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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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明日が見えないから
今日を精一杯生きよう

明日が見えないから

今日だけは
精一杯生きよう


また明日がくる

繰り返される日々

だけど明日は見えない。

今日を精一杯生きよう。


生きるしかない。

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桜の季節は5月だとずっと思っていたけれど
青い森を離れてから
桜の季節は3月末から4月なんだと
思い知らされております

ちょうど進路を決める時期ですね

私の小さい頃の夢は科学者になること、でした。
キュリー夫人の伝記が、私の初めて買った本です
私も科学者になりたいと思っていました
その中でも医学を目指したのは
一生勉強していられる学問だと思ったからです
自由な発想と豊かな想像力が必要な学問だと
そう思ったからです
今は医療の中でも薬学を勉強していましすが
頂をのぞむならまずはその麓からという気持ちです
とは言っても薬学は医学とは別の峰で
同じくらいの高さにそびえる高く大きな山なのですけどね

医学の下に薬学があるのではない、と
最近そう思います
医療の中で医学・薬学は法律の中での序列はあれど
別々の頂で、麓は同じという感じがします

一生をかけられる仕事がしたい、と
ずっとずっと思っていました
そして桜の咲く季節になると毎年のように
体に追い付かない心が、ちくちくと痛んでいました
自分の道は、これでいいのか、と。
実験助手として、実験者としての人生が長かったけれど
本格的に学んだことは少なかった私が
今こうして薬学を学べること
とても幸せに思っています

体の年齢に追い付かない私の心は
ある意味とても冷静で大人で褪めている
けれどもある部分でとてつもなく子供で弱い
こんな私は自分が自分に追いつけるように
それでも必死に毎日を生きています

生まれてから何度桜を見ただろう。
青い森には、桜川という川が流れています
その岸のベンチに座って、古池の帰りを待った日々。
桜とともに散っていった私の10代
根っこが張れなかった私の20代
そして今心と体の年齢の乖離に悩みながら
30年目の桜を見つめています



私の心の中には桜の樹がある。



強い光をいっぱいに葉に受けて
人々に木陰を作ってやれるだけの力量はない。
だけど冬の季節もしっかり根を張り
一年のうちに一瞬でも満開の桜を咲かせてみたいと思う。
そしてその花を見て 笑ってくれる人たちがいるなら
とても幸せだなあと思います

覚えていてね
思いだしてね
桜の花の咲くころに。


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何度も躓いても
それでも納得いかないことがある。

目の前に据えられているのは
けして正しいこととは限らない。

妥協の産物?

あなたの中で?

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やっと試験おわりました
今となってはなんでこんな難しくもないような
この科目を落としたのか謎です
精神的に大ダメージがあると
何も手につかなくなるのは私の悪い癖ですね

今日はけがして初めての試験だったのですが
転んだ時についた腕の筋力が回復していないので
試験開始30~40分あたりで筋肉が限界に達してしまい
鉛筆持ってぐりぐり計算したりすることが出来なくなって
しばし休憩したりしてしまいました。
意外に字を書く、という行為は腕の筋肉使うんだなあと
改めて実感しました
普段何も考えずに字を書いたり何かを持ったりしているけれど
実は筋肉って使ってるんですよね

座りながら本を読んでいる時
本の背表紙に手を添えていることがよくあると思いますが
あのただ添えているだけでも腕の筋肉って相当使ってるんです
けがしてから、それ自体が出来なくなってしまい
当分は痛めた筋肉を回復させないと何もできませんね・・・。

できなくなって、初めてそれを使っていたことに気づく。


そうそう
全然話は違いますが
今日、なるほど、と思ったセリフ。

「勉強は、続けて初めてその面白さが分かる」


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大人になる=年をとる、ということでいえば

大人になると 
いろんなものを冷めた目で見られるようになった反面
有り得ないほど無理をしてしまったりする。

そして私は
いつまでも何かに拘泥している。
今の自分でいっぱいいっぱいなのに
自分は今の自分以上のものになろうとしている。
まだ若い人たちがとてもうらやましい。
再チャレンジする時間がたっぷりある。

私は恵まれていなかったのだろうか?
日々に忙殺されて
後ろ盾のない毎日。
何かを変えることは可能だっただろうか。
私はあの頃ときっと
何かは変わっているけれど
考えていることは何も変わっていない。
同級生や一つ上の先輩が
大学で教鞭をとっている姿を見ると
私はどこでどうここに迷い込んで
どう生きていけばいいんだろうという気にさえなる。

私はいつか一人で生きるために
そこを目指したはずなのに
いつか一人で生きられないような
そんな自分の心の迷いが生まれるような道に
いるような気がする。

一日一日
確実に命が短くなっているのが怖い。

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昨日大学から出たら雪が降ってました。
最終バスの時間に間に合いそうにないので
ダッシュしてみました

すると、いつもは片方しか脱臼しない腱が
昨日に限って両方脱臼してしまい
雪降る真っ暗な大学前の道路で思いきり・・・

転倒。

ものすごい派手に転んだ上
左に持っていたカバンと、ひざをかばおうとして
右にひねったのがさらに良くなかった。

右手を付いて体を支えた後に、右肩から落ちました。

手がみるみる腫れてむくむくになり
やばいなー、テスト前に骨折してたらどうしよう
と思いつつ朝を迎えると
内出血してないので骨折は否定されました。
よかったー、と思っていたら

肩が動かない・・・・

そうです、手首を軸に肩から道路に着地した時
肩の腱を痛めてしまったのです。
かかりつけの整形の先生も
「・・・・・・。あんまり走んないでって言ったでしょ。」
といいつつ、肩の状態と手首の状態を見るのに
レントゲンを撮られました。
しかも足首もいれて今日だけで7枚。
いったい一年に何枚レントゲン撮ってるんでしょう私。

とにかく手首と地面についたために痛めた手は固定されて
今日一日おとなしくしてることにしました。

しかし私が少し走るとあまりにもよく転ぶので
先生も少し困惑気味でした・・・・

けして私は雪で滑って転んだわけではない。

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私は沈黙が怖いから
どうでもいいことを話てしまうのだろうか
それとも
私の方に注目してほしいから
話すのだろうか

どうでもいいことを

私はでも
話したいことがある
というよりも
聞いてほしいことがあるのだろうな
自分の心のなかでは消化できないから
誰かに聞いてもらいたい
だけど聞かされた方は
聞かない方がよかった、という。

それは聞いたら
何かが変わってしまうということだろうか
聞いても聞かなくても変わらないということは
普通の人間には無理なのだろうか
私があまりにも人間が話すということに
慣れ過ぎてしまったから麻痺してるのだろうか

そんなことを
今日考えてしまいました

何も話さなければ後悔しないのに。

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昨日服部祐民子のライブDVD「主成分」が届いた
前に買ったDVDもちゃんと見てないのに
いつ無くなるか分からない(インディーズになっちゃったからね)ので
とりあえず無くなる前に買っておいたもの。

そのDVDに、ずっとずっと前に服部祐民子のライブに行った時に
「まだ作り途中・・・」と言って披露してくれた「幸せになりたい」(ブログでもちょっと書いたけど)
が入っていました。
もう完全に仕上がっている状態の「幸せになりたい」という曲。
ライブで聴いた時も鳥肌がたったけど
こうして完成したものを聞くと、ちょっとテンポが変わっていたり
アレンジが変更になったりしているけれど
やっぱり服部祐民子は歌詞とメロディの一貫性があっていいなと思う。

この「幸せになりたい」の歌詞もそう。

たかが数万で人を殺したり
子供が親を殴り殺したり
親が子供を付き落としたり
でもみんなほんとは
幸せになりたいんだよね
戦争の爆撃の中継をテレビで見ながら
私たちは何ともなテレビゲームを見ている感覚で
それを夕飯を食べながら見る
そんな時代なんだ、と。
だけどみんな幸せになりたいんだよね、と歌う。

人間って不思議な生き物だと思う。
幸せになりたいと願い、幸せに生きたいと願う。
だけどそのために何をしたらいいか
何が出来るのか
それが漠然としていて目に見えない
そんな霧の中を手さぐりで、だけど容赦なく明日になる。
幸せって何だ?そんな中で幸せの意味など
考えることができるだろうか
だけど本当の幸せなんて判らないままで
幸せになりたいという思いは消えない。

「しあわせ」とはいったい何を指すのだろう
幸せは塊ではなくて
すごく小さいものの集合体のことを
「幸せ」というのではないだろうか
でもそれはすごく小さいものの集団だから
近すぎるとただの小さい集団にしか見えない
でも少し遠くから離れて見たら
それは大きな大きな一つの塊に見えて
そのことをみんな「幸せ」と呼んでいるのではないのだろうか・・・

形のないものはきっと
積み重ねることでしか
その形を想像することが出来ない。
それならば
積み重ねてみよう
集めてみよう
遠くからその形がはっきりとわかるくらいまで。

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あーしんどい。
何がしんどいってなにも手につかないことがしんどい。
あと3日で追試なのに・・・

昼までぼーっとして
そのあとまたぼーっとして
机の前に座ったけど何も手につかず
だらだらしてたら夕方になってて
ちょっとお茶飲んだだけでもうこんな時間。
夕飯なんてまだ食べたくないのに・・・・


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本当はいつも気にして、おせっかいだけど心配して
幸せでいてくれるといいなあと思っています。
所長も、北先生も、鈴先生も、手嶋先生も、みんな。

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昨日はリハの後大学へ。
メェ先生(仮)に物理を聞きに行ったのだけど
気づけば一通り教えてもらっていたら

・・・・・・・・・・・・・・!!

6時間半も私に付き合ってくれていた・・・
メェ先生ごめんなさい。
しつこいんです、分からないと嫌なんです私。
そこで病態生理の最高得点が70点台だと知りびっくり。
論述に30点って言うのがたぶん減点源なんだろう。
多分私もそこで大きく減点されたことだろう。
(そしてもとむら大したことないな、と思われたことだろう。)

そんなことを考えていたらブルーになってしまった。
追試が2つもある時点でブルーなのに。
もう本当にコツコツ勉強していかないと間に合わない。
テスト前にやるって言うのは無理。
物理もそうだって分かっていたのに
最後まで手をつけられなかった。
だけど、問題が解けたピークはやっぱり試験当日で
あと1つ、計算問題が出来ていれば合格になっていた。
計算ミスが何度も重なり
結局どんどん計算問題で点数を失っていき
結局あと4点あれば合格という点数まで下がってしまった。
計算ミス・・・・・・・
いつまでたっても直らない。
見直しても、見なおしている時にすでにあせっているので
目で追ってるだけになってしまう。
手を動かしてないからだ。
どうにかしたいなあ。今期の試験は、
試験問題が配られた瞬間に
頭が真っ白になる科目が多かった。
落ち着くまでに時間がかかってしまった。
意識も途中で飛んでいた。
生化学の試験中にぼーっとしてしまった。
今思えば物理化学Ⅱの試験の時
職場でのトラブルを引きずり試験前に頓服を飲んだのだ。
計算ミスが連発したのはそのせいなのかもしれないなあ・・・
何も考えずに根気強く付き合ってくれる先生に感謝しています。
ありがとう。

だけど最近自分の気分はどんより。
もうひとつの職場を引退したい。
許されないし立場的にありえないのだけど
自分の手から離れたのだとしたら
もう会議にも出たくない。
私にはクリニックの仕事で十分すぎると思うのだ。
学費の問題さえなければ仕事なんかしたくないと思う。
土日だけKOの実験手伝いに行くくらいで
あとは学生になりたいと思う・・・



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なんだかすごーく疲れています
試験はまだまだ終わりません。。。
苦手な物理がやっぱり駄目だった。
それと仕事のこと。
事業部締め出し計画!みたいなことを
突然やり始めた社長。
アルバイトさんはみんな辞めてもらうことに。
(形的にはアルバイトさんの方からお断り、だったのだが)
たった一人残った後輩が
「自分も辞めさせられるんじゃないか」と
ちょっとおろおろ。

でももう私の会社ではないんだよ、と
試験中の話し合いで言われて
ああ、もう私の会社じゃないんだ
私が子供のように考えていた会社は
もう人の手に渡ってしまったんだ
と、とても悲しくなりました。

子供の代わりに、私は会社を作ったつもりだったから。
子供をあきらめたから、会社を作り
育ててきたはずだったのに。
大学へ行くことで、その子供と別れる羽目になってしまった。
そして、子育てに意見したいなら大学行かずに働いたらどうです?
という解釈の発言をされてしまうことに。

ああ、私は人生の選択を誤っているのだろうか

私の大切なものは
いつも手のひらからこぼれおちていくのだろうか
何かと引き換えに
大切なものが一つづつ無くなっていく
その何かは、失った何かよりももっと大切かなんて
今は分からないし、判断がつかない。
だから悲しいし、もどかしいし、自分を責める。
私の選択が間違っていたのではないかと。
それが分からないから
答えがないから苦しい。


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久しぶりにお仕事してきました。
今回試験が中枢系だったおかげで
薬情に書いてあることが全て理解できる自分にびっくり
だけどあまりにゾロ品が多くなっていて
名前ではもはや何の薬か理解できない私
薬だなにはアイウエオ順に並んでいて
言われるがままにドクターに渡すのだけど
商品名の下にある一般名でようやく何の薬か
理解できる始末です

でも思えば前は全く逆で
一般名を言われても何が何だか分からなくて
商品名で言ってくれなきゃ分かんない!
という状況だったのですが
すっかり薬学部にいるおかげです

それにしても今日一日いて感じたことは
初診の人が前の病院でもらっていた、という薬の種類。
あまりに多すぎやしませんか
うちのクリニックは一系統一種類で最大5処方まで、という
決まりがあるので、各ドクター必死にいかに薬減らすか
格闘してますけど
患者さんの持ってくる薬がすごい
いったいどういう目標もって
この処方を出してるのかが読めない。
とりあえず一症状一処方とかにしてませんか
鬱による頭痛に対して抗鬱薬と頭痛薬だしてませんか
そんなやり方じゃ核心を見つけて治療するより
とにかく症状を何とかしようっていうやり方で
内科に顕著に見られるんですが
心療内科がその流れを汲んでるきがします
さすが内科ですからね

あとは症状のままに出してたら
症状治まった後も減らせなくなり
全く逆の効果の薬が混在してたり
血圧上げる薬と下げる薬が
一緒に処方されてるようなものです
内心
「下げたいのか上げたいのかはっきりしろよ!!」
と言いたい
きっとこれ処方したドクターも何していいか
わかんなかったんでしょうね
とりあえず出しとけ、みたいな
これじゃあいくら薬飲んでも治んないわ、と
密かに思ってしまう。。。
もっと根本を見ましょうよ
心のクリニックとか、メンタルクリニックとか
標榜してる割には
症状ばかりみて薬をだしているクリニックや病院が
とても多い(というかほとんどそうな気がする)んです

心を見るなら症状を見るな、
症状は心のすべてではないのだから
心の氷山は症状として表れるけど
結局原因は同じ氷山なのです


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昨日は一日ぐっすり(というかばっくり)眠りこけていて
ほとんど記憶がないほど寝ていたので
一昨日こと

おととい院長に呼ばれて
「お前が悪くないかもしれないけど、向こうが気分を悪くした(勘違いでも)
から、おれのために謝ってくれ。仲直りしてくれ」

と頼まれた。

はぁ!?

無理です。
無理です。
泣きながらそれは無理ですと答えました。
だっておかしい。
私が勘違いさせたのは謝る。
謝ってもいい。
だけど、私が傷つけられた分はどうなるんだ。
仕事に行けないことを知っていて
大学生をやっていて毎日日々業務につけないのを知っていて

「意見したいならそれなりの働きしたらどうです?」

は反則だ。
おかげで私は、大学を辞めればいいのか
大学をやめたら意見を言ってもいいのか
それも社長の「補佐」として
クリニックの職員なのになんで社長の補佐なんだ
それに
「それなりに働いたらどうです」と言いつつ
院長に「もとさんには勉強に専念してほしい」
っつうのはなんだ
矛盾してませんか

なんだかそれで一日無駄にした感じ
追試もあるっつうのに


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目の前の患者さん。
目の前の試験。
目の前にある物事。
常に私の目線は、今、眼の前にあることに
あるのかもしれない。

目の前の患者さんに治療的でありますように。
今、この試験が無事解答できますように。
今日がいい日でありますように。

もしかしたら、視点が近いのかもしれない。
それはいいことなのか、悪いことなのか
自分でもよくわかりません。
目の前の患者さんに手を差し伸べたら
病院経営が危うくなるといわれても
いまいち実感ありません。
この一人でどうこうなる問題ではないと思うからです。
社長が言いたいのは、その一人を許可することで
後ろに続く何人もを許可することになり
それが結局経営に影響するっていいたいのだろうけど。
私はそうは思わないというか
思えないのです。

目の前のものを次々と突破すること
それが積み重なることで気づいたら
ずっと遠くまで歩いてきたなあと
そういう気分になるものじゃないでしょうか。

最近医療崩壊が叫ばれてから
私は医療のなかの絶対的な正しさが
分からなくなってきました。
現場は目の前の患者さんの苦痛を取り去るべく
治療的に関わるだけ
医師は医師 私は私として
関わっていくだけしか出来ないのです
それを経営側から
やれお前は現場を知らないだとか
意見したいならそれなりの働きしたらどうです?と
言われるのは筋違いだと思うのです

理想主義だと思われるかも知れません。
だけど、私は渡り鳥先生みたいに
自分の理想とする医療をしたいと思うし
だからこそ医療にかかわる仕事に就き、
そんな大学に入ったわけで
医院という「会社」をうまく回したいとか
そういう気持ちにはなれません。

医療費削減の波が押し寄せてきて
医療機関があれやこれや手を使って
病院にも患者にもいい方法を模索してるっていうのに
患者不在の経営は私にはどうも納得いかないのです。
いっそのこと、そうなるのなら私のいるクリニックの
付属機関だとかそういう触れ込みや
大々的な宣伝はやめてほしい。
実際に連携というものがどういうことか分からない人間に
連携してるから安心だとか、安全だとか(意味不明)
周りに宣伝してほしくないんです。

安全な心理室ってどういう意味でしょうか。
工事現場じゃあるまいし・・・・
ただバックボーンに医療機関が付いてるだけじゃ
何の役にも立ちません。
そこといかに連携するか、チーム医療をするかに懸っているのに
ただ、医療機関が付属しているからと言って安心し
何をもってその安全?を提供するか
どのように維持していくのかを
明確にできない経営なら、私はただの
誇大広告に過ぎないと思うのです。

どのように連携すればいいのか
どのようにしたら患者の治療に良いのか
そこを医療的な視点で考えられない人に
現場にいなくて現場知らないんだから黙ってろ
と言われるのは非常に納得いかないのです。

鳥瞰図的経営に囚われて
大事な何かを見失うような医療は
私はそれは 医療ではないと思います。



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