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ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。 あやふやで不安になることばも その傷が癒えることばも。
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実家からお土産の要求とともに
私が青い森にいる間のスケジュールの通達が来た。

古池の思い出を見に行ったり
誰かに会ったりする時間
そういう、滅多にない私の時間は
知らない間に奪われてしまったのか…。

青い森に軟禁されるとは予測していたけど
まさかこんななんて。


私にはソロテントなんか張れない。

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会社を辞めることになった。
辞めることになった、というか
もうそれ以外の方法がない、という感じだった。

深夜まで話し合った。
もちろん、あの例の社長は抜きで。

社長が来てからというもの
最初は良かったけれど
徐々に王様ゲームの王様のようで
そして私に対しての

「俺はお前より年上だから、お前よりも何でも知っている」

という目線。
何を言っても、「ああ、僕もそうだったんで分かります」

分かってほしくなんか、無い。
分かる訳ないのだから。

どうしても、2月の

「意見を言いたいのなら、(大学なんか行ってないで)働いたらどうです?」

という言葉が、私の中で許せなかった。

全ては、そこから始まり。

徐々に嫌悪感が募っていき
顔を見るのも嫌になった。
当然、会議に出て顔をあわせることも出来なくなった。
私は、一度ダメになるととことんダメらしい。

そして昨日、一緒に創業した院長に呼び出され

「もう限界だな。辞めるしかないな」

と言われ、私はこくんと頷いてしまった。

反応があるかと思って少し顔を上げてみた。
でも、意外なほどあっけなかった。

ああ、私の作った会社は
私の子どもだと思ってた会社は
あっけなく、こうやって私の手から
離れていってしまうんだなあ。

だけどほんの少し
開放されて気は楽になったかもしれない。

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大学に行くことは
いつの間にか業務命令ではなく
個人的な希望と取られていた
だったらもう
薬学部にしがみつくことは
しなくてもいいのではないか

会社を辞めることは
私にとって、大学を辞めるとほぼイコールだ。
6年間在籍することで、ぎりぎり学費が
まかなえる計算だからだ。

いられるだけいるのなら
後悔しないように、精一杯やろう。

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たぶん私が青い森に帰ったら


めーさんに対する気持ちは多分変わってしまうだろうな。


恐怖に打ち勝つには
恐怖を愛するしかないのかな

優しいものが怖くて泣いてしまうのと同じだ。


多分、もうすぐきっと
この気持ちとはさよならかもしれないな

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まるで焼畑のようなものかもしれない。
今まで育てた緑を
じわじわと、そしてごうごうと焼いていく

残酷だけど
次に生きる命のために自らが養分となり
火に焼かれていかなくてはならないのかもしれない

明日は、燃やされてもきっと来る。
たぶん、それでも死なない。

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なんだかんだ言って結局

ありがとうって言えてない。



やっぱりめーさん目の前にするにはパワーがいる。





ただ笑っているのは簡単

と言うより

辛そうな顔して誰かに声をかけられても

自分が話したい時でもないのに

相手に話さなくてはならないことになるのが煩わしいのかもしれない。



私は何度も考えから言葉を放したいし

上手く放せない自分が苦しくなるのもいや





だったら何も無いみたいにしてた方が楽なんだよね



ここしかいる場所がないのだもの








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青い森に帰ると決めてから
色々な事を考えています

私を忘れてしまった古池のことや
連絡がつかなくなってしまった手嶋先生
ゴロンと転がって見上げた天井
頸に残る手の感触
かび臭いクローゼット
隣にある仏壇

帰ること自体は大したこと無いかもしれない。
だけど私にとって一番嫌なのは
私が元気でいることが
私が平気な顔して帰ることで
何も無かったように
まるで自分たちが間違ったことを
していなかったように
大したことでは無かったんだというように
安堵されることなんだよね

遠い昔の記憶は
そう遠くなくて
私を作り上げる芯となって
いまも、すぐ近くにある記憶。


今日
鈴先生と話したくなって4階に行ったら
ちょうど鈴先生が出てきて
青い森の話をしたけれど
その時、なぜか足の震えが止まらなかった
私は私の中でもう
大丈夫だとは思っていたのに。
(鈴先生ありがとね)

その後
めーさんのところに行って
ようやく言うことが出来ました。

青い森に、帰ることにした、と。

言いたいことのすべては
旨く話すことも出来なかったし
ありがとうも
ずっと考えていたことも
言えなかったけど
やっと言うことが出来て
少し胸のつかえが取れました

青い森に帰ったら
きっとめーさんは誰にも似てないって
思えると思う
重なってるだけで、同じじゃないって
確かめられると思う
今のままじゃダメだから
だから青い森に帰るんだ


ありがとね、めーさん。


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どこまでも
どこまでも

手が届きそうで届かない

私のいる風景
私のいた過去

目に見えないものは
積み上げることでしかその形を
想像することができない
まるで透明な砂のような。

私が振り払って振り払って
忘れようとした青い森は

本当は私より先に私を忘れていたなんて

一体誰が予測できたろう。

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やっと一週間たちました。
今週は一週間がホントに長かった。
土曜も大学があったのでそう思うのと
少し思い悩んでたから、それもあるかも。

青い森に帰ったら、手嶋先生に会いたいな、と
思ってはいたけれど
よく考えたら手嶋先生に10年会ってない。
昔々、まだまだ私がダメダメだったころ
東京の研修に来ていた先生と会ったことがあるけど
それ以来会ってないのです。

そういえば最近、大学と職場以外の人に会ってないなあ。
北先生に会ったの、いつだろ?


青い森には2日しかいないのだけど
その2日すら、心配。

今日は戻ってきた夏のような空。

もうすぐ夏も終わりですね。

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大学も始まり
私が青い森に帰る日も
刻一刻と迫ってきています。
私の葛藤も徐々にピーク。


大学で黒板を見つめながら
ついぼーっと青い森のことを考えてしまう。
そこは、私にとって生まれ故郷でもあり
足を踏み入れてはいけない恐怖の館的な怖さもあり
つい、フラッシュバックのように
青い森が脳を支配してしまう。
いかんいかん。

でも思うのね
今更どんな顔して青い森に帰ればいいの
私の帰る青い森も、会いたい人も
もう居ないのに
ただいまって一体どんな顔して言えばいい?

私が住んでいた家はもう無い。
私が家を出た後、母の実家近くに引っ越したからだ。
たとえ実家に帰っても、そこは住んだこともない
知らない家なのだ。
幼いころ一緒に遊んだ近所の友達も
おはようって挨拶していた犬も
おばさんも、おばあちゃんもいない。
そこはもう私の知らない町なのだ。

私を知らない町
私の知らない新しい家
そこに「ただいま」って
言えない。

住んだことも無い家に。
ただいま、なんて 帰れない。

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「青い森に帰る事になったんだ。」

たったその一言が
どうして言えないのだろう。
目の前にいるあなたが
私の心を窒息させる。

手紙を書いても渡せず
何度破って棄てただろう

メールを送ろうとして
何度躊躇しただろう

結局何も送れず
何も伝えられない。

まるで私は

穴の空いた繭の中。

羽ばたく羽が見つからない

まだまださなぎの、繭の中。

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雨が横殴りに降っています
今日は台風
大学の講義初日も午後から休講
めーさんは朝から来ていない。

あんなにめーさんに会いたかったのに
しばらく会ってない上に
前に会ったときにろくなやつじゃない私は
今更今度はどんな顔して会ったらいいんだろう?
と思い、会えないことに逆にほっとした。


新しい人が、今日は居ました。
やっぱり、私は新しい人が苦手です
年上の私がなぜかおどおどしてしまう。
なんでだ。誰かとかぶってるのだろうか?
上からすごく力をかけられているような気がして
自分がすごく弱い立場な人間のように思えてしまうから
たぶん、誰かとかぶってるんだろうな。

複雑なスタートだわ。


人は人でいるために
どれだけ傷ついて
どれだけ人を傷つける?
言葉を選べずに泣いてばかり
後ろを向くことが怖くて
ぬかるむ足元に集中して生きているだけ
気がついたらずいぶん遠くへ来ていて
そして目の前の光にさえ気づかなかった


風がうねっている。

風になって古池に
会いに行けたらいいのに。

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怒涛のように村上春樹の著「1Q84」を読破した。
この後、空気さなぎは一体どうなったのか
天吾とふかえりは?青豆は本当に失われてしまったのか?
その物語は、続きそうで、続かない。
これが村上春樹の村上春樹たるところだ。

この本の中で、いくつか印象的なフレーズがある。
さきがけのリーダーであり、ふかえりの実の父を
青豆がいつもの(と言ってもそう頻繁ではないが)
天命を全うしに行った時
リーダーは全身にレシヴァとしての代償とも言うべき
痛みを抱えていた。
そしてその苦痛を取り除くために筋肉ストレッチを
青豆が施すのだが、そのストレッチも痛みを伴う。

痛くはないですか。

そう尋ねる青豆に対して彼はこう言う。

痛みは相対的なものでしかない
より強い痛みがあれば
その前の痛みなど消えてしまう、と。

この言葉は私の中にすとん、と
まるでそこがもともとの居場所のように
自然に 体に吸い込まれていった。

なぜなら私の人生がそのまま集約されているような
そんな気がしたからだ。

生きることは、痛みを伴う。
しかしその痛みを忘れるためには
より強い痛みを受け入れるしかなかった。
そしてそれは、この「リーダー」のように
他人に対して、自ら望んで受け入れるものだった。
痛みを忘れるために、和らげるために
より強い痛みを求めていたのだ。
それは体をやがて蝕み
傷つき、ぼろぼろになる。

そして再び立ち上がろうとするとき
今までよりももっと鋭い痛みを伴う。
それは痛みを忘れるための痛みではなく
ただの痛みそのものとして存在する。

立っているだけでも辛い

だけど、立ち続けなくてはならないのだ。
それだけは判る。

月がこの世界には一つしかないのだから。

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今日は山登り。
それほど遠くないけれど、一応日本でも有名な山でした。
90分の登山道を歩き、頂上で一休み。
作ったお弁当を食べて、すぐ下山といういつものパターン。

最近、なぜか山に登りたくなる。
昔は(と言っても今でもだが)海が大好きで
特に秋田に居たころは
暇があったり、落ち込んだときは
日本海を見に車を走らせていた。
今はなぜか山に心惹かれる。
山を登る。
海は見に行けばいいけど
山は登らなくてはならないから辛い。
それでもなぜか私は山に登りたくなる。
けして「そこに山があるから」ではない。
山は、見ているだけではダメなのだ。
潮の満ち引きのように
ただ、黙って見ているだけでは
ダメなような気がするのだ。

海の潮の満ち引きはまるで
山で言えば登山と下山のようだ。
近づいては、離れる。
だけどそれは月の引力ではなく
自分の意思で行われる。
そのあたりが、自分でも気がつかない
ポイントなのかもしれない。

山へ行く途中は村上春樹の1Q84をよんでいた。
相変わらず、自分の頭の中が「春樹節」に慣れるまで
いくらか時間がかかったけれど
下巻もすっかり中盤に差し掛かるころには
私の頭もすっかり春樹節になっている。
不思議な作家だ。
今まで彼の著作はほぼ全て読破しているが
今回の作品も、不思議なほど引き込まれて
自分が1Q84の世界で生きている。


帰り道
私は一刻も早く自分の部屋に戻り
汗にまみれた体を
シャワーで洗い流してしまいたかったのですが
私は不在者投票へ行き投票してきました。
私の住む地域の今回の投票は4種類もあるので
とにかく多い。
投票用紙4枚を一気に書いたのは
今回が初めてかもしれない。
それにこういってはなんだけど
選挙管理委員会のバイト?か職員の
あの誘導の悪さといったら・・・

「カード記入お願いします!カードの記入は並ばずに
直接お入りください!」

このせりふを会場で何度も繰り返している。

疑問その1
一体何のカードを書かなければならないんだ?
不在者投票しに来た人に突然
「カードお持ちじゃないですよね?」
と聞いても??なだけ。

一瞬住民基本台帳のカードかと思った。
そして「カードはあちらで」のあちらが
超適当にそのあたりを指しているので
混乱して会場の使用申し込み用紙が
その「あちら」の手の先にあったために
申し込み用紙に勘違いして記入しようとする人続出。

疑問その2
カードの記入が終わったらどうすればいいのか。
全くせりふに入ってない。

まあ、朝からずっとこのせりふを何日も前から
繰り返しているのでうんざりしているとは思うが

「不在者投票に来られた方は、まず受け付けカードに
記入が必要です。並ばずに直接会場にお入り下さい」

「受付カードの記入と提出が終わったら、投票待ちの
列にお並び下さい」

「現在受け付けから投票まで60分ほどかかります」

この3つでいいのに・・・

ひたすら
「カード記入お願いします!カードの記入を
してください!」の連呼じゃねえ・・


結局60分待ちで投票完了。

私は国民の義務を果たしたけれど
本当に国民が望んでいるような立候補者を
私も選べているかどうかは判りません
私個人の意見として
とても批判されている党があるけれど
その党の立候補者は全て排除してしまうのではなく
私はその党に属していても
この人ならやってくれる、というように思う人に
投票したいと思います
そういう人はきっと
党の進む方向がおかしいと思ったらきっと
属する、ということをやめて
自分の意見で進むようなことをしてくれるのではないかと
そのくらいの気概があるのではないかと思うのです。

ただ、大きな党まとめてどこがいい?
と聞かれたら
けして今の政治を握っている党は
よしとはしないですけどね

党がそうだからと言って
それに属している人間が全て悪いとも
思えないのです。

党はどうであれ
人間というものは 村上春樹流にいえば
失われるまでは、個として変わりないということ

そして私の10代は
永遠に失われてしまっているということだ。

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何年ぶりだろう
プールで泳ぐのは。
大手飲料メーカーの医薬開発で働いていたころ
時々帰りに市民プールみたいなところで
泳いでいたことがあったけど
今日みたいにジムのプールで泳ぐのは初めて。
(プールで泳ぐこと自体が10年ぶりくらいなのだが)

久しぶりに水の中で
体を伸ばした感覚の心地よさ。
ああ、人間は昔から水の中にいただけあるなあ
解放されているのに、守られているような
そんな安心感がある。

久しぶりだったので
泳ぎ方すら忘れていた。
小学生のころはこれでも水泳部だったのに。
あのころ、容易に沈んでプールの底を
這う様に泳いでいたのに
今の私は、沈むことが出来ずに
すぐに浮き上がってしまう。

人間って本当は沈まないんだ、って
昔誰かにきいたことがあるけれど
本当は泳ぐことというのは
意図的に沈まなければならないことで
浮いているより難しいのかもしれない。

久しぶりに泳いで、心地よい疲労感。
もうすぐ秋の気配がする風も心地よい。
私は夏が苦手なので
ちょうどいい季節になってきました。

(でも早速筋肉痛です)


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また社長がよく意味不明な学会行って
いたく感動して帰ってきた。
うちのクリニックでもやろうとか言い出す始末・・・

社長が言うには

「セロトニンはたんぱく質から作られるので
たんぱく質の不足がうつなどの精神疾患をもたらす。
そのため、たんぱく質を与えることにより精神疾患を治癒する」

らしい・・・

この理論にいたく感動してやりましょう!とか言い出すその
能天気さとアホさにドン引き。

たんぱく質(アミノ酸)からセロトニンが
生合成されるのはわかるけど
その生合成経路に不具合がある場合は
いくらたんぱく質補充したって無駄だろう。
それにそんだけ不足する栄養状態って
一体どんだけ栄養失調状態なんだよ・・・・

もっと栄養学とか生化学とか
勉強してから提案してほしいし
根拠なくても医師が言ってたから医学的に
間違いない、という考えは危険だと思う。

だいたい、たんぱく質補充で鬱が治るって
人間一日どれだけたんぱく質取ってると思ってるわけ?
たんぱく質で鬱や精神疾患にならないなら
肉中心の食生活してる民族には
精神疾患存在しないってことか?

ほんとに
よく考えてみなさいよ
自称「科学者」なんじゃなかったけ・・・?


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