出してから
行ってきます。

最近、授業で「抑うつ状態が続いてうつ病になったり」という発言を
どうしても納得できず
担当教官に訂正をお願いしたところ、次の授業の時にちゃんと訂正してくれました
若者は知らないことを言われたら
それがたとえ間違いだったとしても それが正しいとインプットされてしまうからね
人間の最初の記憶、最初の記録というのは 訂正するのが難しいのです
時間がたてばたつほど エラーの訂正は難しくなってくるのです

抑うつ状態はあくまでも「状態」
風邪引いて熱が出たの「熱を出している」状態と一緒です
熱が出ているからと言って、イコール熱病ではないでしょう?
それと一緒です
それくらい、抑うつ状態というのはありふれた症状のひとつです
抑うつ状態が長くて「うつ病」になったというのであれば
それは最初からうつ病だったのです。(初期診断が間違っている)

今の日本は すぐに「うつ病」としすぎているような気がします
そしてうつ病は誰しもが簡単にかかる、ありふれた病気であると。

でもそうではない、と私は思うのです

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新しい私になって―

本日私は 振られました
わかっていました 無理目だと

この歌をテレビのCMで聴いたことがある人も多いと思います
私もその一人です

生きていると 新しい自分になる瞬間というのが
何度も訪れます
というより 新しい私になるということがそもそも??なんですが
今までの自分のやり方を変える、今までガマンしていたことを出す、
何かにチャレンジする・・・

そいういうことも含めて「新しい私になる」ということです

その 新しい自分になれるタイミングは 波のように寄せては 返し
何度も何度も訪れると思うのです

タイミングを逃してしまうと 次の波が来るまでの間
色々なことを考える時間がやってきます
その間をどう過ごして 次の波を待つかが
その人その人の個性だと思うのです

今 逃したとしても
次は必ず訪れます
チャンスを待つのです 焦らずに

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心の闇、とは最近のニュースの中で
まるで流行語のように繰り返されているけれど
心の中にある 闇とは一体何なんだろう
何をもって、そして何を指しているのであろう

こころの闇と呼ばれるもの―

私は心に闇は存在しないような気がしています
もし、誰かがそれを闇と呼ぶのであれば
それはただ単に

光を届けていないだけではないのか

光を照らしていないだけの場所ではないのだろうか

光が決して届かない場所なんかではなく
今まで私たちが目を逸らし続け
光など当ててこなかっただけではないのか

それを今更
気がついたかのように 心の闇だとかなんだというのは
私は人間のエゴのような気がして ならないのです

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贅沢なことば

贅沢な 時間

浪費されることば

消費されるこころ


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存在をめぐるまなざし というブログをエキサイトで書いていましたが
いろいろと攻撃に遭いまして こちらで新たにスタートすることとしました。

実は名越先生に

「天才的な人間の発想や欲求を ちゃんとこの世におろしてくる人は稀です
状況や時代や周りの人間との摩擦や乖離に屈服してしまうんですね
そしてその80パーセントは自己愛でしょうね たぶん
そして20パーセントはこれは逆に信念とか正義でしょうね
そしてそのどちらが自分をあきらめさせるのかは 本当に考えどころですね・・・」

とコメントされたのです。

私は天才でも何でもありませんが・・・

でも 屈服はしませんよ

私は 私で 力強く 私の思いを 綴りたいのです。

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