ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
久しぶりに両親から電話。
年末帰らなかったことと
ニュースで年越し派遣村をやっていたので
私もあの中に混じっているんではないかと思ったらしい。
今となってみれば帰ったら断水で大変なことになったので
帰らないで良かったような気もするが。
父親の第一声が
「お前、ホームレスになってないか?」
そんなわけありません。
ちゃんと家もあります。
しかも仕事は派遣じゃなくて
普通に正社員ですってば。
でも今何やってるか分からない子供は
いくつになっても心配なんでしょうね。
独立生計たててからもう10年以上たっているというのに。
転職しようが、引っ越ししようが
大学入学だって、親の手から離れて自己責任で
ここまでやってきたので
さほど心配はしていないようですが
実は結構心配してるのかも、と思いました。
兄弟は結局Uターン就職してしまったし。
私の場合は・・・・
大学入学のとき、あまりにも田舎で何もなく
田圃のど真ん中にある(実際そうなのだけど)大学へ
乗用車に詰めるだけの荷物とともにお引越しし
その時の心境がまるで
「うば捨て山にばーさん捨てに行く心境だ」
と父に語られるくらいでしたからね。
それでも一応、時々は生きてるか心配するらしい。
年末帰らなかったことと
ニュースで年越し派遣村をやっていたので
私もあの中に混じっているんではないかと思ったらしい。
今となってみれば帰ったら断水で大変なことになったので
帰らないで良かったような気もするが。
父親の第一声が
「お前、ホームレスになってないか?」
そんなわけありません。
ちゃんと家もあります。
しかも仕事は派遣じゃなくて
普通に正社員ですってば。
でも今何やってるか分からない子供は
いくつになっても心配なんでしょうね。
独立生計たててからもう10年以上たっているというのに。
転職しようが、引っ越ししようが
大学入学だって、親の手から離れて自己責任で
ここまでやってきたので
さほど心配はしていないようですが
実は結構心配してるのかも、と思いました。
兄弟は結局Uターン就職してしまったし。
私の場合は・・・・
大学入学のとき、あまりにも田舎で何もなく
田圃のど真ん中にある(実際そうなのだけど)大学へ
乗用車に詰めるだけの荷物とともにお引越しし
その時の心境がまるで
「うば捨て山にばーさん捨てに行く心境だ」
と父に語られるくらいでしたからね。
それでも一応、時々は生きてるか心配するらしい。
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いつもどおり神田明神へのお参りのあと(数年ぶりのおみくじ大吉!)
ささやかな新年会をしたのだけれど
その時に集まったいつもの理系メンバー(太陽メンバーで、かれこれもう12年の付き合いです)
と、エコについての話題で盛り上がった。
そもそも、今「流行」のエコって何なのか。
エコノミーのエコなのか、エコロジーのエコなのか。
はたまた、エンバイロメント・コンシャスの「エコ」なのか。
基準は今の段階では、受け取る側に任せられている。
今、社会では「ゴミ排出量を何10%削減した」などという企業の宣伝が
テレビで流れているけれど、突然そんなことが可能なのだろうか。
某メーカーでは、ゴミが80%削減されたという。
そんなに急に削減できるものなのだろうか?
だいたい、人間生きているうちにゴミを全く出さないというのは無理なこと
だと思うし、ましてや書類を使う企業のこと。
ゴミが急に20%になるなんてどう考えてもあり得ません。
どんなに頑張っていても、そんなに削減することは、私は不可能だと
思うのです。
その「ゴミを何%削減した」というからくりは
実は「燃やせばリサイクルしたことになる」という考えがあるからです
燃やすというのは基本的で究極な処理方法だと思うが
実は燃やしたことで
「燃料として使った」
というカテゴリーに入るのだそうだ。
よって、書類は燃やすことで「焼却燃料」としてリサイクルされたことになる、と。
私はこのことを聞いて「えええーーー!!」と思いました
日本人一般の認識とあまりにかけ離れている。
今の世の中は、そういったことを知らずに
エコという言葉だけが、本質から外れて独り歩きしてはいないだろうか。
ゴミを業者に回収してもらう時も
ゴミを出す企業が
「これは、資源ごみですから、資源ごみカテゴリーで回収してください」
と申し出れば、そのゴミは資源ごみでごみではないのだ。
しょせんゴミなのに。言い値みたいなものです。
「これただのゴミじゃないよな?資源ごみだよな?リサイクル対象だよな?」
という回収業者への押し付けが、まかり通っているというのです。
そういう実態があるのに、何が「ゴミ排出量を80%削減」だ。
ゴミが出てる量は変わらないけど、回収するカテゴリーや廃棄方法を
ただのゴミ扱いされないようにしただけの
単なる悪知恵状態ではないか。
日本人は世界でも頭のいい人種と言われている(大学の経済学の先生談)
そうだが、その知恵を単なる屁理屈づくりや悪知恵に働かせているような
そんな気がして仕方がなかった。
以前、尊敬する養老先生が
「本当にエコするなら、エコ替えなんか言ってないで車は壊れるまで乗れ!
そして車が壊れたら電車に乗れ!」
と言っていた。
はっきりいってその通りだと思う。
まだ使える状況なのにそれを捨てるのがエコか?
環境にやさしいとはどういうことを指すのか。
資源を使わなければいいのか。
それとも、環境に良ければいいのか。
そもそも、環境に良いとはどういう基準からなのだろうか。
そんなことを真面目にあほらしく語り合ってしまいました。
京都議定書というものがあります。
京都議定書で取り決められているCO2排出量についての決まりも
自分のところで出したそのCO2を、どこの国に押しつけて処理させるかで
今世界で見えない火花が散っているというのです。
期限までに削減するために、どっか他の国にお金出して「燃料」として売る。
どこか根本的なことが間違っていると思いませんか?
表面的な薄っぺらいクリアをしたところで
いったい何の利益が地球にあるのか?
エコからかけ離れていませんか?
これを機械に、エコを考え直してみませんか。
エコという二文字は、いったい何を指しているのかを。
ささやかな新年会をしたのだけれど
その時に集まったいつもの理系メンバー(太陽メンバーで、かれこれもう12年の付き合いです)
と、エコについての話題で盛り上がった。
そもそも、今「流行」のエコって何なのか。
エコノミーのエコなのか、エコロジーのエコなのか。
はたまた、エンバイロメント・コンシャスの「エコ」なのか。
基準は今の段階では、受け取る側に任せられている。
今、社会では「ゴミ排出量を何10%削減した」などという企業の宣伝が
テレビで流れているけれど、突然そんなことが可能なのだろうか。
某メーカーでは、ゴミが80%削減されたという。
そんなに急に削減できるものなのだろうか?
だいたい、人間生きているうちにゴミを全く出さないというのは無理なこと
だと思うし、ましてや書類を使う企業のこと。
ゴミが急に20%になるなんてどう考えてもあり得ません。
どんなに頑張っていても、そんなに削減することは、私は不可能だと
思うのです。
その「ゴミを何%削減した」というからくりは
実は「燃やせばリサイクルしたことになる」という考えがあるからです
燃やすというのは基本的で究極な処理方法だと思うが
実は燃やしたことで
「燃料として使った」
というカテゴリーに入るのだそうだ。
よって、書類は燃やすことで「焼却燃料」としてリサイクルされたことになる、と。
私はこのことを聞いて「えええーーー!!」と思いました
日本人一般の認識とあまりにかけ離れている。
今の世の中は、そういったことを知らずに
エコという言葉だけが、本質から外れて独り歩きしてはいないだろうか。
ゴミを業者に回収してもらう時も
ゴミを出す企業が
「これは、資源ごみですから、資源ごみカテゴリーで回収してください」
と申し出れば、そのゴミは資源ごみでごみではないのだ。
しょせんゴミなのに。言い値みたいなものです。
「これただのゴミじゃないよな?資源ごみだよな?リサイクル対象だよな?」
という回収業者への押し付けが、まかり通っているというのです。
そういう実態があるのに、何が「ゴミ排出量を80%削減」だ。
ゴミが出てる量は変わらないけど、回収するカテゴリーや廃棄方法を
ただのゴミ扱いされないようにしただけの
単なる悪知恵状態ではないか。
日本人は世界でも頭のいい人種と言われている(大学の経済学の先生談)
そうだが、その知恵を単なる屁理屈づくりや悪知恵に働かせているような
そんな気がして仕方がなかった。
以前、尊敬する養老先生が
「本当にエコするなら、エコ替えなんか言ってないで車は壊れるまで乗れ!
そして車が壊れたら電車に乗れ!」
と言っていた。
はっきりいってその通りだと思う。
まだ使える状況なのにそれを捨てるのがエコか?
環境にやさしいとはどういうことを指すのか。
資源を使わなければいいのか。
それとも、環境に良ければいいのか。
そもそも、環境に良いとはどういう基準からなのだろうか。
そんなことを真面目にあほらしく語り合ってしまいました。
京都議定書というものがあります。
京都議定書で取り決められているCO2排出量についての決まりも
自分のところで出したそのCO2を、どこの国に押しつけて処理させるかで
今世界で見えない火花が散っているというのです。
期限までに削減するために、どっか他の国にお金出して「燃料」として売る。
どこか根本的なことが間違っていると思いませんか?
表面的な薄っぺらいクリアをしたところで
いったい何の利益が地球にあるのか?
エコからかけ離れていませんか?
これを機械に、エコを考え直してみませんか。
エコという二文字は、いったい何を指しているのかを。
やっと自宅に帰宅。
と言っても、別に帰省して青い森に帰っていたわけでもなく
旅行に行っていたわけでもありませんが。。。
第二の実家で過ごしておりました。
ちょっとだけ、そちらの姉夫婦さんとも仲良くなれたような。
と言っても、あくまで他人の私がなぜそこにいるのか。
かなり異様な光景です。
自宅に帰ってきて、年賀状を見てました。
出しても毎年来ない人が必ずいるのですが
今年は手嶋先生から年賀状が来ないなあ・・・
元気にしてるのかなあと
ちょっと心配になってしまいました。
こんなにネットワークが普及している現代で
年賀状ってアナログでいいですね。
私は絶対に手書き文章を書くタイプです。
なぜなら普段連絡取らない不届き者だからです。
人間が人間の手で運ぶ、人間が書いた思い。
それが年賀状です。
やっぱりメールもいいけど手書きだよね!
北先生(笑)
と言っても、別に帰省して青い森に帰っていたわけでもなく
旅行に行っていたわけでもありませんが。。。
第二の実家で過ごしておりました。
ちょっとだけ、そちらの姉夫婦さんとも仲良くなれたような。
と言っても、あくまで他人の私がなぜそこにいるのか。
かなり異様な光景です。
自宅に帰ってきて、年賀状を見てました。
出しても毎年来ない人が必ずいるのですが
今年は手嶋先生から年賀状が来ないなあ・・・
元気にしてるのかなあと
ちょっと心配になってしまいました。
こんなにネットワークが普及している現代で
年賀状ってアナログでいいですね。
私は絶対に手書き文章を書くタイプです。
なぜなら普段連絡取らない不届き者だからです。
人間が人間の手で運ぶ、人間が書いた思い。
それが年賀状です。
やっぱりメールもいいけど手書きだよね!
北先生(笑)
皆様あけましておめでとうございます。
私は無意味な感じに冬休みの1週間が過ぎた気がしています。
皆様は新年の幕開けをいかがお過ごしでしょうか。
振り返ってみて、去年はいろいろあったなあと思っていたら
私、本厄でした。
厄年なんて関係ないぞー!なんて思っていたけれど
実際振り返ると明らかにいつもよりちょっと不幸なことが多かったです。
実際、前厄→大学入試(医学部)に数点足らずに不合格。
本厄はけがや病気が多かった。実際、本厄の時に事故死や病死が多いんだそうです。
私が生きて一年間過ごせたのは、まだまだこの世の中で煩悩多く生きろということか。
そして今年。
やっと厄の終わりです。一応油断しません(笑)
厄年でもいいことは一つもなかったかと言えばそうではないので
やはり気力というのは大切な生きる要因だと思います。
今年は私は無理せず、私なりに生きていくこと
色んな人との出会いがありますように
そしてこのブログを見て下さっている皆さんの
素敵な一年でありますように。
今年も存在をめぐるまなざしをよろしくお願いいたします。
私は無意味な感じに冬休みの1週間が過ぎた気がしています。
皆様は新年の幕開けをいかがお過ごしでしょうか。
振り返ってみて、去年はいろいろあったなあと思っていたら
私、本厄でした。
厄年なんて関係ないぞー!なんて思っていたけれど
実際振り返ると明らかにいつもよりちょっと不幸なことが多かったです。
実際、前厄→大学入試(医学部)に数点足らずに不合格。
本厄はけがや病気が多かった。実際、本厄の時に事故死や病死が多いんだそうです。
私が生きて一年間過ごせたのは、まだまだこの世の中で煩悩多く生きろということか。
そして今年。
やっと厄の終わりです。一応油断しません(笑)
厄年でもいいことは一つもなかったかと言えばそうではないので
やはり気力というのは大切な生きる要因だと思います。
今年は私は無理せず、私なりに生きていくこと
色んな人との出会いがありますように
そしてこのブログを見て下さっている皆さんの
素敵な一年でありますように。
今年も存在をめぐるまなざしをよろしくお願いいたします。
今日朝資源ごみを出しに外に行ったら
あまりにも静かで、車も人も誰も外にいなくて
なんだか都会が廃墟みたいな感じでした。
きっとみんな、どこか遠くへ帰っているのかな。
都会は意外と地方出身の人が多いんですね。
そして実家に帰るということは核家族が多いっていうことです。
そんな静かな都会を、一人で歩いていると
なんだか不思議な気分になります。
あれー どうして私ここにいるんだろう?というような。
核家族という言葉があるのなら
私はたった一人、核だけで歩いているということか。
昨日は職場の大掃除とささやかな打ち上げ。
この一年間、私が大学と仕事の両立ができたのは
この素晴らしい職場のスタッフチームのおかげです。
本当に優秀に育ってくれたと思います。
入職したての頃は、患者さんの症状にビビったり引いたりしていた
彼女たちも、今ではどーんと構えて、ものすごいヒステリー性の疾患の
症状でも「かわいいよね~」なんて言えてしまう。
やっぱり月のべ700人も重症患者を相手にしているとそうなるものです。
いい意味で慣れる。
珍しくも何ともないので、奇異な目で見なくなるんですね。
患者さんの症状の背景や症状の出し方
訴えようとしているものを、医学的に見られるようになり、横のつながりを
考えることができるようになる。
神経症(ヒステリー性疾患)は、ひとりひとりは確かに違うけれど
やっぱり立派な病気なのです。
それはまさに「病気」と呼べるもの。そして患者さんと医師やスタッフの
「患者を含めた治療チーム」によって、治すことができること
それを確信しているのだと思います。
精神疾患のうちヒステリー性のもの(何度も言いますがわーとかキャーと
かいうようなヒステリーではない)は、本人の性格が悪いとか、本人のわがままだとか
そういう偏見がありますが、私は決してそうではないと思うのです。
原始的な症状の出し方しかできないかもしれませんが
そういった症状の出し方をするような背景が、本人の気質以外の要因で
必ずあると思うのです。
そしてこの病気は、本人と周りの努力によって治癒することができる。
不治の病ではないのです。
医師に任せっきりの他科の疾患とは一線を画すのが
私は精神科だと思うのです。
psychoという言葉の語源をご存知でしょうか
プシケーというその言葉は、精神とか蝶とか
そういった意味を持っている言葉です
それが今では、内科的疾患として心療内科という科が発達し
本来の意味を失われてしまった気がします
心の叫びは、体だけの問題ではないのです
薬だけで、治るものではありません
薬だけでは、石のように固まってしまった心を
蝶のように羽ばたかせることはできないのです。
私のいるクリニックは
もう一度本来の精神科に立ち返りたいと思っています
偏見や誤解にまみれた精神科に戻り
本当の意味で蝶のように美しい人間の心に触れたいと思っています
内臓から心の叫びを聞くことはできても
内臓から心の叫びに耳を澄まし
その心を取り上げて蝶として美しく羽ばたかせることはできないと思うのです。
だから私たちのクリニックは来年
心療内科をやめることにしました。
それに付いてきてくれる素晴らしいスタッフや医師に
巡り合えたことに、私はとても感謝しています。
あまりにも静かで、車も人も誰も外にいなくて
なんだか都会が廃墟みたいな感じでした。
きっとみんな、どこか遠くへ帰っているのかな。
都会は意外と地方出身の人が多いんですね。
そして実家に帰るということは核家族が多いっていうことです。
そんな静かな都会を、一人で歩いていると
なんだか不思議な気分になります。
あれー どうして私ここにいるんだろう?というような。
核家族という言葉があるのなら
私はたった一人、核だけで歩いているということか。
昨日は職場の大掃除とささやかな打ち上げ。
この一年間、私が大学と仕事の両立ができたのは
この素晴らしい職場のスタッフチームのおかげです。
本当に優秀に育ってくれたと思います。
入職したての頃は、患者さんの症状にビビったり引いたりしていた
彼女たちも、今ではどーんと構えて、ものすごいヒステリー性の疾患の
症状でも「かわいいよね~」なんて言えてしまう。
やっぱり月のべ700人も重症患者を相手にしているとそうなるものです。
いい意味で慣れる。
珍しくも何ともないので、奇異な目で見なくなるんですね。
患者さんの症状の背景や症状の出し方
訴えようとしているものを、医学的に見られるようになり、横のつながりを
考えることができるようになる。
神経症(ヒステリー性疾患)は、ひとりひとりは確かに違うけれど
やっぱり立派な病気なのです。
それはまさに「病気」と呼べるもの。そして患者さんと医師やスタッフの
「患者を含めた治療チーム」によって、治すことができること
それを確信しているのだと思います。
精神疾患のうちヒステリー性のもの(何度も言いますがわーとかキャーと
かいうようなヒステリーではない)は、本人の性格が悪いとか、本人のわがままだとか
そういう偏見がありますが、私は決してそうではないと思うのです。
原始的な症状の出し方しかできないかもしれませんが
そういった症状の出し方をするような背景が、本人の気質以外の要因で
必ずあると思うのです。
そしてこの病気は、本人と周りの努力によって治癒することができる。
不治の病ではないのです。
医師に任せっきりの他科の疾患とは一線を画すのが
私は精神科だと思うのです。
psychoという言葉の語源をご存知でしょうか
プシケーというその言葉は、精神とか蝶とか
そういった意味を持っている言葉です
それが今では、内科的疾患として心療内科という科が発達し
本来の意味を失われてしまった気がします
心の叫びは、体だけの問題ではないのです
薬だけで、治るものではありません
薬だけでは、石のように固まってしまった心を
蝶のように羽ばたかせることはできないのです。
私のいるクリニックは
もう一度本来の精神科に立ち返りたいと思っています
偏見や誤解にまみれた精神科に戻り
本当の意味で蝶のように美しい人間の心に触れたいと思っています
内臓から心の叫びを聞くことはできても
内臓から心の叫びに耳を澄まし
その心を取り上げて蝶として美しく羽ばたかせることはできないと思うのです。
だから私たちのクリニックは来年
心療内科をやめることにしました。
それに付いてきてくれる素晴らしいスタッフや医師に
巡り合えたことに、私はとても感謝しています。
年末らしい気候ですね
冬休みも4日が経ちました。
なんだかこののんびりとした空気の流れが
年末らしくていいなあと思います
年末は実家のある(というか住んでいた家自体はもうないが)
実家には今年も帰らずに
ずっとこっちで過ごしています。
年末に実家に帰るという習慣ってどこから来たのだろうと
ふと思う今日この頃です
ニュースを見たら北国は寒波が来ていて
とてもじゃないけど都会の気候に慣れてしまった私には無理で
今年もこっちで年越しです
年を越すって、誕生日の次に不思議な気がします
世界中が新しい年に変わる。
カレンダーも数字も、ありとあらゆる表示も、いろんな事が
「最後」と「最初」に別れてしまう。
ほんとは何にも変わってないのに。
冬休みも4日が経ちました。
なんだかこののんびりとした空気の流れが
年末らしくていいなあと思います
年末は実家のある(というか住んでいた家自体はもうないが)
実家には今年も帰らずに
ずっとこっちで過ごしています。
年末に実家に帰るという習慣ってどこから来たのだろうと
ふと思う今日この頃です
ニュースを見たら北国は寒波が来ていて
とてもじゃないけど都会の気候に慣れてしまった私には無理で
今年もこっちで年越しです
年を越すって、誕生日の次に不思議な気がします
世界中が新しい年に変わる。
カレンダーも数字も、ありとあらゆる表示も、いろんな事が
「最後」と「最初」に別れてしまう。
ほんとは何にも変わってないのに。
年の瀬だというのに時代は猛烈な勢いで動いています
事件も事故も無くなりません。
ニュースに何もない日というのは絶対に無いのです。
タレントの飯島愛さんが自宅で亡くなっていたそうですね。
都会の一人暮らしで、人と人が直接接触することなく
生きていけるから
一人が独りになったからと言って
すぐに気づいてもらえないのだろうと思う。
事実私も感じたことがあります。
私がもし、SAHなどで自宅で倒れていたら
いったい誰が何日後に発見してくれるのだろう、と。
一人が独りになった時に
繋がるツールは携帯電話でもメールでもなく
人と人との心の絆だけだと思う。
「あれ?最近どうしているかな」
そういったふとした心の中に湧き上がる
その人との繋がりを どうか大切にしてほしいと思います。
そうやって思い出すことしか 最後の最後には
役に立たないのですから。
思い出すこともされずにいたら
それこそ数年間失踪していても
亡くなっていても、誰も気づいてくれずに
そのまま何事もなく時代が流れていってしまうのです。
なんとも淋しい世の中ですね・・・
そこに、思い出してくれる人間がいるかいないか。
自分のことを覚えていてくれる人がいること
思い出してくれる人がいるということ
たとえ会えなくても。
それはとても貴重なつながりだと思うのです。
離れていても、つながっていると思える。
そんな見えない糸を、人は絆と呼ぶのでしょうか。
事件も事故も無くなりません。
ニュースに何もない日というのは絶対に無いのです。
タレントの飯島愛さんが自宅で亡くなっていたそうですね。
都会の一人暮らしで、人と人が直接接触することなく
生きていけるから
一人が独りになったからと言って
すぐに気づいてもらえないのだろうと思う。
事実私も感じたことがあります。
私がもし、SAHなどで自宅で倒れていたら
いったい誰が何日後に発見してくれるのだろう、と。
一人が独りになった時に
繋がるツールは携帯電話でもメールでもなく
人と人との心の絆だけだと思う。
「あれ?最近どうしているかな」
そういったふとした心の中に湧き上がる
その人との繋がりを どうか大切にしてほしいと思います。
そうやって思い出すことしか 最後の最後には
役に立たないのですから。
思い出すこともされずにいたら
それこそ数年間失踪していても
亡くなっていても、誰も気づいてくれずに
そのまま何事もなく時代が流れていってしまうのです。
なんとも淋しい世の中ですね・・・
そこに、思い出してくれる人間がいるかいないか。
自分のことを覚えていてくれる人がいること
思い出してくれる人がいるということ
たとえ会えなくても。
それはとても貴重なつながりだと思うのです。
離れていても、つながっていると思える。
そんな見えない糸を、人は絆と呼ぶのでしょうか。
今年も残りあと10日となりました。
毎年この時期の、総括をしたいと思います。
1、とにかく病気、怪我が多かった。
まずは春休み(2か月程度)あけから何となく気分が優れなくなり、大学2年の幕開けは
ブルーな感じでスタートしました。その後もしばらく復活できず、実習が始まる直前に最高潮。
あんなに実学大好き、実習大好き人間だった(北先生談)はずなのに、毎日毎日実習がいや
で泣いていた(本当)なぜあんなに嫌だったのかは自分でもわかりません・・・
結局内因性の鬱病ということになり、服薬したら2週間程度で改善。
大学で泣いてたのもこの頃。とにかく、一刻も早く大学から脱出したくてたまらない数か月でし
た。
さらに、夏休みに道路の穴に躓いて転倒し、ざっくりと向こう脛を切り骨が出る。
そして整形外科へ行ったら、股関節の周囲の筋力が全く発達していないことが判明し、毎週
リハビリに通うことになりました。これは現在も継続中です。
また、歯の調子も悪く、今までに詰めたインレーが次々と外れ、春休み中ずっと歯医者に
通っていました。インレーって一生ものではないんですね。
それから、顎関節症になり顎が開かなくなること数回。(現在も治療中)
目の病気にもなりました。
コンタクトをしたままうっかり寝てしまい、朝起きたら目に白い斑点。
そう、角膜潰瘍です。一日ほっといたせいでさらに潰瘍が進み、1か月以上コンタクトが出来
ない状況に。その上近視も2段進んで、ついにマイナス4.25になり、買いだめしていたコンタ
クトを返品。
まあ、今年は良く病院に医療費払った年になったと思います。
2、会社の組織体制が変わり、ストレス増大
会社が有限から株式になり、前の職場を追い出された業者さんを社長に据えることに。
理系出身の社長なのですが、金儲けになれば何でもありという方針と、人間性より仕事
能力優先の人事についていけず、会社に顔を出しにくくなりました。
その後私は出向が事実上解除になり、本来のクリニック勤務に。その代りわたしの代理が
クリニックに存在するため給料が半額に(!!)学費の心配も大きくなったの年でもありました。
経費も使いづらくなり、自己出費が増えた代わりに、会社の経営は黒字路線に。
育英会の奨学金を借りていますが、今後卒業までに900万借り、20年かけて利子つきで
1200万を返済することになりました。いーんだか悪いんだか分からない状態です。
3、大学で勉強しなくなった。
原因1のため、大学にいること自体が嫌になり、さっさと帰るようになりました。
ビタ先生のいる煙研が、新入生に占領されたこともありますが、居場所のなさを感じるよう
になり、その上ビタ先生の講義が私には苦痛で、なんだかそばにいるのが居たたまれなく
なり大学からとっとと帰る生活に。
おかげで試験で初めて追試科目が出ました。ただし学年順位はなぜか上がったので、回
りが勉強しなくなったのだと思います。
まあこう挙げていくとあっという間の一年だった割には色々ありましたね・・・
弱っていると昔昔のことを思い出すことも多くなり、ますますブルーになってました。
それに加えて周りののんきな学生に腹が立つようにもなるのです。
理不尽さを感じちゃうんですよね、精神的に落ち気味だと。
だけど周囲の学生とは置かれている立場も状況も違うので、現代の学生達がちゃら
ちゃらするのも仕方がないとも思います。
今年も一年青森に帰らなかったので、かれこれ3年帰ってないことになりますが
故郷は遠くにありて思うもの・・・と勝手に納得しています。
もう私の居場所も多分ないでしょうし。
今年は精神的に不調になった時間が多かった分、鈴先生、北先生、職場の医師にとても
助けられました。特に身近なところでは鈴先生がいつも気にかけてくれてとてもありがたい
一年でした。
北先生とはなかなか会う機会がありませんでしたが、北先生もここ、という時には必ずと
言って良いほど声をかけていただけて、さらに医療と経済の話についても色々と意見を聞
くことができました。北先生と経済の話ができるようになったんだ、と実感。
とても勉強になった部分が大きかったです。
日本では医療崩壊や、精神障害者の犯罪という記事が多かったです。というより、犯罪者
を何とか精神障害者にしたてようという流れが年々顕著になる気がします。それに加え、
やはり精神的に何か障害を被った人間というものが、確実に日本に増えているということ。
詰め込み偏差値教育も、ゆとり教育も、結局根本的なところで人間性を育てることにはな
らなかった。今後この失敗を日本の社会はどう受け止めていくのでしょうか。
失敗してもそれを生かせばいいのですが、生かさなければ本当に無駄な犠牲を払うことに
なるのだと私は思います。
医療崩壊も今年は大きく進みました。しかしこの崩壊は今に始まった事ではなく、改革する
前から予測がついたはず。改革してしまい、失敗が明らかになった今となっては、これをさら
にどう改善していくことに全力を注ぐか。その思いきりだと思います。
失敗したのは確かに悪いいけれど、失敗してから、その失敗を認めなかったり、見て見ぬふ
りをするるのはもっと悪い。こんな大人たちが日本を動かしているうちは、日本の子供の心の
教育とか言ってる状況じゃないですよね。
そして私はこの一年間、髪を伸ばそうと思うとすぐに挫折して髪を切るというような繰り返しで
結局ショートカットな一年間でした。11月だというのに5センチ以上切っちゃいましたし・・・
来年こそは周囲に何と言われようと(!)髪を伸ばそうと思います。
ブログをエキサイトから忍者に移動して2年が過ぎました。
エキサイト時代からずっと読んで下さっている方、そして忍者になってから来て下さった方
本当に私のくだらない日々の戯言を覘いていただいてありがとうございます。
私の大きな支えです。
最近ブログの左側にメッセージ送信機能を付けました。
直接私にメッセージが届きますので、ご意見ご感想ありましたら送っていただけると幸いです。
(ちなみに第一号は北先生でした)
今年も一年、無事に過ごすことができたこと
本当に感謝して終えたいと思います。
毎年この時期の、総括をしたいと思います。
1、とにかく病気、怪我が多かった。
まずは春休み(2か月程度)あけから何となく気分が優れなくなり、大学2年の幕開けは
ブルーな感じでスタートしました。その後もしばらく復活できず、実習が始まる直前に最高潮。
あんなに実学大好き、実習大好き人間だった(北先生談)はずなのに、毎日毎日実習がいや
で泣いていた(本当)なぜあんなに嫌だったのかは自分でもわかりません・・・
結局内因性の鬱病ということになり、服薬したら2週間程度で改善。
大学で泣いてたのもこの頃。とにかく、一刻も早く大学から脱出したくてたまらない数か月でし
た。
さらに、夏休みに道路の穴に躓いて転倒し、ざっくりと向こう脛を切り骨が出る。
そして整形外科へ行ったら、股関節の周囲の筋力が全く発達していないことが判明し、毎週
リハビリに通うことになりました。これは現在も継続中です。
また、歯の調子も悪く、今までに詰めたインレーが次々と外れ、春休み中ずっと歯医者に
通っていました。インレーって一生ものではないんですね。
それから、顎関節症になり顎が開かなくなること数回。(現在も治療中)
目の病気にもなりました。
コンタクトをしたままうっかり寝てしまい、朝起きたら目に白い斑点。
そう、角膜潰瘍です。一日ほっといたせいでさらに潰瘍が進み、1か月以上コンタクトが出来
ない状況に。その上近視も2段進んで、ついにマイナス4.25になり、買いだめしていたコンタ
クトを返品。
まあ、今年は良く病院に医療費払った年になったと思います。
2、会社の組織体制が変わり、ストレス増大
会社が有限から株式になり、前の職場を追い出された業者さんを社長に据えることに。
理系出身の社長なのですが、金儲けになれば何でもありという方針と、人間性より仕事
能力優先の人事についていけず、会社に顔を出しにくくなりました。
その後私は出向が事実上解除になり、本来のクリニック勤務に。その代りわたしの代理が
クリニックに存在するため給料が半額に(!!)学費の心配も大きくなったの年でもありました。
経費も使いづらくなり、自己出費が増えた代わりに、会社の経営は黒字路線に。
育英会の奨学金を借りていますが、今後卒業までに900万借り、20年かけて利子つきで
1200万を返済することになりました。いーんだか悪いんだか分からない状態です。
3、大学で勉強しなくなった。
原因1のため、大学にいること自体が嫌になり、さっさと帰るようになりました。
ビタ先生のいる煙研が、新入生に占領されたこともありますが、居場所のなさを感じるよう
になり、その上ビタ先生の講義が私には苦痛で、なんだかそばにいるのが居たたまれなく
なり大学からとっとと帰る生活に。
おかげで試験で初めて追試科目が出ました。ただし学年順位はなぜか上がったので、回
りが勉強しなくなったのだと思います。
まあこう挙げていくとあっという間の一年だった割には色々ありましたね・・・
弱っていると昔昔のことを思い出すことも多くなり、ますますブルーになってました。
それに加えて周りののんきな学生に腹が立つようにもなるのです。
理不尽さを感じちゃうんですよね、精神的に落ち気味だと。
だけど周囲の学生とは置かれている立場も状況も違うので、現代の学生達がちゃら
ちゃらするのも仕方がないとも思います。
今年も一年青森に帰らなかったので、かれこれ3年帰ってないことになりますが
故郷は遠くにありて思うもの・・・と勝手に納得しています。
もう私の居場所も多分ないでしょうし。
今年は精神的に不調になった時間が多かった分、鈴先生、北先生、職場の医師にとても
助けられました。特に身近なところでは鈴先生がいつも気にかけてくれてとてもありがたい
一年でした。
北先生とはなかなか会う機会がありませんでしたが、北先生もここ、という時には必ずと
言って良いほど声をかけていただけて、さらに医療と経済の話についても色々と意見を聞
くことができました。北先生と経済の話ができるようになったんだ、と実感。
とても勉強になった部分が大きかったです。
日本では医療崩壊や、精神障害者の犯罪という記事が多かったです。というより、犯罪者
を何とか精神障害者にしたてようという流れが年々顕著になる気がします。それに加え、
やはり精神的に何か障害を被った人間というものが、確実に日本に増えているということ。
詰め込み偏差値教育も、ゆとり教育も、結局根本的なところで人間性を育てることにはな
らなかった。今後この失敗を日本の社会はどう受け止めていくのでしょうか。
失敗してもそれを生かせばいいのですが、生かさなければ本当に無駄な犠牲を払うことに
なるのだと私は思います。
医療崩壊も今年は大きく進みました。しかしこの崩壊は今に始まった事ではなく、改革する
前から予測がついたはず。改革してしまい、失敗が明らかになった今となっては、これをさら
にどう改善していくことに全力を注ぐか。その思いきりだと思います。
失敗したのは確かに悪いいけれど、失敗してから、その失敗を認めなかったり、見て見ぬふ
りをするるのはもっと悪い。こんな大人たちが日本を動かしているうちは、日本の子供の心の
教育とか言ってる状況じゃないですよね。
そして私はこの一年間、髪を伸ばそうと思うとすぐに挫折して髪を切るというような繰り返しで
結局ショートカットな一年間でした。11月だというのに5センチ以上切っちゃいましたし・・・
来年こそは周囲に何と言われようと(!)髪を伸ばそうと思います。
ブログをエキサイトから忍者に移動して2年が過ぎました。
エキサイト時代からずっと読んで下さっている方、そして忍者になってから来て下さった方
本当に私のくだらない日々の戯言を覘いていただいてありがとうございます。
私の大きな支えです。
最近ブログの左側にメッセージ送信機能を付けました。
直接私にメッセージが届きますので、ご意見ご感想ありましたら送っていただけると幸いです。
(ちなみに第一号は北先生でした)
今年も一年、無事に過ごすことができたこと
本当に感謝して終えたいと思います。
一昨日は職場の忘年会でした。
久しぶりにスタッフや関連協力会社(製薬メーカーや卸ですが)の方と
お話することができ、ホストとしてとてもいい時間を過ごすことができました。
しかし・・・・・
うちの職場の忘年会は毎年2次会のカラオケがメインで、カラオケボックスで
日頃の製薬会社のMRさん達にストレスを発散してもらおう!というのが
主たるものなので盛り上がりはここなのです。
職場の今までフル参加だった私は、今回ばかりは欠席。
なぜなら、翌日の昨日は物理の試験だったのです。
今期から来たMRさんと結構仲良くしてもらっているので
ぜひ二次回には参加したかったのに
のに。
今回は仕方なく、「微分も積分もできない」状態で試験に臨んだら
確実に落ちるのはわかっていたので、前々から自力で微分積分をとりあえずマスターし
暗記ではなく式を導出できるような状態にして、そのあとの計算問題まで
きちんと解けるようにして試験に臨みたかったのです。
事情を説明して、今回はゴメンナサイさせて家に帰りました。
そして結果は・・・
計算と択一が半分ずつだったのですが、計算のほうはやったかいあって
結構解けて、択一は???な感じでした。
個人的には、講義中に先生が板書している式すら「日本語として読めない」状態
だった一か月前から、自力で計算して正しい答えを導きだせる状態にまでなれたので
この実習試験のおかげでいろんな力がついた、と感じています。
試験はないほうが気楽だけど、こうして試験があるおかげで
自分自身にいろんな事が身についていくような気がします。
微分積分なんて、現役の高校時代ですら解けませんでしたしね。
なぜ当時この程度のことができなかったのか・・・・
今考えると謎です。
たぶん今の私と、高校時代の私では
生活状況はもちろん違いますが、努力の質が違うような気がします。
あの頃は、親にお金を出してもらって高校に通い
努力の程度や質が全然違っていたように思います
そして何よりも勉強以外で大変なことが多すぎました。
今は奨学金を一千万近く借りて
職場からのサポートもあり(試験中に仕事に行かなくていいとか)
自分の稼ぎだけで生活と、学費を賄っています
それは間違いなく自分が自分で頑張らなければ
成り立たないものだと思うのです
努力しないのも、するのも自分次第なのは現役学生と変わりませんが
やらないという選択肢を選んだ後に、私の手に残るものは
大きく変わります。
そんな道に自分が今いることが、とても不思議な気がします。
少しずつ、出来なかったことが出来るようになってきてうれしい。
昔の私では、考えられなかった化学や数学の世界。
だけど、今の私は投げ出したり諦めたりするという選択肢を選ばず
まずはがんばって挑戦するということができるようになっている。
これも、私が大学にいるおかげだと思っています。
今日は今年最後の有機化学。
女神様に微笑んでもらえるように、頑張ります☆
みなさまもよい一日を。
久しぶりにスタッフや関連協力会社(製薬メーカーや卸ですが)の方と
お話することができ、ホストとしてとてもいい時間を過ごすことができました。
しかし・・・・・
うちの職場の忘年会は毎年2次会のカラオケがメインで、カラオケボックスで
日頃の製薬会社のMRさん達にストレスを発散してもらおう!というのが
主たるものなので盛り上がりはここなのです。
職場の今までフル参加だった私は、今回ばかりは欠席。
なぜなら、翌日の昨日は物理の試験だったのです。
今期から来たMRさんと結構仲良くしてもらっているので
ぜひ二次回には参加したかったのに
のに。
今回は仕方なく、「微分も積分もできない」状態で試験に臨んだら
確実に落ちるのはわかっていたので、前々から自力で微分積分をとりあえずマスターし
暗記ではなく式を導出できるような状態にして、そのあとの計算問題まで
きちんと解けるようにして試験に臨みたかったのです。
事情を説明して、今回はゴメンナサイさせて家に帰りました。
そして結果は・・・
計算と択一が半分ずつだったのですが、計算のほうはやったかいあって
結構解けて、択一は???な感じでした。
個人的には、講義中に先生が板書している式すら「日本語として読めない」状態
だった一か月前から、自力で計算して正しい答えを導きだせる状態にまでなれたので
この実習試験のおかげでいろんな力がついた、と感じています。
試験はないほうが気楽だけど、こうして試験があるおかげで
自分自身にいろんな事が身についていくような気がします。
微分積分なんて、現役の高校時代ですら解けませんでしたしね。
なぜ当時この程度のことができなかったのか・・・・
今考えると謎です。
たぶん今の私と、高校時代の私では
生活状況はもちろん違いますが、努力の質が違うような気がします。
あの頃は、親にお金を出してもらって高校に通い
努力の程度や質が全然違っていたように思います
そして何よりも勉強以外で大変なことが多すぎました。
今は奨学金を一千万近く借りて
職場からのサポートもあり(試験中に仕事に行かなくていいとか)
自分の稼ぎだけで生活と、学費を賄っています
それは間違いなく自分が自分で頑張らなければ
成り立たないものだと思うのです
努力しないのも、するのも自分次第なのは現役学生と変わりませんが
やらないという選択肢を選んだ後に、私の手に残るものは
大きく変わります。
そんな道に自分が今いることが、とても不思議な気がします。
少しずつ、出来なかったことが出来るようになってきてうれしい。
昔の私では、考えられなかった化学や数学の世界。
だけど、今の私は投げ出したり諦めたりするという選択肢を選ばず
まずはがんばって挑戦するということができるようになっている。
これも、私が大学にいるおかげだと思っています。
今日は今年最後の有機化学。
女神様に微笑んでもらえるように、頑張ります☆
みなさまもよい一日を。
最近は冬休みの前の実習試験シーズンです。
中間が一段落して、後期の実習試験の時期なんですね
と言っても3つですけど 試験から離れているとその感覚を
取り戻すのにちょっと苦労します。
そんな中でちょくちょく
「もとさん目標に勉強します!どこ勉強したらいいっすか?」とか
「何出るんですか?」
と、聞いてくる学生がいるんです
そのこと自体は別に何とも思わないのですが
どこが大事なのかと聞いてくるので
「ここは覚えておいたほうがいいね」
「この方法をする理由はなーんだ?」
と、私が問題を出したり、ポイントを言ったりすると
なぜだか聞いてくる学生に限って
「えっ そんなとこ出ないですよ」
「そこは覚えなくていいと思いますけど」
と言ってくるのです。
ある意味どこを覚えたらいいのかこっちが聞きたい状態です。
しかも点数が取れないと困っている学生に限ってそう。
そんな時私の中の大人げない「ブラックもとむら」が心の中では
「・・・・・・・・。そんなこと言ってるからダメなんだよ・・・」
「私より点数を取りたいなら、私が覚えている以上に
覚えなきゃ意味がねーだろっつーの」
などなど
大人気もなく思ったりするのです(苦笑)
それにしても何を根拠に「こんなの出ませんよ~!」
と、言い切れてしまうのだろう。
(私から見たら相当大事なポイントに思えるんですが)
「ここはやんなくていいと思います」とか
判断がつくなら初めから私なんかに聞くなっつうの。
しかもそんな状況で試験が終わった後には
「やられましたよ・・・」
「出ると思いませんでした」
やられましたよ・・・ じゃないっつうの。
試験始まる前からやられるの分っていながら
戦いに挑んだでしょ。
ほんと試験前になると不思議な人たちです・・・
中間が一段落して、後期の実習試験の時期なんですね
と言っても3つですけど 試験から離れているとその感覚を
取り戻すのにちょっと苦労します。
そんな中でちょくちょく
「もとさん目標に勉強します!どこ勉強したらいいっすか?」とか
「何出るんですか?」
と、聞いてくる学生がいるんです
そのこと自体は別に何とも思わないのですが
どこが大事なのかと聞いてくるので
「ここは覚えておいたほうがいいね」
「この方法をする理由はなーんだ?」
と、私が問題を出したり、ポイントを言ったりすると
なぜだか聞いてくる学生に限って
「えっ そんなとこ出ないですよ」
「そこは覚えなくていいと思いますけど」
と言ってくるのです。
ある意味どこを覚えたらいいのかこっちが聞きたい状態です。
しかも点数が取れないと困っている学生に限ってそう。
そんな時私の中の大人げない「ブラックもとむら」が心の中では
「・・・・・・・・。そんなこと言ってるからダメなんだよ・・・」
「私より点数を取りたいなら、私が覚えている以上に
覚えなきゃ意味がねーだろっつーの」
などなど
大人気もなく思ったりするのです(苦笑)
それにしても何を根拠に「こんなの出ませんよ~!」
と、言い切れてしまうのだろう。
(私から見たら相当大事なポイントに思えるんですが)
「ここはやんなくていいと思います」とか
判断がつくなら初めから私なんかに聞くなっつうの。
しかもそんな状況で試験が終わった後には
「やられましたよ・・・」
「出ると思いませんでした」
やられましたよ・・・ じゃないっつうの。
試験始まる前からやられるの分っていながら
戦いに挑んだでしょ。
ほんと試験前になると不思議な人たちです・・・
ほんの少し、息抜きが出来ていました。
と言っても、実生活では試験続きで息抜きなんて出来てないのですが
心のほうは少し休息してました。
昨日はなぜかビタ先生が朝から超ご機嫌で
おはようございますと挨拶したら
笑顔でお早うが返ってきました。
そしてお昼に学生課の名前は知らないけど
何かと私の携帯に電話を(しかも自分の携帯から)かけてくる人に
呼び止められ
巨大な果物をいただいたのですが
名前が分からなかったので煙研に行ったら
そこでもビタ先生にこにこ。
・・・・・・・・。
彼に何があったのだろう。
(ついそう思ってしまう非素直なわたくし。)
でも人の笑い顔っていいですね。
なんだか幸せな気持ちになれます。
私は人の写真を撮るのは苦手で
被写体に人を撮りたいと思ったのは
古池以外では今までないのですが
久し振りにカメラを手にしたので、
なんかこう、人間を撮ってみたくなりました。
人間を写真に撮るのは私には難しいです
でも、今私はとても素敵な人たちに支えられて生きているので
そういう人たちを撮ってみるのもいいな、と思い始めています。
カメラのファインダーから見る風景と
私の中に流れる時間。
時間を切り取っているような感触。
心の中が一瞬空っぽになります。
写真を撮っている瞬間というのは
人にどう思われようとか
自分の存在は何なんだろうとか
そういうことを考えたりしない時間で
なんだか不思議です
今の世の中を生きる間は
心が空っぽになる時間というのがとても少ない。
常に何かが頭の中で巡って
常に心の中に誰かがいる。
そして人間はそういうものに囚われて
本当の自由な時間というものを
持ち合わせる余裕が無くなってしまったのではないでしょうか。
と、心の余裕がこのところなかった私は
そんなことを思いながら
また「自然の中に放たれたい」病にかかりつつあります。
自然の中に放たれたい。
たぶん、この思いは心を空っぽにしたい、ってことなんでしょうね。
空っぽになっているからこそ
色んな事がダイレクトに届いて
いろんな事が心に響く。
それをきっと人々は
「心の余裕」と呼ぶんでしょうね。
と言っても、実生活では試験続きで息抜きなんて出来てないのですが
心のほうは少し休息してました。
昨日はなぜかビタ先生が朝から超ご機嫌で
おはようございますと挨拶したら
笑顔でお早うが返ってきました。
そしてお昼に学生課の名前は知らないけど
何かと私の携帯に電話を(しかも自分の携帯から)かけてくる人に
呼び止められ
巨大な果物をいただいたのですが
名前が分からなかったので煙研に行ったら
そこでもビタ先生にこにこ。
・・・・・・・・。
彼に何があったのだろう。
(ついそう思ってしまう非素直なわたくし。)
でも人の笑い顔っていいですね。
なんだか幸せな気持ちになれます。
私は人の写真を撮るのは苦手で
被写体に人を撮りたいと思ったのは
古池以外では今までないのですが
久し振りにカメラを手にしたので、
なんかこう、人間を撮ってみたくなりました。
人間を写真に撮るのは私には難しいです
でも、今私はとても素敵な人たちに支えられて生きているので
そういう人たちを撮ってみるのもいいな、と思い始めています。
カメラのファインダーから見る風景と
私の中に流れる時間。
時間を切り取っているような感触。
心の中が一瞬空っぽになります。
写真を撮っている瞬間というのは
人にどう思われようとか
自分の存在は何なんだろうとか
そういうことを考えたりしない時間で
なんだか不思議です
今の世の中を生きる間は
心が空っぽになる時間というのがとても少ない。
常に何かが頭の中で巡って
常に心の中に誰かがいる。
そして人間はそういうものに囚われて
本当の自由な時間というものを
持ち合わせる余裕が無くなってしまったのではないでしょうか。
と、心の余裕がこのところなかった私は
そんなことを思いながら
また「自然の中に放たれたい」病にかかりつつあります。
自然の中に放たれたい。
たぶん、この思いは心を空っぽにしたい、ってことなんでしょうね。
空っぽになっているからこそ
色んな事がダイレクトに届いて
いろんな事が心に響く。
それをきっと人々は
「心の余裕」と呼ぶんでしょうね。
カメラが来ました。
久しぶりにフォーカスの音を聞いていたら
忘れていた色んな気持ちを思い出しました
昔の写真を見返したりして。
カメラが好きな人ってカメラのどういうところが好きなのだろうか。
私は写真を撮ることは好きだったけど、写真に写るのは大嫌いだった。
高校の修学旅行のあと
職員室前の廊下に何百枚と同行したカメラマンさんが撮った写真が
ずらりと並べられて、買うことができたのですが
その何百枚とあるうちに
私が映っていたのはたった2枚でした。
しかもカメラに気づいてない時に撮られたもの。
あの頃は私の暗黒時代だったので
もしかしたら無意識にカメラを避けていたのかもしれない。
生きている証拠が残るのが、何となく嫌だったのです。
生きていた証を残したいと思う反面
自分の姿を写真で残すのが嫌だったという
ものすごい葛藤的な時代でした・・・
名越先生いわく
生きることは丸のまま試練なんだそうです。
そして生きるということは暇つぶしだとも。
生きるって何なんでしょうね
生きる始めに意思がきっとあったはずなのに
その記憶は全くもって残らない
遺伝子が生きることを望んだ
ただそれだけで
意思ある人間が
いつの間にかここにいる。
私はいつから
生きたいと思うようになったのだろう。
久しぶりにフォーカスの音を聞いていたら
忘れていた色んな気持ちを思い出しました
昔の写真を見返したりして。
カメラが好きな人ってカメラのどういうところが好きなのだろうか。
私は写真を撮ることは好きだったけど、写真に写るのは大嫌いだった。
高校の修学旅行のあと
職員室前の廊下に何百枚と同行したカメラマンさんが撮った写真が
ずらりと並べられて、買うことができたのですが
その何百枚とあるうちに
私が映っていたのはたった2枚でした。
しかもカメラに気づいてない時に撮られたもの。
あの頃は私の暗黒時代だったので
もしかしたら無意識にカメラを避けていたのかもしれない。
生きている証拠が残るのが、何となく嫌だったのです。
生きていた証を残したいと思う反面
自分の姿を写真で残すのが嫌だったという
ものすごい葛藤的な時代でした・・・
名越先生いわく
生きることは丸のまま試練なんだそうです。
そして生きるということは暇つぶしだとも。
生きるって何なんでしょうね
生きる始めに意思がきっとあったはずなのに
その記憶は全くもって残らない
遺伝子が生きることを望んだ
ただそれだけで
意思ある人間が
いつの間にかここにいる。
私はいつから
生きたいと思うようになったのだろう。
本日は有機化学の中間試験。
ちょうど体調に大波が来ていて、眠くてここ一週間ほど講義中も
どんなに前の日寝てもつい気づくと瞬間睡眠に陥っているという状況で
勉強は老体に鞭打ち(そう若くないですからね)何とか睡魔との闘いで
していたのですが、自分的には量的にいまいち不安感を抱いたまま
当日を迎えました。
有機化学は大学で出会った私の一番好きな科目です。
みんな嫌いだ嫌いだというけれど、私は大学生活の中で
有機化学が一番好きなのです。
なんといってもあの美しい理論に惹かれます。
論理的な動きで分子が出来上がっていくなんて。
しかもそれを人間の手で、その美しい理論を使って作り上げることができるなんて。
ああ、なんて美しい学問なんだろう。まるで女神さまのよう。
特に反応機構が好き。
超理論的なあの電子の動きがたまらんです。
(こーなると理系の怪しさ満点ですね)
駄菓子菓子
だがしかし・・・・
有機の女神さまにはなかなか振り向いてもらえず
テストではいつもこっぴどく振られまくっています。
有機Ⅰの時なんか、学生集めて有機の分からないところを
みんなに細かく教えてあげたりして。
教えたみんなは無事軒並み高得点をゲットし
当の私はというと赤点ぎりぎりで 先生にも
「もとむら、もっと取れると思って期待してたのに。」
なんてがっかりされてました。
そりゃそうだよ。私だってなぜこの点数になる答えを
当日導き出したかが自分でも謎。
あまりに納得いかないので、後でもう一回テストを解きなおし
させてもらいました。
そしたらちゃんと高得点をゲット!(意味無いが)
続く有機Ⅱは、一番大好きな科目だったので
後回しにしたのが間違いのもとで
こつこつ積み重ねが大事な有機化学は
一日二日の詰め込み知識じゃいかんのですよ。
しかも最悪なことにスケジュール的に3日前に有機の補講が入り
そこで一気に100ページ近く進むという暴挙。
当日まで結局範囲を網羅できずに試験に臨んでしまい
もちろん女神さまにはこっぴどく振られ
一度も今のところ微笑んでもらったことがないのです。
ふー。
そして今日のテスト。
前の日まで反応機構を何度も繰り返し書いて
過去問をといて、宿題を見直し
今日のテストに臨んだのですが
試験開始10分後、さっき開始前にトイレ行ったばかりなのに
冷え切った机と椅子と教室にやられたのか
トイレに行きたくなり
トイレに行きたい・・・
トイレ・・・・
うー・・・・・・・
我慢できない・・・・・・
どうしよ・・・
トイレに行きたい
トイレ行ったらもう教室帰ってこれないよな・・・
でも今まだ始まって10分しか経ってないよ・・・
しかも全然といてないよ・・・
トイレに行きたい・・・
寒すぎる・・・
と、トイレに行くのを我慢するのに思考回路のほぼ半分以上を
使ってしまい
まともに炭素数やら立体配置なんかを考えている余裕がなかった・・・・・・
というよりも思考を化学に戻せなかった・・・
しかも帰ってきて上司(医師)の一言が
「漏らしてでもいいから試験に集中しろっ。オペ中にトイレに
行きたくなったらどーすんだコラ」
ごもっとも・・・・
ん?!
いやいや!
漏らせませんから!
というか理性が働いてそんなこと出来ない!
有機の女神さまにはいつまで嫌われ続けるのだろうか・・・・。
ちょうど体調に大波が来ていて、眠くてここ一週間ほど講義中も
どんなに前の日寝てもつい気づくと瞬間睡眠に陥っているという状況で
勉強は老体に鞭打ち(そう若くないですからね)何とか睡魔との闘いで
していたのですが、自分的には量的にいまいち不安感を抱いたまま
当日を迎えました。
有機化学は大学で出会った私の一番好きな科目です。
みんな嫌いだ嫌いだというけれど、私は大学生活の中で
有機化学が一番好きなのです。
なんといってもあの美しい理論に惹かれます。
論理的な動きで分子が出来上がっていくなんて。
しかもそれを人間の手で、その美しい理論を使って作り上げることができるなんて。
ああ、なんて美しい学問なんだろう。まるで女神さまのよう。
特に反応機構が好き。
超理論的なあの電子の動きがたまらんです。
(こーなると理系の怪しさ満点ですね)
駄菓子菓子
だがしかし・・・・
有機の女神さまにはなかなか振り向いてもらえず
テストではいつもこっぴどく振られまくっています。
有機Ⅰの時なんか、学生集めて有機の分からないところを
みんなに細かく教えてあげたりして。
教えたみんなは無事軒並み高得点をゲットし
当の私はというと赤点ぎりぎりで 先生にも
「もとむら、もっと取れると思って期待してたのに。」
なんてがっかりされてました。
そりゃそうだよ。私だってなぜこの点数になる答えを
当日導き出したかが自分でも謎。
あまりに納得いかないので、後でもう一回テストを解きなおし
させてもらいました。
そしたらちゃんと高得点をゲット!(意味無いが)
続く有機Ⅱは、一番大好きな科目だったので
後回しにしたのが間違いのもとで
こつこつ積み重ねが大事な有機化学は
一日二日の詰め込み知識じゃいかんのですよ。
しかも最悪なことにスケジュール的に3日前に有機の補講が入り
そこで一気に100ページ近く進むという暴挙。
当日まで結局範囲を網羅できずに試験に臨んでしまい
もちろん女神さまにはこっぴどく振られ
一度も今のところ微笑んでもらったことがないのです。
ふー。
そして今日のテスト。
前の日まで反応機構を何度も繰り返し書いて
過去問をといて、宿題を見直し
今日のテストに臨んだのですが
試験開始10分後、さっき開始前にトイレ行ったばかりなのに
冷え切った机と椅子と教室にやられたのか
トイレに行きたくなり
トイレに行きたい・・・
トイレ・・・・
うー・・・・・・・
我慢できない・・・・・・
どうしよ・・・
トイレに行きたい
トイレ行ったらもう教室帰ってこれないよな・・・
でも今まだ始まって10分しか経ってないよ・・・
しかも全然といてないよ・・・
トイレに行きたい・・・
寒すぎる・・・
と、トイレに行くのを我慢するのに思考回路のほぼ半分以上を
使ってしまい
まともに炭素数やら立体配置なんかを考えている余裕がなかった・・・・・・
というよりも思考を化学に戻せなかった・・・
しかも帰ってきて上司(医師)の一言が
「漏らしてでもいいから試験に集中しろっ。オペ中にトイレに
行きたくなったらどーすんだコラ」
ごもっとも・・・・
ん?!
いやいや!
漏らせませんから!
というか理性が働いてそんなこと出来ない!
有機の女神さまにはいつまで嫌われ続けるのだろうか・・・・。