忍者ブログ
ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
[51]  [52]  [53]  [54]  [55]  [56]  [57]  [58]  [59]  [60]  [61
今日朝資源ごみを出しに外に行ったら
あまりにも静かで、車も人も誰も外にいなくて
なんだか都会が廃墟みたいな感じでした。
きっとみんな、どこか遠くへ帰っているのかな。
都会は意外と地方出身の人が多いんですね。
そして実家に帰るということは核家族が多いっていうことです。

そんな静かな都会を、一人で歩いていると
なんだか不思議な気分になります。
あれー どうして私ここにいるんだろう?というような。
核家族という言葉があるのなら
私はたった一人、核だけで歩いているということか。


昨日は職場の大掃除とささやかな打ち上げ。
この一年間、私が大学と仕事の両立ができたのは
この素晴らしい職場のスタッフチームのおかげです。
本当に優秀に育ってくれたと思います。
入職したての頃は、患者さんの症状にビビったり引いたりしていた
彼女たちも、今ではどーんと構えて、ものすごいヒステリー性の疾患の
症状でも「かわいいよね~」なんて言えてしまう。
やっぱり月のべ700人も重症患者を相手にしているとそうなるものです。
いい意味で慣れる。
珍しくも何ともないので、奇異な目で見なくなるんですね。
患者さんの症状の背景や症状の出し方
訴えようとしているものを、医学的に見られるようになり、横のつながりを
考えることができるようになる。
神経症(ヒステリー性疾患)は、ひとりひとりは確かに違うけれど
やっぱり立派な病気なのです。
それはまさに「病気」と呼べるもの。そして患者さんと医師やスタッフの
「患者を含めた治療チーム」によって、治すことができること
それを確信しているのだと思います。

精神疾患のうちヒステリー性のもの(何度も言いますがわーとかキャーと
かいうようなヒステリーではない)は、本人の性格が悪いとか、本人のわがままだとか
そういう偏見がありますが、私は決してそうではないと思うのです。
原始的な症状の出し方しかできないかもしれませんが
そういった症状の出し方をするような背景が、本人の気質以外の要因で
必ずあると思うのです。
そしてこの病気は、本人と周りの努力によって治癒することができる。
不治の病ではないのです。
医師に任せっきりの他科の疾患とは一線を画すのが
私は精神科だと思うのです。

psychoという言葉の語源をご存知でしょうか
プシケーというその言葉は、精神とか蝶とか
そういった意味を持っている言葉です
それが今では、内科的疾患として心療内科という科が発達し
本来の意味を失われてしまった気がします
心の叫びは、体だけの問題ではないのです
薬だけで、治るものではありません
薬だけでは、石のように固まってしまった心を
蝶のように羽ばたかせることはできないのです。

私のいるクリニックは
もう一度本来の精神科に立ち返りたいと思っています
偏見や誤解にまみれた精神科に戻り
本当の意味で蝶のように美しい人間の心に触れたいと思っています
内臓から心の叫びを聞くことはできても
内臓から心の叫びに耳を澄まし
その心を取り上げて蝶として美しく羽ばたかせることはできないと思うのです。
だから私たちのクリニックは来年
心療内科をやめることにしました。
それに付いてきてくれる素晴らしいスタッフや医師に
巡り合えたことに、私はとても感謝しています。

拍手[0回]

PR
年末らしい気候ですね
冬休みも4日が経ちました。
なんだかこののんびりとした空気の流れが
年末らしくていいなあと思います

年末は実家のある(というか住んでいた家自体はもうないが)
実家には今年も帰らずに
ずっとこっちで過ごしています。
年末に実家に帰るという習慣ってどこから来たのだろうと
ふと思う今日この頃です

ニュースを見たら北国は寒波が来ていて
とてもじゃないけど都会の気候に慣れてしまった私には無理で
今年もこっちで年越しです

年を越すって、誕生日の次に不思議な気がします
世界中が新しい年に変わる。
カレンダーも数字も、ありとあらゆる表示も、いろんな事が
「最後」と「最初」に別れてしまう。
ほんとは何にも変わってないのに。


拍手[0回]

年の瀬だというのに時代は猛烈な勢いで動いています
事件も事故も無くなりません。
ニュースに何もない日というのは絶対に無いのです。

タレントの飯島愛さんが自宅で亡くなっていたそうですね。
都会の一人暮らしで、人と人が直接接触することなく
生きていけるから
一人が独りになったからと言って
すぐに気づいてもらえないのだろうと思う。

事実私も感じたことがあります。
私がもし、SAHなどで自宅で倒れていたら
いったい誰が何日後に発見してくれるのだろう、と。
一人が独りになった時に
繋がるツールは携帯電話でもメールでもなく
人と人との心の絆だけだと思う。

「あれ?最近どうしているかな」

そういったふとした心の中に湧き上がる
その人との繋がりを どうか大切にしてほしいと思います。
そうやって思い出すことしか 最後の最後には
役に立たないのですから。
思い出すこともされずにいたら
それこそ数年間失踪していても
亡くなっていても、誰も気づいてくれずに
そのまま何事もなく時代が流れていってしまうのです。
なんとも淋しい世の中ですね・・・

そこに、思い出してくれる人間がいるかいないか。

自分のことを覚えていてくれる人がいること
思い出してくれる人がいるということ
たとえ会えなくても。

それはとても貴重なつながりだと思うのです。
離れていても、つながっていると思える。
そんな見えない糸を、人は絆と呼ぶのでしょうか。

拍手[0回]

昨日で冬休み前の講義が終わり。
クリスマスイブでしたが、大学の先生からはレポートや
実習試験の結果発表というプレゼント。
結果的に全突破していてうれしかったです。(わーい)
勉強した甲斐がありました。

大学が終わった後、映画「Shine a light」を観てきました。
ローリングストーンズのドキュメントみたいなライブムービーなのですが
いやー、やっぱりストーンズはカッコよかった。
頭の中でもやもや考えていたものが、映画を見てる間は吹っ飛んでました。

この時期になるとにわかに私の心が騒がしくなるのです。
それは受験シーズンに入るから。
今年も相も変わらず、後ろの席の方は医学部再受験生たちが
講義そっちのけでひたすら受験勉強です。
私のごく近い友達も、その一人です。
彼女は医学専門予備校で2浪した後、今私のいる大学に来たのですが
また来年受験するというのです。それも金沢医科大学。
彼女は大学ではそれほど成績が良くはありません。
いろんな大事な単位を落としそうになったり落としたりしています。
大学に入ってからが大変な医療系なのですが
入ってから、講義についていけてないように(私には)見えるのです。
生物が得意な彼女なのですが、今回の簡単な免疫学の実習試験も不合格。
私の中で、「医学部を受けるような人間は、こんな試験で不合格にならない」
と思っているのですが・・・

(ここからちょっと性格が悪い子になるかもしれませんので注意。)
自分より明らかに大学生活で勉学についていけてない人が
「やっぱり医学部に行く!」と受験するたびに
私の心の中はチクチクするのです。
だけど私は同じようなことで去年の今頃ちくちくしました。
でもその時、いろんな人に心の内を話して
色んな人の意見を聞いて
結果的に自分で納得した見解があります。
それは

「薬学を途中で投げ出すようなやつは
医学部に行ったって途中で苦しくて投げ出す」
ということ。

どんなに苦しくとも、納得いかなくても
薬学ごときの勉強に付いていけなくて
途中で投げ出して医学部を受験したって
医学部の授業に付いていけないだろう
医学部は少子化もあり、最難関の学部ではもはやない。
だけど大学入って医師になる前の人間としての「根性」の問題だと
師匠の医師が言っていた。

薬学部の勉強ですらあとたった数年の我慢や努力ができないようなやつが
入ってからが死ぬほど大変な医学部の講義に付いていけるわけがないと。
医学部に入学したって、留年するやつ、国試に落ちるやつ、講義についていけずに
単位落とすやつ、大学来なくなるやつ、一杯いる
そういうやつは何が問題なんだ?
単にステータスのある地位が欲しいから医学部目指してるだけだろ。
最初から医師以外考えてないって口では言ってるその友達の女もそうだ。
本当に医師しか考えられなかったわけじゃないだろ。
医学部しか見えてないような人間は、医学部以外受験なんかしてない。
医学部だめな時のために次にステータスのある薬学部受けて、それで
今だにうじうじしてるようなやつは
結局そういうやつなんだよ。
薬学の勉強すら投げ出すようなやつが
これから先に医学部は受かるだろうけど、その後に続かないんだよ。
いいか、受験で燃え尽きちゃダメなんだよ。やっていけないんだよ。
そのあとが問題なんだよ。
と。


私は私で、
医学部に行けずに職場から
「だったら薬学部へいけ」という選択を提示され 
それを享受したため偉そうなことは言える立場ではないけれど
回りの師匠や先生がみんな口々に言うのは
「途中で薬学投げた奴が医学部行ったって駄目だ」ということ。
今では私も、悔しいけどそう思っています。

裕福な家庭に生まれて、学費も生活も受験費用も全部
親におんぶにだっこな彼女は、確かにうらやましいと思う。
日本一学費の高い薬学部から、今度は
日本一学費の高い医学部へ行こうとしている。
そしてもし入学したら、子供のために億単位でもぽんと出せる親って
すごいと思う。
私は独立生計を立てている身なので
そんな甘えたことができないし不可能なのだけど
人のお金を際限なく使えるというのは、こういったことを考えずに
生きていけるということなだろうか。

私は薬学を投げださないと決めたんだ。
時々こうして悔しくて揺らぎそうになるけれど
私のように、心に大きな傷を負ってそれを乗り越え
新しい人生を歩んでいる人間がいるということを
今働いているクリニックで恩返しをしたい。
一人でも多くの、私のような人間に
生きていることが素晴らしいことだと
思える手伝いをできるようになりたいから。
そしてそれで薬の専門知識まであったら、最強でしょ?
給料なんか暮らせる分だけあればいい。
私が医師という立場で、クリニックを通して患者さんに恩返し
クリニックに恩返しができるのならば。

だから今は私は目の前にある薬学を一生懸命やると決めたんです。
薬学を途中で投げ出すような人間は、医学だってきっと投げ出すはずだから。
最後まで投げださずに、目指すは夢のダブルライセンス。

そのころは40過ぎちゃうけど、何とかなるよね。
自分の人生に明かりを灯せるのは
自分以外誰でもないのだから。

拍手[0回]

今年も残りあと10日となりました。
毎年この時期の、総括をしたいと思います。

1、とにかく病気、怪我が多かった。

まずは春休み(2か月程度)あけから何となく気分が優れなくなり、大学2年の幕開けは
ブルーな感じでスタートしました。その後もしばらく復活できず、実習が始まる直前に最高潮。
あんなに実学大好き、実習大好き人間だった(北先生談)はずなのに、毎日毎日実習がいや
で泣いていた(本当)なぜあんなに嫌だったのかは自分でもわかりません・・・
結局内因性の鬱病ということになり、服薬したら2週間程度で改善。
大学で泣いてたのもこの頃。とにかく、一刻も早く大学から脱出したくてたまらない数か月でし
た。

さらに、夏休みに道路の穴に躓いて転倒し、ざっくりと向こう脛を切り骨が出る。
そして整形外科へ行ったら、股関節の周囲の筋力が全く発達していないことが判明し、毎週
リハビリに通うことになりました。これは現在も継続中です。

また、歯の調子も悪く、今までに詰めたインレーが次々と外れ、春休み中ずっと歯医者に
通っていました。インレーって一生ものではないんですね。
それから、顎関節症になり顎が開かなくなること数回。(現在も治療中)

目の病気にもなりました。
コンタクトをしたままうっかり寝てしまい、朝起きたら目に白い斑点。
そう、角膜潰瘍です。一日ほっといたせいでさらに潰瘍が進み、1か月以上コンタクトが出来
ない状況に。その上近視も2段進んで、ついにマイナス4.25になり、買いだめしていたコンタ
クトを返品。

まあ、今年は良く病院に医療費払った年になったと思います。


2、会社の組織体制が変わり、ストレス増大

会社が有限から株式になり、前の職場を追い出された業者さんを社長に据えることに。
理系出身の社長なのですが、金儲けになれば何でもありという方針と、人間性より仕事
能力優先の人事についていけず、会社に顔を出しにくくなりました。
その後私は出向が事実上解除になり、本来のクリニック勤務に。その代りわたしの代理が
クリニックに存在するため給料が半額に(!!)学費の心配も大きくなったの年でもありました。
経費も使いづらくなり、自己出費が増えた代わりに、会社の経営は黒字路線に。
育英会の奨学金を借りていますが、今後卒業までに900万借り、20年かけて利子つきで
1200万を返済することになりました。いーんだか悪いんだか分からない状態です。


3、大学で勉強しなくなった。

原因1のため、大学にいること自体が嫌になり、さっさと帰るようになりました。
ビタ先生のいる煙研が、新入生に占領されたこともありますが、居場所のなさを感じるよう
になり、その上ビタ先生の講義が私には苦痛で、なんだかそばにいるのが居たたまれなく
なり大学からとっとと帰る生活に。
おかげで試験で初めて追試科目が出ました。ただし学年順位はなぜか上がったので、回
りが勉強しなくなったのだと思います。


まあこう挙げていくとあっという間の一年だった割には色々ありましたね・・・
弱っていると昔昔のことを思い出すことも多くなり、ますますブルーになってました。
それに加えて周りののんきな学生に腹が立つようにもなるのです。
理不尽さを感じちゃうんですよね、精神的に落ち気味だと。
だけど周囲の学生とは置かれている立場も状況も違うので、現代の学生達がちゃら
ちゃらするのも仕方がないとも思います。

今年も一年青森に帰らなかったので、かれこれ3年帰ってないことになりますが
故郷は遠くにありて思うもの・・・と勝手に納得しています。
もう私の居場所も多分ないでしょうし。

今年は精神的に不調になった時間が多かった分、鈴先生、北先生、職場の医師にとても
助けられました。特に身近なところでは鈴先生がいつも気にかけてくれてとてもありがたい
一年でした。
北先生とはなかなか会う機会がありませんでしたが、北先生もここ、という時には必ずと
言って良いほど声をかけていただけて、さらに医療と経済の話についても色々と意見を聞
くことができました。北先生と経済の話ができるようになったんだ、と実感。
とても勉強になった部分が大きかったです。

日本では医療崩壊や、精神障害者の犯罪という記事が多かったです。というより、犯罪者
を何とか精神障害者にしたてようという流れが年々顕著になる気がします。それに加え、
やはり精神的に何か障害を被った人間というものが、確実に日本に増えているということ。
詰め込み偏差値教育も、ゆとり教育も、結局根本的なところで人間性を育てることにはな
らなかった。今後この失敗を日本の社会はどう受け止めていくのでしょうか。

失敗してもそれを生かせばいいのですが、生かさなければ本当に無駄な犠牲を払うことに
なるのだと私は思います。

医療崩壊も今年は大きく進みました。しかしこの崩壊は今に始まった事ではなく、改革する
前から予測がついたはず。改革してしまい、失敗が明らかになった今となっては、これをさら
にどう改善していくことに全力を注ぐか。その思いきりだと思います。
失敗したのは確かに悪いいけれど、失敗してから、その失敗を認めなかったり、見て見ぬふ
りをするるのはもっと悪い。こんな大人たちが日本を動かしているうちは、日本の子供の心の
教育とか言ってる状況じゃないですよね。

そして私はこの一年間、髪を伸ばそうと思うとすぐに挫折して髪を切るというような繰り返しで
結局ショートカットな一年間でした。11月だというのに5センチ以上切っちゃいましたし・・・
来年こそは周囲に何と言われようと(!)髪を伸ばそうと思います。

ブログをエキサイトから忍者に移動して2年が過ぎました。
エキサイト時代からずっと読んで下さっている方、そして忍者になってから来て下さった方
本当に私のくだらない日々の戯言を覘いていただいてありがとうございます。
私の大きな支えです。
最近ブログの左側にメッセージ送信機能を付けました。
直接私にメッセージが届きますので、ご意見ご感想ありましたら送っていただけると幸いです。
(ちなみに第一号は北先生でした)

今年も一年、無事に過ごすことができたこと
本当に感謝して終えたいと思います。

拍手[0回]

一昨日は職場の忘年会でした。
久しぶりにスタッフや関連協力会社(製薬メーカーや卸ですが)の方と
お話することができ、ホストとしてとてもいい時間を過ごすことができました。

しかし・・・・・

うちの職場の忘年会は毎年2次会のカラオケがメインで、カラオケボックスで
日頃の製薬会社のMRさん達にストレスを発散してもらおう!というのが
主たるものなので盛り上がりはここなのです。
職場の今までフル参加だった私は、今回ばかりは欠席。
なぜなら、翌日の昨日は物理の試験だったのです。
今期から来たMRさんと結構仲良くしてもらっているので
ぜひ二次回には参加したかったのに
のに。

今回は仕方なく、「微分も積分もできない」状態で試験に臨んだら
確実に落ちるのはわかっていたので、前々から自力で微分積分をとりあえずマスターし
暗記ではなく式を導出できるような状態にして、そのあとの計算問題まで
きちんと解けるようにして試験に臨みたかったのです。
事情を説明して、今回はゴメンナサイさせて家に帰りました。
そして結果は・・・
計算と択一が半分ずつだったのですが、計算のほうはやったかいあって
結構解けて、択一は???な感じでした。
個人的には、講義中に先生が板書している式すら「日本語として読めない」状態
だった一か月前から、自力で計算して正しい答えを導きだせる状態にまでなれたので
この実習試験のおかげでいろんな力がついた、と感じています。

試験はないほうが気楽だけど、こうして試験があるおかげで
自分自身にいろんな事が身についていくような気がします。
微分積分なんて、現役の高校時代ですら解けませんでしたしね。
なぜ当時この程度のことができなかったのか・・・・
今考えると謎です。

たぶん今の私と、高校時代の私では
生活状況はもちろん違いますが、努力の質が違うような気がします。
あの頃は、親にお金を出してもらって高校に通い
努力の程度や質が全然違っていたように思います
そして何よりも勉強以外で大変なことが多すぎました。

今は奨学金を一千万近く借りて
職場からのサポートもあり(試験中に仕事に行かなくていいとか)
自分の稼ぎだけで生活と、学費を賄っています
それは間違いなく自分が自分で頑張らなければ
成り立たないものだと思うのです
努力しないのも、するのも自分次第なのは現役学生と変わりませんが
やらないという選択肢を選んだ後に、私の手に残るものは
大きく変わります。
そんな道に自分が今いることが、とても不思議な気がします。

少しずつ、出来なかったことが出来るようになってきてうれしい。
昔の私では、考えられなかった化学や数学の世界。
だけど、今の私は投げ出したり諦めたりするという選択肢を選ばず
まずはがんばって挑戦するということができるようになっている。

これも、私が大学にいるおかげだと思っています。

今日は今年最後の有機化学。
女神様に微笑んでもらえるように、頑張ります☆

みなさまもよい一日を。

拍手[0回]

最近は冬休みの前の実習試験シーズンです。
中間が一段落して、後期の実習試験の時期なんですね
と言っても3つですけど 試験から離れているとその感覚を
取り戻すのにちょっと苦労します。

そんな中でちょくちょく

「もとさん目標に勉強します!どこ勉強したらいいっすか?」とか
「何出るんですか?」

と、聞いてくる学生がいるんです
そのこと自体は別に何とも思わないのですが
どこが大事なのかと聞いてくるので

「ここは覚えておいたほうがいいね」
「この方法をする理由はなーんだ?」

と、私が問題を出したり、ポイントを言ったりすると
なぜだか聞いてくる学生に限って

「えっ そんなとこ出ないですよ」
「そこは覚えなくていいと思いますけど」

と言ってくるのです。
ある意味どこを覚えたらいいのかこっちが聞きたい状態です。
しかも点数が取れないと困っている学生に限ってそう。
そんな時私の中の大人げない「ブラックもとむら」が心の中では

「・・・・・・・・。そんなこと言ってるからダメなんだよ・・・」

「私より点数を取りたいなら、私が覚えている以上に
覚えなきゃ意味がねーだろっつーの」

などなど
大人気もなく思ったりするのです(苦笑)

それにしても何を根拠に「こんなの出ませんよ~!」
と、言い切れてしまうのだろう。
(私から見たら相当大事なポイントに思えるんですが)
「ここはやんなくていいと思います」とか
判断がつくなら初めから私なんかに聞くなっつうの。

しかもそんな状況で試験が終わった後には

「やられましたよ・・・」 
「出ると思いませんでした」

やられましたよ・・・ じゃないっつうの。
試験始まる前からやられるの分っていながら
戦いに挑んだでしょ。

ほんと試験前になると不思議な人たちです・・・

拍手[0回]

「メンタルクリニックで相談業務をしています」
「カウンセリングルームで働いています」
「精神科で働いています」

そんなことを言うと、あたかもその人が人間的にとてもいい人だとか
精神的に安定している人間で悩んだりうつむいたりしないように
訓練されているというように思う人がいます。
そういう人間であってほしいんですよね。
禁煙外来の先生が、禁煙に成功した人物もしくは
煙草を吸わない人であるのが当然、みたいな。
そういった同一化が行われるわけです。

だけど私はカウンセリングをしているからと言って
患者さんの相談をしているからと言って
けして自分自身には悩みや落ち込みが来ないかというと
そうではありません。
むしろ私の場合、普通の人よりどうでもいいことで悩んでしまうタイプです。
生きてる意味について考えたりしてしまうタイプだし
かつての恋人の思いでがフラッシュバックしてどうしようもできないこともあります。
ただ、違うのは
白衣を着て、相談室に入ったからには
そういった私的な感情や感覚が一気に吹き飛ぶということです。
患者さんが目の前で辛さに耐えきれずに切々と泣こうとも
私はもらい泣きをすることは絶対にありませんし
(最初の頃は泣きそうになってましたけど)
椅子を蹴り倒して暴れようとも
恐怖におののいて相談室の自分の椅子から立ち上がるようなことも
決してありません。
ただ、黙って座って患者さんを観察しているだけです。

人の辛い話を聞いて泣くのは、それはプロではないと思います。
それはただの同情で、そこに冷静で客観的な判断が生まれるはずがないと
私は思うし、師匠からもそう言われてきました。
そこで泣いたら、患者さんと同じになってしまう。
患者さんは患者さんのスタンスで辛いし、なくし、暴れたくなるのです。
その気持ちを理解するのはとても大切ですが
同じになったら医療機関に相談に来た意味が無いのです。
話を聞いて泣くのは家族や友達の役目だと思うのです。

だから私は医療者として泣かないし
暴れている患者が暴れやめるまで基本的には
言葉はかけますが手は出しません。

だから余計に私生活でもしっかりしているような人間だと
思われるのかもしれませんが
仕事でやっているのと、自分のことはまた別の話ですからね

この仕事を始めてからしばらくは
このギャップにとても悩んだのです。
相手を冷静に見て、自分の生活も同じように客観視する。
そうすると、自分の生活に「生活感」という実感が湧かなくなってきたのです。
簡単に言うと人生が醒めてしまったような。
生きることは試練だというのであれば
それは泥臭くて面倒でしんどいはずなのです。
なのにそれが、一遍にブルーなトーンで
何のアップダウンもない代わりに心揺さぶられることもない
そんな毎日になりつつあって違和感があったのです。

そんな時、名越先生がこんなことを言いました。

「人間、生きているからこそ不安定なんだ。生きているからこそ揺れ動くのだ。
それが精神というもの、心というものなんだから」

あー なるほど、と妙に腑に落ちたのです。
不安定とは消してそれがイコール病気ということではないこと
そして精神活動があるからこそ不安定になるということ
そしてそれが生きているということ

生きているということは
自我ができるもっともっと前に決定されていること
そのスイッチは自分自身でオン・オフすることができるものではなかったのです。
生きることは生命そのものの使命でもあるし
使命だからこそ、本能だと思うのです。

拍手[0回]

ほんの少し、息抜きが出来ていました。
と言っても、実生活では試験続きで息抜きなんて出来てないのですが
心のほうは少し休息してました。
昨日はなぜかビタ先生が朝から超ご機嫌で
おはようございますと挨拶したら
笑顔でお早うが返ってきました。
そしてお昼に学生課の名前は知らないけど
何かと私の携帯に電話を(しかも自分の携帯から)かけてくる人に
呼び止められ
巨大な果物をいただいたのですが
名前が分からなかったので煙研に行ったら
そこでもビタ先生にこにこ。
・・・・・・・・。
彼に何があったのだろう。
(ついそう思ってしまう非素直なわたくし。)

でも人の笑い顔っていいですね。
なんだか幸せな気持ちになれます。

私は人の写真を撮るのは苦手で
被写体に人を撮りたいと思ったのは
古池以外では今までないのですが
久し振りにカメラを手にしたので、
なんかこう、人間を撮ってみたくなりました。
人間を写真に撮るのは私には難しいです
でも、今私はとても素敵な人たちに支えられて生きているので
そういう人たちを撮ってみるのもいいな、と思い始めています。

カメラのファインダーから見る風景と
私の中に流れる時間。
時間を切り取っているような感触。
心の中が一瞬空っぽになります。
写真を撮っている瞬間というのは
人にどう思われようとか
自分の存在は何なんだろうとか
そういうことを考えたりしない時間で
なんだか不思議です

今の世の中を生きる間は
心が空っぽになる時間というのがとても少ない。
常に何かが頭の中で巡って
常に心の中に誰かがいる。
そして人間はそういうものに囚われて
本当の自由な時間というものを
持ち合わせる余裕が無くなってしまったのではないでしょうか。

と、心の余裕がこのところなかった私は
そんなことを思いながら
また「自然の中に放たれたい」病にかかりつつあります。

自然の中に放たれたい。

たぶん、この思いは心を空っぽにしたい、ってことなんでしょうね。

空っぽになっているからこそ
色んな事がダイレクトに届いて
いろんな事が心に響く。
それをきっと人々は
「心の余裕」と呼ぶんでしょうね。


拍手[0回]

カメラが来ました。
久しぶりにフォーカスの音を聞いていたら
忘れていた色んな気持ちを思い出しました
昔の写真を見返したりして。

カメラが好きな人ってカメラのどういうところが好きなのだろうか。
私は写真を撮ることは好きだったけど、写真に写るのは大嫌いだった。
高校の修学旅行のあと
職員室前の廊下に何百枚と同行したカメラマンさんが撮った写真が
ずらりと並べられて、買うことができたのですが
その何百枚とあるうちに
私が映っていたのはたった2枚でした。
しかもカメラに気づいてない時に撮られたもの。
あの頃は私の暗黒時代だったので
もしかしたら無意識にカメラを避けていたのかもしれない。
生きている証拠が残るのが、何となく嫌だったのです。
生きていた証を残したいと思う反面
自分の姿を写真で残すのが嫌だったという
ものすごい葛藤的な時代でした・・・

名越先生いわく
生きることは丸のまま試練なんだそうです。
そして生きるということは暇つぶしだとも。
生きるって何なんでしょうね
生きる始めに意思がきっとあったはずなのに
その記憶は全くもって残らない
遺伝子が生きることを望んだ
ただそれだけで
意思ある人間が
いつの間にかここにいる。

私はいつから
生きたいと思うようになったのだろう。

拍手[0回]

ここ数日私の記憶の片隅にひっそりと置いておいたものが
夢をきっかけに突然私の目の前にぼん、と置かれて
後から後から あふれ出る後悔とどうしようもない私の存在が痛くて
ちょっと辛い日々を過ごしていました。
だけどちょっとずつまた復活しています。
どうにもならないことは数日すればまた
どうにもできないことだと心の隅に
諦めることができるので。
結局私の人生はその繰り返し。
前に出てきては諦めて、心の隅に追いやる。
そんな日々がいつか
諦めでなく納得として 私の心の中で昇華できるといいのに。

私は人生の中で
大きな穴を開けたと思う。
それはきっと何をもってしても埋まることはない。
永遠に埋まらないパズルのピースのように
私の私である理由も
永遠に完成することはない。
そんな未完成で不完全な私は
精神科で働くということを通して
完全になろうとしているのかもしれません。
埋まらない何かを求めて。
私は日々忙殺されているのかも知れません。


「 私は私で自由に空を飛ぶから

あなたは あなたで 自由に空を飛んで

いつか同じ空で 出会えたらいいね 」

そんなことを言いながら、二人で過ごした日々。
それは大切な思い出で消して私の中で消えることはありません。
だけど思い出すことはとても辛く
弱虫な私は 青い森に帰ることができないのです。

いつか同じ空で出会えたらいいね。

私は私の空を飛んでいるよ。
古池の空は どうですか。

辛くても、私はただ泣くか耐えるかしかできない。
まだまだ、会いにはいけないのです。
私はここでやることがきっとあるから。

前を、向かなきゃ。

実習が終わって少し
ストレスがずっしり来ているのかもしれません

拍手[0回]

悲しくなるから見なきゃいいのに。
辛くて切なくなるから知らなきゃいいのに。
そういうことが沢山あるけれど
まだ心の片隅にある。

記憶を消す薬ができた、とヤフーか何かのニュースで出ていましたが
本当にそういう薬があるのなら使ってみたいような気がする今日この頃です。
基本的に経験は何をもってしてもしないよりはしてみたほうがいいと思う
私ですが(他人に害を与えるものを除く)
心がそれほどしっかりしたまま大人にならなかった私には
過去の記憶で心が折れそうになることが多々あるのです。
だけど記憶を消してなかったことにすることは
私にとって現実から逃げること。
私が苦しめてしまった誰かの償いは
こうして記憶に時々現れては私を苦しめて
それがその人の復讐だと思うことにしようと
思ったけど
やっぱりそんな人じゃないからな~

大きな交通事故を起こしたと聞いて
泣きながら病院へ行ったあの日。
どうして。
大学もさぼって授業もどうでもよかった。
ただただ、すぐに病院へ向かった。
お金なんてほんとに余裕がなかったのに。
月3000円しか食費に使う余裕がなかった私は
会いたいときに会いに行ってあげられず
こんな結果になってしまい
今は悔やんでも悔やみきれないほど
二人の世界は離れてしまった。
この重圧からいくら逃れようとしても逃れきれない。
忘れようとしても忘れることはない。
私の中で段ボールに入れて金庫にしまった
それでもぎゅうぎゅうに思いは詰まって
私の心に時々こつんと訴えかける。
この間の夢のように。

ああ、このところの私は苦しんでるなあ。

記憶を消すことができるのなら楽なのに
私はただただ、苦しんで悔やんで泣くことしかできないよ。
古池より先に、私が死んでしまえばよかったなあと
頭をよぎる 今日この頃。

生きていることは、死ぬことより辛い。
だけどそれを乗り越えなければきっと私は
何も前に進まず
人生のあの地点で うずくまったままなんです。


拍手[0回]

何もかも人のせいにしてしまえば簡単なことだ。
すぐにそれで理由を探す必要がなくなるからだ。

だけど

何もかも人のせいにする事ほど悲しいことはない。
もう自分の努力ではどうしようもないことだと
事態は既に自分の手から放れて
もはや手の届かない所に行ってしまったことを
認めることになるのだから。

拍手[0回]

誕生日がくる度に最近は
生きててよかったと思えるようになったけど

生きることはどうしてこんなにも辛いんだろう。
いろんな想いが私の手からこぼれ落ちるのは
私の手のひらが笊だからなのだろうか

今日はふと気を緩めたら泣いてしまう。
鈴先生に会いに行ったらきっとぼろ泣きだ。
古池の夢を見たせいだ。
何もかもを投げ出してでも一緒にいる価値があった。
それを私が手を離したから…
古池の手を離して私は
青く冷たい森から飛び立つことを
選んだんだ。

なのに私は今でもこんなんで
まるで5歳児の大人と一緒だ。
生きるのが辛い。

拍手[0回]

このところ疲れているからなのか
何かが満たされていないのか 自分でもよくわからないけれど
何となく周囲の存在と足並みを合わせることができないでいる。
職場の新しい社長の小泉内閣ばりの構造改革や
大学の学生たちに
自分を今まで通りに合わせられないでいる。
それがいいことか悪いことかという二択を迫られれば
悪いことだとも、いいことだとも私は言えないだろう。

私の置かれている立場や存在と、周囲の温度差を感じるのだ。

学部の特殊性から、みな真剣に国家資格へ向けて努力する
そんな学部であろうと思っていた。
私と同じように、背景は何であれ大学に入りなおしたのだから
もっと貪欲に真剣なのだろうと勘違いしていた。
だけどなんとなく違うのだ。
自分は違うといいつつ、ほとんど何も違わないのだ。
全員が全員ではないが
まじめそうに見える友達の子供っぽさに
イライラしてしまうこともある。
まだ若いのだから、いくらでもやり直しがきくではないか。
ここに根を張らずに、やり直したらいいではないかと
私は思う。それはビタ先生が私に言った
「お前は薬学を途中で投げ出すのか?」というような
そんな種類とは違うと思う。
だらだらとここにただ存在するのは、薬学に対して失礼だ。

なんて少し悶々と考えている日々が続いていたら
昨日うたた寝の間に久しぶりに古池の夢を見た。
内容があまりにリアルで
だけど夢の中でも古池に対面した私は固まり
ただただ見つめることしかできなくて
だけど一目で私はそれが古池だと判って
古池一生懸命何かを伝えようとするけれど
結局言いたいことが言い出せないまま
私は泣きながら服部祐民子に訴えるのだ。

目を覚ました瞬間に涙が止まらなかった。
古池の今の現実を、夢の中で見たような気がしたからだ。
古池も服部も、どんどん今を生きて未来へ進んでいっているのに
私だけが取り残されているような
私だけが前に進んでないような
そんな思いで一杯だった。

古池に、遠目でもいいから会いたいなあと思う反面
絶対に触れないものになってしまったその存在が
私の中でとても重くて ただ立ちすくむか
あの頃の私に戻って泣いてしまうだけなのか
私の中で何かが壊れてしまいそうな
そんな不安がある
だからきっと私は青森に帰れないのだ
古池の呪縛にとらわれて
もう二度と帰らないのかもしれないなあ。

拍手[0回]

<< 前のページ 次のページ >>
カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
木蓮
性別:
非公開
自己紹介:
山へ行けばわかるよ
カウンター
最新コメント
[05/07 pochi]
[05/01 moto]
[05/01 moto]
[05/01 バード]
[04/29 pepipo]
忍者ブログ [PR]