なんだかテストだー仕事だーとあって
夏休みモードに切り替えられていません
そんなこんなで既に世間はお盆です
地元だったらもうこの区切りで夏が終わりです
夏休み前に夏が終わってしまってます このスケジュール。
毎日テレビはオリンピックで
私は見ていいのか見ないほうがいいのか
毎日そういう下らないことを考えて
結局見てません
興味が全く無いわけではないのですが
見ている自分まで重圧をかけたくないというか
(選手は考えてないだろうけど)
日本人ってどうしてオリンピック=金メダルなんでしょうね
金でも銀でもその全力の結果なら
認めて受け入れるべきだと思うのですが
人間って欲張りで
出るからには金なんですよね
日本柔道の谷亮子選手もそう。
もともと日本選手権で敗れて
そこで代表落ちしたはずなのに
(本人もそこで「ああ、終わった」と思ったそうですが)
日本人の期待ってすごい。
「谷選手に金を取って欲しい」という感情なんですよね
もはや日本人に金メダルを取って欲しい、ではなくて
個人指名されてるんですよ
そうやって無理やり個人指名して
金メダル取れなくて「あーあ」みたいな
そういう劇場が見たいわけではない私は
見ていられないんですよね
谷選手の場合は少し特殊かもしれないけれど
日本人って本人の能力を無視して期待した上に
期待したとおりの結果が出せないと急に手のひらを返すような
そんなことが結構多い気がする
それ以外の人はノーマークっていうところが
落差が激しいというか
日本人らしいというか。
オリンピックってやっぱり金メダルを取りにいく
そんな大会なんでしょうか。
今年から大学側の考慮もあり、学年ごとに分けての発表でした
結果は・・・・・・・
総計18科目のうち、1つ落として残り17個合格していました
でも、たった一つだけ不合格、となると
人間その前にもっと落ちたと予測していても
欲がでてきて
「ああ、もう1個で全部合格だったのに・・・」
なんて思ってしまうものです
一番びっくりしたのが生薬。
全く答えが分からなかったのにもかかわらず合格。
そして生薬よりも簡単だったと皆が言っていた生化学が
殆ど真っ赤(不合格表示)
生薬は意外と大体の学生が合格していて
「ミラクル生薬ー!」ってみんな騒いでいたけれど
そのミラクル起こしたのは自分でも何でもないですって。
ミラクル起こしてくれたのは
みんなが嫌だ嫌だ言ってた
教授が起こして(くれて)るんですって。
私は有機化学が大好きだけれど(ビタ先生のおかげで)
やっぱり有機って女神様みたいな美しい理論で
なかなか私の方を振り向いてくれないんだなー。
でも、好きだからそれほど苦ではないからね。
久しぶりに大学に行ったら
またちょっと無理して疲れちゃった。
昨日は大事な大事なシンポジウムがあり、その開会の挨拶だったんです。
日本の医療制度について考える、というタイトルで、
映画「Sicko」の上映のあと日本や海外の
医療制度、保険制度についての熱い意見を聞いてきました。
アメリカって自由の国、権利の国だというけれど
実は生きる権利や治療を受ける権利は
個人で決められていない現状があることを
ご存知でしょうか。
日本と違ってアメリカは、健康保険会社が保険料を支払ってくれます。
いわば現金給付です。
病気になったと分かったとき、自分の加入している保険会社に
査定をしてもらい、その治療を受けるお金を支払ってもらえるかどうか
申請するのです。
日本でいう、生命保険に近いですね。自動車の事故の時とか。
ああいうのと同じ考えです。
しかし、アメリカの現状は
会社が経営しているだけあって、いかに加入者に保険のお金を
支払わないかにかかっています
つまり、癌で治療を申請しても
「この年でこの癌になるはずがない。却下」
とか
「この治療はあなたに効くかどうか分かりませんので却下します」
という状態で、お金が下りないのです。
お金が下りないと、アメリカの医療費というのは莫大で
指の切断の修復だったりすると
中指が6万2000ドル、薬指は1万2000ドルですが、
どうしますか?くっつけますか?と
そういう尋ね方を医師に聞かれるわけです
命の値踏みをされると言ってもいいと思います。
そんなアメリカで、その保険の査定をするのは、保険会社に所属する
医師のしごとなのですが
患者からの申請を却下すればするほど、「会社の利益に貢献した」として
ボーナスが入る仕組みなんだそうです
つまり
医療保険のはずなのに、初めから払わないつもりなんです
そんな医療どこにあるんでしょうか
医師が患者を目の前にして、命を救うことをお金に換算する。
医師が、保険会社が
患者の治りたい意思や、生きる権利を無視し
命を査定するのです
しかし、実はこういった保険に入ることの出来るアメリカ国民は
それでも全体の4分の1しかいません。
たったの25%ですよ
それなのに、入れても結局は却下されてしまう
日本の医療は今 崩壊しようとしているということで
医療費の引き上げや、制度をアメリカのようにすることを
何人かの政治化が謳っていますが
私は医療がシステムとして崩壊しているのは
日本が目指そうとしている アメリカの方ではないかと思います
今のアメリカの医療システムこそが
日本が今、足を踏み入れようとしている
「現物給付」医療(目に見えない、治療という技術を提供する)方向から
「現金給付」医療政策なのです
まずは、治療に対するお金を渡す。
それが現金給付です
そうすれば、医療費が節約できると
日本の政治家は信じているのです。
一部の政治家は。
けれども日本の国庫金は
医療費のうちたった25%です
それに地方自治体が加わっても
30%ちょっとにしかなりません
残りの70%はどこから出ているのか?
それは私達国民が支払っているのです
それなのに、
「国のお金が破綻しそうだから、国民負担を増やそう」
と言う考え方は、余りにもおかしいと思いませんか。
もともと相当私達に負担させておいて
更に負担を増やそうっていうのは
まず先にどうでもいいことに税金を何兆円も使ったり
横領したり賄賂したりするお金を無くしてから考えて欲しいと思います
国民は法律で決めれば黙ってお金払ってくれる奴隷だと
思っていませんか?政治家の皆様。
何でもアメリカの模倣をすれば言い訳ができるわけではありません
医療費が完全無料の国があります
それも一つ二つではありません
カナダ・キューバ・フランスetc
医療費が無料です
だけどもその国の人たちが無料だからといって
無駄に通院しているかといえば
答えはノーです
しかし いつでも必要な医療を必要なだけ受けられるので
お金がないので治療拒否、ということや
お金がない患者を道路に捨てたり(アメリカでやってます)
そういう自由と平等と権利の国だったはずのアメリカがやっているような
むごいことは無いのです
日本の医療費は
高齢化社会だからこれから増える、と言っていますが
果たしてそうでしょうか
年寄りになれば病気して医療費がかかるのが当たり前だと
そう思っていませんか
医療より予防に力を入れるべきではないでしょうか
そしてなにより
日本の老人で無駄に病院にかかっている人たちは
なぜ病院に行くのでしょうか
寄り合いと一緒だからです
喋りたいのです
つまり 核家族化が深刻化していることで
病院という「コミュニティ」に集まって
ついでに血圧でも測ってもらうか、みたいなイメージなんですよ
まさに
「今日、角の〇〇さん来てないけど、どっか具合でも悪いんだべか」
と病院の待合で弁当広げながら喋ったりしてる状況です
病院が学校化しているんです
日本は本気で
アメリカのように「保険会社」を医療保険に導入しようとしています
医療費の一部を国が負担しなくていいように
今のような3割負担ではなく、10割負担になるからです
自分で掛け金をかけて、医療が必要になったらまず医者ではなく
保険会社に相談。
査定で却下されたら、具合が悪くても病院に行くお金がもらえない。
医者は、重症の患者を前にして、「断る」という選択をしなくてはならない。
命を救うはずの医師が、命を選択しなくてはならない。
それも、「お金持ちの命」だけを救う。
こんな医療を、日本は目指すべきなんでしょうか
日本の国民皆保険なんて
実は嘘です
国保金が払えない、無保険の人が意外に沢山いるのです
昨日手元に再提出のために戻ってきた、
実習のレポート。
どこが間違っているか、どこを書き直せとか
書いてあるんですが、そのコメントがひどい。
「学年中この結果を導く表を書いてないのはあなただけですよ!!
どういうことですか?もっと注意深くまじめにレポート書いてください!!」
(原文ママ:しかし修正液で消してあったが)
「単位が全然違います!大間違いです!」(提出したグラフへのコメント)
私は決してレポートを甘くみて、適当に書いたわけではない。
仕事の合間に、終わった後に、何時間もかけ
それこそ睡眠時間を削って
毎日夜中の12時1時まで書いてたんですよ
表だって、わざと書かなかったわけではないのに
それなのに、このコメントって
まるで私が手抜きして適当に書いたことに
キレたコメントみたになってるじゃないの。
そしてもっとも怒りを覚えたのがグラフ。
実習の最後に、助手のおねーさんに必ずチェックをもらい
間違っているところがあれば指摘されて
直してからでないと帰れないんです
もちろん私も何度も色々直されて、最後に
「うん、OK!お疲れ様」
って言われてチェックもらってます。
それなのに
「単位が違います。大間違いですよ!!」
っつうコメントは何だ。
単位が違ってるかどうかこっちは解らんっつうの。
OKもらっちゃってるんだから。
しっかり先生が指導した助手の人だから大丈夫なのではなかったわけ?
その人が「OK」くれたんだから、そのグラフの書き方で正しいと
こっちは思っちゃったじゃないの
だから実習試験でもそう信じて書いたのに
今更
「単位が全然違います、大間違いですよ!!」
って・・・・??!!
その単位でいいって言って、OKした助手の方
どういうことですか?と言いたい。
「実験経験はないけど私がちゃんと教えてます」って
先生言いましたよね・・・・?
指導する側に立つならそれなりの知識と責任が
伴うのが当然だと思います
それなのに間違った後に
「助手の方も人間だから、間違ってても大人の心で許してあげて」
っていうセリフはあんまりじゃないでしょうか。
少し、無理解すぎるような気がするのは
私だけなんでしょうか。
私の被害妄想なんでしょうか。
学生だって一生懸命やってるんですよ
私の友人も
「これは学生実験です。解らないことを前提にやっているので
そういう風に書いてください。そう言ったはずです!」
って書いてあった。
一人で何百枚もレポート見てるから大変だと思うけど
それは仕事でしょ。
途中でキレたコメント書くっていうのもどうなんだ。
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夜中に「死にたい」とメールや電話を出来る人は
ある意味私は幸せだと思う
それを言って 受け止めてくれるひとがいるのだから。
ある研究室にいた頃
研究室の先生が自死しました
その先生も 誰にも死にたいといいませんでした
(入院はしていたけれど)
自死したあと
その先生の旦那さん(同じ研究室の教授)が
「もとはうちの純子(奥さん)に似てる」と言っていました
きっと私もそうだと思う
私も似ている気がする
私はただ 生きるけど
でも 純子先生には 似ているかもしれないな
新月の夜に そんなことを考えるのは
もうすぐお盆で
純子先生が帰ってくるからでしょうか
私のお姉ちゃんと共に
私に何かを 伝えようとしてくれているのでしょうか
試験から帰ってきました。
ああ、こんな一日なんて久しぶり。
久しぶりに早く帰ってこられました。
今日は木曜日なので、駅でいつものL25とR25をゲットし
同じ北国出身の豊島ミホの「やさぐれるにはまだ早い」を
読みながら帰ってきました。
この文章のゆるさ加減がたまらない。
豊島ミホとは本当は官能小説家としてデビューした(ハズ)
なのだが、こういったエッセーを書かせたらゆるさで
天下一品だと思っている。
こういうエッセーを読めるようになったのも
私の中で程よくテキトーさ加減が板に付いてきたからだ。
今日の心理の試験で「A型器質」について説明しなさい、とあったけど
私はつい数ヶ月前まで、何でもかんでも完璧にこなしたいと
そう思う人間の一人だった。
もともと結構なテキトー人間で、血液型はA型なのに
かなりの割合で「もとさんBでしょ?」と言われていた。
し、失礼な。
と、B型だといわれて失礼だと思ってしまう人もまた
私は相当失礼だと思うが。
言われるたびに
「私ってそんなに楽天家に見られているのだろうか」と
なんか不思議に思っていた。
多分他人にとってはテキトーに振舞えるし
テキトーな対処を提示できるのだろう。
でも自分となるとまた別。
がっちがちのがんじがらめに
いつの間にか自分を追い込んだりしてしまう。
そんな私もここ最近は程よくテキトーです。
テストもまだ終わっていないのに
なぜそんなにテキトーでいられるかというと
既に単位を落としていそうな科目が出たからです・・・
どんなに頑張っても、無理なものがあると悟った。
そして、全部を頑張りすぎたら、それこそ壊れてしまうと
悟った。無理は禁物なのだ。
できる範囲でちょっと無理するくらいなら良いけど
私の完ぺき主義がそこで出ると
とことんやらないと気がすまなくなり
自分を追い込むことで
なんだかもう生きることが辛くなってくるのだ。
ほどよくテキトー。
そもそも適当って悪い意味じゃなくて
いい塩梅ってことなんでしょうね。
あ、しまった 早く梅干干さなくちゃ。
明日は所長でクランクアップ。
ありがとね、所長。
科目数が多いので息切れしてきました。
現在、試験6日目、科目数で11科目終了。
それでもまだ3科目。
最後は所長の試験でしめるんです。ご褒美のような、そうでもないような。
あまりに科目数が多いと、準備も手を抜く奴と
抜かないやつが出てきて、途中からかなり自転車操業的に
なっています。
今日は朝4時に起きて復習したあと、8時半から仮眠をとろうと
ベッドに横になったのですが・・・
はっ!
10時でした。
あぶない・・・・
今回はついに追試をお金払って受けることに
なりそうです。うう。
ホント、しんどい。
撃沈した科目が数科目あるので
奇跡を願いつつ、あーもうやだとか 自暴自棄になりつつ。
それでもまだまだ試験は終わらないわけです。
この試験が終わるとまた
学校はしんと静まり返ってしまうんだろうな
静かな静かな、まるで時間が止まったような夏休み。
大学の校舎に夏休みが来るようです
今日はだいぶ涼しくて
暑さの苦手な私にとっても過ごしやすい一日でした
そうそう もうひぐらしが鳴いていますね
私の一番好きな昆虫の鳴き声です
私の夏休みは、もう少し先になりそうです。
復習をゆっくりして・・・と計画を立てていました。
10時半ごろ、大学の友達からメールで
「今日の試験時間13時半に変更だって!」とメール。
えっ、嘘でしょ・・・?
7月3日に試験スケジュールが発表になった時
それを写真にとっておいたから間違いない。
でもあまりに「さっき友達から回ってきたよ!」と言うので
大学に到着している友達にメールで掲示板を見てもらったら
・・・・・ありました。
こっそり7月7日付けで、一時間だけ時間をずらした時間割になってました。
でも、変更になりましたも何も書いてないし
沢山ある時間割の、たった一時間だけ時間ずれたものを貼りだして
一体何人の学生が気づくと言うのでしょうか。
私の友達もみな知らないのでいっせいにメールで連絡。
どこの情報だ?とか、掲示板見たけど何もかいてなかったとか
今の掲示板の情報も間違えてるとか、メールが飛び交う大パニック。
15時開始の時間が13時半になったとなると、もうあと30分で
家をでないといけません。
担任の先生に確認してもらっても、やはり13時半からだというので
「まずいですよ、先生。時間割が変わったことに気づいてないひとが
沢山います。このままでは知らずに受験できない学生が大量に出ます」
とメールを返しました。
とりあえず急いで部屋着から着替え、顔洗って朝ごはんを食べ、
後片付けして家を出ました。
そこらへんに散らばしておいた勉強道具も、どうせ13時半から開始で
3時前には終わるんだから、まいっか!
とばたばたと家をでて、いざ大学の最寄駅に付いた頃
「教務課から連絡あり、やはりもとの15時開始に戻す」
とまたまたメール。
怒りと呆れを通り越してボーゼン。
でも、ここまで来てしまったのでスクールバスに乗ると
バスに乗る学生はほんの20名そこそこ。
いつもならその3倍はいるはずなんです。
ということは、変更が変更になったことは
今決まったばかりのはず
だからここに今乗っていない人は、
13時30分に試験時間が繰り上げられていることを
知らない人達なのです。
あー、先生に連絡しておいてよかった。
私の切羽詰った担任の先生へのメールで、
これはまずい!ということになったらしく
教務主任の先生に伝えてくれたそうなのです。
先生が学生に連絡したところ
「13時半開始ならもう間に合わない」と言う学生が
何名かいたのと、変更したのに変更したと
明らかにわかるように掲示しなかった教務課のミス。
それで、あわてて変更の連絡を掲示したのです。
大学に到着したら、学内放送で
「連絡が徹底していなかった可能性があるため
試験時間は15時からに変更します」と
アナウンスされていました。
これって、私がメールして指摘していなかったら
13時半で殆どの学生が来ていなくて
大変なことになってたってことですか・・・?
それと
私みたいな学生の一言でここまで動く大学が凄い。
大学がすごいというか、教授がすごいと思った(笑)
ある意味感動。
そしてある意味
学生でもわかることが解らない大学にちょっぴり落胆。
今日は哲学と機能形態学で
機能形態学は直前までホルモンに四苦八苦。
そして同級生達もいろいろあーだ、こーだ
直前まで色々言ってます
私が一番気が散るのが、大きい声で直前に
間違った答えを
「それって、あれでしょ?これがこーで あーで・・」
真後ろとかで友達と輪になって喋る人。
自分が今までインプットしてた答えがすり替えられるじゃん!
きちんと理解して覚えていればそんなことも無いと思うけど
以外にサブリミナル効果なのか
神経が高ぶっているときに大声で入ってきた情報というのは
インパクトがあるので頭にこびり付くんですよ。
(そういう理由から、覚え切れなかったら音読しろという考えは
正しいと思ってる)
今日も相変わらず同じことがあり
あやうく刷り込みされそうになりました。
意外に大丈夫だったけど。
それにしてもあまりに暑い。
こんな真夏の真ん中まで、同じく夏休みに入れずに
試験に付き合う教員達もまた大変だなあとか
妙に感心してます
明日は前半のヤマ場
無事に山の上に登れますように。
訳も分からず始まってしまいました。
試験一日目。
一日2科目なのが救いです。
3科目以上なんて無理。
(若者はいけるかもしれないけど)
初日の感想は#$%&※!○?って感じです・・・
特に薬学英語。
「次の文章を英訳・和訳しなさい」と問題が書いてあって
1、2と英文が書いてあったので和訳したのですが
その次に書いてあるのは
「何か一言講義の感想を書いて下さい(点数には加算しません)」
コレを英訳しろってことだろうか・・・
15秒くらい悩んでしまった。
余談ですがこれが最後の問題なので、その下には問題がありません。
手を上げて聞こうにも、肝心の講義担当者(ビタ先生だけど)が
いつまでたってもこないじゃないの。
どー言うこと?!普通いるでしょ、うちのクラスしか持ってないんだから。
試験残り20分、やっとビタ先生が到着。
「問題で解説しようかと思ったけど、やめた」
・・・・・・オイ。
「やめた」ってどういうことなのよ。
しばらくこのまま終わりまでいるかと思いきや
クラスを一周したらもう居なくなってた。
まあ、きっとビタ先生にしてみれば
「俺の問題には質問や文句のつけようがない」って
ことなんだろうけど。
明日もあさっても脅威の暗記物が続きます
いよいよ始まりました
試験ウィーク。
今回はお祭りにはならないです・・・
そうそう
薬を元にもどしたら偏頭痛は治まってきました
暑いときに頭痛って結構しんどいからね。
そんなこんなの一日目。
今日で本当に最後の前期の講義が終わりました。
今日終わって、あさってから前期試験です
講義と試験の間が1日しかありません。
どういうスケジュールなんだ。
おかげで学生の乗っているバス内では
「あの科目どうした?」
「捨てた!名前だけ書く。 だって無理だもん」
「やっぱり~?俺も!」
みたいな会話が繰り広げられるわけです。
こういうスケジュール組むと、最初から捨てる人でてくるからね。
所長も言ってた
「最初に難しい試験にする、っていうと、捨てる奴でてくるからね」
いえてる。
やってもぎりぎり60点しか取れないなら
最初からやらずに追試うけて合格したほうが楽。
力を注いで勉強する科目数減るしね。
この考えに気づいたのは、去年の後期試験だ。
試験に最初から病欠を装って欠席し、再試験をうける
(再試なら80点以上で普通に優がもらえる)とか
初めから受かりそうなやつだけ勉強して高得点を狙い
駄目な奴は追試から勉強とか。
先輩達がうまくそうやって切り抜けているのを見て
ああ~、現代っ子も考えるなあ・・・と
妙に感心したのです。
それをやろうとは思わないけど、こうスケジュールが過密だと
思わずやりたくなります、まじで。
そして最近、妙に同級生から携帯アドレス教えてといわれます。
私が成績が良いと誤解しているふしがある。
大きな間違いよ。残念。
前期途中から
この大学どうしよう!?とか思っていたのだけど
何とか後半から持ち直して過ごすことができました
失われた前半はどうあがいても戻っては来ないので
ご迷惑をおかけした先生方、本当にすみませんでした。
ありがとうございます。
そして講義をしてくださった先生方
せっかくの楽しい講義を楽しめずに後悔しています
でもありがとうね
講義があるから 大学生でいられる
知的好奇心を満足させるためである大学なら
本当はもっともっと積極的に行かないといけないと
思ってはいるのだけど
私は相変わらず中身が小学生なので
薬草園で植物を観察したり
リスを追いかけたり
珍しいキノコを見つけたり
そういう生活でした
でも、疑問を持ったときにすぐに質問できる教官たちが
いてくれて
あー 学生ってなんて楽しいんだろうと
能天気に思ったりしました
いつの間にやら試験です
ふう。
あのプリントの存在すら知らなかった。
保管の悪い私が悪いのだか、あれさえあれば相当解けた(ハズ)
まあ、終わってしまったもの今更仕方ないですけどね。
昨日は試験が終わってすぐに眼鏡屋さんに直行して
眼鏡を治してもらった後、年に一度の心臓のドップラーエコー。
今年も異常なし!です。というか
去年より良くなってるみたいでした。
検査の後はすぐに職場に戻って、打ち合わせ・会議・打ち合わせ。
終わったの結局0時過ぎてました。
私の試験勉強時間は0時間ですよ
昨日は接待もかねていたため(新社長もいるので)
打ち合わせが新しい事業展開だとかなんだかんだ
その直前の会議もいつもより1時間半くらい長引いたので
結構かかりましたね・・・
おかげで家に帰ってバタンキューです。
ふらふらでそのまますぐ布団に入りました。
でもお酒が入っているのでなかなか寝付けず
結局うつらうつらして二日酔いと共に朝でした。
最近急に二日酔いが酷い体質になってしまいました。
薬のせいかしら?
昨日から75ミリ。
毎日毎日猛暑です
でも、まだ大学が夏休みに入っていないので
気分はまだ夏以前です
去年の今頃は夏休みに入っていたので
夏だー!という気分だったのですが
まだ梅雨あけもしていないし
大学の講義も残っている状況では
とても夏が来ていると思えません
こうやって季節から取り残されていきそうな気配。
今日は久しぶりにOh先生とご飯を食べました
そこで先生が一言
「この学校のスケジュールは、わざと学生を痛めつけている感じだな」
言えてます。
私もそう思いました。
そして
「科目数16科目もあるんでしょ?この短期間に16科目全部通ったら
尊敬するよ」
先生ってば・・・。
毎日こつこつやってればきっと
どうってことないかもしれないけど
結局毎日に忙殺されて
試験3週間前くらいからちょこちょこやり始めたくらいだからなあ
結局そのあたりは体調不良で眠気も凄かったし
眠気とオサラバできたのはやっとここ数日前からです
一ヶ月の間にどう頑張っても眠気が酷くて
太刀打ちできない時期があるのだ
毎日寝ても寝ても寝たりない。
昔はカフェイン大量摂取したりあがいていましたが
最近はもう何やっても無駄なので
絶えられなかったら寝ても仕方が無いと思うようになりました
去年までは
学生というスタンス、というより
いまどきの学生生活(ってこんなこと言ったら私自身が今時の学生の
カテゴリーにくくられるだろうけど)に慣れなくて
「今の若者はー あーだこーだ」 とか
講義中にトイレ行ったり 寝たりとかしたら
「あの人年行ってるから体力ないんだね」とか
思われそうで嫌だ、と意地をはっていたのですが
もはや今となってはそんなこと思いません。
自分のできる範囲以上に頑張っても仕方ないと
やっと思えるようになってきました。
とある先生から
「もとむらは、『負けねー!』って、がりがりやりすぎてんじゃないのか」
と心配されていたくらい確かに強迫的にやっていたことは
今となっては間違いない。
なんだか会社から課せられた期待と使命に
燃えすぎてたんだね
余裕無かったと思います
そんなんだからふと立ち止まってしまうと
涙ぼろぼろになったりするんですよね。
でもあれがいいターニングポイントになった気がします
自分の限界に気づくことができたから。
鈴先生ありがとね。
色々相談に乗ってくれた北先生もほんとにありがとう。
私は私だけで生きているのではなく
いろんな人の色んな気持ちをありがたく受け止めながら
毎日生きているんだなあと思いました
時にはそれが
今の自分では気づけないようなありがたさの時もあるけれど
その場所から何メートルも、何百メートルも時が進んだときに
ふと その意味が分かったりする。
そんな不器用な人間です
でも負け惜しみではなく
器用に生きる必要なんて自分には無いんだと
そう思っています
期末頑張るぞ。