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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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ここ最近の私の急激な鬱状態への加速の中で
TBSの元アナウンサーの方の訃報が飛び込んできました
色々な意見があるでしょうが
私は「なぜ周囲に相談しなかったんだ」とか
「それ以上に悩んでいる人は一杯いる。その程度で死ぬなんて」
というコメントには
私はどうも首をかしげてしまうのです。

もし鬱病という、病気のせいだったとしたら
今の私がそれにとても近いように
「相談する内容」というのが自分でも見当たらないのです
ただ単に 人と会話をすることによって気分を晴らす
ということは出来たとしても
相談してアドバイスをもらうような悩みが
もともと存在しないのです
見当たらないし あったとしても気が付いてないのです
自分の中で。

鬱がセロトニンの枯渇によって起こる
器質的な病気なのであれば(実際に神経症性抑鬱状態の鬱でなければ)
セロトニンが枯渇することによって
考えが堂々巡りし
気分が優れないのであって
アドバイスを求めて何かが解決したらOKになるとか
そういうことではないと思うのです
だから

「そのぐらいの悩みで死を選ぶなんて世間知らずの弱い人間」

なんて どっかのブログに書いてあったみたいですが
私はこの一言こそ 言語道断だと思うのです
本当の鬱病にだったら。
だって鬱になった原因(反応性のもの)ならばまだしも
積もり積もってある日セロトニンが枯渇した時に
それぐらいの悩みもへったくれも無いわけです
悩んでないの?と言う問いに対して 答えただけで
それが根本の鬱になった原因だとは
私は思えないのです
たまたま口にだした今悩んでいること、がそれなだけで
それが原因で私は死ぬほど悩んでいたり
死を選んだとは 私は思えないのです
あくまで、うつ病だったら、ということですが。

もし 何か原因が特定されることがあったら
それは鬱の自殺ではないと私は思うのです

私の経験上
鬱はどうしてこれほど
静かな死を選ぶのでしょう
それはやはり
アピール性のある死ではなく
内面から沸き起こる 脳が正常な働きを失うことによって起こる
ニュートラルな選択肢へ続く神経が
遮断もしくはそれに近い状況になっているのではないだろうか

原因が特定される悩みで死を選ぶ場合
アピール性がある死が多いような気がします

静かに人生に終止符を打つとき
人は何を考えるのでしょうか
死んだらその先に何があるのでしょうか
私たち生きている人間から見たら
何もなくなってしまいます
何も残りません

だけど
死を選んだ人は解放されたのだと私は思います
自分の意思とは関係なく頭を過ぎる鬱の思考や
原因が特定できず 自分で頑張っても自分ではもはや
どうにも出来ない落ち込み
自分の気持ちしだいでどうにでもなるなんて大きな間違いです
自分の気持ちでセロトニンが大量に出るなら楽なもんです
どうにも出来ないから苦しいのです

ニュートラルな思考回路が遮断されている時
そのときには答えが2つしか思いつくことができません
死ぬか 生きるか
○か ×か
白か黒か

しばらく考えよう という 
どちらでもない考えが出来ることは健康なんだと思います

苦しさは誰にも解き放つことは出来ないし
誰かや何かと 比べることなんかできないのです

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歩くときは
ただ一心に 歩くように

ひたすら よく歩いたと得心のゆくまで 

(フレイジャー)

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ここ最近
夜はキャンドルともして寝ています
もともとキャンドルが好きだったけれど
忘れっぽい私は火事を起こしそうだったので
なかなか夜 たくさんのキャンドルを灯していることが
出来なかったのですが

ある人から、ろう(wax)でできていて、芯だけが
LEDというキャンドルを頂いて
それから毎晩、灯しています

本物の炎のようにゆらぐので
見た目は本物のキャンドルそっくりです。

キャンドルの光は1/fゆらぎを持っているので
波だった心がすぅっと落ち着いていくのですが
夜、暗い中でキャンドルを一つだけ灯していると
意識の集中(狭窄)がおき、解離を誘発したり、揺らめく炎と同調して
ますます不安が増長されたりする危険性が出てきますので
キャンドルライトを灯すときには、必ずキャンドルは複数にするのが
良いと思います。

私の部屋は今2個のLEDキャンドルがありますが
今後もう少し増やして行こうかなと思っています。
私の場合
一日の大半が大学もしくはクリニックなので
結構精神的に消耗が激しいみたいです
(自分で言うなって感じですが。)

昨日うちの室長に
「もとさんの場合、睡眠時間6時間って言っても、
  他の18時間フル稼働で睡眠6時間でしょ」

と言われてしまった。
・・・・・。
いいところ突いてる。

家に帰ってきてからも
人工的な明かりで過ごしているので
もう少し上手に自宅でリラックスしないといけないなあと
ここ最近 いっぱいいっぱいなので
つくづく思ってしまいました

ふと 来週のスケジュール見たら
月曜日から土曜日まで毎日
大学終わった後にスケジュールが
びっちり!
大学のない土曜日まで
既にスケジュール埋まり済み。

がんばれ自分。




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昨日はなんだかやっぱり
大学にいるための存在の在り処がわからなくなって
鈴先生のところに行ってみました
(二日酔いのところごめんね)

泣くつもりは無かったのに
鈴先生の顔みて一言二言、口をついて出たら
あとはぶわーっとぽろぽろ。
泣くつもりは無かったのよ。(ホント)
でもいっぱいいっぱいだったんだよね
自分の中で
やっぱりここにいる自分の居所を
どこに置いていいかが判らなくなってしまった。
迷子の迷子。
もう自分がどの山にいるかさえ判らなくなりそう。
そんな気分だったのよ。

「自分でも答えがわかっているけど
判っているから余計辛いんだろなあ」っていう言葉に
まさに急所を突かれた気がして
ますます泣けてきた。

自分の中での「正しい答え」は導き出せているのに
それに「?」をつける自分も確かにいる。
そしてその「?」を理論的に説得できる自分もいる。

でも、そのおかげで自分の中でさえ逃げ場が無かった。
鈴先生のところをおいとまして(二日酔いひどそうだったので)
所長の顔でも見ようかなあと思っていたところ
所長の顔みてまた大泣き(笑)

ごめんね、所長。
ありがとね。

所長の考えは
きっとスタンダードではないし
教官としてのアドバイスでは絶対にないことだと
判ったけど

それが自分の中での本当の希望だと判っている
精神論でも なんでもなく
それは本当に私の思う そのものだった。

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昨日はさそり座で100%の満月だった。

占星術をしている友人から
何かの想いが復活するようなことを
示唆されたのだけど
まさかこの想いが復活するなんて…

夢は私をけして振り払った訳ではなく

私がまだそこに到達していないだけだ。
きっといつだって同じ場所にいて
おいでおいでと手招きしているのだ。 

ずっと前にコイケが当時付き合っていた彼女に

「あなたはまだ私と同じ位置に来ていない。

早く私と同じ位置に来て。」

と言われていた事を思い出した。

当時の私はその言葉を
ただの傲慢にしか感じなかったが
今の私なら、それは彼女の病理なんだと思う。
私は本当のことが知りたかった。
ずっとずっと昔から。
夢が私にいつも
「早くこの位置まで来て。」と
言っているように思う。

振り返ればいつもそこにいる夢。
私がどんなに遠く離れていこうと
振り返ればそこにある。
遠くかすんでそれが時々見えなくなる。

私の腕が
もっと伸ばせて
それがつかみ取れればいいのに。

私が今出来ることって何だろう? 

誰の手を紡いで
私はここから飛び立っていくんだろう。

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今日は満月ですね
天気も良くなって来たので、お月さまを見るのが楽しみです

今日はタイに行った友達と、行かなかった友達とタイ料理を
食べにこれから渋谷へ行ってきます。

今週は食べる会が多かったなあ~
水曜日にはお世話に担ってるMRさん主催でうかい亭で食事。
いろいろと大学のことも聞かれたし、聞かれてもいないのに
言ったり お酒飲みすぎです
そして料理がとってもおいしかった! 年に1回あるかないかの
うかい亭の時間でした・・・

翌日は大学の隣の学科で、働きながら学生をしている人たちと
親睦会をしました
年齢が年齢なので、目立っていたので
前々からお近づきになりたいと思っていたんだよ~!
とても有意義で楽しかったです

基本的に
親のお金で大学に行きながら適当に遊んで
適当にお小遣い稼ぎをしている学友よりも
苦労人の学友のほうがためになるような気がしていたので
知り合いになれて、苦労話を共有出来て
新しい世界が広がった気がします
うれしかった☆

そうそう
おととい鈴先生が手を振っていた
ばいばいって
でもその手を振ったのは
私に向けてと勝手に勘違いしていたけど
実はそうじゃなくて
つくづく私はあほだと思った・・・

そんなこんなで満月から
また一週間が始まります

ああ・・・

大学ってしんどいねー

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タイから帰ってきて
あっという間に激務の日々に逆戻りして
あっという間に3月も終わりになりました。
職場でもスタッフの入れ替わりがあり
2年間勤めた室長を(ようやく?)退任することが決まりました
室長がいなくなり、適任者がいなくなったため
しょうがないから室長になってしまったような2年前。
室長しながら予備校生もやったし、受験もして大学生もやりました。

ここにきて、私が今年度から始まる大学での実習のために
私の仕事をどんどん分担することにしたのです
さみしいような、ほっとしたような。。。
複雑な胸中です。
私がいなくても大丈夫な職場が出来上がるのだから。
ということは
私が今度戻る頃には、違うポジションとして戻るしか
場所がないってことなんだよね

私がいなくても大丈夫な人材を雇ったから
考え方を変えて

「自分が前線にでて働かなくても収入が入る」と

喜んでいればいいか(笑)

後期試験の成績が帰ってきました
さすがにやらなかっただけで「うげ・・・」って感じの成績です。
ちょこちょこと良い点数はあったけど
思っていたより全然点が取れてないのにびっくり。
試験終わった後に、あれだけ見直して、「こりゃ満点いくな」とか
思うような試験でも点数見たら「あれ!?」みたいな・・

圧倒的に勉強時間がなかったので
もうこれが実力だと思って仕方ないかな
唯一有機化学だけが自分で納得いかないけど・・・
えーん。

一年間大学に通って勉強をしたけれど
やっぱりもともとこの大学に入って
この勉強をしたい、資格を取りたいと思っている人が
最後には強いんだろうな
私はただの負けず嫌いで勉強しているだけで
最終目標としてその資格を使う「師」になりたいか?って言われたら
きっとぶんぶん首を横に振るだろうからね

この資格を取って仕事したいから
って思っている人
もともとこの職業を夢見てた人なら
勉強も楽しいだろうけど
私は 学ぶこと自体は楽しいけれど
その先の目標が 無いことに気づいた。

だけどもう職場(仕事)は私の代わりとなる人がいて
戻ることができないし でももし
ここで戻ったらもう 自分が許せなくなると思うのよね・・・

ここにいる目標をすっかりこの春で見失った気がする。
一年間という区切りが終わって
「進級を許可する」って通知とともに 成績表が届いて
職場が着々と「私なしの職場」になっていき
そのために私は毎晩遅くまで引き継ぎをしていて

何やってるんだろーなー、私。

迷子になってる・・・?

ガイダンスまで大学に行けそうにないわ。
迷子なのに。

というか
大学での私はたくさんの中の一人でしかないから
当然必要とされている人材ではないわけで(当たり前)
私がいなくなったところでどうだ、って気もするからなあ。
学校の収入がなくなるだけで
大学にデメリットはないんだよなあ。
学生なんて 砂粒みたいなもんで
そんな砂粒の たった一粒でしかないんだもんね。
存在意義を見出そうとするところからして
間違ってるのかもしれない。

けして特別でも何でもない存在で
消えても消えなくてもわからない存在。



私は春が一番嫌いだ。

春は暖かくて優しくて光輝いているように見えるけど
本当はその裏で 大きな変化が渦巻く時期で
その変化が大きなうねりとなって 
心を大きく揺さぶる季節なんです
いつもこの時期になると迷う。

このまま私は ここにいていいのだろうか


私は ここにいるべき人なんだろうか

迷いに迷う。

立ち止っていることに不安で

自分自身が存在する場所に 

私は明確な自信をもって

目標を立てることが できないでいる。

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今日は勉強会。
私の発表です。
しかも20人以上くるようで。

・・・・・・・・・。

いつもより多い・・・

普段は精神医療に関する話題で発表(講演)するのだけど
(そういう集まりなので)
今回の私の講演の内容は薬用植物入門編。
それにこんなに食いつくとは。。。

みんな実はもう引きこもりとかの発表に飽きてたのね(笑)

いよいよこの勉強会が終わったら
金曜早朝にはタイに向けて出発します
18日の早朝日本に戻ってくる予定です
ブログ更新できたらしますので
写真は沢山とってこようと思います。
カメラ、買ったし。

タイ行きの準備をしているときに
iPODを準備していたら
エンヤの「book of days」が聞きたくなってCDをさがしてみたら
なぜか部屋にエンヤのCDだけがごっそり無い。

あれー、誰かに貸したかなあ
貸したとしたらこの部屋に来たのってUTOさんしか
いないのだけど。
こんだけごっそり無いってことは、たぶん貸して
忘れてるんだろうなあ・・・
(貸してたとすればだけど)

book of days はエンヤの中でも特に好きな曲で
最初の学生のころ この曲を初めて聞いて
なんて心を揺さぶるメロディだろうと思って
楽しい時も 悲しい時も
よく聞いていました

私にエンヤをくれた人がこう言っていました

「悲しい時は 悲しい歌に

うれしい時は うれしい歌に 聞こえてくるよ」

本当にそうだと思った

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最近疲れてるみたいです
なんでかなー。
毎日毎日、寝ても寝ても寝足りない。
朝はいつまでも布団に食べられていたいよー!
そんな感じです。

福岡の学会で休みが一日なくなっちゃったけど
学会は私にとって色んな発見をくれました。
だけどそこで質問者として マイクの前に出て行ったとき
自分の所属を言った途端 「しまった!」とか
思ってしまいました・・・

学生が自分の所の大学を堂々と名乗れないって
こんなに悲しいことないと思う
なんでそんなことに「うっ」とかならないといけないのか・・・

でもきっと
それはこの先自分が変えていけることだと思ったのです
今は評判の悪い大学だとしても
今いる人間の努力でこの先未来がいかようにでもあるような
そんな気持ちになりました
ビタ先生が「俺がこの大学を変えてやる!」って言っていたのが
頭の中を過ぎる・・・

そうだよ
今いる自分たちだけが未来を変えていけるんだ
鈴先生やビタ先生みたいな若手の研究者が
この先の業績を作る人材であると思う
未来を作っていけるのは、今ここにいる自分たちだけなんだと
そう実感した学会でした(学会の趣旨とは離れてるんだけど)

発表するたびになぜか気まずい雰囲気が漂うってどういうことだ・・?
気にしすぎ?

私もそれに参加したいけど
できるかな

夢も見ないような忙しさ。

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昨日は今テスト期間最大のヤマ場でした
気合十分で行った成果
「おっ!問題が解ける!さらさら~」
なんて余裕綽綽でといてましたが
後から見直したらものすごい数のああ、勘違い。

「問題の意味が分からなくて手も足も出なかった」

というものが無かった(解けたかどうかは別として)
というのが慰め、というか進歩の証だと自分に言い聞かせて
まあ なんて私はおっちょこちょいな人間かと
ショックをとおりすぎてあきれてしまいました

今まで解けなかった問題が解き方が解って解けるようになった
それを実感して達成感満々です

・・・・合っているかどうかは別として。

ビタ先生や鈴先生に会ったら
色んなことを相談したいと思っていたのに
いざ 会ったら
そんなことがとても小さなことに思えてしまい
結局話すことはしませんでした。
私の悩みはとても小さいことなのだろうと思う
でも その小さなことが
ある瞬間はとてつもなく大きくて
目の前の道を塞ぐほどの存在感に思えてしまうことが
時々あるのです

目の前で笑っている人を見ていると
なんとなく 幸せな気分になって
自分の悩んでいたことが
ふと どうでも良くなるような
そんな気分になりました

今日はバレンタインですね
チョコレートは日本だけの面白い習慣ですが
もし お世話になっている人や
愛すべき人にありがとうを言う日であるなら
このブログを読んでくださっている皆様
そして
読んでいないだろうけれども
大学にいる私を支えてくださる教官の皆様
鈴先生 ビタ先生 煙先生
そして所長も(昨日試験前に嬉しい遭遇があったのです)

みんなみんな 

ありがとう。

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どこにいたらいいのか判らなくなってしまった。

アンフェアだ。

気分転換に髪を切って見た。

元の自分に逆戻り。

私の居場所が無くなっちゃった。

籠の中の鳥でしかない

あの青い森を飛び出したから?

ビタ先生

この世界はアンフェアだよ。

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私の一番嫌なこと。
それは

「私はこの人よりずっと年上だし、何でも知っている。だから言うことを聞け」

というような顔をされて、行動されることだ。

それはなんにつけてもそう。
負けず嫌いなのかな?それとも、自分の本質を見ずに
軽んじられるのが嫌なのかもしれない。
何も知らない子供扱いされるのがとても嫌なのは
思春期以前からだったと思う。

昨日煙研でお客さんが来ていて
テーブルの周りに人が集まっていたのです
その日、お昼ごはんがちゃんと食べられなかったのもあって
テーブルの上に何かお菓子ないかな?と思いテーブルに近づいて行ったら
そこにいる一人が

「そこ、座らない。(ダメ、ダメ、という顔をしながら)

今お客さん来てるから。(分かるでしょ?)」

と、私に言ったのです。

一瞬

「ええ!?」 
頭の中で処理するのに数秒かかった。

座るつもりなんて全然無かったのに
そんなこと思ってもいなかったのに
いかにも私が「座ろうとしているんだろう」と勝手に解釈して
それに対して子供をあやすように注意してくるっていうのは
どういうことなんだろう?

どうして一部の人間は

勝手に人の行動を予測して

しようとしてもいない人に対して

「こいつはやるつもりだ」と根拠無く確信し 

ぴしゃり、と注意して

「してやったり」みたいな顔をするんだろう。


そういうことをするのもされるのも
私は一番好きじゃない。
一番腹が立つ。

ビタ先生にそんなメールをしたところで
反応があるわけでもなく(前は多分あったけど)
ここにはもう いられないのかもしれないな。


居場所が無くなっちゃった。


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あと一週間で後期試験。
今回はほとんど勉強してない。
なんでだろう?前期で燃え尽きたのかも知れない・・・

さてさて
久しぶりに夢を見ました。
鈴先生と所長が登場する夢。

学会か何かがあって、鈴先生と所長が発表していて、それを聞きに
行っているようなシチュエーションで、私がその場にいるのは鈴先生は
気づいているけど、所長は気づいてない(というか例のごとく所長から逃げる私)

発表が終わって、こっそりと帰ろうと思った私は
いつも所長が「裏道」と称して通る民家の間の細い道を通って
帰ろうと思ったら・・・・
なんと山を抜けて大きな国道へ。

しかも、看板みたら「伊豆」って書いてあるじゃないの。

しまった~。
どうしよう・・
歩いて帰れないなあ・・

と、思っていると鈴先生が登場して

「こっちだよ」 と 手を取ってくれたのです。
手を取ってくれた、っていうのは語弊があるな。私が引き返す道
を案内されている途中、色んな道端のものに興味をそそられて
迷子になりそうなので

「こら!手つなぐぞ!」 と厭きれて手を取ってくれた、ということ。
鈴先生の手を取りながら、引き返して歩いていく途中で目が覚めました。

私多分、大学で自分の居場所が分からずに迷子になってるんだろうなあ。
そしてその迷子の自分をもとの場所に戻すのには
鈴先生のようなぶれない人間が必要なんだろうなあと。
ぶれない人間の傍に行くと、自分がどれだけぶれていたかが分かる。
それが分かると、ぶれ幅を修正して、元に戻ることが出来る。

私にとってその存在は 所長でもビタミン先生でも煙先生でもなく
それは鈴先生だったんだ。
それは恋でも愛でも尊敬でもなく ものさしのようなものだと思う。

そんな夢を見た次の日
偶然にも職場でクライアントさんの見た夢についての解釈を求められました。
歯が抜ける夢をみるそうなんです。
それを聞いて横から別のスタッフが

「歯が抜ける夢って、健康を損なう夢っていいますよね~」
と言う。

私はそういった、「この夢をみたらこの象徴」
みたいな、夢の一元的な解釈は好きじゃない。
だって、その人の現在の生活や過去の背景とか全部無視してるでしょ。
そうじゃなくて
その「歯が抜けること」は本人にとってどういうことなのか
歯が抜けることに近いような体験は無かったのかとか
そういう方向で着目するのが分析屋の夢の解釈なのです。

聞いてみると、歯が抜ける、ではなく
ぐらぐらしているわけでもないけれど、自分で「この歯は多分もうだめだ」と判断して
自分から無理やり抜いてしまう、という夢だそうです
だけどその歯はまだまだ使える歯で、どこも悪くない。
ただ、自分の中で「多分これはダメになる。だめになる前に抜いちまえ」
という心境で抜くんだそうです。

着目すべき点はどこか?

「ダメになっているわけでもないのに、だめになるくらいなら抜ける前に抜いちまえ」

ここです。

それに似たような状況が生活の中でありませんか?
たとえば人間関係。嫌われる前に自分から切っちゃえ、みたいな傾向が
ありませんか?と尋ねると

そうだ、という。

でも、最後に朝起きて「あー、抜けてなくてよかった」って思うそうなので

「その友人関係を切らなくて良かった、って思うこともあるんだよね」って
うまい流れで持っていければ、精神分析なわけです。

 

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きっと忘れているかもしれない
今日はあなたの誕生日
誕生日おめでとう
雪の国の青い森できっと
あなたは風になって
口笛を吹いていることでしょう

このまま会わずにいたら君は
私を忘れてしまうだろうか
いくつもの優しい日々も全て
なくしてしまうだろうか

私が空を飛ばなければ

きっと貴方に追いつけない

いつか同じ空で出会えればいいねと
貴方は私に言ったけど
それには私が
同じ空を飛ばなきゃ
きっと貴方にはもう出会えない

お誕生日おめでとう

happy birthday to koike 

会いたかったな・・・

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今日は明日からビタミン先生が学会に行くというので
ビタミンの構造式のポスターを頂きに行きました。

何度見ても、ビタミンB12は美しいなあ、と思います
うれしくって顔の筋肉がゆるみっぱなしです。
(ビタミン先生を目の前にすると緊張して汗だらだらなのだが。)

帰りのバスまで時間があったので、少しビタミン先生とお話をしました。

ビタミンB12の構造も、合成経路も化学反応もそうだけど
もしかしたら 自然に行われているものが人間が考えるよりも
はるかに高度で、効率的なのではないか
エネルギーロスもないような気がする
そしてそれは高度に効率的だからこそ
美しい姿なのではないかな
いや、逆か
究極的に効率や能率を突き詰めていけば
シンプルで無駄のない
美しい構造を取らざるを得ないのかなあと

そんな話をしていたら

「アメリカでは、そんな風に進化は
何か大きな力(超自然的な)に引き寄せられているという
考え方もあるんだよ。そういう学会とかもあって、そこで今
モトムラがしたような話をしたら、きっと喜ばれるよ」

と言われました。

・・・・。喜んでいいのやら。
まあ、素直に喜んでおこう。楽しかったから。


だけど究極の美しさが天然物であるなら
人間は、科学は何をやっているのだろう
ただ単に 天然物がそれこそ何億年もやり続けていることを
人間の言葉に翻訳したり、何億年遅れで証明したりしている
単にそれだけの事のような気がする

科学は自然を超越できないと思う
ならば科学者たちは何を思っているのだろう
ひたすら証明するために
仮説をたて、証明を繰り返しているその間に

科学は自然にないものを作り出すことは基本的には出来ない
もともとあるものを、単に組み合わせてくっつけているだけ
科学ってなんだろう
何をやってるんだろう

人間は生物界の頂点の頭脳なんて
思い上がっている人たちも居るけれど
私はそうは思えない
だって 人間が解明できないものが
自然の摂理にはあまりにも多すぎやしませんか
その頭脳とやらが
追いつけてないではないか

サイエンスは自然を追いかけるだけ
決して追い越すことも 追いつくこともない
だったら科学者は何をすべきか
もともと自然が作り出したものに
色々なものをくっつけて
美しかったものに 人の手を下す
美しかった構造は人の手によって改変されて
その先を読めない人間たちは
ほんの少しの「美しさの崩壊」が
何をもたらすかの想像さえ出来ない。
科学の弊害が起きるのは
当たり前のことのような 気がします

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