雨の日は朝薄暗いのでついつい寝坊してしまいました。
梅雨は「梅の雨」と書きます
そう、この時期は梅の出回る季節なのです。
私は5年前くらいから毎年梅をつけています
多分、去年の今ごろの日記を読むと、梅干日記になっているはず(笑)
今日、ついに今年の梅を買ってきました。
梅は今年も南高梅で
塩は南の極を使います。
塩分濃度は今年も3%に挑戦です。
去年漬けた梅干を、今日初めて食べてみたけれど
3%でも砂糖が少し入っているので
そんなにすっぱくなく出来ていました。
梅干をこうして毎年漬けてはいるけれど
実は梅干はあまり好きな食べ物ではないので
冷蔵庫に去年作った8キロを新たにしまったら
冷蔵庫が梅干で占領されて来ました
そろそろ4年前のくらいから分けたり食べたり
し始めるか・・・
今日は雨しとしと(ざーざー?)を聞きながら
雨の音が優しいと言っていたあの時を
ほんの少し 思い出しました
行かないで
このまま歩いていこうよ
もう届かない
言葉は 空へ消える
写真と一言コメントのHPなのですが
こんな写真を撮りたいなあとか
こんな家族が欲しいなあとか
そんな気分になります
ダカフェ日記
http://dacafe.petit.cc
あー
久しぶりにカメラ首からぶら下げて
自然の中で写真とりたいなー
その前にデジ一を何とかしないと・・
その前に試験か・・・・。
よくクラスの同級生に
「どうしてもとさんはここに来たんですか?!」
と聞かれるようになった。
実習でやっている実験の殆どが仕事として経験したことでもあり
知識もそれなりに残っていたので
質問には多少、答えられてはいたのだけど。
逆にそれが不思議に思うのだろう。
なぜ、知っているのに、ここで学び直しているんだろう。
そう思われても、仕方がないよね。
ホントのホントは
医学部の受験がうまくいかなかったことだけど
でも、最近は少しだけ、薬学の面白さにも気づき始めたところです。
今、日本では医師が足りなくなってきました。
これは昔、医学部が増設ラッシュだったときに
定員削減してからというもの
医者が余る、余ると言われ続けたけど
結局医師は都心に偏在し
当直の無い科・オンコールの無い科に新人医師は集中し続け
結局はコンタクト眼科や訳も分からない心療内科や
美容皮膚科など「緊急手術などで自分の時間を拘束されない」科に
人気が集中してしまっただけです
加えて今のスーパーローテ
ありゃいったい何なんだ
いくら医師としての使命に燃えているという期待をこめても
現代っ子には3K(死語?)は敬遠されるに決まってます
実際そうです
お金が沢山もらえて、都会で、緊急オペなくて
オンコールなし
そういう研修医療機関ばかりに集中してしまった
勉強だけできてもだめなんだってことに
早く日本は気づいたほうがいいと思う。
社会人を経験して
それから医師になるような人たちに
もっと門戸をひろげ
医師を確保すべきだと、私は思います
そういった人はきっと
自分の専門としたい科がしっかりビジョンが組まれているだろうし
もちろん、夜勤があるとか、緊急オペがあるとか
そういったことであーだこーだ文句を言わないはずです
今まで甘やかしたから文句を言うんだと思う。
日本は教育を見直したほうがいいと思いつつ
自分は自分の教育で一杯一杯なんですけどね
そんなことを考えつつ
満月の夜は更けるのでした。
実習おつかれさまでした。
その影響を受けて、学生達は
「公共バスでわざと騒いで、スクールバスを作ってください、と
地元住民に陳情されるようにしようぜ!」
という方向を打ち出していた。
騒いだらバスに乗る権利はないのか!と
反論する人まで出る始末。
権利を主張する前に、まず義務を果たそう。
そう考えられるのは単に自分が彼らよりも年をとっているからだろうか。
いや、きっとそうではないと思う。
不自由の無い生活を与えられて育ち
その不自由の無い生活を当たり前だと
そう思って生きてきたからではないだろうか。
義務を果たそう、と言われても
義務が一体何なのかを理解できていない。
理解できていないというより、義務なんか無いと思っているようにも見える。
それはきっと、今の子供たちは義務を果たしたりしなくても
権利だけを与えられて、教えられて育ったからではないだろうか。
義務はすべて親任せ。
その存在があることすら知らずに育ってきたのではないだろうか。
だからこそ、自分が当然もつべき権利が認められないと
爆発的にその怒りや不満を、認めてくれない社会に向けて
ぶちまけていくのではないだろうか。
テレビで犯罪を犯した人の
動機を聞いていて思う。
「あなたは、それに対抗しようと何かを自分の中で変えましたか」
ただ待っていても
何もかも与えられた飽食の時代を過ごした子供たち。
それは自分の意思とは関係なしに、まるでフォアグラのように
お金も勉強も生活も
与えられて育った
それは、親が苦労した分
子供にはそんな思いをさせたくないという
親心の結果かもしれない。
だけどその「豊かな」生活に疑問を持ったとしても
それを自ら失おうとする人間は少ない。
与えられることに飽き飽きしても
失うことが怖いのだ。
豊かに与えるものを
間違ってはいませんか。
それは教育でもお金でもなく
心にたまるものでなくてはなりません
お金やものはいつか無くなります
学歴も社会が作った幻想です
想像力や共感力は
親がものとして買い与えることができません
強い心も 折れない心もです
だけどそれを
教えることはできるし
見せてあげることもできる
証明することはできるはずです
与えるものを
間違っていませんか
今の社会は
飽きるほど与えるべきものを
見失っているような気がします。
一体一年間で何回風邪を引いたら済むのでしょうか
抵抗力が無さ過ぎです・・・
今回の風邪は頭痛と鼻かぜ
最初はのどが痛いなー、と思って
のどの消毒をしていたのですが
時既に遅し・・
あっという間に 風邪に支配されています
ううー。
そんな中
嵐のように生化学実習が終わりました
クラスの人や、実習担当の先生に
ちょっぴり「苦手」意識をもってしまっていたのですが
そういう先入観を持たずにどーんと接しよう!と
思っていたので(先入観はあくまで主観的なものなので)
そのとおり 苦手な気分は微塵も見せずに
どーん、といってきましたよ。
そしたらやっぱり、苦手って思うほどではなくて
人間の先入観がもたらすその後の影響って
結構凄いなと思ってしまった。
きっと、苦手だなーと思って
そのまま苦手な人と思って接していたら
絶対に思ったとおり、嫌な人だと相手に対して
思っただろうし
そしてその人のことが
絶対に苦手になっていたに違いない。
人間の気持ちって面白いですね。
これは人に対したことではなくて
いろんな場面で起こりうることです
そして、いろんな場面でこの対応法が可能だと思います。
そう、これが認知行動療法です
です、って言い切るのも少し変か
認知行動療法 応用編ってとこでしょうか。
この間鈴先生が結婚したのだけど
同期の友達も相当結婚してます
そんな中で、鈴先生に自分がなぜ結婚しないのかを
メールで上げていたのだけど
今さっき読み返したら
「まだ学生だから相手を養う自身が無い」
とか
「自分がまだ夢を追っている人間だから、落ち着けない」
とか
・・・・・・・・。
まるで若い女の子に求婚されて
結婚を踏み切れないでいる男みたいな言い訳を並べていて
あー。私は脳みそ男か!?
と、思ってしまった。
結婚なんて、してみたらしてみたたで
良い事もあるだろうし
悪いこともあるだろうからね。
だけど所帯もって落ち着くとか、夢がどうとか
養う云々・・・って発想が既に??な自分に気づいてしまった。
結局は自分に自信が持てないってことなんだろうけどね。
,
今日はコレを書きたいな、と思いつつ
一日過ごしているけれど
日々のいろんなことが目の前に通り過ぎて
ここに向かっているころには
書きたかったことを忘れてしまっています
昨日は日曜日。
秋葉原で大きな事件が起きていました
「人生に失望してやった」
「誰でも良かった」
って、何を考えてんだ、あーた。
人生に失望したからと通り魔殺人というのが脈絡が無さ過ぎ。
失望して暴れたかった ならまだ話も分かるが
どうして自分の怒りやわだかまりを
何の関係も無い他人に向けようとするのだろう
色んな人は きっとそう思うに違いない
私も怒りとしてはそう
「自分の中の出来事を、何の関係も無い人に向けるなよ」
と思う
だけどきっと この容疑者(もう現行犯だから犯人でいいのかな)は
私たちが「関係の無い人」としてくくっているその「くくり」「区別」が
付けられ無かったのではないだろうか
「世の中が悪い」と思えば
自分以外の人間はみんなその「悪い世の中」の人。
自分というとても小さい世界観が出来上がっていたとしたら
その世界を脅かす社会という脅威は
自分以外の他人と同義だったのかもしれない。
日本というか
世界というのは不思議な気がする
自分という、とても小さい星の集合体のようだ
どこかの星の住人が殺人事件を起こしても
どこかの国がたとえ爆発したとしても
自分や周りの星に被害が無ければ他人ごと
そういったことが起きていたことさえ
気づかないかもしれない。
そういった小さい星の集合体が
まるで銀河系のように連なっているだけ
協力や強調なんてありはしない
だって 別の星の出来事でしかないんだから
アナウンサーの彼女が自ら命を絶ち
西の国で大地震が起こり
身近な場所で通り魔殺人事件が起きても
私たちは私たちの歩みを止めることはないし
記憶をとどめて置くことも無い
今日も私たち人間は
ニュースに流れた瞬間だけ目を奪われ
ニュースが終われば 過ぎた過去のように
自分達の星の上で ひたすらいつものように
生活をしているだけ
ニュースに流れ無い間も
事件は続いているし
人々の悲しみも続いているのに
テレビは瞬間だけを 報道する
まるで星の王子さまの世界のよう
それぞれの国に
それぞれが生きているだけ
あなたの隣の国は
今何が起こっていますか
そろそろ疲れがピークです
DNA関連の実験が終わっただけで
実習全部が終わったような気分にまでなってます
(なぜなら大学が土日で休みだから)
毎日レポートに追われています
そういえば懐かしいなあこの感覚
「20枚以下はレポートじゃないから」と
第一製薬の研究所から講師になったばかりの
繁殖学の先生に言われて
悲鳴を上げそうになってたこともあったなあ
昔から「できない?」って挑戦されると
「できるよ!」となってしまう
おたんこナースの似鳥のような性格の私
実習4日目は何と担当教官がわざわざ
「かつてこの実験をしたことがある人がいろいろ言っていて
私のところに”嘘を教えてるんですか?”と聞きに来た学生がいますが
嘘は教えてません!信じて付いてきてください!」
とおっしゃっていた。
・・・・・・・・・・・・・。
まるで私が言ったみたいじゃんか。
(というか、そういうことになってたし、そうかも知れないけど)
いろんなやり方があるとは思うし
その研究所ごとに決まったやり方や伝統があるけれど
もちろん、やっている実験ごとにやり方も
適当にして良いところ悪いところと
あるのが当然だと思う
それに対して「嘘かどうか」と聞く学生も学生だと
思ったけど
知らないから仕方ないよね
だけど
せめて実験を手伝わせるなら
学生の質問に対して
理由を説明できるように指導した方がいいと思うんだけど・・
学生に質問や疑問を投げつけられて
そこで理由も分からず
「ダメ」と言われたから「ダメ」
と言うのもおかしいし
だからといってそれが言えずに
「あなたが疑問を持つところじゃない」
「あなたがそんな事考えなくていい」
と
ピシャッと撥ね付けるのもおかしいと思う
それならまだ「良くわかんないけど、先生にダメって教わった」
と言ってくれたほうがマシ。
違う?
だから嫌なのよ、こういうのは。
しかも昨日は病態生理学のテストもあったのだけど
教授が「小テスト」 と言っていたので
超軽く見ていたのですが
配られた答案は
「病態生理学中間テスト」
と書いてありました(!!)
うげー。
昨日はついにプラスミドの実験に入りました。
いやー、超懐かしかった。
仕事ノートを振り返りながら、どこが同じで、どこが違うのか。
確認しながらやってました。
学生に一通り目的とやり方を説明して
デモをしてから教えながららやっているけど
次に何の操作をするべきかが分かっているので
どうしても早くなっちゃうわけですよ。
「これって次これでいいの!?」
とかいう迷いもないし。
実験はたとえ失敗しても
班のみんなに体験してもらうことが大事だと思うので
見てて失敗だなー と思いつつも、やってもらってます。
(大人になったね私)
でも、皆にやってもらって失敗したら
そのあとは全部自分でやっちゃってますけど・・・
昨日も実験で
マイクロチューブにDNAを入れて水入れて
先生の所にもっていくっていう場面があったのだけど
うちが一番に持っていったわけですよ。
そしたら先生(っていってもチューターさんだけど)
が
「これ、水少なくない!?量間違ってると思うから、足してきて」
(注:足せないです。操作手順どおりやってるんだから・・・)
と班のメンバーに言って、うちのメンバーは戻って来ちゃった
訳です。
だけど、私は間違っていないと確信があったので
「間違ってないからもう一回もってけ!」
と、同じものを何もせずに持っていってもらったら
同じチューターさんが
「うん、これならOK」
って!!!!
さっきから何も変えてませんけど!?
どーなってんのよ。
そんな実習3日目。
本当の「友達」と呼べる私の大切な友人の一人が
子供を産みます
私の大切な大切な友達は
私が高校の3年間を共に過ごした大切な
仲間でもあります
そろそろ産まれるだろうなと思って
メールを送ったら
彼女がお礼のお返事と共に、こんなことを
書いて送ってきました
「あなたは私たちの希望の星なんだから」
私はたった一人ぼっちで
青い森から離れ
いつまでも夢をあきらめ切れずに
いつまでも現実に反旗を翻し
ここでいいやと 自分を納得させることもできなかった。
そんな私のことを、彼女とその周りの人たちは
「希望の星」だと言うのです
彼女達にとっては
大学を卒業し、地元に戻り、就職をして
結婚をして 子供を産むという
そんな一連の平和的流れと
そして地元という 彼女達の中できっと
一番心地よい場所で生きているけど
レールの上に乗った順調な毎日には
私のような馬鹿が
うらやましく思えるらしい。
単なる諦めの悪いアホだと思うのにね。
私にとってみたら
彼女達の方がよほど羨ましく思えていたのです
高校時代は成績順にクラスが分けられるのですが
私を希望の星だという彼女達は皆
「できクラス」と呼ばれる最優秀クラスに存在して
全員が現役で大学に合格して
ストレートで就職して 夢に向かって
そんな人達なんですよ
それなのに ここにきて私に「希望の星」と言うのは
私のあきらめの悪い生き方が
自分にもできるんだという そんな
きっと希望が映せるからなんだろうな
自分達は一通り通り過ぎてきた道程を
遠くの私が 今になって
再び通り抜けようともがいている
たった一人 こんな都会で
たった一人だよ。
みんなの希望の星は
一番星目指して
最後まで瞬き続けているからね。
最初のクールの実習は 基本的にお仕事で以前やっていたことが
中心なので まあそんなに大変ではないのですが
初日の今日は途中までしかやったことないやつだったので
結構あわあわしてました
でも 久しぶりに握ったピペットマンの感触に
かつての実験技術者だったころの私が
ふつふつと 思い出されました
でもねー!!(ここから愚痴)
実験を手伝っている系列大学卒業生(チューターみたいな役割の人で、
実験していたとかそういうテクニシャン系ではない)
が、うろ覚えの知識で色々指示するからこっちは混乱!
廃液は流すなと言う人がいるかと思えば
別の人は「流して良いよ」と言ってなぜ流していいかの説明を
延々とはじめるとか・・・(知ってるっつうの)
しかもこっちは仕事でやってたので、ある意味操作に関しては
プロだったわけで・・・
今日は担当教官から
ピペット(機械式のスポイトみたいなもの)にチップ(スポイトの先、取り外せる)
をはめる操作の説明の時
「ピペットを持っていない方の手で、チップをしっかりとはめ込む」(えええっ!)
なんて普通に当たり前みたいに指示があり
ある意味予習の時点から驚愕の事実
これって普通に遺伝子の実験とかしている人にはあり得ない発言ですよ・・
チップって言うのは普通滅菌してあるので、手で触れないんです
触ったらそれこそ後ろから殴られるくらいですよ(マジで。)
うちの指導教官怖かったので。
でも、「手で触って押し込んでいい」って言うくらいだから
チップの滅菌なんかかけてないはずで
ただ袋買いしたチップを、チップ立てに挿しただけなので
(滅菌シールも貼ってなかったし)
チップ箱のふたをかぱっと開けて、(ほんの数秒なんですけど)
班のメンバーにチップの挿し方と種類を説明してたら
あるチューターさんがそれを見て
「ふたはすぐに閉めて!!」
・・・・・・・・・・・・・・。
はぁ!?どんな理由ですかそれ。
まさか落下菌が落ちてくるからとか
言い始めるんじゃないだろうね今更
でも、滅菌してあったらその意見はごもっともで
私も滅菌チップならそんなことしないので
「これって滅菌してあるんですか?」
って聞いたら、その人は
「それは今気にしなくていいことだから」
ええええええええ!!!
そういうことじゃないだろーー!!
私がなぜ「滅菌してあるんですか」と質問したかを
全く理解していないわけですよ
「気にしなくて良い」って返すってことは。
私が単に好奇心で「滅菌してあるかどうか」を聞いたかと思ってるのです
そんな意味の無い質問さすがにしませんよ
でも私が「なぜ滅菌してあるかを聞いたか」を
その人は理解できなかったわけです
その時点で軽くムカ。
きっと誰かのきちんとした(滅菌操作が必要な実験)を
間近で見ていた記憶だけがあって
滅菌してないチップの取り扱いも
滅菌してあるクリーンなチップの取り扱いも
頭の中で一緒になってるんでしょうねきっと
その上さらに
滅菌してあるからこそふたを開けてはいけないという
そういう理解がなくて
単に「ふたは閉めるもの」という理解なんだろうなこりゃ。
だから「今は考えなくて良い」みたいな
とんちんかんなこと言ってくるわけだと思うんです
つうか こんなんで良いわけ?
担任の先生には
「素人のやり方だから、我慢してね」
と 昼休みに軽くジャブ・・・(苦笑)
我慢しますよ・・一応。
ストレス溜まるだろうなあ
いや、たまるに違いない。
既に初日からこんなん書いてるくらいだし。
明日からいよいよ私の慶応での毎日を彷彿させる
DNA操作ですよ
既に気が重い・・・
心理学の講義は、化学の講義より好きじゃない私は
今日も
「あーーーっ!!#%&※@」←教授が違うこと言ってるのでヤキモキしている
という一時間です・・・
心理学を専門にしている人の殆どは精神医学を学んでいない。
学んでいたとしても、病態生理を全く理解していないので
きっと病名と症状だけを覚えているのだと思う
だけどそれはとても大きな罠を作るのです。
何かあると必ず心理的なものに無理やりでも結びつけてしまうし
理解できないものは統合失調などで片付ける。
よくありがちなのは、解離性同一性障害の別人格の言葉を「幻聴」とみなし
統合失調症であると判断結果を提示すること。
どうして、幻聴ひとつで統合失調と判断してしまうのでしょうか。
それは、心理学中心の学問が、症状と病名を短絡的にしか
教育しないからです
統合失調症でも幻聴が無い場合もあります
だけどそっちは余りクローズアップされないのです
幻聴と妄想があるものが 統合失調
そういう感じです
まあ ICDの弊害でしょうね
だけどこれに似たようなことが
沢山回りに転がっていませんか
そう、何かに似ていますよね
最近の学生や子供達です
想像したり、周りのほかの病態から中心(核心)に向かって
意識を向けたり思考をめぐらしたりすることがない
だから、問題でひねられるとお手上げになってしまうのだ
理解力はあるけど、思考力が無いのかもしれません
鬱病についても同じことが言えます
うつ病はよく「まわりに相談すれば」といいます
だけど、本当の鬱病(内因性鬱病)の場合
周りの友達に相談したところで何の意味もありません
それは体の病気だからです
胃がんや肺炎と一緒の器質的な「病気」です
だけど胃がんや肺炎のとき
「どうしてもっと回りに相談してくれなかったんだ」
とはならないですよね
そこは
「どうしてもっと早く”専門家(医者)”に相談しなかったんだ」
となります
だけど鬱の場合はそうではありません
でも、あながち間違ってないかもしれません
それは、内因性鬱病の有病率は、たったの0.5%しかないからです
鬱病、鬱病とよく言われていて
「こころの風邪」なんていわれますが、大きな間違いで
実はたったの0.5%なんです
これは1%の統合失調よりも低い数値です
そしてなぜ私が「あながち間違ってないかもしれない」と言ったかというと
現在、日本で「うつ」というと、心理的要因が原因で起こる
「抑鬱状態」も鬱病と判定しているからです
しかし、鬱病は先ほども言ったとおりたったの0.5%の発症率です
日本の鬱病患者と言われている人は焼く20%と言われています
この差はいったい何なんでしょう
実は内因性鬱病ではなく、抑鬱状態も「鬱病」のカテゴリーに含めて
しまっているからです
これはかなり大きなミスだと私は思います
内因性のものと、心理的な要因で起こる抑鬱とは
治療の方針も、発症の原因も大きく異なるからです
内因性の鬱は、心理的要因が内場合、つまり
抑鬱を引き起こすような心的体験がないのにもかかわらず
うつ状態が続くことです
この場合、カウンセリングはほぼ意味がありません
心理的要因がないからです
つまり相談するものがないのです
この場合はSSRIが著効する、本当の鬱病です
しかし日本では殆どが心理的要因が引き金によって起こる
抑鬱状態です
つまり、カウンセリングが効果を示し、薬はあくまでサブに回ります
心理的要因が取り払われれば、基本的にその抑鬱状態は改善
されるはずだからです
しかし抑鬱状態が長きに渡ると 脳内物質の放出量も段々と
衰えてくるはずなので そこを多少 薬で補ってやる程度です
つまり 同じ呼び名で呼ばれている疾患なのに
全く違う治療方針をたてていかないといけないのです
抑鬱状態の人にずっと薬だけ与えていても
よくなるはずもありません
心理的要因を探ってそれを取り除かなくては
いつまで経っても同じでしょう
そして
内因性鬱の人に「何か悩んでいることはないのですか」
と聞いても殆ど無意味です
だって 悩んでいることがないんだもの
あったとしても それが原因で鬱になったわけではないので
それを掘り下げられても困ってしまうのですよ
しかし この抑鬱状態と鬱病の違いを
心理の人は全く理解できていないひとが殆どです
この教授も
「抑鬱状態が続いて鬱病になる」と うそを平気で言い放ちます
熱が続いて黄熱病にならないのと同じです
咳が続いて喘息になってしまわないのと同じです
もし鬱病だったとしたら
それは初期診断の抑鬱状態が間違っていて、はなから鬱病だったんだろうに。
咳が続いて喘息になってしまったのではなく
はなから喘息だったから咳が続いていたんだろう
それを指摘したのにも関わらず
絶対に講義で訂正をしないので
みんなまたこうやって 間違った知識が植え付いて
若者達に伝達されていくわけですよ
そして鬱病の人達はみな
精神的な悩みを抱えている とか
心が弱い とか
良くわからないレッテルを初めから張られてしまうわけです
そんな人が「心の教育」とか
なにをたわけたこと言ってんだ、と思うんですよ私は。
それをわざわざ毎週聞きに来ている
他の専攻の教官とかも居るわけで
そこでまた 教官たちにまで
うそ知識が伝達されていってしまうわけです
というわけで
日本の精神医学はこのまま
えせ心理学に飲み込まれてしまうのだろうか・・・・?