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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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本当はいつも気にして、おせっかいだけど心配して
幸せでいてくれるといいなあと思っています。
所長も、北先生も、鈴先生も、手嶋先生も、みんな。

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昨日はリハの後大学へ。
メェ先生(仮)に物理を聞きに行ったのだけど
気づけば一通り教えてもらっていたら

・・・・・・・・・・・・・・!!

6時間半も私に付き合ってくれていた・・・
メェ先生ごめんなさい。
しつこいんです、分からないと嫌なんです私。
そこで病態生理の最高得点が70点台だと知りびっくり。
論述に30点って言うのがたぶん減点源なんだろう。
多分私もそこで大きく減点されたことだろう。
(そしてもとむら大したことないな、と思われたことだろう。)

そんなことを考えていたらブルーになってしまった。
追試が2つもある時点でブルーなのに。
もう本当にコツコツ勉強していかないと間に合わない。
テスト前にやるって言うのは無理。
物理もそうだって分かっていたのに
最後まで手をつけられなかった。
だけど、問題が解けたピークはやっぱり試験当日で
あと1つ、計算問題が出来ていれば合格になっていた。
計算ミスが何度も重なり
結局どんどん計算問題で点数を失っていき
結局あと4点あれば合格という点数まで下がってしまった。
計算ミス・・・・・・・
いつまでたっても直らない。
見直しても、見なおしている時にすでにあせっているので
目で追ってるだけになってしまう。
手を動かしてないからだ。
どうにかしたいなあ。今期の試験は、
試験問題が配られた瞬間に
頭が真っ白になる科目が多かった。
落ち着くまでに時間がかかってしまった。
意識も途中で飛んでいた。
生化学の試験中にぼーっとしてしまった。
今思えば物理化学Ⅱの試験の時
職場でのトラブルを引きずり試験前に頓服を飲んだのだ。
計算ミスが連発したのはそのせいなのかもしれないなあ・・・
何も考えずに根気強く付き合ってくれる先生に感謝しています。
ありがとう。

だけど最近自分の気分はどんより。
もうひとつの職場を引退したい。
許されないし立場的にありえないのだけど
自分の手から離れたのだとしたら
もう会議にも出たくない。
私にはクリニックの仕事で十分すぎると思うのだ。
学費の問題さえなければ仕事なんかしたくないと思う。
土日だけKOの実験手伝いに行くくらいで
あとは学生になりたいと思う・・・



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なんだかすごーく疲れています
試験はまだまだ終わりません。。。
苦手な物理がやっぱり駄目だった。
それと仕事のこと。
事業部締め出し計画!みたいなことを
突然やり始めた社長。
アルバイトさんはみんな辞めてもらうことに。
(形的にはアルバイトさんの方からお断り、だったのだが)
たった一人残った後輩が
「自分も辞めさせられるんじゃないか」と
ちょっとおろおろ。

でももう私の会社ではないんだよ、と
試験中の話し合いで言われて
ああ、もう私の会社じゃないんだ
私が子供のように考えていた会社は
もう人の手に渡ってしまったんだ
と、とても悲しくなりました。

子供の代わりに、私は会社を作ったつもりだったから。
子供をあきらめたから、会社を作り
育ててきたはずだったのに。
大学へ行くことで、その子供と別れる羽目になってしまった。
そして、子育てに意見したいなら大学行かずに働いたらどうです?
という解釈の発言をされてしまうことに。

ああ、私は人生の選択を誤っているのだろうか

私の大切なものは
いつも手のひらからこぼれおちていくのだろうか
何かと引き換えに
大切なものが一つづつ無くなっていく
その何かは、失った何かよりももっと大切かなんて
今は分からないし、判断がつかない。
だから悲しいし、もどかしいし、自分を責める。
私の選択が間違っていたのではないかと。
それが分からないから
答えがないから苦しい。


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久しぶりにお仕事してきました。
今回試験が中枢系だったおかげで
薬情に書いてあることが全て理解できる自分にびっくり
だけどあまりにゾロ品が多くなっていて
名前ではもはや何の薬か理解できない私
薬だなにはアイウエオ順に並んでいて
言われるがままにドクターに渡すのだけど
商品名の下にある一般名でようやく何の薬か
理解できる始末です

でも思えば前は全く逆で
一般名を言われても何が何だか分からなくて
商品名で言ってくれなきゃ分かんない!
という状況だったのですが
すっかり薬学部にいるおかげです

それにしても今日一日いて感じたことは
初診の人が前の病院でもらっていた、という薬の種類。
あまりに多すぎやしませんか
うちのクリニックは一系統一種類で最大5処方まで、という
決まりがあるので、各ドクター必死にいかに薬減らすか
格闘してますけど
患者さんの持ってくる薬がすごい
いったいどういう目標もって
この処方を出してるのかが読めない。
とりあえず一症状一処方とかにしてませんか
鬱による頭痛に対して抗鬱薬と頭痛薬だしてませんか
そんなやり方じゃ核心を見つけて治療するより
とにかく症状を何とかしようっていうやり方で
内科に顕著に見られるんですが
心療内科がその流れを汲んでるきがします
さすが内科ですからね

あとは症状のままに出してたら
症状治まった後も減らせなくなり
全く逆の効果の薬が混在してたり
血圧上げる薬と下げる薬が
一緒に処方されてるようなものです
内心
「下げたいのか上げたいのかはっきりしろよ!!」
と言いたい
きっとこれ処方したドクターも何していいか
わかんなかったんでしょうね
とりあえず出しとけ、みたいな
これじゃあいくら薬飲んでも治んないわ、と
密かに思ってしまう。。。
もっと根本を見ましょうよ
心のクリニックとか、メンタルクリニックとか
標榜してる割には
症状ばかりみて薬をだしているクリニックや病院が
とても多い(というかほとんどそうな気がする)んです

心を見るなら症状を見るな、
症状は心のすべてではないのだから
心の氷山は症状として表れるけど
結局原因は同じ氷山なのです


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昨日は一日ぐっすり(というかばっくり)眠りこけていて
ほとんど記憶がないほど寝ていたので
一昨日こと

おととい院長に呼ばれて
「お前が悪くないかもしれないけど、向こうが気分を悪くした(勘違いでも)
から、おれのために謝ってくれ。仲直りしてくれ」

と頼まれた。

はぁ!?

無理です。
無理です。
泣きながらそれは無理ですと答えました。
だっておかしい。
私が勘違いさせたのは謝る。
謝ってもいい。
だけど、私が傷つけられた分はどうなるんだ。
仕事に行けないことを知っていて
大学生をやっていて毎日日々業務につけないのを知っていて

「意見したいならそれなりの働きしたらどうです?」

は反則だ。
おかげで私は、大学を辞めればいいのか
大学をやめたら意見を言ってもいいのか
それも社長の「補佐」として
クリニックの職員なのになんで社長の補佐なんだ
それに
「それなりに働いたらどうです」と言いつつ
院長に「もとさんには勉強に専念してほしい」
っつうのはなんだ
矛盾してませんか

なんだかそれで一日無駄にした感じ
追試もあるっつうのに


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目の前の患者さん。
目の前の試験。
目の前にある物事。
常に私の目線は、今、眼の前にあることに
あるのかもしれない。

目の前の患者さんに治療的でありますように。
今、この試験が無事解答できますように。
今日がいい日でありますように。

もしかしたら、視点が近いのかもしれない。
それはいいことなのか、悪いことなのか
自分でもよくわかりません。
目の前の患者さんに手を差し伸べたら
病院経営が危うくなるといわれても
いまいち実感ありません。
この一人でどうこうなる問題ではないと思うからです。
社長が言いたいのは、その一人を許可することで
後ろに続く何人もを許可することになり
それが結局経営に影響するっていいたいのだろうけど。
私はそうは思わないというか
思えないのです。

目の前のものを次々と突破すること
それが積み重なることで気づいたら
ずっと遠くまで歩いてきたなあと
そういう気分になるものじゃないでしょうか。

最近医療崩壊が叫ばれてから
私は医療のなかの絶対的な正しさが
分からなくなってきました。
現場は目の前の患者さんの苦痛を取り去るべく
治療的に関わるだけ
医師は医師 私は私として
関わっていくだけしか出来ないのです
それを経営側から
やれお前は現場を知らないだとか
意見したいならそれなりの働きしたらどうです?と
言われるのは筋違いだと思うのです

理想主義だと思われるかも知れません。
だけど、私は渡り鳥先生みたいに
自分の理想とする医療をしたいと思うし
だからこそ医療にかかわる仕事に就き、
そんな大学に入ったわけで
医院という「会社」をうまく回したいとか
そういう気持ちにはなれません。

医療費削減の波が押し寄せてきて
医療機関があれやこれや手を使って
病院にも患者にもいい方法を模索してるっていうのに
患者不在の経営は私にはどうも納得いかないのです。
いっそのこと、そうなるのなら私のいるクリニックの
付属機関だとかそういう触れ込みや
大々的な宣伝はやめてほしい。
実際に連携というものがどういうことか分からない人間に
連携してるから安心だとか、安全だとか(意味不明)
周りに宣伝してほしくないんです。

安全な心理室ってどういう意味でしょうか。
工事現場じゃあるまいし・・・・
ただバックボーンに医療機関が付いてるだけじゃ
何の役にも立ちません。
そこといかに連携するか、チーム医療をするかに懸っているのに
ただ、医療機関が付属しているからと言って安心し
何をもってその安全?を提供するか
どのように維持していくのかを
明確にできない経営なら、私はただの
誇大広告に過ぎないと思うのです。

どのように連携すればいいのか
どのようにしたら患者の治療に良いのか
そこを医療的な視点で考えられない人に
現場にいなくて現場知らないんだから黙ってろ
と言われるのは非常に納得いかないのです。

鳥瞰図的経営に囚われて
大事な何かを見失うような医療は
私はそれは 医療ではないと思います。



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少し文章の誤解があるように書いてしまったので
訂正しておきました
ごめんね。

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小さいころの私は
よく父に怒られて泣いていましたが
高校あたりから、怒られても泣くことが
少なくなったように思います
特に社会人になってからというもの
実生活で泣くなんて、ほぼ皆無だった気がします

笑えるのは人間だけだ、とよく聞くけれど
私は泣けることこそ人間なんだと思います
クリニックに通っている患者さんも
泣けない人が結構います
何の感情も湧かなくなって 淡々と。
やっぱり感情を動かして泣くということは
パワーのいることでもあるし
浄化することでもある。
すごく、人間らしい行為だと思うのです。

私は一時期泣けないことがありました。
悲しい気持ちはしても、どこか自分に体温がないような
そんな感じで、涙が出てこない時期がありました。

泣けば何かが変わるわけではないけれど
泣くことが出来ないということは
大変なことだと思います。
泣いてはいけない、というのは
とても辛いことだと思うのです。

だけど人間大人になったら
素直に泣くことが許されないですよね
泣いたら弱い人間だと思われるかもしれないとか
子供じみた人間だと思わるだろうとか
そういったことも含めて
大人は泣いてはいけない、というような
そんな風潮が日本にはある気がします。

私は泣けない数年間を過ごしたあとは
良く泣くようになりました。
どちらかというと感情のせき止め方が
うまく出来なくなったのかもしれないです。
一日の大半を大学で中年学生として過ごしている私は
いったいどこで誰の前で泣いたらいいんでしょうか。
33歳は大学で泣いてたらおかしいです。やっぱり。
泣いたらみんなが心配すると同時に
おかしい人だと変な目で見ます(当然)
泣いてる理由が分からないからです。
強くなることは泣くことを我慢できるようになることでしょうか。
強い人間は泣いたりしないんでしょうか。

私は強い人間になりたいわけでもないし
かと言ってその辺の子たちより弱いわけではない。
なのに時々どうしても泣きたくなるんです。
泣けない人間のままでいるよりは
泣ける今の方がよっぽど健全だと
自分を納得させてはいるのですが
どうして大人は泣かないんでしょうか
泣けるようなことが少ないんでしょうか
それとも、泣きたいのに泣けないようになるんでしょうか。。。

そうそう
昨日最後の試験で久しぶりに鈴先生を見た。
しかもカンニングっぽい学生がいたらしく
威嚇してました
カンニングをしたい気持ちはわかるけど
したら人間としておしまいでしょう。
みんなそういう誘惑があってもある程度
我慢と諦めで試験中に分からない問題に
立ち向かってるわけだし。

それにしても
鈴先生は試験監督だったのだけれど
痩せたな~。大丈夫かな?

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やっと試験が終わって昨日はMRさんと院長とお食事会。
色々と薬の話になり、ちょうど今回の試験で薬理は中枢系だったので
普段中枢系を扱ってる私にはとても有利だったのですが
仕事の面でも、普段扱っている薬の作用機序などが
深く学べたおかげで、二人の話についていくことが出来ました。
こういう面でも役に立っているので
やっぱり学ぶこと、知識をつけることは
とても楽しいことだなあと実感しています。

国家試験のための勉強だと思えば
ただ知識を詰め込まなければならないという事に
落胆してしまうだけだと思います
それはただの苦痛でしかない
だけど、知識をつけ、その知識の集大成として
国家試験を受けるということであれば
私は国家試験は目標点ではなく
ただの通過点のような気がします。
実際、今までの知識をフル動員して国家試験を突破して
そのライセンスを持っていなければならない仕事の
スタートラインにやっと立てるというだけのこと
そこからがまた、勉強なのだと思います。

私が医療系に興味を持ったのも
一生勉強出来るから、という魅力があったからです
これを書くとすごい勉強好きでガリガリ勉強するような
そんなマジメ人間(どうして勉強する人間を真面目というのか不明だが)
なような雰囲気ですが
そもそも人間って、知識を得たい動物なんだと思います

色んな事に不思議だな、と思う気持ち
それを知りたいと思う気持ち。
それが全くない人間なんて、私はいないんじゃないかと思います。
だけど最近周りを見ていると
受験戦争の負の産物なのか
疑問を持つことは無意味で、ただ答えを暗記することが
大事なことであると思っている人たちが
とても多くなった気がします。
確かに、試験を突破することは大切だと思います。
だけど、答えだけの記憶は、
知識のネットワークを産まないと思うのです。
多面的な視点が持てないし、何より応用力がなくなる。
最近の学生は応用力がない、問題もひねればもうダメ、という嘆きも
私は当然のことだと思います。

その答えを、覚えていないからです。

理科に興味が持てない
科学離れが進んだのも、面白さを感じる前に
問題に対する答えを知識として詰め込んだ結果ではないでしょうか。
自然科学は人の考えた通りに行かない。
それがますますめんどくさい科目であるという認識に
なるのではないだろうか。

私は小さい頃からしつこくて
分からない虫、花の名前など
とことん調べるタイプでしたが
高校あたりから先生自身にそのしつこさが
うとまれるようになった気がします。
「とりあえず答え覚えとけ」
じゃ、興味も何も持てるわけないですもん。
数学も化学も、ほかの科目もそうです。

薬のことも
一対一対応で覚えるのではなく
やっぱり作用機序が大事。
章末問題から7割でるから、どの薬か、どんな作用機序か分からなくても
文章丸暗記すれば合格できるとか
そんなんじゃ絶対に応用がきかないし
新しい問題に対する答えもひねりだせないはず。
でも機序さえ覚えたら
どんな問題だって、たとえ答えが分からなくても
途中までは頭のなかでひねり出せるはずなのです。
はなから分からなくて匙を投げることはないはずです。

今回の試験は、私は好きな科目ばかりやって
苦手な科目を後回しにするという
典型的なダメ学生的勉強方でしたが
基本的にわかるのはうれしいし
勉強って楽しいものだと思うんです。
でも試験のための勉強っていうのは
これほどつまらないものはないなあと思います。

日本もどこかの国みたいに
もっと自由に色んな事をディスカッションしたり
色んな事に興味を持てるような人間を
育てるような教育のほうが
将来の日本としていいとおもうのですが・・・・・
なかなかそうはいかないですよね。



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明日でやっと試験も終わりです
ちょっともうやめてよ・・・というような勉強量です

昨日午後いちの試験が終わった後
今日の2コマ目の試験の勉強が全然分からなかったので
実習の時にお世話になったメェメェ先生(仮)に
マンツーマンで教えてもらいました。

ただその後同じようにスペクトルが読めずに
メェ先生のところに殺到した学生達に
「もとむらが極めてるからもとむらに聞いて」と言ったらしく
私が食堂で4人位の同級生に教えていたら
ちょこりちょこりと学生がやってきました
「なんかメェ先生が、『もとむらが極めてるからもとむらに聞けばいい』って
言ってて」

・・・・・・・・!!

極めてないから。理解はしたけど。

そうそう
メェ先生のところでマンツーマンで教えてもらっていて
「これは?じゃあこういうのは?」と聞いていたら
同じクラスの学生に

「もとさんっていつもそうやって最後まで理解しようとするんですか?」

と、言われた。

どういう意味だろう?と思ったけど
私の先生への食い下がり方がしつこかったのかもしれない。
分かるまでとことん付き合ってくれてたから。
だけど私は、理解の伴わない暗記が出来ない。
理解が出来ないものは覚えられないのだ。
(電話番号とかそういうもともと意味のないものを除く)
それに、ただ記憶しておくんじゃなくて
せっかくだから、ずっと覚えていたい、と思う。
それには、ただ頭の表面に張り付けるだけじゃなくて
理解して納得したいと思うのです。


あと一日で試験が終わり。
どうか、無事に乗り切れますように。
追試がこれ以上増えませんように。


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只今後期試験の真っ最中です
今日は前々から準備していた免疫学。
免疫学は好きだし楽しいので準備に準備をしていたのですが
今日は朝から不吉な・・・

そう 
講義のプリント丸忘れ。
寝不足だったのもあるのだろうけど
自分でまとめたノートしか見られなかった・・・

そしたらFcγをεと書いてしまって大ショック。
そして問題文をよく読まないで解き始める癖も相変わらずで
今日も問題分に「ただし、〇〇を含む」を読み飛ばし
含まないで考えてしまった。
私は何時になったら完ぺきな答案を提出できるのだろうか・・・

今日は世間はバレンタインで
試験と試験の間に30分の休み時間には
試験会場の廊下にチョコレート持った女の子が
こっそり教室を覗いていたりしてました。
若者ってバイタリティあるなあと
妙に感心してしまいました。

試験も今日で山はとりあえず越えて
(苦手科目はとりあえず終了)
あとは最後までどのくらいスパートできるかだなあ
今回は前々から準備していたため
試験直前は前ほど勉強してないのです
「いやーやっぱ準備してたから」じゃないんです
やり過ぎて1か月も維持できずに息切れしたって
感じですかな・・・

こういうタイミング合わせるのって難しい。

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私の働いているクリニックはそうではないけれど
今、医療は「目の前の患者か」「経営か」という
二者択一を迫られているところが多いだろう。

しかし私はこの二つは択一すべき問題ではないと考える。
しいて言うなら、今すぐに病院がつぶれないのであれば
目の前にいる患者に手を差し伸べるべきだろう。
その患者に手を伸ばすことが
今すぐ破たんにつながらないのであれば
それはその手を取る必要が医療者にはあるのだ。
そういう義務を作ったのは日本自身なのだ。

積み重ねていけば経営破たんすると分かっていても
目の前の命をその手につなぎとめようとするのが
医療者というものだろう。

医療は会社ではない。医療は福祉なのだ。
どちらかというと私は非営利団体に近いと考えている。
儲けたとか赤字だとか
そういう会社経営概念を持ってくることがおかしい。
医療改革だってそう
会社と同じにするから破たんするのだ。

というのが私の今の理論。

だから適当な患者の心理室での割り振りは許せないし
来たからには、患者を受けたからには
全力で治療をする環境においてあげたいと思うし
そうすべきだと思う

だけども経営は違う。

回転を速くするために
ギブアップ覚悟で新人にあてがい
二度と来なかったらそれまで
死んでしまったらそれまで
そういうのは私は嫌なんです。
来たからには最短で治るような治療をしたい。
そういう医療を提供したいと思う。
医療機関だから。
でも、心理室は医療機関ではないから
回転だの経営だの、患者を無視した金勘定が
働いてしまう。仕方のないことかもしれない。
だけど私は割り切れないんです。

ここに来たからには、元気でありがとう、と
最後は社会に飛び出して欲しい。
元気に自分らしく生きてほしいのです。


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結局今日は大学へは行ったけど
大学へ行ったら悔しくて試験直前まで
大泣きしていただけだった。
加藤研のカンファレンスルームで
みんなが試験を受けている間ぼろぼろ。
もう、これから試験を受けるような心理状態じゃない。
試験なのに何も手につかないし
ただただ泣けてくるだけ。
こういう時に自分は誰も守ってくれないし
誰も味方になってくれない。
誰も話を聞いてくれないし
誰も同情なんかしてくれない。
誰にも共感されず
ただただ、一人で耐えて堪えて。
そして一人でぼろぼろ泣く。
泣いて泣いて泣きまくる。
でもすっきりしない。
そう、誰も知らないから。

試験開始してからも泣いてしまった。
泣きながら受ける試験。
いったい何のために私は試験を受けているんだろう。
何のために大学にいるのか。

「意見を言いたいならそれなりの働きをしたらどうです?」

が、頭にこびりついて離れない。
私が大学に行くことが、ただの個人的なことだと
そう思っていないと言い訳するなら
この発言を撤回してほしい。
必死にここで、しがみついているのに。

じゃあ、意見をいうから大学は
やめることにしたらいいのか。
だったら意見を聞いてくれるのか。
暴走する心理室に対して
たった半年しか知らない現場の人間に
5年いた人間が口出しするなというのか。

誰にも話せない
この時期は 誰にも会わないから余計に辛い。
独りで頭のなかをぐるぐるするものと
言い返したかった言葉がこだまする。

言い返した方が良かったのかな・・・

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おとといの社長の発言が頭から離れない。
今試験期間中でそんなことを延々と
考えている場合ではないのだが
どうも引っかかってしまう。

「それなりの働きをしろ」

というのはどういう意味なのか。

「言葉をつつしめ!」

というのも、どうも引っかかる。

後で検証してみても、そこまでのことを言われるようなことは
言っていなかったのです。
つい怒鳴られるととりあえず謝ってしまおうと思う私。
小さい頃から叩き込まれてきたから仕方ないと思うが
自分に非がなくても、自分がたとえ間違っていなくても
すみません。ごめんなさい。
そういった事が多かったので、それは大人になっても
妙に出てくる。事態をとにかく収拾したくなるのだ。

人員の採用についての話だったのですが
クリニック側は採用者について、採用理由と今後の仕事の割り振り方針を
キチンと発表したのですが、社長もそれについで突然

「〇△と〇〇、常勤採用しますから。よろしく」

だけ。

常勤採用は基本的にしないという方向でいく、という方針だったはずなのに。
カウンセラーを常勤にして、面接以外で何をやらせるつもりなのだろう?
以前常勤を雇っていて、面接もせずに「お荷物」になった、だから今後
常勤は採らないと当時の社長(現院長)から通達していたのに
突然の「採用決定宣言」。しかも理由も一切なし。
これには納得いかないだろう。

「面接以外の時間は何をやらせるのですか?明確にしないと
またお荷物になりますよ」

という意味のメールに社長ブチギレ。

「言葉を慎め!」
「発言したからにはそれなりの責任を伴うぞ!」
「お前に役職を与えた覚えはないっ!」
「しいて言うなら社長の補佐だっ!」
「俺がそこを考えないとでも思ったのかっ!?」
「意見言いたいならそれなりの働きをしろっ」


発言の責任って何でしょう?
私は何か指図してますか。
お荷物にならないような計画があるなら
キチンと採用基準を明確にしろと言いたい。
何をやらせるかも言わないうちに
採用基準を無視した常勤雇用宣言をしたのはそっちなのに。
何を突然ぶち切れているのか。
大体この「お荷物」発言なんて、
最初私じゃなくて院長が使ったんだっつうの。
なぜ院長だとぶち切れずに私だと「発言の責任」という
話になるのか。

あー腹が立つ。

前の会社を経営が落ち着いたら追い出され
どこも行くあてがないところをうちで拾ったのに
急にこうなっちゃうと、扱いに困る。





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今日、社長の方針についてあいまいな部分があったので
それに付いて指摘したら、私の言い方がまずかったのか

「私がそこを考えないと思っていますか?言葉に気をつけろ。
俺はお前に役職を与えた覚えはない。しいて言うなら
社長の補佐だ。
現場を知らないくせに意見言うな。
意見言いたいならそれなりの働きをしたらどうです?」

と言われた。
私は社長のいる会社の社員ではない。
役員ではあるが、私はクリニックの社員である。
なのになぜこんなことを言われるのだ。
それも、私が大学に通うこと自体が仕事として認められているのに。
それを「仕事してない」となぜ上司でもない社長に
言われないといけないのか。

私はあなたの部下じゃない。

現場を知らないというなら
医療の現場を知らない社長に、クリニックの人数が多すぎるだの
言われたくないのです。どのくらいの人出が必要なのか
知りもしない。たまたま暇な時に偵察して

「多すぎますね。」

っつうのはどうなのか。
社長にかかれば今の日本の看護師だって余ってるというだろう。

現場を知らない人間は口出すなっていうけど
私そこにいましたよ?


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