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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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この間 久しぶりにビタ先生にメールして
その後試験だったのだけど
試験監督として来たビタ先生が
私の脇を通ったときに
お互いに久しぶりだったので

「・・・・・・・・」

と 1秒くらい見てしまった。
多分、ビタ先生も頭の中で私のメールの内容が
0.5秒くらいは過ぎったに違いない。

その後しばらく試験で全く顔を見なかったけど
今日の試験時間割大パニックで
お昼を食べる場所を見失った私は
久しぶりに煙研に行ってみた。
そしたらみなさんコーヒーの時間だったみたいで
みーんな勢ぞろいして座ってました。
ビタ先生もいたけど
なんかそこで目があって笑ってくれたので
なんとなく 嬉しかったような。
でも無理してるのが
解っただろうなあ。

というようなことが今日あったのだった。

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今日は試験は15時からだったので、昨日早めに寝て、朝8時半ごろおきだして
復習をゆっくりして・・・と計画を立てていました。
10時半ごろ、大学の友達からメールで

「今日の試験時間13時半に変更だって!」とメール。

えっ、嘘でしょ・・・?
7月3日に試験スケジュールが発表になった時
それを写真にとっておいたから間違いない。
でもあまりに「さっき友達から回ってきたよ!」と言うので
大学に到着している友達にメールで掲示板を見てもらったら

・・・・・ありました。
こっそり7月7日付けで、一時間だけ時間をずらした時間割になってました。
でも、変更になりましたも何も書いてないし
沢山ある時間割の、たった一時間だけ時間ずれたものを貼りだして
一体何人の学生が気づくと言うのでしょうか。
私の友達もみな知らないのでいっせいにメールで連絡。
どこの情報だ?とか、掲示板見たけど何もかいてなかったとか
今の掲示板の情報も間違えてるとか、メールが飛び交う大パニック。

15時開始の時間が13時半になったとなると、もうあと30分で
家をでないといけません。
担任の先生に確認してもらっても、やはり13時半からだというので

「まずいですよ、先生。時間割が変わったことに気づいてないひとが
沢山います。このままでは知らずに受験できない学生が大量に出ます」

とメールを返しました。

とりあえず急いで部屋着から着替え、顔洗って朝ごはんを食べ、
後片付けして家を出ました。
そこらへんに散らばしておいた勉強道具も、どうせ13時半から開始で
3時前には終わるんだから、まいっか!
とばたばたと家をでて、いざ大学の最寄駅に付いた頃

「教務課から連絡あり、やはりもとの15時開始に戻す」

とまたまたメール。

怒りと呆れを通り越してボーゼン。

でも、ここまで来てしまったのでスクールバスに乗ると
バスに乗る学生はほんの20名そこそこ。
いつもならその3倍はいるはずなんです。
ということは、変更が変更になったことは
今決まったばかりのはず
だからここに今乗っていない人は、
13時30分に試験時間が繰り上げられていることを
知らない人達なのです。

あー、先生に連絡しておいてよかった。

私の切羽詰った担任の先生へのメールで、
これはまずい!ということになったらしく
教務主任の先生に伝えてくれたそうなのです。
先生が学生に連絡したところ
「13時半開始ならもう間に合わない」と言う学生が
何名かいたのと、変更したのに変更したと
明らかにわかるように掲示しなかった教務課のミス。
それで、あわてて変更の連絡を掲示したのです。

大学に到着したら、学内放送で
「連絡が徹底していなかった可能性があるため
試験時間は15時からに変更します」と
アナウンスされていました。

これって、私がメールして指摘していなかったら
13時半で殆どの学生が来ていなくて
大変なことになってたってことですか・・・?
それと
私みたいな学生の一言でここまで動く大学が凄い。
大学がすごいというか、教授がすごいと思った(笑)
ある意味感動。
そしてある意味
学生でもわかることが解らない大学にちょっぴり落胆。



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二日目。
今日は哲学と機能形態学で
機能形態学は直前までホルモンに四苦八苦。
そして同級生達もいろいろあーだ、こーだ
直前まで色々言ってます

私が一番気が散るのが、大きい声で直前に
間違った答えを

「それって、あれでしょ?これがこーで あーで・・」

真後ろとかで友達と輪になって喋る人。

自分が今までインプットしてた答えがすり替えられるじゃん!
きちんと理解して覚えていればそんなことも無いと思うけど
以外にサブリミナル効果なのか
神経が高ぶっているときに大声で入ってきた情報というのは
インパクトがあるので頭にこびり付くんですよ。
(そういう理由から、覚え切れなかったら音読しろという考えは
正しいと思ってる)

今日も相変わらず同じことがあり
あやうく刷り込みされそうになりました。
意外に大丈夫だったけど。

それにしてもあまりに暑い。
こんな真夏の真ん中まで、同じく夏休みに入れずに
試験に付き合う教員達もまた大変だなあとか
妙に感心してます

明日は前半のヤマ場

無事に山の上に登れますように。

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訳も分からず始まってしまいました。
試験一日目。

一日2科目なのが救いです。
3科目以上なんて無理。
(若者はいけるかもしれないけど)
初日の感想は#$%&※!○?って感じです・・・

特に薬学英語。

「次の文章を英訳・和訳しなさい」と問題が書いてあって
1、2と英文が書いてあったので和訳したのですが
その次に書いてあるのは

「何か一言講義の感想を書いて下さい(点数には加算しません)」

コレを英訳しろってことだろうか・・・

15秒くらい悩んでしまった。
余談ですがこれが最後の問題なので、その下には問題がありません。
手を上げて聞こうにも、肝心の講義担当者(ビタ先生だけど)が
いつまでたってもこないじゃないの。
どー言うこと?!普通いるでしょ、うちのクラスしか持ってないんだから。

試験残り20分、やっとビタ先生が到着。

「問題で解説しようかと思ったけど、やめた」

・・・・・・オイ。

「やめた」ってどういうことなのよ。

しばらくこのまま終わりまでいるかと思いきや
クラスを一周したらもう居なくなってた。
まあ、きっとビタ先生にしてみれば

「俺の問題には質問や文句のつけようがない」って
ことなんだろうけど。


明日もあさっても脅威の暗記物が続きます
いよいよ始まりました
試験ウィーク。
今回はお祭りにはならないです・・・

そうそう 
薬を元にもどしたら偏頭痛は治まってきました
暑いときに頭痛って結構しんどいからね。

そんなこんなの一日目。

 

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今日で本当に最後の前期の講義が終わりました。
今日終わって、あさってから前期試験です
講義と試験の間が1日しかありません。
どういうスケジュールなんだ。
おかげで学生の乗っているバス内では

「あの科目どうした?」

「捨てた!名前だけ書く。 だって無理だもん」

「やっぱり~?俺も!」

みたいな会話が繰り広げられるわけです。
こういうスケジュール組むと、最初から捨てる人でてくるからね。
所長も言ってた

「最初に難しい試験にする、っていうと、捨てる奴でてくるからね」

いえてる。
やってもぎりぎり60点しか取れないなら
最初からやらずに追試うけて合格したほうが楽。
力を注いで勉強する科目数減るしね。
この考えに気づいたのは、去年の後期試験だ。
試験に最初から病欠を装って欠席し、再試験をうける
(再試なら80点以上で普通に優がもらえる)とか
初めから受かりそうなやつだけ勉強して高得点を狙い
駄目な奴は追試から勉強とか。
先輩達がうまくそうやって切り抜けているのを見て
ああ~、現代っ子も考えるなあ・・・と
妙に感心したのです。
それをやろうとは思わないけど、こうスケジュールが過密だと
思わずやりたくなります、まじで。

そして最近、妙に同級生から携帯アドレス教えてといわれます。
私が成績が良いと誤解しているふしがある。
大きな間違いよ。残念。

前期途中から
この大学どうしよう!?とか思っていたのだけど
何とか後半から持ち直して過ごすことができました
失われた前半はどうあがいても戻っては来ないので
ご迷惑をおかけした先生方、本当にすみませんでした。
ありがとうございます。

そして講義をしてくださった先生方
せっかくの楽しい講義を楽しめずに後悔しています
でもありがとうね
講義があるから 大学生でいられる
知的好奇心を満足させるためである大学なら
本当はもっともっと積極的に行かないといけないと
思ってはいるのだけど
私は相変わらず中身が小学生なので
薬草園で植物を観察したり
リスを追いかけたり
珍しいキノコを見つけたり
そういう生活でした

でも、疑問を持ったときにすぐに質問できる教官たちが
いてくれて
あー 学生ってなんて楽しいんだろうと
能天気に思ったりしました

いつの間にやら試験です
ふう。

 

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鬱と戦う○○のブログ、とか
鬱と戦っています、などというタイトルを
たまに見かけるのですが
私個人的な考えとしては
鬱は戦って勝つ負けるの相手ではないように
思っています
その方は戦っていると思いますが、自分自身ならば
きっと戦ったりはしないと思います。

鬱は
外からやってきた敵でもなく
自分の中から湧き上がってきた病魔でもなく
まして 自分の心が弱いからでも何でもないと思うのです
(内因性の鬱の場合)
何かに悩みまくると鬱になる、などと
学生や若者の間では 教育者が間違えた理解を伝えるため
誤解や偏見がまかり通っている
そのため 鬱病には何か悩みが付き物なんだと
勝手に解釈して誤解を生むことになると思う

鬱が広げるその人の内面がある。
今まで気づかなかった些細なことが
病気のために思考回路が障害されているのだ
そして
悩みが特に無いのにも関わらず
そういった誤解や偏見から

「悩みなんか誰だってあるよ」

「鬱になる前に相談してくれればいいのに」

などと言われても
もともと悩んで鬱になったわけではないので
非常に困るわけです

5月病が病気だと言い放った心理学の教授。
ありえません。
どこの医学書に「五月病(症候群)」という記載があるのか。
そもそも症候群という捉え方がまちがっとる。

心理と精神医療のつなぎ目は
非常にあいまいで
精神と心理は別のものだと私は思っています
その境をどういうシステムで結びつけるか
どういう仕組みでシステムづいて結びついているのか
そこを考えるのが肝だと思うのです

だから私は鬱病になっても戦いません
鬱病は敵ではないし
憎むべきものでもなく 愛すべきものでもないからです

鬱病は複雑骨折です。
治療するものです
風邪のように皆よく起こるものではけしてありません
内因性の鬱病の発症率は0.5%です
だけどメディアのお気楽な鬱対策の啓蒙のおかげで
まるで風邪のようにひいてはすぐ治るものだと
誤解している気がするのです
もし そんなのだとしたら 
それは鬱病ではなく抑鬱状態だときちんと枠を決めるべきです
そうしないと 本当の抑鬱が鬱にされることで
鬱の偏見の狭間で
抑鬱状態が回復した後にも「この人は大丈夫なんだろうか」と
いらぬ心配をされた上に 偏見をもたれてしまうのです

と なんだか朝からそういうことを書いたのは
昨日 久しぶりにビタ先生からメールが来て
なんとなく ずれてる感じがしたからです

頑張るのは
誰のためでもありません
そして私は
頑張ると言う言葉が自分を縛り付けていることに
なんとなく 気がついてきたのです

できることを、できる範囲で、できるだけ。
そういうスタンスで臨みたいと思います。

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昨日のテストはリンパ系のプリントを持っていなくて撃沈。
あのプリントの存在すら知らなかった。
保管の悪い私が悪いのだか、あれさえあれば相当解けた(ハズ)
まあ、終わってしまったもの今更仕方ないですけどね。

昨日は試験が終わってすぐに眼鏡屋さんに直行して
眼鏡を治してもらった後、年に一度の心臓のドップラーエコー。
今年も異常なし!です。というか
去年より良くなってるみたいでした。

検査の後はすぐに職場に戻って、打ち合わせ・会議・打ち合わせ。
終わったの結局0時過ぎてました。
私の試験勉強時間は0時間ですよ
昨日は接待もかねていたため(新社長もいるので)
打ち合わせが新しい事業展開だとかなんだかんだ
その直前の会議もいつもより1時間半くらい長引いたので
結構かかりましたね・・・
おかげで家に帰ってバタンキューです。
ふらふらでそのまますぐ布団に入りました。
でもお酒が入っているのでなかなか寝付けず
結局うつらうつらして二日酔いと共に朝でした。

最近急に二日酔いが酷い体質になってしまいました。
薬のせいかしら?
昨日から75ミリ。

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毎日毎日猛暑です
でも、まだ大学が夏休みに入っていないので
気分はまだ夏以前です
去年の今頃は夏休みに入っていたので
夏だー!という気分だったのですが
まだ梅雨あけもしていないし
大学の講義も残っている状況では
とても夏が来ていると思えません
こうやって季節から取り残されていきそうな気配。

今日は久しぶりにOh先生とご飯を食べました
そこで先生が一言

「この学校のスケジュールは、わざと学生を痛めつけている感じだな」

言えてます。
私もそう思いました。
そして

「科目数16科目もあるんでしょ?この短期間に16科目全部通ったら
尊敬するよ」

先生ってば・・・。

毎日こつこつやってればきっと
どうってことないかもしれないけど
結局毎日に忙殺されて
試験3週間前くらいからちょこちょこやり始めたくらいだからなあ
結局そのあたりは体調不良で眠気も凄かったし
眠気とオサラバできたのはやっとここ数日前からです

一ヶ月の間にどう頑張っても眠気が酷くて
太刀打ちできない時期があるのだ
毎日寝ても寝ても寝たりない。
昔はカフェイン大量摂取したりあがいていましたが
最近はもう何やっても無駄なので
絶えられなかったら寝ても仕方が無いと思うようになりました

去年までは
学生というスタンス、というより
いまどきの学生生活(ってこんなこと言ったら私自身が今時の学生の
カテゴリーにくくられるだろうけど)に慣れなくて

「今の若者はー あーだこーだ」 とか

講義中にトイレ行ったり 寝たりとかしたら

「あの人年行ってるから体力ないんだね」とか
思われそうで嫌だ、と意地をはっていたのですが
もはや今となってはそんなこと思いません。
自分のできる範囲以上に頑張っても仕方ないと
やっと思えるようになってきました。
とある先生から

「もとむらは、『負けねー!』って、がりがりやりすぎてんじゃないのか」

と心配されていたくらい確かに強迫的にやっていたことは
今となっては間違いない。
なんだか会社から課せられた期待と使命に
燃えすぎてたんだね
余裕無かったと思います
そんなんだからふと立ち止まってしまうと
涙ぼろぼろになったりするんですよね。
でもあれがいいターニングポイントになった気がします
自分の限界に気づくことができたから。

鈴先生ありがとね。
色々相談に乗ってくれた北先生もほんとにありがとう。
私は私だけで生きているのではなく
いろんな人の色んな気持ちをありがたく受け止めながら
毎日生きているんだなあと思いました
時にはそれが
今の自分では気づけないようなありがたさの時もあるけれど
その場所から何メートルも、何百メートルも時が進んだときに
ふと その意味が分かったりする。

そんな不器用な人間です
でも負け惜しみではなく
器用に生きる必要なんて自分には無いんだと
そう思っています

期末頑張るぞ。
 

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本当の私、というのは
存在しないというけれど
私の本質、というのは
気づかないながらも
きっとちゃんと存在するものなんだろうね

今日の私も
明日の私も
本当の私には違いないけど
もしかしたら
私の本質には
近づいたり 遠ざかったり
するものなのかも知れないね

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今日は生化学実習の実習試験(追試)で
すごく大きな教室教室に、今まで実習でお世話になった
先生方がずらり、ずらり。
担任の先生まで居て

「もとむらも落ちたの!?こらぁ~」

と言われる始末。
そろそろ私の能力では
太刀打ちできない領域なんですよ学習内容が。
そうそう 鈴先生はめがねが変わっていて
今日は所長が髪をさっぱり切っていた。
私はというと 2週間前にバッサリ15センチ切って
ショートにしてからというもの
40代以上のおじさんに髪型が人気です。
あくまで 髪型がですが・・・
でもなんとなく
まだまだ自分ではしっくり来てないです
驚くほど 切れた髪の毛には何の未練もないのだけど。

男の人はひげで
女の人は髪に 思いを込めるって言いますよね
願掛けで伸ばすのもそう
男の人はひげが多いですよね
伸びるには時間がかかる分
思いもつめられると言うか
念を込められるというか。
念を込めるのに、すくすく成長されると
そんなに難しくないような
なんと言うか 軽々しいような感じで
ありがたみがないからなんでしょうね

だから日本のおまじないや言い伝えは
妙に時間がかかるものが多い

つまり、それだけ長い間
思っていられるのだったら
その思いが言霊のように
嘘がまことになるような
念ずれば花開くというか
長く信念をもっていれば
いつか その少しずつの積み重ねが
大きな結果に結びつくという
日本人のこつこつとしたまじめな生き方というか
昔からの気質なんでしょうね

今日という日は、今日が突然登場したのではなく
生まれた時からの少しずつ 少しずつの積み重ねが
今日という日を 作っているのだと。

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今日はお仕事。
お仕事と今日は会議の前の作戦会議。
これがすんなりできるときもあれば、今日みたいに
2時間くらいかかる時もあって
結構これがゲンナリ。

自分の中身が成長していないせいか
会議にでたり、仕事で中心メンバーでいたり
そんな瞬間に「あっ、もしかしてそういう年齢?」
と 改め気づいたりするんもんです

大学は試験まであっという間のあと一週間。
去年までは夏休みの後に試験だったので
休みの間に総復習をして
ある程度基礎固めをしてから、試験勉強にとりかかって
その後に試験というスケジューリングだったので
だいぶ楽だったのだけど
今回は実習で毎日午後もくたくたの上
授業が終わったら1週間でもう試験。

私を含め、そんな強行スケジュールに対応できませんよ・・・

一般的に「医学部おちたら薬学部」みたいな流れが
なんとなく世間的にあるけれど
私はそれは大きな間違いで大間違いですよ
と思う

勉強する内容が明らかに、余りにも離れていて
医学部目指してたよう「ななまもの系」の人間には
毎日が苦難と驚きの連続です
どういう根拠で「医学部もしくは薬学部」っていう
風潮になってるんでしょうか
今となっては全くもって意味不明です
一番ありえない学部に入ってしまった。
予備校の先生の薦めるがままに。

でも入ったからには極端な人間なので
やれないのは嫌なのです
できないのは嫌なのです。

さそり座はいろんな意味で「徹底的な人」だそうです。
確かにそうだと思う。
何かやるにしても徹底的なのだ。
さそり座は関係ないかもしれないけど、私の気質として。

でも時々この徹底的が
悪い方向にぐい、と曲がることがある
その時に自分をどう律するか
そこなんだよなあ 結局は。

青森はどうしているかな
帰れないからこそ 好きに思いを馳せられる
徹底的に青森を
古池と切り離すことができないでいる
あの頃は 思い出すことも
思い出さないことすら平気だったのに。

つめを切りすぎた時のように

痛み出すのは

いつもあとから

 

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今日は物理実習の試験でした。
なんと時間無制限(!)で、解きたいだけ解いていいという・・・
私こういうの大好き(笑)
私はでも2時間半で退室しましたけど、まだ頑張ってる人も
何人かいました。
時間気にしないで解けるまで計算できるって
焦って計算ミスしたりすることがないし、心に余裕が持てていいですね。
やっしー先生の粋な計らいでした。

今日はちょっと書いておきたいことがあったのだけど
思い出せないので思い出したときにまた書きます。
また後で。

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いつごろ人間は
自分らしさという存在に気づいて
その後の人生 自分らしさや本当の自分を探して
終わらない疑問を繰り返し探し続けるのだろうか
いつから人間は
本当の自分という言葉を知って
いるはずのない本当の自分を探し始めるのだろう

すべてのことは
今が過去に無かったことであり
すべてが初めてのことだからではないだろうか
この人生が
何かの繰り返しであったなら
時々つまらなくなる代わりに
何かに怯えたり分からなくなったりしないだろうに。
細胞は常に生まれ変わるのに
体の中では常に生と死が繰り返されるのに
私は私のまま ちっとも変わらないように見える。

時々私は
人生に「右か左か」のような
昔ドラマであったような 分岐路は無いように思う。
道ではなく それはまるで空中のような
水中のような
本当は360度進路が取れる道ではないのだろうか。
いつからそれを 
前に進む方向の道しか選択できないと
自分を強迫し始めたのだろうか

気がつけば母が還暦を迎えると言う。
ああ、もうそんな年なのか、と思った。
実は私は、家族の誕生日は弟しか知らないのだ。
兄は一つ上だが、父母の年齢が分からない。
家庭内で話題に上ったことがあったのか無かったのか。
いや、私の人生で親の年齢が必要だったことが
無かったから覚えていないのだ。

そんな母親が今年で60歳。
数字にされると改めて驚く。
60才って私の記憶の中のおじいちゃんの年齢だ。
母は相変わらず私に言う。
同じことを何度でも。
小さい頃からそうだ。
私は相変わらず母にとっては永遠に子供だからだ。

時間だけが、途方もなく過ぎていく。
私だけ一人 2倍の時間を繰り返しているかのように
ゆっくりと 私は私になって行っているというのに。

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今日で実習のうちの実験部分が終わりました
実習をして、今まで話したことのないクラスの学生と
話すことができて、色々と一緒に考えることができて
私にとってとても為になった気がします。
見た目は金髪でヤンキー(死語)風の女の子も
同じ班になってみたらおしゃべりは激しいけど
1対1の会話ではきちんとしてるし、挨拶もできる。
なんか自分の偏見のうち、その通りだった部分もやっぱりあるけど
いい意味で裏切られた部分もあったりして。
人って意外だなー、なんて思ったりしました。
その逆もあったけど。

言われないと動かない人
言われてからあたかもそれを
「今自分で気がついてやる所です」
風に話す人もいれば
てきぱき実習書を見ながら、
班のメンバーと確認しながらやる人もいるし
色々だったなあ
自分としては、「次これやってもらっていい?」って
何もしてないでぼーっと突っ立ってる
(指示されないと動かない人)に言って
「じゃあ、これ次やっとくから」と
言われてカチンときたりしてたけど。
やなやつです。(私が)

それにしても
本当に今 テストも近いのもあるけれど
実習もしていて
薬学の真っ只中にいるんだなあと実感しています
私はもともと成績も良くないし
高校のときにとても落ちこぼれていた学生だったので
薬学部でこうして勉強していられること
少しずつだけどようやく化学と言うものが
分かるようになってきたこと
そして何より
私が薬学生であることに
とても不思議な縁を感じています

私は私が落ちこぼれていた時代の記憶が
どうしてもこびり付いてはなれないし
やれば出来るというような
そこまで基礎力もない人なので
努力しないと薬学さんに付いていけないことは
分かりきっているのです
薬学さんは毎日ニコニコしてるけど
けしてラクチンでも優しくもないのを実感しています
だけど何とかここにいる間は
頑張るから 薬学さんに
後ろを向かれないように
私は私で正面から向かっていけるように
したいと思っています

あれほど化学が苦手で
何やってるか理解できなかった私が
薬学部なんて
笑っちゃうよね
だけど

やるしかない
ここをでて、次へ行きたいと思うから


余談だけどこのブログ
私に何かあったらきっと
ブログ書いてるやつはやっぱりどこか変だとか
自己表現したいような孤独なやつだとか
そういうことに
なるんでしょうか

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今日 ついに社長交代の辞令が出ました
新しい体制の、本当の入り口に立ったような気がします
なんとなく、会社の経営状況とか
財政状況とか
お金のことことか色々、本当に色々と
重圧の中で自分らしさをもがきつつ見つけようとしていた
そんな3年間でした
あっという間だったけど とても楽な道じゃなかった
だけどここまで、何とかこの会社を存続させてこれたこと
良かったなあと思います
これからのことに 不安や迷いは無いかと聞かれたら
けしてそんな事はありません
私の手を ほんの少し離れて歩き始めた会社という子供は
これからどんどん成長していくことでしょう
成長していって欲しいです すくすくと。
本当に 私の子供と同じような気持ちです

私は最初、この職に就くことは
希望していませんでした
だけど私は
自分の理解を超えるような人に指示をされたとき
自分の理解が追いつくのを待っていてはいけないと思うのです
付いていくと決めたなら
理解できなくとも時間が経てば
きっと自分も理解できるだろうから
それを待つ時間が勿体無いような気がするのです
だから今回の社長交代も
最初は理解出来なかったけど
「理解を超えるような指示にはとりあえず意地でも従ってみせるぞ」
と言う感じ
実はこれは三国志の夏侯惇の言葉なんですが。。。

これが素直と言うのかどうか分からないけど
今医学ではなく薬学を学んでいることも
同じこと

どんなに不可解で不愉快な命令でも
夏候惇は今までどおり意地でも従いぬいて見せるぞ

そういう気分です

だから頑張らなきゃ

諦めなければ未来は見捨てない。

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