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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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一昨日の時点では本試験と同じ状態だったけど、一日の余裕が
あったおかげで演習する事ができました。
演習しないで試験に臨むのと、たった1日演習して受けるのとでは
こんなに違うのかと改めて思います。1日の差は大きいです。


みんなが今回の追試験を突破して薬剤師をゴールにしているのかな、と
時々ふっと考えてしまいます。

私の目指すゴールは、さらにその先にあるもので
薬剤師の勉強はご褒美(何のだろ?笑)に神様がくれた
おいしいおまけみたいな ものだけど
私の目指すものは、もっともっと先にあるもの。

そのゴールと今はつながっている。

いつか必ず、そこにたどり着くための今日。

それが未来に繋がる道
つまり
生きてるってことなんだろうねきっと。

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あさっては再試験です
落としても追試があるからいいや~ なんて思っていたけど
「後がない試験」ってこんなにプレッシャーがあるものだったかと
いまさら思ってます

でもこういう切羽詰った時に限って逃避したくなって
夕飯をしっかり作ったりとか
掃除したりとか
ベランダのゴーヤに水上げたりだとか
一生懸命お仕事こなしたり するわけなんですね
逃避ってある意味だめだったときに理屈になるようなことを
あえてしているように思えてならない。

友人の結婚式が中止になった。
私はそれでいいと思う。
体裁やソトヅラを考えて 豪華な結婚式を無理に行ううよりも
私は彼女のお父さんのそばにいてあげるのが優先だと思う。
旦那さんはオエライさんのご子息なので
すっごく豪華な結婚式を執り行う予定だったみたいだけど
そんなこと無理にするより
今はそばにいてあげることが
何よりの親孝行になるんだと私は思うよ。

あとほんの少ししか
一緒にいられないんだから。
今からしっかり「さよなら」の儀式を行うこと
それがグリーフワークなのです

結婚式なんか
小さい身内だけのでいいんだよ




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先週の土曜は
以前私がY大医学部で研修をした時の恩師が上京していたので
渋谷で待ち合わせて6年ぶりに再会しました

6年前の私なんて、まだまだ精神医学の「せ」の字も知らない頃で
あの頃は今よりも色んな岐路の真っ只中にいて
それでいて今より自由だったような
そんな時期でした

会ったら全然変わってなくてびっくりしたけれど
その分なんだか以前の自分と今の自分が
精神的にずいぶん変わってしまったので
どういうスタンスで接したらいいか迷ってしまった。
その先生は見た目があまり変わらないので
中身も変わらないように思っている(と思う)ような印象だったので
気恥ずかしいやら勘弁してほしいやら。
久しぶりだけど色んな話をしました。
でも、以前と違うところは今では敬語を使って話をしていた自分。
そして、要所要所でするすると逃げる自分。
そんなところかな。
気を悪くしてないといいんだけど。

でも
「研究費使いきれないから、もとむら一緒になんかやろうぜ」と
言ってくれたのは嬉しかったなあ。

再会する時
以前の自分はどんなキャラだったんだろうと
考えることがあります
それが昔どういう付き合い方をしていたか
そういうのが思い出せればなおさらそう考える。
だけど全然心配要らない人もいて
そういう人は
昔から必要としつつも尊敬していたからかもしれない。

再会した時に自分がどういうスタンスを求められているかを
判断するという行動が
なんとなくぎこちない気がして
今の自分がありのままで接するしかないと思うのだけど
相する事によって久しぶりに再会した相手が
落胆する事もあると思う

けれども自分は
ずっと生まれた時から私は私のままなはず
曲がったり困ったり悩んだり
泣いたり笑ったり怒ったりしながらも
私はわたしで 同じ自分なんだから
(これを精神科用語で「自我同一性」というのですが)
この連続性をもって 
過去も未来も私に関わっている人たちと
関わって生きたいと思うのです

だから落胆されたって
今の自分のありのままを
見せるしか自分には出来ないのです
それが変化のある人間の
仕組みってことですから。

 

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今日は学校いって補習です
そして明日は実習のレポートの締め切り。
なんとか今日提出したかったので、ここ三日間はほぼ家でゴリゴリレポート
書いてました
おかげでさっき終わりました

オリンピックも大相撲も
ドーピング疑惑がかかっていますね
ドーピングするってことは
それだけその競技で「強さ」を獲得したかったのだろうと思うが
結局は強くても、名誉は剥奪されてしまう。
日本一、世界一の称号(名誉)が欲しくて
そういった薬物に頼ったのだとは思うが
結局は日本一・世界一の「卑怯者」という称号と
その影に
その人間が自分の身体能力を信じ切れなかったこと
負けるということに対して臆病であった事
そう、世界一・日本一の臆病者というレッテルも貼られてしまう。

結果さえ良ければ、いくらずるしてもいいのか。
そういう議論は、日本だって小学生の頃から教育現場で話題になるはずです。
結果さえ良ければ、そこでどんな過程があろうとも
それが見えないものならば、全て結果で判断される。
途中の努力を認めない教育が、一時期広く根付いていたし
そのころに育った子供は、今でもそういった考えが
深く根底に沈んでいる。

私の知っている人で、親も教育者であり、その人も教育者という人がいました。
その人は小学校教諭をしていたのだか、縄跳びの授業の時に
どんなに頑張っても二重とびが出来ない子がいて
毎日毎日、頑張って友達と一緒に放課後に練習を繰り返していました。
しかし、その教育者はこう言い放った。

「いくら頑張って練習しても、飛べないならできないのと同じだし
練習してないのと同じで0点だ」

この言葉を聴いたとき、私は強く反発しました。

子供が力を合わせて教えあい、励ましあっているところに
頑張っても飛べないなら頑張ってないのと同じ。
そういう言い方はない、と。
小学校の段階では、結果よりもプロセスを重んじるべきだ、と。

でも、その人は結局意見を曲げませんでした。
頑張っても飛べないなら、頑張った分は無しだ。と。

結果だけを求めるのは
こんな人格形成が行われる時にしなくても
後でいくらでも出来るだろうし
いくらでも求められるだろう。
だけど、目標に向かって努力する事の大切さ
そして努力するというプロセスそのものの大切さ
そういったものは、小さいうちでしか学べないのだ。

それが否定されて育ったら
結果さえ良ければ途中で何をしてもばれなければいいし
結果を出せなければその努力は全て無効、のうような
白か黒かのようなジャッジメントをするように違いない。
努力する人を馬鹿にするようになるかもしれない。
テストでずるして、うまく切り抜けるような人間になるかもしれない。
でも、そういった根本は、小さいころ、初めて教育という立場で
子供達に触れる大人、そして身近な親たちが作り上げていくものだと
私は思うのです。

努力が実らなくても
その努力はけしてごみのように捨てられるものではないし
けして無くなる無駄なものではない。
今すぐにそれが実らなかっただけで
私は人間の心の中で
いつか必ず豊かな心にたまるものになると
そう思います。

室伏選手が言っていましたね

「金メダルよりも、大切なものがある」

結局は、結果はただの結果であって
一番大切なのは
そこにたどり着くまでの道のりに
金メダルや銀メダルが贈られるのだと
思うのです

 

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あーあ、
ついに福田首相が辞任ですね
しかもあの辞任表明の記者会見は一体なんなんだ。
続投したい本人の意思を、裏で糸引いてる〇〇派とかいう人たちに
説得されて仕方なくここで「辞任します」と言わされている感が満々だ。

日本の国会は小学生の学級会と見ていてほんとに何も変わらない。
小学生の方が教諭がいて暴走しないように見守っている分
まだマシだ。

野次は飛ぶは、罵声は浴びさせるは、乱闘騒ぎはあるわ
居眠りしてる人もいれば、隣の人といつまでもおしゃべりしてたり
落書きしてる議員までいる始末(中継をよーく見てみてくださいな・・)
しかも下らない質問 重箱の隅をつつくような揚げ足取りや
投票で「牛歩戦術」とか・・・(もっと大人の戦術つかいましょうね)

あなたたち小学生ですか?と言いたい。

しかも、一度決まっちゃったんだから、しばらくはしたがってやって見なさいよ。
ほんとに、誰に決まっても文句が言いたいんでしょうね
国会の皆さんはどうしてとりあえず付いていこうと思わないんでしょうか
少しくらい付いていこうという気になればいいのに
自分の支持する人でなければもう全部嫌なんでしょうねきっと
そんな人の演説なんか聞きたくないんでしょうね
寝るわ野次とばすわ、とても国会議員だと思えません。
裏で駆け引きしたりとか
そういうことしているうちは、税金の無駄使いがなくならないと思うのは
私だけでしょうか。
国会議員の一人ひとりが偉くなっても、初心を忘れずにいてくれたら
今の日本はどんな国になっていたのでしょうか
いつの間にか自分の懐に入ってくるお金や権力
そういうものに溺れていき
一体何を目指す政治家なのか
本人すら分からなくなっているのでは無いでしょうか

私は政治のことは良くわかりませんが
今の日本は政治家の人が直接的に動かしていることは確かです
そのために私達は選挙をし投票しているわけです
でも、その投票された人達が
当選した事をこれ幸いと 国民を無視して
自分のやりたいように動いては
意味が無いのではないでしょうか


国民のために、本当に動いてくれる人は
常に初心を忘れず
現場の声を馬鹿にせず
少数派の前をけして無視して通り過ぎることのない
そんな政治家だと思うのです。

政治家然とした態度
そんな風に揶揄されるようになったのは
政治家が金と権力を追うようになってからでは
ないでしょうか
 

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昨日から菅生にいます。
でもあいにくの雨なんです。



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夏休みも今月で終わり。
本当は来月一杯夏休みなんだけど
試験でついに大好きな有機化学を落としてしまい
9月から補習と再試験なのでもはやのんべんだらり 時々おしごとな
私の夏休みはもうおしまい。なんです。

以前ここで
医療費のことを書きましたが
私の中であれから結構時間をかけて考える課題になっています
あの「SICKO」というドキュメンタリーを観てから私の中で
アメリカ医療の問題点と、日本の問題点が
自分なりにもやもやしたものを粘土を盛り固めるように
ぼてぼてとまとめていたものが
いくらかシャープに形づいてきたような気がします

いろんな人にも意見を聞いてみました。
保険医協会の理事の医師の方や
うちの院長先生
アメリカで実際に医療を受けた人(これはビタ先生なんだけど)
日本のとある医療ユーザー。
医療ユーザーといったら自分もそうなんだけどね。

ビタ先生は、アメリカでもトップクラスの医療保障を受けられる
アメリカの25%の富裕層に含まれていた人だったので
貧富の差が大きいアメリカの、「富裕層」の現実は知っていても
貧困層のことなど殆ど気にしていないというかほぼ眼中になかった。

「アメリカで医療保障に入ってない人なんていない。日本と同じで皆保険」

なんてことを言っていた。
そりゃそうだよね。
富裕層に含まれている人たちは、周りがみんな富裕層なのだ
だから貧困層の人なんか回りにいないし、いてもごく少数。
そんな人に入る貧困層の情報なんて皆無に等しいだろう。
そして、周りに殆どいないため「貧困層も殆どいない」ような
そんな気分になっているのだ。
上流階級、それこそ「違う世界に住んでる人」なのだ、貧困層からみたら。
圧倒的に「認識」できている数が違う。
貧困層と積極的に交流するようなタイプの人間ではないし
だったら貧困層と自分の差がどんなものか
そして自分が富裕層にいることが当たり前の状態なら
そりゃ 問題点も何も浮かばないだろうな、こりゃ。

皆保険っていうけど、日本だって皆保険じゃありませんよ。
国民健康保険の保険料が払えなくて医療が受けられない人
どのくらいいると思いますか?
それに目をつぶって「皆保険だ」とか、「日本の誇れる平等な医療制度だなんて
ちゃんちゃらおかしいんじゃないのかと思う

平等な医療とは
だれでもいつでもどこの病院でも医療を受けられる場合に言っていいことで
ベッド数が足りなかったり、医師不足で対応できなくて他の病院へ「お願いっ」と
搬送して 急変して
それで医師を責めるような日本の医療は
平等でもなんでもないと思います

そもそも
日本の医療費が高いのは
高度な医療をしているからである、とうちの院長が言っていた。
高度な医療をしているからこそ医療費がかかるのであって
高齢者がいるから医療費が高くなっているわけでもなく
ちょっとしたことですぐ医療を受けるからでもない、と。
私はそこで「あ、なるほど」と思いました
私は医療費がかさむのは
高齢者の方が無駄に受診するからだと思っていた。
でも、それは大きな間違いだった。
そしてさらに私は、高齢者が増える=医療費が増えるのは間違いで
高齢者だからといって病気になるとは限らないし
高齢者でも健康で生きる人だって沢山いる
というような反論を持っていました。

そういうことを言ったらビタ先生が

「お前薬学生だろ!?何あほなこと言ってんだ!
年取ったら病気になるに決まってるだろ!年寄り増えたら病院に行く人数も増えるから
高齢化社会になったら病院の利用が増えて医療費がかさむの当たり前だろう!
お前大丈夫か!?」

と言ったので、そういう単純な考え方にちょっとムッとした。
統計も見たこと無いのに、なにを現実見てない発言してるんだ。
科学者なのに視野が狭すぎです。

そんな時にうちの先生に同じような疑問をぶつけてみたら
こんな答えが返ってきた。

「たとえばさ、

じーちゃんやばーちゃんが血圧が高いとか言って病院に
100人受診するとするでしょ。

でも、その100人分の医療費を削っても

癌とか難病の治療を一人にした医療費の足元にも及ばないんだよ

日本の医療が高いのは、そういうことなんだよ

でもそれは削減するべき事だと思うか?

医療費がそういう理由で高いのは

もとむらは否定されるべき事だと思うか?」

と。

そう、高齢者の医療費なんて微々たるものなんです。
医療機関で働いている私は、それを聞いて納得しました。
だって、保険点数が画面に出てきてお会計を計算してくれる「レセプトコンピューター」を日々
いじっているのですが そこで出てくる点数が(1点=10円)
内科のごく初期的な治療が数十点から、多くても数百点なのに対して
高度医療に関しては、何とか検査費やうんたら治療がうん十万点とか、
薬が一錠数万点とか、そういうレベルなのです。

でもこれが高度医療というもの。

でも、この高度医療をけずってまで医療費を削減する理由は
国益のためにも、日本の医学のプライドとしても許せないと思う。
でも、かといってそれを増える高齢者の人口のせいにして
高齢者の医療は切り捨てていいことなのか?

それはおかしい。高齢者をなんだと思っているんだ。
同じように、既に切り捨てられてしまった「医療」がある。
障害者だ。
障害者支援医療が廃止になり
自立支援法という新しい法律ができた。
働けない、動けない。
そんな患者に
「自立しましょう!働きましょう! 医療費を支払うために働く事で
自立を促すのです」 という理由で医療費の負担額を増やしましたよね。
大体ね、そういう医療受けてる人達は
働けないんだっつうの。
動けないんんだっつうの。
これ作ったK首相は
そういう根本的な事知ってましたか?と言いたい。
それをムチ打って働かして
医療費削減できますか?
悪化してさらに長期的な医療が必要になる場合もありますし
根本的に働けないのに
無理させたあげくに「支援」なんて言葉つけられちゃ
たまりません。


医療費が多いことはむしろ
医療費がかかる国=高度医療が出来る国ということで
私達日本人は誇るべき事ではないだろうか。
高度な医療を施すことによって
もし 医療費が膨らむのなら
それを国民に負担させるのではなくて
もっと別のところから国が出すべきだろう。
もともと国の負担金って前も書いたけど
国民が負担している医療費の何分の一だと思ってるんだ
それでも足りないってどういうことよ。
(国民に負担させるまえに税金の無駄遣いを何とかしなさいよ)

「国民が健康になれば、国内の生産力が上がる。だからこそ医療費を無料にしているんだ」

とは、医療費の国民負担が0の、フランスとカナダの言い分です。
確かにそう思う。健康であることが、国力の源なのだ。
ただ生きればいいのか。それとも、「健康で生きる」ことが大切なのか。

そして医療費を削減して医療を受けさせないようにすること
それのどこが安心プランなんでしょうか
もっと根本的な考え方を変える必要があると思うのです
現場を知らない医師免許を持った人達が
あーだーこーだ意見したって始まらないのですよ
まして そういう現実をしらない医療富裕層のひとたちが集まって
これはいい、とかこの改革はうまくいくだとか
狭い視野だけで予測したって意味が全くないと思いませんか。
政治家や有識者会議に出るような人たちは
つくづく普通の視点を持っている人が必要だと思う。
国民の殆どが普通の人(だからこそ「普通」というのだろうけど 一般と言う意味で)
なのに、普通じゃない視点で論議されてもいつまでたっても現実にそぐわない。

医学部の定員増もしかり
ちまちま増やしたって何も変わりませんよ。
このブログを、政治家の人が見ている可能性はほぼ無いけれど
もっともっと、私達の現実を見てほしいです。
給料から何万円も医療保険料を支払っている私達
さらに高度な医療を受けて医療費の出費はかさみます。
それなのに、医療費の窓口負担は更に増えて
給料天引きの保険料も増額される
そんなのおかしい。
日本の政治は誰をみて動いているのだろう。
誰の為に日本の政治は動いているのだろう
国民のためと言うけれど
国民の本音を、政治家で熱心に聞いている人達
私は殆ど知りません。
パフォーマンスで年に一回とかやってる人や
気まぐれで一回とかやってる人なら知ってるけど。


なんだかそんなことを考えていました。
経済の専門家の北先生の意見も聞いてみたいなあ。
そしてこれから 病気じゃないけど医療を受ける
鈴先生にも聞いてみようかな
出産は病気じゃないから医療保険は利きません
(おめでとうは生まれてからね、鈴先生。)
でも受けなければいけない医療もある
そんな命を受け入れる側の観点からも

いろんな面から、この問題は深く、じっくり考える必要が
あるものだと思うんです。

医療と医学、薬学と
私はこの世界にきっと
一生を賭ける価値を見出しているのだと思う。

 

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若い頃、(といっても数年前までと思いたいが)は
何か洋服や靴を買うにも、デザイン優先で
素材やそれが体にいいものかどうか
そういうことは殆ど考えずに買っていたし、身に着けていたと思う。
私は唯一ピアスの穴を開けていて
アクセサリーはピアスだけは身につけているが
昔は「かわいければ」何でもよかった。

ようは、その後のことを全く考えない生活をしていたのである。

本物でもニセモノでも関係ない。
みてくれがそれっぽければ。
そんな感覚だった。

それがある日、友人のたけちゃんの一言で
ちょっぴりだけどはっとしたことがあるのです。
それは彼女の言った

「私は〇〇風は嫌いです」

という言葉。
確かにそうだ。
それは、物だけでなく、さまざまな人生観や考え方にもつながっていく。
きちんとすること、本物であること。
中身のあること。真実であること。嘘でないこと。
それは、目先だけ考えたら難しいな、と思うこともあるだろう。
でも、そのころの私は「長い目で考える」ことが
できなかったのだろうと思う。
使い捨ての物に囲まれ
本物が何かを考えずに生きていた。
服装もそう。流行は追わなかったが
真実も追ってはいなかった。
でもそれらは結局はリサイクルすることもなく
ただ消費されるだけだった。

しかし最近になって
年も取って来たからか
いつしか長い目で少しずつ見られるようになってきたからか
自分の好みが定着したせいもあるかもしれないが
心地よいものであり、フェイクではないものを
ほんの少しずつ、そして長く使っていくこと
長く付き合っていく事が大事な気がしている。
大事な気がすると言うか、自分の嗜好が分かって来たからこそ
それに合う物は長い付き合いでいたいと思うし
手放したくないと思う。
それは物であり、人でもそう。
長く付き合うには、それなりの耐久性が必要だし
メンテナンスも必要。
そういうことをしながら、長く長く過ごしていく事
それそのものに意味があるような気がし始めている。

そして長く付き合えるものは心地よいものであることが
必要にして十分条件である

ここちよく、長く付き合えるもの。

人生にも服にも
ホントはゴテゴテした装飾なんか必要ないんですよね
それは一瞬にして目を奪うかもしれないけれど
本質を表しているわけではないからです
 

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ソフトボール、金メダルだそうですね(見てない)
ソフトボールって、何が「ソフト」なんだか良くわからずに
中学・高校と6年間やっていた私ですが
こんなに続けられたのは
ここで出来た親友のおかげです

私が入った高校は
女子と男子にソフト部があったのですが
男子はインターハイ出るようなチームで
女子は万年コールド負けするような弱小チーム。
中学の塾で知り合った「やえ」が同じく中学からソフトをしていて
高校でもソフトを続けていたのですが
私はやる気ゼロでした
ソフトボールは遊びでやったらこんな楽しいスポーツ無い、
と思うのですが
練習でまじめに必死でやったら本当に辛いです
特にピッチャーだったので
キャッチャーだったやえがいなかったら
絶対にソフトボールを高校でも続けようと思わなかったし
そこで出合ったいづみの存在なくては
ソフトがただの修行になってました。

高校で同級生のソフト部員はやえ・いづみそして私の三人だけ。
クラスもばらばらでしたが 毎日毎日一緒でした
そのうち去年、いづみが結婚し、この間子供が生まれ
数日前、やえからも「結婚するよ」のメール。
二人は大学卒業後も地元に残ったのですが
私は一人大都会で生きていました

年に正月くらいしか会わない日々を
何年も何年もすごし
連絡もそんなに取らないでいる(私)のに

それでも いつもいつでも
つながっているような気持ちだけは消えないのです

離れていても
いつも私の「親友」でした
というより
これを親友と呼ぶのだろうと思っている

同じように
お世話になった先生が
遠くに離れていても ずっとずっと会わなくても
けして記憶から消えたりすることがない
何時までも私の中で同級生の二人と共に
私の心の支えなのです

結婚おめでとう、やえ。

 

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今日は久々にクリニックもカウンセリングもお休みで
昨日は某製薬会社のMRさんと本当に楽しい飲み会。
このMRさんは私の1歳上で、しかもなんと
ビタ先生の父上の研究室&サークルだった方です
二人でビタ親子の話で大盛り上がりの夜でした(ビタ先生ごめん)
だって余りにも私が思っているビタ先生の喋りや性格が
父上にうり二つなんだもの。
やはり同じ「DNA」といわざるを得ない。
DNA恐るべし。

このMRさんはこれ以外にも私と何かと縁がある方で
別の製薬会社にいたころ、北海道担当だったそうで
ちょうどまさにその時私は旭医(きょくい、と読みます。札幌医科大は「さつい」といいます)
で働いていて、しかも住んでいた所も通りが2本違うだけ。
同じスーパーでお互い買い物していた仲です
もちろん、そのMRさんは旭医も担当で
たぶんどこかですれ違っているはずです
隣のウロに来ていたみたいだから。
そんな人とめぐりめぐってこんな場所でこんな風に出会うなんて。
巡り合わせてってすごいですね。

そんなこんなで0時近くまで飲んで
今日はお休みでした
この間道路の穴に躓いて転倒し
ひざ下を強打したのですが
一週間たってるのになかなか血が止まらないのと
打った所の痛みが引かないので病院へ行きました

転んだときに結構深い傷になっていて
白いものが見えていたのですが
今日レントゲン撮ってみて分かりました。

骨でした・・・・・・・・。


かなり深く切れていた(裂傷といいます)様子で

「これじゃー止まんないねー」と
苦笑い。

でもこの年で転倒するって
なかなか無いですよね。

外では雷鳴が轟いています
夏の雨は今ではスコールのように
南国の気配を漂わせていますが
日本の夏の雨は さらさら流れるような
熱く火照った体を 静かに優しく包んでくれる
そんな優しい雨のイメージなんです
だけどこのところの雨は
まるでウルトラマンのTVドラマ?で
怪獣が出てきて人間を襲う、みたいな
そんな感じで真っ黒な雲でひたひたと忍び寄ってくる
そんなイメージです

日本の優しい雨はどこに行ったんでしょうか
 

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今日は大学に試験結果の発表を見に行くのと
学割を取りに行って来ました

去年はしーーん、と静まり返っていた学校ですが
今年は少し様子が違い学生も先生も沢山いました
所長とアシスタントさんに梅をもっていったけれど
二人ともお休みで、ホワイトボードに引っ掛けてきました。

夏らしい夏は私の体力的に辛いのですが
今日みたいな、晴天なんだけど30度くらい、という季候が
一番過ごしやすいです
まさに東北の夏。私に関東の熱帯夜はどうもなじまないようです

このところ体調がようやく上向きになってきて
副作用の頭痛もなくなり、日々少しずつ体力も回復しています
そこで今月末もレースに参加してきます
毎年恒例の菅生です
2004年に逆周り最後のレースで
大会新記録で優勝した場所なんです
その翌年からレースの周回方向が変わったので
この記録は永遠に破られまい(笑)
しかしこのレースだけ減量を強いられるので
それだけが辛いです
そしてレース時間が2時間
この2時間の為に減量するのか・・今年も

とりあえず10日で4キロ落ちるかな~

そうそう学割取りに行ったら学生課の知らない人が


「レースってなんのレース?」って聞くので

「電池車・・」

といったら

「そういえば趣味太陽車ってかいてあったよねー、もとむらさん」

・・・・・・・・・!?

なぜそれを知っている・・・
書いてあったってあなたそれもしかして

学生身上書、見ましたね!?

あーびっくりした。
趣味:キノコ狩り とかにしとけばよかった。


 

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全く血縁も婚姻関係もないご家族と一緒という
妙な時間を過ごしています
毎日忙しく余計なことを考えていた日々が
嘘のように何も考えない日々をすごしています
なんだか不思議な時間です
 

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マイペースを守ることは
本当に本当に難しい。
私にとっては。

徹底的なさそり座な私は
いろんなことに徹底的になりすぎるあまり
周りが全て勝手にライバルになっている時がある
そしてそれ以外に
考え方が異常に甘い人を見ると
妙に許せなくなって説教したくなっていたし
実際説教してたけど。

なりたいー
やりたいー

と言う割りには
それに対して必要なことが欠落している人をみていると
なりたくもやりたくもないのに
会社命令で努力を強制されている自分が
なんだか無性に腹立たしくなって
ついつい説教するかこのもやもやを誰かにぶちまけるか
(と言ってもそれが出来る人物というのは
ここに登場するような限られた人たちなのですが)
そういう感じで
ほぼ 身近な人間に自分で振り回されるタイプの私です

マイペースというのは
簡単そうに見えて実は
本当に難しい。
他人を気にせず我に没することが
どれほど邪念の多い私にとって
難しいことか。

だけど
最近ようやらさっと(ようやく、という意味)ですが
自分のペースを手探りできるくらい
少しだけ大人になったのか
弱くなったのか
素直になったのか
素朴になったのか
自分の非礼さが認識できたのか
わかりませんが
なんとなく
自分が見えそうな気がしています

私を
希望の星にしてくれてありがとう
青い森は
今日は流星群がきれいに見えているだろうか
私は星の見えないこんなコンクリートジャングルで
時々ほろりと泣きながらも
何時だって北は厳しく 
清きものだということを
忘れずに生きています

忘れようとしても
忘れられないなら
忘れないことにしました。

もう二度と会わないだろう人たち
私は一生懸命生きたといえるまで
ただひたすらに 生きますよ
マイペースで、生きる事ができるなら
私はそれこそが
人間の本当の本質への入り口だと思うのです
 

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