ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
このところいろんなことを考える。
役員から外れて、相談役になって
(まあ、名前だけみたいなもんでしょ)
実質社長の野放し状態。
だけど自分は何も言えない。
言えないと、いろんなことを言いたくなる。
でも、もうそんなことできない人になってしまった。
大学は実習が始まり
例のEDの女の子は実習がお休みのクールになり
めーさんとべったりで
時々講義をサボって
「先生~ プレゼント♪」
なんて手作りの食べ物やコーヒーを持ってきて
そんでもってそんなことしてるから
「朝、起きられなかった」なんて嘘ついて
外来は大幅遅刻。
何やってんだ(ムカ)
めーさんもへらへらしちゃって
「プレゼントありがとう」なんて
何も考えずに食べたり飲んだりして。
一緒に食事に誘ったり(おい)
にやにやしちゃって もー!!
でもさ
別に付き合う気なんかなくても
人に好かれている時
はっきりとそれを拒絶できる人って
いないと思う
他人に好かれてることが気持ちいいから
人に好かれている状況が心地いいから
その相手に好意がなくたって
きもちよくてやめられないよね。
そういうのが非常に腹立たしいと思う。
(めーさんに)
いやいや
でもめーさんがそれで気分いいなら
別にいいのだろうか・・・?
彼女は物をあげたりすることで
自分の存在意味を見つけようとしたり
つながりをもってもらおうと思っているので
そういう手段でしか、人とのつながりを持てない
そういう状態が「ああ、病気なんだな」と
思えてしまう
私のいるクリニックで扱う精神疾患のほとんどが
他人に何かをして「あげる」ことでしか
自分の存在価値を見出すことができない。
自分の存在価値を、他人ありきでしか判断できないのだ。
他人ありきだから、その人にプレゼントを渡したり
ご飯をたべさせてあげたりすること
そういうことをしなければ、逆に離れて行ってしまうと
思ってしまうのだ。
心のつながりみたいな
目に見えないつながりはあやふやで不安になるんだ。
だから、お金や物を介在させることで
自分とつながってもらうのに必死なんだ。
本当の人間関係に
そんなものは必要ないのに。
お金もないのに
私の誕生日に
「父親からお金をもらったから、もとさんにプレゼント買います!」
なんてメールをくれたけど
私は断ってしまった。
めーさんなら「ありがとう」なんて
何も考えずに受け取るんだろうな。
何も考えなくて済む人間が、無責任で一番うらやましい。
何の責任も負うつもりもなく
自分の何かがこの先につながるなんて
そんな考えが一切ないんだもの。
ある意味一番自己中なんだよね。
自分のしたいと思っていること
自分が良かれとおもっていることを
相手に押し付けてるだけじゃないの。
それが将来、相手にとってものすごい悪いことを
引き起こすってわかっていても
わからなくても
今、それをやっている自分に酔っているだけ。
自分がしてきもちいいことが
相手のことを一切考えずにすんで
一番気持ちよくて
一番の、無責任だ。
役員から外れて、相談役になって
(まあ、名前だけみたいなもんでしょ)
実質社長の野放し状態。
だけど自分は何も言えない。
言えないと、いろんなことを言いたくなる。
でも、もうそんなことできない人になってしまった。
大学は実習が始まり
例のEDの女の子は実習がお休みのクールになり
めーさんとべったりで
時々講義をサボって
「先生~ プレゼント♪」
なんて手作りの食べ物やコーヒーを持ってきて
そんでもってそんなことしてるから
「朝、起きられなかった」なんて嘘ついて
外来は大幅遅刻。
何やってんだ(ムカ)
めーさんもへらへらしちゃって
「プレゼントありがとう」なんて
何も考えずに食べたり飲んだりして。
一緒に食事に誘ったり(おい)
にやにやしちゃって もー!!
でもさ
別に付き合う気なんかなくても
人に好かれている時
はっきりとそれを拒絶できる人って
いないと思う
他人に好かれてることが気持ちいいから
人に好かれている状況が心地いいから
その相手に好意がなくたって
きもちよくてやめられないよね。
そういうのが非常に腹立たしいと思う。
(めーさんに)
いやいや
でもめーさんがそれで気分いいなら
別にいいのだろうか・・・?
彼女は物をあげたりすることで
自分の存在意味を見つけようとしたり
つながりをもってもらおうと思っているので
そういう手段でしか、人とのつながりを持てない
そういう状態が「ああ、病気なんだな」と
思えてしまう
私のいるクリニックで扱う精神疾患のほとんどが
他人に何かをして「あげる」ことでしか
自分の存在価値を見出すことができない。
自分の存在価値を、他人ありきでしか判断できないのだ。
他人ありきだから、その人にプレゼントを渡したり
ご飯をたべさせてあげたりすること
そういうことをしなければ、逆に離れて行ってしまうと
思ってしまうのだ。
心のつながりみたいな
目に見えないつながりはあやふやで不安になるんだ。
だから、お金や物を介在させることで
自分とつながってもらうのに必死なんだ。
本当の人間関係に
そんなものは必要ないのに。
お金もないのに
私の誕生日に
「父親からお金をもらったから、もとさんにプレゼント買います!」
なんてメールをくれたけど
私は断ってしまった。
めーさんなら「ありがとう」なんて
何も考えずに受け取るんだろうな。
何も考えなくて済む人間が、無責任で一番うらやましい。
何の責任も負うつもりもなく
自分の何かがこの先につながるなんて
そんな考えが一切ないんだもの。
ある意味一番自己中なんだよね。
自分のしたいと思っていること
自分が良かれとおもっていることを
相手に押し付けてるだけじゃないの。
それが将来、相手にとってものすごい悪いことを
引き起こすってわかっていても
わからなくても
今、それをやっている自分に酔っているだけ。
自分がしてきもちいいことが
相手のことを一切考えずにすんで
一番気持ちよくて
一番の、無責任だ。
ついに今年も11月。
私の誕生日月でもあるので
終わりと始まりが一遍に来る月、という感覚かなあ。
昨日は年に一度の馬車の日で
ウスムラサキシメジが生えているのをみつけて
うわー 憧れのムラサキシメジ(ではないが、近い)と
2本採ってきました。
先週はいろんなことがあった。
面白いようにEDに巻き込まれる人々。
それに対して、逆転移しちゃう私。
私は逆転移だと分って追修正してるけど
回りの人のあの動きがまた
絵に描いたような巻き込まれ方で
あああああ!!うがああああ!
うげええええ!
みたいな。
これじゃー治らないね。
確信しました。
どんなに私の目の前で辛い、しんどいと彼女が泣こうが
結局彼女の行動自体が、治りたくないし
疾病利得をバリバリ得ていて
夏休み前まで目立たなかった一人の女の子が
今やいろんな先生や学生から注目の的。
やめられるわけないよね。
「大学入ってから、誰も私のことをちやほやしてくれなくなった」
っていうくらいなんだもの。
この状況は、無意識ではうはうはな状況で
症状止めたら、また誰も自分のこと見てくれなくなると
思うのは当然のこと。
これはHy症状全体に言えることだけど
そこで注目集めるのは、ほんの一瞬のこと。
そのあとは、もう慣れと面倒くささで
誰も寄ってきてくれなくなる。
そこで失うものは、本当に大きい。
取り返せないくらい、本当に大きいのだ。
それに気づくことができたら
症状という手段を手放して生きることができるのだけどね。
なかなか難しいよね。
一番欲しいものがそれで手に入ると、信じてる。
以前私は
内科的疾患と、精神疾患と何が違うの?
何も変わらない。きちんとした病態生理がある
病気の一つとして何も差別される言われはない、と
話しました。
だけど、ひとつ、最大の違いは
精神疾患(精神病ではなく、Hy~BPD圏ですが)は
本人が治りたい、と思わなければ
内科的疾患や外科的疾患のようには治らないということ。
医師が医技を駆使して、最新の治療を施したら
あとは本人の体の自然治癒力で傷が癒えたり
機能が回復したりするということが
望めないということだ。
本人が治りたいと思い努力しないのなら
Hyに自然治癒はありえない。
医師だけの力での完治もあり得ない。
診察室の椅子に座って
「来たよ。ほら、先生治してよ」
「先生が治してくれるんでしょう?」
じゃあ、いつまで経っても治るわけがないのだ。
気づいている人は
一生懸命治療に参加して
一生懸命、普通の生活を取り戻していく。
精神疾患は最も患者の治療への参加が
重要であることは間違いない。
そんなことを思いつつ
EDの彼女に
「ほら、この人に相談しなさいよ」
「ご飯食べに連れてってあげる」
「これたべなさい」
よってたかって援助の手を差し伸べる周囲の対応
大学のまがりなりにも「相談担当」の先生方に
イラっとしてしまう。
相談担当なのに自分の意見を言いまくる女性の先生。
親身になって相談、って
親身になるってどういうことよ?
自分の見聞きした範囲でしか共感できないし
体験したことないものは自分の感覚で意見を言う。
あなたの意見なんか聞いてないって。
自分の意見いう前に相手の話ききなさいよ、みたいな。
目の前で派手に症状を出す彼女に
手を差し伸べて自己満足に浸って
いいことした、なんて思ってるのは大きな間違いで
素人のやること。
結果的に彼女が「具合悪ければみんなが自分を心配してくれる」
という利得を与えている。
もっと具合が悪くなる。
それに気づいていたら、そんなことできないはず。
自分がいいことしたつもりで、実は悪化させてるんだから。
でも、わかってもらえないんだよね
精神疾患なんて薬飲まなくても治るとか
カウンセリングで治るとか
臨床心理士がカウンセラーの頂点だとか
そういう間違った知識が氾濫しているうちは
結局精神疾患への偏見の中でしか
サポートしてあげられないんだから。
でも、これだけは分かってほしい。
摂食障害は死ぬ病気だってこと。
自分も巻き込まれないように
もう少し引かなきゃ。
私の誕生日月でもあるので
終わりと始まりが一遍に来る月、という感覚かなあ。
昨日は年に一度の馬車の日で
ウスムラサキシメジが生えているのをみつけて
うわー 憧れのムラサキシメジ(ではないが、近い)と
2本採ってきました。
先週はいろんなことがあった。
面白いようにEDに巻き込まれる人々。
それに対して、逆転移しちゃう私。
私は逆転移だと分って追修正してるけど
回りの人のあの動きがまた
絵に描いたような巻き込まれ方で
あああああ!!うがああああ!
うげええええ!
みたいな。
これじゃー治らないね。
確信しました。
どんなに私の目の前で辛い、しんどいと彼女が泣こうが
結局彼女の行動自体が、治りたくないし
疾病利得をバリバリ得ていて
夏休み前まで目立たなかった一人の女の子が
今やいろんな先生や学生から注目の的。
やめられるわけないよね。
「大学入ってから、誰も私のことをちやほやしてくれなくなった」
っていうくらいなんだもの。
この状況は、無意識ではうはうはな状況で
症状止めたら、また誰も自分のこと見てくれなくなると
思うのは当然のこと。
これはHy症状全体に言えることだけど
そこで注目集めるのは、ほんの一瞬のこと。
そのあとは、もう慣れと面倒くささで
誰も寄ってきてくれなくなる。
そこで失うものは、本当に大きい。
取り返せないくらい、本当に大きいのだ。
それに気づくことができたら
症状という手段を手放して生きることができるのだけどね。
なかなか難しいよね。
一番欲しいものがそれで手に入ると、信じてる。
以前私は
内科的疾患と、精神疾患と何が違うの?
何も変わらない。きちんとした病態生理がある
病気の一つとして何も差別される言われはない、と
話しました。
だけど、ひとつ、最大の違いは
精神疾患(精神病ではなく、Hy~BPD圏ですが)は
本人が治りたい、と思わなければ
内科的疾患や外科的疾患のようには治らないということ。
医師が医技を駆使して、最新の治療を施したら
あとは本人の体の自然治癒力で傷が癒えたり
機能が回復したりするということが
望めないということだ。
本人が治りたいと思い努力しないのなら
Hyに自然治癒はありえない。
医師だけの力での完治もあり得ない。
診察室の椅子に座って
「来たよ。ほら、先生治してよ」
「先生が治してくれるんでしょう?」
じゃあ、いつまで経っても治るわけがないのだ。
気づいている人は
一生懸命治療に参加して
一生懸命、普通の生活を取り戻していく。
精神疾患は最も患者の治療への参加が
重要であることは間違いない。
そんなことを思いつつ
EDの彼女に
「ほら、この人に相談しなさいよ」
「ご飯食べに連れてってあげる」
「これたべなさい」
よってたかって援助の手を差し伸べる周囲の対応
大学のまがりなりにも「相談担当」の先生方に
イラっとしてしまう。
相談担当なのに自分の意見を言いまくる女性の先生。
親身になって相談、って
親身になるってどういうことよ?
自分の見聞きした範囲でしか共感できないし
体験したことないものは自分の感覚で意見を言う。
あなたの意見なんか聞いてないって。
自分の意見いう前に相手の話ききなさいよ、みたいな。
目の前で派手に症状を出す彼女に
手を差し伸べて自己満足に浸って
いいことした、なんて思ってるのは大きな間違いで
素人のやること。
結果的に彼女が「具合悪ければみんなが自分を心配してくれる」
という利得を与えている。
もっと具合が悪くなる。
それに気づいていたら、そんなことできないはず。
自分がいいことしたつもりで、実は悪化させてるんだから。
でも、わかってもらえないんだよね
精神疾患なんて薬飲まなくても治るとか
カウンセリングで治るとか
臨床心理士がカウンセラーの頂点だとか
そういう間違った知識が氾濫しているうちは
結局精神疾患への偏見の中でしか
サポートしてあげられないんだから。
でも、これだけは分かってほしい。
摂食障害は死ぬ病気だってこと。
自分も巻き込まれないように
もう少し引かなきゃ。
もう30代になって何年もすると
回りからとにかく
「けっこんしないのー?」
「ご結婚は?」
なんて聞かれる。
とりあえず、学生の身分で結婚するのは
私はどうかと思っている。
社会的な「大人」でないうちに
結婚という社会的大人の立場に分けるのは
絶対にぎくしゃくすると思うのだ。
学費も生活費も、親から半分以上援助してもらって
それで同級生や先輩と同棲して、結婚ごっこをして
「家事が大変なのー」
なんて、おねーさんちゃんちゃらおかしいわ。
親の用意した箱の中で、最低限の生活は保障されて
学費も出してもらって、生活費も出してもらって。
それ以上の贅沢をするために、アルバイトする。
それを大見え切って
「仕事が忙しくて勉強できないっ」
なんて言わないで欲しい。
それは仕事じゃない。労働でもない。
なくても生きていけるものだ。
親におんぶにだっこの後ろ盾で結婚することに
何の意味も社会的独立も感じない。
結婚したのに、双方の両親から生活費や学費を出して
生活していくって、私の中では納得できないし
理解できないのです。
私はたまたま社会人になった後、会社の制度で
大学に行っているので
生活費も学費も一切親から援助がないけど
それでも、今結婚するということは
まったく考えられないのです。
結婚する、ってことは
相手の人生に自分が半分責任もつ、ってこと
相手の人生の半分が、自分の人生になるってこと
だから、自分の苦労を相手に背負わせたくない
という気持ちが私にはとても強いのです。
私にしがらみが何にもなくなったら
結婚しよう。
それまで待てなかったら
どこかに飛んで行ってもいいよ。
私はあなたを
縛りつける資格なんてないのだから。
回りからとにかく
「けっこんしないのー?」
「ご結婚は?」
なんて聞かれる。
とりあえず、学生の身分で結婚するのは
私はどうかと思っている。
社会的な「大人」でないうちに
結婚という社会的大人の立場に分けるのは
絶対にぎくしゃくすると思うのだ。
学費も生活費も、親から半分以上援助してもらって
それで同級生や先輩と同棲して、結婚ごっこをして
「家事が大変なのー」
なんて、おねーさんちゃんちゃらおかしいわ。
親の用意した箱の中で、最低限の生活は保障されて
学費も出してもらって、生活費も出してもらって。
それ以上の贅沢をするために、アルバイトする。
それを大見え切って
「仕事が忙しくて勉強できないっ」
なんて言わないで欲しい。
それは仕事じゃない。労働でもない。
なくても生きていけるものだ。
親におんぶにだっこの後ろ盾で結婚することに
何の意味も社会的独立も感じない。
結婚したのに、双方の両親から生活費や学費を出して
生活していくって、私の中では納得できないし
理解できないのです。
私はたまたま社会人になった後、会社の制度で
大学に行っているので
生活費も学費も一切親から援助がないけど
それでも、今結婚するということは
まったく考えられないのです。
結婚する、ってことは
相手の人生に自分が半分責任もつ、ってこと
相手の人生の半分が、自分の人生になるってこと
だから、自分の苦労を相手に背負わせたくない
という気持ちが私にはとても強いのです。
私にしがらみが何にもなくなったら
結婚しよう。
それまで待てなかったら
どこかに飛んで行ってもいいよ。
私はあなたを
縛りつける資格なんてないのだから。
昨日はサークルの飲み会。
お酒が入ると調子に乗ってしまう。
ほんのちょっとの、自慢。
あー、いやだいやだ。
昨日もそうだった。
帰りは珍しく、電車に乗り間違えて終電を逃し
タクシーで帰宅。
私は私で
十分認められてると思うのに
これ以上いったい誰に
認めてほしいというのだろう。
父親?
もう手の届かないあの人?
先生?
それとも、自分自身?
空を見上げていたら
古池を思い出した。
古池は元気かな
今頃もしそばにいられたら
たとえ結婚したり、恋人同士でなくても
私が私以上にならなくて済むような
そんな存在でいられただろうな
東京にもあったんだ
こんなきれいな空が
うれしいな、君に見せたいな
君に会いたいな
福山雅治が歌ってる
そうだよ
君に会いたいな・・・
会って、
そのままでいいと
言ってほしいよ。
お酒が入ると調子に乗ってしまう。
ほんのちょっとの、自慢。
あー、いやだいやだ。
昨日もそうだった。
帰りは珍しく、電車に乗り間違えて終電を逃し
タクシーで帰宅。
私は私で
十分認められてると思うのに
これ以上いったい誰に
認めてほしいというのだろう。
父親?
もう手の届かないあの人?
先生?
それとも、自分自身?
空を見上げていたら
古池を思い出した。
古池は元気かな
今頃もしそばにいられたら
たとえ結婚したり、恋人同士でなくても
私が私以上にならなくて済むような
そんな存在でいられただろうな
東京にもあったんだ
こんなきれいな空が
うれしいな、君に見せたいな
君に会いたいな
福山雅治が歌ってる
そうだよ
君に会いたいな・・・
会って、
そのままでいいと
言ってほしいよ。
青い森に帰ったのが
まるで幻だったかのようで、と以前ここに書いたけど
あれから一か月、私の頭の中は
過去と今と
記憶と現実を
行ったり来たりして
とてもとても
調子が悪かったのです。
幻ではなかったことは
この心や体が証明している。
痛いくらいだ。
今ではすっかり
まるで青い森になんか
帰っていなかったように
やっと元に戻りました。
ご心配くださった北先生
ありがとうございます。
ごめんなさい。
見ているわけがないけど
手嶋先生
もう、忘れても大丈夫です。
私のことは忘れてもいいです。
忘れても、責めたりしません。
手嶋先生が私を救ってくれたこと
金魚すくい見たいにひょいっと
窒息しそうな私に
息をさせてくれた3年生の日々は
私がしっかり、覚えています。
忘れられません。
私の辛いことを
分け合ってくれてありがとう。
卒業式の前の日でした。
あれからもう
先生に会えなくなることは
覚悟してたんだよ。
青い森は
私の骨や肉である。
だけど
私の心は作らなかった。
私の心が還る場所。
今の私にはない。
だけど私の未来にそれは
あるのかもしれない。
だから明日を
恐れないでいたい。
私はきっと
うまく生きることに慣れていない。
夢のような
青い森の日々でした。
まるで幻だったかのようで、と以前ここに書いたけど
あれから一か月、私の頭の中は
過去と今と
記憶と現実を
行ったり来たりして
とてもとても
調子が悪かったのです。
幻ではなかったことは
この心や体が証明している。
痛いくらいだ。
今ではすっかり
まるで青い森になんか
帰っていなかったように
やっと元に戻りました。
ご心配くださった北先生
ありがとうございます。
ごめんなさい。
見ているわけがないけど
手嶋先生
もう、忘れても大丈夫です。
私のことは忘れてもいいです。
忘れても、責めたりしません。
手嶋先生が私を救ってくれたこと
金魚すくい見たいにひょいっと
窒息しそうな私に
息をさせてくれた3年生の日々は
私がしっかり、覚えています。
忘れられません。
私の辛いことを
分け合ってくれてありがとう。
卒業式の前の日でした。
あれからもう
先生に会えなくなることは
覚悟してたんだよ。
青い森は
私の骨や肉である。
だけど
私の心は作らなかった。
私の心が還る場所。
今の私にはない。
だけど私の未来にそれは
あるのかもしれない。
だから明日を
恐れないでいたい。
私はきっと
うまく生きることに慣れていない。
夢のような
青い森の日々でした。
中村文昭の詩、「挨拶せよ」を知ってる人がいるだろうか。
えこし会を主宰する彼の詩で、
私が一番好きな詩がこの「挨拶せよ」である。
めーさんと話をしている時、ひょんなことから
挨拶の話になったことがある。
めーさんは挨拶しても返ってこなかった場合
一度目は、聞こえていなかったのかもしれない
と思うが、二度目も同じように返ってこなかったら
もう二度と挨拶をしない、と言っていた。
私はそこには全く反対のスタンスを持っている。
私は、相手が挨拶し返してくるまで挨拶するからだ。
たとえばめーさんが実習に行く時、いつも
「いってらっしゃい」と声をかけるのだけれど
先週は木曜・金曜と無視されてしまった。
もしもめーさんならここで二度と挨拶しないだろうと
思うのだがしかし
私は前述のように相手が返してくれるまで意地でも
挨拶するタイプなので
昨日も挨拶して、今日も「いってらっしゃい」と
声をかけたらやっと
「はいー」
と返ってきた。(やった!)
こんな時中村氏の「挨拶せよ」の詩が脳裏をよぎる。
挨拶しなければならないのだよ、人間は。
えこし会を主宰する彼の詩で、
私が一番好きな詩がこの「挨拶せよ」である。
めーさんと話をしている時、ひょんなことから
挨拶の話になったことがある。
めーさんは挨拶しても返ってこなかった場合
一度目は、聞こえていなかったのかもしれない
と思うが、二度目も同じように返ってこなかったら
もう二度と挨拶をしない、と言っていた。
私はそこには全く反対のスタンスを持っている。
私は、相手が挨拶し返してくるまで挨拶するからだ。
たとえばめーさんが実習に行く時、いつも
「いってらっしゃい」と声をかけるのだけれど
先週は木曜・金曜と無視されてしまった。
もしもめーさんならここで二度と挨拶しないだろうと
思うのだがしかし
私は前述のように相手が返してくれるまで意地でも
挨拶するタイプなので
昨日も挨拶して、今日も「いってらっしゃい」と
声をかけたらやっと
「はいー」
と返ってきた。(やった!)
こんな時中村氏の「挨拶せよ」の詩が脳裏をよぎる。
挨拶しなければならないのだよ、人間は。
昨日は大学に行き、ぼちぼちと勉強。
途中からみんな来て、そこにめーさんも参加したけど
なぜかきのうの私とめーさんはことごとく会話が対立。
まるで父と話しているようだった。
私は基本的に自分が見たこと
自分が確かめたことではないと話さない。
どんな些細なことでも
この手で、この目で、確かめなければ
信用なんてしないのだ。
だから、例えば
「あそこに○○があったよ」
と、私が見たままを言ったのに
「いや、そこにそんなのはない」
「そこにあるなんて聞いたことない」
「嘘ついたって、すぐにバレるんだよ」
というように、見たこともない人に
全否定されるなんてどうも駄目なのだ。
まるで、私が嘘をついているみたいに否定されると
それが好きな人だと余計に
違う、違うんだよ、本当なんだって。
と言いたくなってしまう。
本当にめんどくさいやつだ。
昨日もそう。
否定されるだけなら、父と同じだ。
わかってもらえないと見切って黙っていればいい。
その人の中で、私が嘘つきだと思われていてもいい。
それが、好きな人でないなら。
だけどどうしてもめーさんには
そう思われたくないの。
私は、
自分で見たもの
自分で感じたもの
この手で触ったもの
実感したものしか信用しない。
自分の目で確かめなければ
情報なんて信じない。
それなのに。
確かめてもいない人から
世の中の常識のように
当たり前のことのように
否定されるのは嫌いだ。
あらしのよる
帰りは教員の先生方と一緒になった。
そのまま夕食をごちそうしてもらったのだけど
その時
「もとは、教員の中でも好き嫌いはっきり分かれているけど
俺は好きだよ」
と言われて、ああ、全く同じことを中学の頃に
担任の田中先生に言われたことを思い出し
全く私って変わってないんだなあ、って思った。
というより あの頃はまだ自分がこれから
どうなるのかもわからず
小さな違和感を抱えながらも
自分が一人の人間だと思って生きていけていた。
それは、ここでは目立っている。
いやなのに無意識にそうなる。
そうしている自分が
まだまだ私の中にいる。
私は私の見たこと
聞いたことしか信じない。
自分で確かめたものしか信用しない。
その部分は、きっと賛否両論あるし
私の中の「わたし」は
小さくて不安定でどうしようもなく
強がりで弱くて悲しくてどうしようもなく。
認めてもらいたくて
でも
強がりで
でも弱くて
だけどしっかりある。
私はきっと、自分の生き方に
腑に落ちたいんだということが。
だからもがく
こんな、あらしのよるにも。
途中からみんな来て、そこにめーさんも参加したけど
なぜかきのうの私とめーさんはことごとく会話が対立。
まるで父と話しているようだった。
私は基本的に自分が見たこと
自分が確かめたことではないと話さない。
どんな些細なことでも
この手で、この目で、確かめなければ
信用なんてしないのだ。
だから、例えば
「あそこに○○があったよ」
と、私が見たままを言ったのに
「いや、そこにそんなのはない」
「そこにあるなんて聞いたことない」
「嘘ついたって、すぐにバレるんだよ」
というように、見たこともない人に
全否定されるなんてどうも駄目なのだ。
まるで、私が嘘をついているみたいに否定されると
それが好きな人だと余計に
違う、違うんだよ、本当なんだって。
と言いたくなってしまう。
本当にめんどくさいやつだ。
昨日もそう。
否定されるだけなら、父と同じだ。
わかってもらえないと見切って黙っていればいい。
その人の中で、私が嘘つきだと思われていてもいい。
それが、好きな人でないなら。
だけどどうしてもめーさんには
そう思われたくないの。
私は、
自分で見たもの
自分で感じたもの
この手で触ったもの
実感したものしか信用しない。
自分の目で確かめなければ
情報なんて信じない。
それなのに。
確かめてもいない人から
世の中の常識のように
当たり前のことのように
否定されるのは嫌いだ。
あらしのよる
帰りは教員の先生方と一緒になった。
そのまま夕食をごちそうしてもらったのだけど
その時
「もとは、教員の中でも好き嫌いはっきり分かれているけど
俺は好きだよ」
と言われて、ああ、全く同じことを中学の頃に
担任の田中先生に言われたことを思い出し
全く私って変わってないんだなあ、って思った。
というより あの頃はまだ自分がこれから
どうなるのかもわからず
小さな違和感を抱えながらも
自分が一人の人間だと思って生きていけていた。
それは、ここでは目立っている。
いやなのに無意識にそうなる。
そうしている自分が
まだまだ私の中にいる。
私は私の見たこと
聞いたことしか信じない。
自分で確かめたものしか信用しない。
その部分は、きっと賛否両論あるし
私の中の「わたし」は
小さくて不安定でどうしようもなく
強がりで弱くて悲しくてどうしようもなく。
認めてもらいたくて
でも
強がりで
でも弱くて
だけどしっかりある。
私はきっと、自分の生き方に
腑に落ちたいんだということが。
だからもがく
こんな、あらしのよるにも。