忍者ブログ
ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
[35]  [36]  [37]  [38]  [39]  [40]  [41]  [42]  [43]  [44]  [45
少し文章の誤解があるように書いてしまったので
訂正しておきました
ごめんね。

拍手[0回]

PR
小さいころの私は
よく父に怒られて泣いていましたが
高校あたりから、怒られても泣くことが
少なくなったように思います
特に社会人になってからというもの
実生活で泣くなんて、ほぼ皆無だった気がします

笑えるのは人間だけだ、とよく聞くけれど
私は泣けることこそ人間なんだと思います
クリニックに通っている患者さんも
泣けない人が結構います
何の感情も湧かなくなって 淡々と。
やっぱり感情を動かして泣くということは
パワーのいることでもあるし
浄化することでもある。
すごく、人間らしい行為だと思うのです。

私は一時期泣けないことがありました。
悲しい気持ちはしても、どこか自分に体温がないような
そんな感じで、涙が出てこない時期がありました。

泣けば何かが変わるわけではないけれど
泣くことが出来ないということは
大変なことだと思います。
泣いてはいけない、というのは
とても辛いことだと思うのです。

だけど人間大人になったら
素直に泣くことが許されないですよね
泣いたら弱い人間だと思われるかもしれないとか
子供じみた人間だと思わるだろうとか
そういったことも含めて
大人は泣いてはいけない、というような
そんな風潮が日本にはある気がします。

私は泣けない数年間を過ごしたあとは
良く泣くようになりました。
どちらかというと感情のせき止め方が
うまく出来なくなったのかもしれないです。
一日の大半を大学で中年学生として過ごしている私は
いったいどこで誰の前で泣いたらいいんでしょうか。
33歳は大学で泣いてたらおかしいです。やっぱり。
泣いたらみんなが心配すると同時に
おかしい人だと変な目で見ます(当然)
泣いてる理由が分からないからです。
強くなることは泣くことを我慢できるようになることでしょうか。
強い人間は泣いたりしないんでしょうか。

私は強い人間になりたいわけでもないし
かと言ってその辺の子たちより弱いわけではない。
なのに時々どうしても泣きたくなるんです。
泣けない人間のままでいるよりは
泣ける今の方がよっぽど健全だと
自分を納得させてはいるのですが
どうして大人は泣かないんでしょうか
泣けるようなことが少ないんでしょうか
それとも、泣きたいのに泣けないようになるんでしょうか。。。

そうそう
昨日最後の試験で久しぶりに鈴先生を見た。
しかもカンニングっぽい学生がいたらしく
威嚇してました
カンニングをしたい気持ちはわかるけど
したら人間としておしまいでしょう。
みんなそういう誘惑があってもある程度
我慢と諦めで試験中に分からない問題に
立ち向かってるわけだし。

それにしても
鈴先生は試験監督だったのだけれど
痩せたな~。大丈夫かな?

拍手[0回]

やっと試験が終わって昨日はMRさんと院長とお食事会。
色々と薬の話になり、ちょうど今回の試験で薬理は中枢系だったので
普段中枢系を扱ってる私にはとても有利だったのですが
仕事の面でも、普段扱っている薬の作用機序などが
深く学べたおかげで、二人の話についていくことが出来ました。
こういう面でも役に立っているので
やっぱり学ぶこと、知識をつけることは
とても楽しいことだなあと実感しています。

国家試験のための勉強だと思えば
ただ知識を詰め込まなければならないという事に
落胆してしまうだけだと思います
それはただの苦痛でしかない
だけど、知識をつけ、その知識の集大成として
国家試験を受けるということであれば
私は国家試験は目標点ではなく
ただの通過点のような気がします。
実際、今までの知識をフル動員して国家試験を突破して
そのライセンスを持っていなければならない仕事の
スタートラインにやっと立てるというだけのこと
そこからがまた、勉強なのだと思います。

私が医療系に興味を持ったのも
一生勉強出来るから、という魅力があったからです
これを書くとすごい勉強好きでガリガリ勉強するような
そんなマジメ人間(どうして勉強する人間を真面目というのか不明だが)
なような雰囲気ですが
そもそも人間って、知識を得たい動物なんだと思います

色んな事に不思議だな、と思う気持ち
それを知りたいと思う気持ち。
それが全くない人間なんて、私はいないんじゃないかと思います。
だけど最近周りを見ていると
受験戦争の負の産物なのか
疑問を持つことは無意味で、ただ答えを暗記することが
大事なことであると思っている人たちが
とても多くなった気がします。
確かに、試験を突破することは大切だと思います。
だけど、答えだけの記憶は、
知識のネットワークを産まないと思うのです。
多面的な視点が持てないし、何より応用力がなくなる。
最近の学生は応用力がない、問題もひねればもうダメ、という嘆きも
私は当然のことだと思います。

その答えを、覚えていないからです。

理科に興味が持てない
科学離れが進んだのも、面白さを感じる前に
問題に対する答えを知識として詰め込んだ結果ではないでしょうか。
自然科学は人の考えた通りに行かない。
それがますますめんどくさい科目であるという認識に
なるのではないだろうか。

私は小さい頃からしつこくて
分からない虫、花の名前など
とことん調べるタイプでしたが
高校あたりから先生自身にそのしつこさが
うとまれるようになった気がします。
「とりあえず答え覚えとけ」
じゃ、興味も何も持てるわけないですもん。
数学も化学も、ほかの科目もそうです。

薬のことも
一対一対応で覚えるのではなく
やっぱり作用機序が大事。
章末問題から7割でるから、どの薬か、どんな作用機序か分からなくても
文章丸暗記すれば合格できるとか
そんなんじゃ絶対に応用がきかないし
新しい問題に対する答えもひねりだせないはず。
でも機序さえ覚えたら
どんな問題だって、たとえ答えが分からなくても
途中までは頭のなかでひねり出せるはずなのです。
はなから分からなくて匙を投げることはないはずです。

今回の試験は、私は好きな科目ばかりやって
苦手な科目を後回しにするという
典型的なダメ学生的勉強方でしたが
基本的にわかるのはうれしいし
勉強って楽しいものだと思うんです。
でも試験のための勉強っていうのは
これほどつまらないものはないなあと思います。

日本もどこかの国みたいに
もっと自由に色んな事をディスカッションしたり
色んな事に興味を持てるような人間を
育てるような教育のほうが
将来の日本としていいとおもうのですが・・・・・
なかなかそうはいかないですよね。



拍手[0回]

明日でやっと試験も終わりです
ちょっともうやめてよ・・・というような勉強量です

昨日午後いちの試験が終わった後
今日の2コマ目の試験の勉強が全然分からなかったので
実習の時にお世話になったメェメェ先生(仮)に
マンツーマンで教えてもらいました。

ただその後同じようにスペクトルが読めずに
メェ先生のところに殺到した学生達に
「もとむらが極めてるからもとむらに聞いて」と言ったらしく
私が食堂で4人位の同級生に教えていたら
ちょこりちょこりと学生がやってきました
「なんかメェ先生が、『もとむらが極めてるからもとむらに聞けばいい』って
言ってて」

・・・・・・・・!!

極めてないから。理解はしたけど。

そうそう
メェ先生のところでマンツーマンで教えてもらっていて
「これは?じゃあこういうのは?」と聞いていたら
同じクラスの学生に

「もとさんっていつもそうやって最後まで理解しようとするんですか?」

と、言われた。

どういう意味だろう?と思ったけど
私の先生への食い下がり方がしつこかったのかもしれない。
分かるまでとことん付き合ってくれてたから。
だけど私は、理解の伴わない暗記が出来ない。
理解が出来ないものは覚えられないのだ。
(電話番号とかそういうもともと意味のないものを除く)
それに、ただ記憶しておくんじゃなくて
せっかくだから、ずっと覚えていたい、と思う。
それには、ただ頭の表面に張り付けるだけじゃなくて
理解して納得したいと思うのです。


あと一日で試験が終わり。
どうか、無事に乗り切れますように。
追試がこれ以上増えませんように。


拍手[0回]

只今後期試験の真っ最中です
今日は前々から準備していた免疫学。
免疫学は好きだし楽しいので準備に準備をしていたのですが
今日は朝から不吉な・・・

そう 
講義のプリント丸忘れ。
寝不足だったのもあるのだろうけど
自分でまとめたノートしか見られなかった・・・

そしたらFcγをεと書いてしまって大ショック。
そして問題文をよく読まないで解き始める癖も相変わらずで
今日も問題分に「ただし、〇〇を含む」を読み飛ばし
含まないで考えてしまった。
私は何時になったら完ぺきな答案を提出できるのだろうか・・・

今日は世間はバレンタインで
試験と試験の間に30分の休み時間には
試験会場の廊下にチョコレート持った女の子が
こっそり教室を覗いていたりしてました。
若者ってバイタリティあるなあと
妙に感心してしまいました。

試験も今日で山はとりあえず越えて
(苦手科目はとりあえず終了)
あとは最後までどのくらいスパートできるかだなあ
今回は前々から準備していたため
試験直前は前ほど勉強してないのです
「いやーやっぱ準備してたから」じゃないんです
やり過ぎて1か月も維持できずに息切れしたって
感じですかな・・・

こういうタイミング合わせるのって難しい。

拍手[0回]

私の働いているクリニックはそうではないけれど
今、医療は「目の前の患者か」「経営か」という
二者択一を迫られているところが多いだろう。

しかし私はこの二つは択一すべき問題ではないと考える。
しいて言うなら、今すぐに病院がつぶれないのであれば
目の前にいる患者に手を差し伸べるべきだろう。
その患者に手を伸ばすことが
今すぐ破たんにつながらないのであれば
それはその手を取る必要が医療者にはあるのだ。
そういう義務を作ったのは日本自身なのだ。

積み重ねていけば経営破たんすると分かっていても
目の前の命をその手につなぎとめようとするのが
医療者というものだろう。

医療は会社ではない。医療は福祉なのだ。
どちらかというと私は非営利団体に近いと考えている。
儲けたとか赤字だとか
そういう会社経営概念を持ってくることがおかしい。
医療改革だってそう
会社と同じにするから破たんするのだ。

というのが私の今の理論。

だから適当な患者の心理室での割り振りは許せないし
来たからには、患者を受けたからには
全力で治療をする環境においてあげたいと思うし
そうすべきだと思う

だけども経営は違う。

回転を速くするために
ギブアップ覚悟で新人にあてがい
二度と来なかったらそれまで
死んでしまったらそれまで
そういうのは私は嫌なんです。
来たからには最短で治るような治療をしたい。
そういう医療を提供したいと思う。
医療機関だから。
でも、心理室は医療機関ではないから
回転だの経営だの、患者を無視した金勘定が
働いてしまう。仕方のないことかもしれない。
だけど私は割り切れないんです。

ここに来たからには、元気でありがとう、と
最後は社会に飛び出して欲しい。
元気に自分らしく生きてほしいのです。


拍手[0回]

結局今日は大学へは行ったけど
大学へ行ったら悔しくて試験直前まで
大泣きしていただけだった。
加藤研のカンファレンスルームで
みんなが試験を受けている間ぼろぼろ。
もう、これから試験を受けるような心理状態じゃない。
試験なのに何も手につかないし
ただただ泣けてくるだけ。
こういう時に自分は誰も守ってくれないし
誰も味方になってくれない。
誰も話を聞いてくれないし
誰も同情なんかしてくれない。
誰にも共感されず
ただただ、一人で耐えて堪えて。
そして一人でぼろぼろ泣く。
泣いて泣いて泣きまくる。
でもすっきりしない。
そう、誰も知らないから。

試験開始してからも泣いてしまった。
泣きながら受ける試験。
いったい何のために私は試験を受けているんだろう。
何のために大学にいるのか。

「意見を言いたいならそれなりの働きをしたらどうです?」

が、頭にこびりついて離れない。
私が大学に行くことが、ただの個人的なことだと
そう思っていないと言い訳するなら
この発言を撤回してほしい。
必死にここで、しがみついているのに。

じゃあ、意見をいうから大学は
やめることにしたらいいのか。
だったら意見を聞いてくれるのか。
暴走する心理室に対して
たった半年しか知らない現場の人間に
5年いた人間が口出しするなというのか。

誰にも話せない
この時期は 誰にも会わないから余計に辛い。
独りで頭のなかをぐるぐるするものと
言い返したかった言葉がこだまする。

言い返した方が良かったのかな・・・

拍手[0回]

おとといの社長の発言が頭から離れない。
今試験期間中でそんなことを延々と
考えている場合ではないのだが
どうも引っかかってしまう。

「それなりの働きをしろ」

というのはどういう意味なのか。

「言葉をつつしめ!」

というのも、どうも引っかかる。

後で検証してみても、そこまでのことを言われるようなことは
言っていなかったのです。
つい怒鳴られるととりあえず謝ってしまおうと思う私。
小さい頃から叩き込まれてきたから仕方ないと思うが
自分に非がなくても、自分がたとえ間違っていなくても
すみません。ごめんなさい。
そういった事が多かったので、それは大人になっても
妙に出てくる。事態をとにかく収拾したくなるのだ。

人員の採用についての話だったのですが
クリニック側は採用者について、採用理由と今後の仕事の割り振り方針を
キチンと発表したのですが、社長もそれについで突然

「〇△と〇〇、常勤採用しますから。よろしく」

だけ。

常勤採用は基本的にしないという方向でいく、という方針だったはずなのに。
カウンセラーを常勤にして、面接以外で何をやらせるつもりなのだろう?
以前常勤を雇っていて、面接もせずに「お荷物」になった、だから今後
常勤は採らないと当時の社長(現院長)から通達していたのに
突然の「採用決定宣言」。しかも理由も一切なし。
これには納得いかないだろう。

「面接以外の時間は何をやらせるのですか?明確にしないと
またお荷物になりますよ」

という意味のメールに社長ブチギレ。

「言葉を慎め!」
「発言したからにはそれなりの責任を伴うぞ!」
「お前に役職を与えた覚えはないっ!」
「しいて言うなら社長の補佐だっ!」
「俺がそこを考えないとでも思ったのかっ!?」
「意見言いたいならそれなりの働きをしろっ」


発言の責任って何でしょう?
私は何か指図してますか。
お荷物にならないような計画があるなら
キチンと採用基準を明確にしろと言いたい。
何をやらせるかも言わないうちに
採用基準を無視した常勤雇用宣言をしたのはそっちなのに。
何を突然ぶち切れているのか。
大体この「お荷物」発言なんて、
最初私じゃなくて院長が使ったんだっつうの。
なぜ院長だとぶち切れずに私だと「発言の責任」という
話になるのか。

あー腹が立つ。

前の会社を経営が落ち着いたら追い出され
どこも行くあてがないところをうちで拾ったのに
急にこうなっちゃうと、扱いに困る。





拍手[0回]

今日、社長の方針についてあいまいな部分があったので
それに付いて指摘したら、私の言い方がまずかったのか

「私がそこを考えないと思っていますか?言葉に気をつけろ。
俺はお前に役職を与えた覚えはない。しいて言うなら
社長の補佐だ。
現場を知らないくせに意見言うな。
意見言いたいならそれなりの働きをしたらどうです?」

と言われた。
私は社長のいる会社の社員ではない。
役員ではあるが、私はクリニックの社員である。
なのになぜこんなことを言われるのだ。
それも、私が大学に通うこと自体が仕事として認められているのに。
それを「仕事してない」となぜ上司でもない社長に
言われないといけないのか。

私はあなたの部下じゃない。

現場を知らないというなら
医療の現場を知らない社長に、クリニックの人数が多すぎるだの
言われたくないのです。どのくらいの人出が必要なのか
知りもしない。たまたま暇な時に偵察して

「多すぎますね。」

っつうのはどうなのか。
社長にかかれば今の日本の看護師だって余ってるというだろう。

現場を知らない人間は口出すなっていうけど
私そこにいましたよ?


拍手[0回]

毎日少しずつ歩いたら
いつか後ろを振り返ってああ、良く歩いたなと
思える日が来るだろうか。

それとも
あまりにスタートした場所から離れて
振り返ることさえ怖くなるだろうか。


人間として必要なことは
あまりに単純で見過ごされている。
お金でもない。優しさだけでもない。
強さだけでも、包容力だけでもない。

一体何が必要で何が不要なのか
道を歩いているうちに見つかるだろうか。
気付かず見過ごしたことに気付いて
引き返すことが出来るだろうか。

引き返す勇気と
後ろを振り返る勇気
前を向き続ける力。

拍手[0回]

今日は最後の医療経済学の講義でした。
講義では、オバマ支持者対マケイン支持者との、医療改革についての
ディベート番組をを流していました。

私は国民皆保険制度は素晴らしい制度だと思います。
医療が受けられない状況では、安心して何もできないと
思うからです。
しかし、国民皆保険を宝かに宣言している日本は、以前も書きましたが
見かけの「皆保険」でしかないのが実情です。
派遣労働者が今日本全国に何人いらっしゃるでしょうか。
派遣社員でないにしろ、契約やパート、アルバイトのかけもちをしている
日本人がどれほどいるでしょうか。
そういった形態で働く人たちも、はたして全員保険に加入しているでしょうか。
もちろん、この場合個人事業主と同じなので国民健康保険にです。

答えはノーです。

春闘の賃上げ交渉が行われても
最低賃金をかする程度の時給で働いている労働者が山のようにいます。
その人達は、いつかかるか分からないけがや病気の補償としての
国民健康保険料を支払うよりも
今日を、明日を、どう生きていけばいいかが問題なのです。
今すぐに必要でない、健康への補償に回す余裕がないのです。
そして結局無保険になる。
日本は無保険(保険料を滞納もしくは未払いによって、保険証を交付されていない人)
が相当数います。
しかし、国保に入れる資格は持っているため「いつでも国保が使える」資格の証明書を
発行してもらい、とりあえず病院の窓口負担は10割支払い
保険料を納めた時点で役所の窓口で償還払いする、というシステムがあります。
このため、政治家は「日本は国民皆保険だ」と錯覚しているのだと思います。
保険料滞納や未納による資格証明書は、保険証ではありません。
つまり、私は資格証明書を持っている人達は、無保険者と同じだと思うのです。
保険に加入するだけの余裕がない人、つまり無保険者が大量に存在する
アメリカと違いがないのではと思うのです。

アメリカのようになれば、日本は発展すると勘違いをしている政治家が
とても多いと思います。
医師会も政治とツーカーの仲といわれています。
アメリカは製薬会社と保険会社がつながっていると習いましたが
国民の健康、つまり命は値ぶみするものでもなければ
取捨選択するものでもないと思います。
つまり、医療にかかれる権利は、最低限の生活を保障する
その最低限に入ってると思うのです。
どこかの誰かが得をして儲ける仕組みを
そこに入れること自体が間違いなのです。

日本は税金を上げれば国家収入は増えると
単純に考えていると思いますが
日本は無駄に人間関係の構築にお金を使いすぎる。
買収した票集め おべっか
政治でそういったものに不正にお金を使う
そして不正に一点に集中して税金を使う
不条理なものにだって、人の顔を立てるとか
昔世話になったからとか
そういった人ことで無駄に税金を使っていく。
税金をただ上げて国家収入が増えても
今の日本の政治家のやり方じゃあ、支出や不正使用分が増えるだけ。
そしていくらお金があったって
医療に回すお金なんて無くなるんじゃないでしょうか。

アメリカの自由競争が悪いとは言いません。
日本の(自称)国民皆保険も、私は素晴らしい制度だと思います。
しかしこれらは、人間は運営する不完全なシステムです。
点検する人間も不完全です。
真似をするだけでは、不完全なままなんです。

完全に少しでも近づくには
私は他者の意見に耳を傾けることからだと思います
日本の政治にはそれが欠けていると
私は思えて仕方ありません。

今日の講義のディベートの番組を見ていて
日本のディベートと圧倒的に違う部分を見つけました。
それは、アメリカでは相手が話し終わるまで必ず
耳を傾ける。対立する意見の人の話を最後まで聞く。
たとえ途中、どんなに誤ったことを言ったとしても。
どんなに自分と違う考えを述べても
決して邪魔をすることはないのです。
しかし日本は違います。
対立する意見の人が明らかに「それはないだろ」という
考えを話したとたん
相手がまだ話している途中なのにそこにかぶせて
自分の意見をしゃべり始める。
人の意見を最後まで聞かない。
相手がまだ話している途中なのに、そこの上から
自分の言葉をたたみかけて相手の主張を妨害する。

ディベートの授業がないから、アメリカのようにはいかないと
思いますが、これは日本の政治家がテレビの討論番組に
出ているのを見ると、顕著だな、と感じます。
討論番組でなくても、国会の代表者質問だってそう。
人の意見を聞きなさいよ。ヤジ飛ばすなんて
あなた小学生でもしませんよ。

政治家だけでなく、科学者の集まりでもそんなことが起きる。
それを見ていると、日本人はなんて稚拙な人たちなんだと思う。

人の主張を最後まで耳を傾けてから自分の意見を話す。
そういった単純なことが出来ない日本の政治家が
日本をきっとダメにしているように思えてならないです。

拍手[0回]

何となくパッとしない感じが続いています

先月末に医大受験をした同級生は
一次試験の結果も報告がありません。
ただ、今日その子の友達からこんなこと言ってたよ、と言われました。

「落ちられないというプレッシャーがすごくて落ちた」


・・・・・・・・・・・・・。

今まで
「親のお金だから、たぶん落ちるかもしれないけど受けたいから受けよう」
みたいな
そういうノリで医学部受験してたのか!?
親のお金だから落ちてもいいか、っていう考えだったのか?
その程度の気持ちで受験勉強してたのかよ!!
みたいな・・・

今回もあれだけ親を説得して
お金の目途も付けて だから

「今回は落ちられない」

って思ったの?!
そしてそのプレッシャーにつぶされたせいで受験失敗した?!

人のお金なら落ちられないけど
親のお金なら落ちても平気だったの?
本気本気って言うのは口だけだったのか・・・やっぱり。

落ちられない、っていうプレッシャーがあった割りには
大学にきて試験前日まで毎日講義受けてるし(出席気にして)
受験に無関係なセンター試験に手をだしたりしていたのは
彼女にとって結局は「今の大学から逃避したい」という
ただの逃避行動の表れでしかなくて
本気で医学部に行きたかったわけでは
無いのだろう。
彼女の中で、自分が逃避行動を起こしているということに
未だ気づけていないだけか。

医学部に本気で入学するには何が必要かを
全く考えられていないようじゃあねえ・・・
これでも、大学休んで勉強して落ちたらなら
しょうがないよねえ、頑張ったけど、と言ってあげられるのに
大学のせいで勉強時間がなかっただの
プレッシャーが・・・とか
結局言い訳に使える行動をして落ちた理由にしてしまう。
しかも落ちられないと自覚しておきながら
落ちる方向の行動をしてしまう彼女。

これじゃあ一生ダメだわ。

と思った一日でした。

拍手[0回]

笑うことが出来るのは人間だから・・・
というCMがありましたが
笑うということは、どういうことなんだろう、と
ここ最近考えています

笑うこと、笑顔でいること 
それはとても素敵なことだと思います。
対外的な事だけではなく
笑うことによって免疫力が上がるとか
元気になるとか
そういうことも言われています
科学的な根拠はよくわかりませんが
笑うことが全ていいことであるという押し付けが
最近世の中に多いと思いませんか。
悲しみに打ちひしがれている人にも
落ち込んでいる人にも
人は「笑顔になってほしい」とか
「笑ってほしい」と簡単にいうし 簡単に願う。
それで元気になれるのだと、錯覚しているのです。

だけど私は、それは「心から笑う」からこそ
そんな結果が生まれるのだと思います。
無理した笑いや作り笑いに
そんな正の効果が表れるような気がしないのです。
笑うという表面的な行動だけに着目して
笑顔でいなければならないだとか
笑顔でいることが大事だとか
そういったことに縛られて
中身のない笑顔(中身があるかないかは本人しか
分からないと思いますが)をしても
そこに自己肯定感は生まれるのでしょうか。

笑っていることがけして正しいこととは
限らないのではないかとこのところ思います
悲しい時は悲しくあればいい。
その悲しさや辛さを乗り越えずに
笑うことでごまかすことは
何の強さも生まない。
それを乗り越えて笑えるようになって初めて
心が好転するような気がするのです。
だからそんな時に無理やり
笑わせるようなことはしなくてもいいし
無理に笑うことに努力するようなことは
しなくたっていいと 私は思うのです。

そんなことをしても、本人は笑っている自分に
自己嫌悪するだけではないか
一瞬笑ってもその後のぶり返しの波が
大きくなってしまうのではないか、と。

だったら自分の気持ちに素直になればいい。
笑える時まで、笑顔は取っておいたらいいんです。
だから笑えない自分をどうか嫌いにならないでください。
笑うことが出来る日まで、無理に笑って
心をどうかすり減らさないでください。

本当に笑える日まで。

拍手[0回]

日本語なのにうまく通じないし
日本語なのに
上手く伝えることが出来ないなあ。

せっかく「えいやー」っといったのに
作り笑いしてそこから逃げ出してしまった。

またしばらくパワー貯まるまで行けないです。

どうして私はここにいると
きちんと会話さえ出来ないのか…。

拍手[0回]

久しぶりに服部祐民子を聞く。


大人です、なんてどの面下げて言えばいい?

あのころの私にどの面下げて
会えばいい?


さなぎからまた生まれてしまった青虫は

殻を破って這い出たはずがまだ地を這っている

さなぎから蝶へとなり損ねた青虫は

暖かくって
優しい布団から
まだ、出られない


だけどまだ蝶になれるいつかを見上げて歌うよ



服部祐民子「青虫」

拍手[0回]

カレンダー
04 2025/05 06
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
プロフィール
HN:
木蓮
性別:
非公開
自己紹介:
山へ行けばわかるよ
カウンター
最新コメント
[05/07 pochi]
[05/01 moto]
[05/01 moto]
[05/01 バード]
[04/29 pepipo]
忍者ブログ [PR]