ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
久しぶりに北先生と会う。
最近話したい事が大量にあったため、ずーっと喋ってました。
あー、楽しかった。
大学では、私が教務副部長に出したメールが
学生部長に転送されていて
学生部長から直接私に返事がきてビックリ。
先生に呼び出されたり、メールが来たりすると
つい、「自分が何かやって怒られとしまうんじゃないか」
という恐怖心が拭えない。
「ちょっと(きなさい)」という一言で
別室で暴力を受けて来た人間には
こういう、どうでもいいところが恐怖心を呼び起こすんだよね。
ガイダンスで久しぶりに会った友達①が、友達②に対して
「留年なんかこの大学では心配するような問題じゃないでしょ」
と言ってたのにイラっときたんですよ。
留年しないようにと必死に勉強してた友達に対して
それが言うセリフか?!
みたいな。
追試が何個もあっても留年にはならないと思っているから
あなたいつも勉強してる人に
「そんなに勉強必要?」なんて言うわけね…。
出席の不正なんかいまさらどうでもいい話し。
そこが問題じゃなくて
不正や不真面目な学生が、きちんとやる学生に対して
否定的なことを言わせる風潮がある、ってことを
言いたかっただけなんだけどね。
教務副部長も学生部長も
出席不正に対して文句言ってると思ったらしく。
あー。 みたいな。
そんな初日。
最近話したい事が大量にあったため、ずーっと喋ってました。
あー、楽しかった。
大学では、私が教務副部長に出したメールが
学生部長に転送されていて
学生部長から直接私に返事がきてビックリ。
先生に呼び出されたり、メールが来たりすると
つい、「自分が何かやって怒られとしまうんじゃないか」
という恐怖心が拭えない。
「ちょっと(きなさい)」という一言で
別室で暴力を受けて来た人間には
こういう、どうでもいいところが恐怖心を呼び起こすんだよね。
ガイダンスで久しぶりに会った友達①が、友達②に対して
「留年なんかこの大学では心配するような問題じゃないでしょ」
と言ってたのにイラっときたんですよ。
留年しないようにと必死に勉強してた友達に対して
それが言うセリフか?!
みたいな。
追試が何個もあっても留年にはならないと思っているから
あなたいつも勉強してる人に
「そんなに勉強必要?」なんて言うわけね…。
出席の不正なんかいまさらどうでもいい話し。
そこが問題じゃなくて
不正や不真面目な学生が、きちんとやる学生に対して
否定的なことを言わせる風潮がある、ってことを
言いたかっただけなんだけどね。
教務副部長も学生部長も
出席不正に対して文句言ってると思ったらしく。
あー。 みたいな。
そんな初日。
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遅ればせながら
鈴先生、お父さん一歳おめでとうです
-----------------------------------------------------
三月も最後になりましたね
あー もう明日から新年度。
大学休めば休むほど、社会人としての気持ちが
ふつふつと湧きあがってきてしまうのです。
つまり大学戻りたくなくなってきてるんですね
休みすぎて。
後輩が大学をやめました。
その理由が面白かった。
「口だけやる気あるって言えば通るような大学なんて
うんざりなんっすよ!」
言えてる。
あなたは偉い。
私はそんな風に
ここから飛び出していくことができないから
うらやましいなあと思いつつ
自分は右も左も鉄鎖につながれているんだよね。
鉄の鎖が、長く長くなっても
私の自由はたかが知れている。
だけどそれが命の恩人への、恩返し。
私の人生をささげるのだ。
私のできる範囲で。
鈴先生、お父さん一歳おめでとうです
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三月も最後になりましたね
あー もう明日から新年度。
大学休めば休むほど、社会人としての気持ちが
ふつふつと湧きあがってきてしまうのです。
つまり大学戻りたくなくなってきてるんですね
休みすぎて。
後輩が大学をやめました。
その理由が面白かった。
「口だけやる気あるって言えば通るような大学なんて
うんざりなんっすよ!」
言えてる。
あなたは偉い。
私はそんな風に
ここから飛び出していくことができないから
うらやましいなあと思いつつ
自分は右も左も鉄鎖につながれているんだよね。
鉄の鎖が、長く長くなっても
私の自由はたかが知れている。
だけどそれが命の恩人への、恩返し。
私の人生をささげるのだ。
私のできる範囲で。
のんびりできる春休みももうあと残り1週間になりました
こんなに休んでいると、大学始まってからのペースに
戻すのがちょっと心配です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
最近北先生とかの相談メールを読んだりしていて
いつの間に大学っていうところは
「純粋に学問を追求するところ」から
「学生の生活まで関わって、勉強を教えてあげるところ」
に変化してしまったのだろう。
本来、わざわざ受験までして
勉強したくて入学するところ
もしくは
勉強が嫌いでも、そのリスクを負いつつ
何かを探すための居場所として
勉強するという代償(?)を払いながら
知識を身につけていく場だったはず。
勉強することや、知識を得ることに対して
いつから学生は否定的になったのだろう。
そして、否定的でありつつも
大学という組織に依存するのは
なぜなのだろう。
大学に存在することが
ステータスであるといわんばかりの学生は
ただ、大学生でいられればいいだけなので
勉強するということが、本来の目的ではないのだ。
自分の存在価値が
大学生であること、というものであれば
国家試験はおろか、定期試験さえも
実地の勉強さえも意味をなさない。
ただ、こなすだけの試練なのだ。
その先にあるものが見えない労働と一緒だ。
しかも、その対価がない
まるで
「穴を自分で掘って、その穴を埋める」
という拷問と同じではないのだろうか?
私の周りには
勉強をしに来ている学生と
拷問をしかたなく受けている学生がいる。
拷問の先にあるのは、一体何だろう?
それは、何も変わらない
多分、そう思っているうちはきっと
何も得られない、楽しい思いでづくりの一環でしか
無いのではないだろうか
私は「若いころは・・・」と回顧するのは好きではない。
昔と比較することもあまり好きではない。
けれども
大人たちが振り返る「かつての大学」というものは
こんな場所ではなかったはずなのだ。
こんなに休んでいると、大学始まってからのペースに
戻すのがちょっと心配です。
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最近北先生とかの相談メールを読んだりしていて
いつの間に大学っていうところは
「純粋に学問を追求するところ」から
「学生の生活まで関わって、勉強を教えてあげるところ」
に変化してしまったのだろう。
本来、わざわざ受験までして
勉強したくて入学するところ
もしくは
勉強が嫌いでも、そのリスクを負いつつ
何かを探すための居場所として
勉強するという代償(?)を払いながら
知識を身につけていく場だったはず。
勉強することや、知識を得ることに対して
いつから学生は否定的になったのだろう。
そして、否定的でありつつも
大学という組織に依存するのは
なぜなのだろう。
大学に存在することが
ステータスであるといわんばかりの学生は
ただ、大学生でいられればいいだけなので
勉強するということが、本来の目的ではないのだ。
自分の存在価値が
大学生であること、というものであれば
国家試験はおろか、定期試験さえも
実地の勉強さえも意味をなさない。
ただ、こなすだけの試練なのだ。
その先にあるものが見えない労働と一緒だ。
しかも、その対価がない
まるで
「穴を自分で掘って、その穴を埋める」
という拷問と同じではないのだろうか?
私の周りには
勉強をしに来ている学生と
拷問をしかたなく受けている学生がいる。
拷問の先にあるのは、一体何だろう?
それは、何も変わらない
多分、そう思っているうちはきっと
何も得られない、楽しい思いでづくりの一環でしか
無いのではないだろうか
私は「若いころは・・・」と回顧するのは好きではない。
昔と比較することもあまり好きではない。
けれども
大人たちが振り返る「かつての大学」というものは
こんな場所ではなかったはずなのだ。
この間も暴走していたけど
また今日も正社員の査定面接で大暴走していらっしゃる社長。
あなたには労働基準法を守ろうという気持ちは無いのか。
守ろうという気の前にその知識がないのだろうけど。
私は私でクリニックの雇用契約書を
社長が作ったひな形でそのまま(金額だけ変えて)出したら
院長に
「なにこの変な日本語!?こんなんじゃだめだよっ」
って怒られる始末。
あーあー。
私は何やってるんでしょうねえ。
困ったもんだ。
春休みもいよいよ残り1週間。
早いもので、今年に入ってもう3カ月も過ぎたんですね。
また休みまで息を殺して一生懸命生きる日々が
始まるんですね
大学に戻るということが
私にとって今はとてもストレス。
社会人の方がよっぽど楽しい。
しんどいけど。
学生は、勉強だけしてればいいから楽だけど
その分めんどくさい。
大学で勉強する奴はバカ~みたいな
そんなにやる必要ないよ~
みたいな風潮があって(私の周りの一部だが)
勉強に対する姿勢が萎える。
私はただただ、知識をつけたいのに
知識をつけるための勉強はナンセンスで
定期試験にいかに楽して合格するかがポイントなんだって。
大学のほとんどが嫌になってきた今日この頃です。
4年生だから、あと3年我慢、我慢だわ。
絶対に一回でこの苦難の山から通り抜けてやるわ。
北先生に会ったら一杯話たいことあるんだよな~
また今日も正社員の査定面接で大暴走していらっしゃる社長。
あなたには労働基準法を守ろうという気持ちは無いのか。
守ろうという気の前にその知識がないのだろうけど。
私は私でクリニックの雇用契約書を
社長が作ったひな形でそのまま(金額だけ変えて)出したら
院長に
「なにこの変な日本語!?こんなんじゃだめだよっ」
って怒られる始末。
あーあー。
私は何やってるんでしょうねえ。
困ったもんだ。
春休みもいよいよ残り1週間。
早いもので、今年に入ってもう3カ月も過ぎたんですね。
また休みまで息を殺して一生懸命生きる日々が
始まるんですね
大学に戻るということが
私にとって今はとてもストレス。
社会人の方がよっぽど楽しい。
しんどいけど。
学生は、勉強だけしてればいいから楽だけど
その分めんどくさい。
大学で勉強する奴はバカ~みたいな
そんなにやる必要ないよ~
みたいな風潮があって(私の周りの一部だが)
勉強に対する姿勢が萎える。
私はただただ、知識をつけたいのに
知識をつけるための勉強はナンセンスで
定期試験にいかに楽して合格するかがポイントなんだって。
大学のほとんどが嫌になってきた今日この頃です。
4年生だから、あと3年我慢、我慢だわ。
絶対に一回でこの苦難の山から通り抜けてやるわ。
北先生に会ったら一杯話たいことあるんだよな~
春が近づいてきて
突然何の前触れもなく古池の夢を見た。
人間の記憶はたぶん
ミルフィーユのように
津軽塗のように
その上に幾重にも別の記憶を重ねることで
ただ、見えなくなっているだけ。
だけどミルフィーユみたいに甘くない。
酸っぱいイチゴのような
胸の中が苦しくなる。
思い出は
甘いだけじゃない。
こうやって重ねても重ねても
時々ひょっこり顔を出す。
あなたの記憶。
死ぬ前に一度だけでいい
ごめんなさいと言って
許してもらう事はできるだろうか
それまでどうか生きていて欲しい
津軽塗のように
重ねて重ねて
わざとそれを磨いては
一番下の色を見せるような。
だけどその一番下の色には
幾重にも幾重にも
知らなかったような色が取り巻いている。
それは私の知らない色
あなただけが重ねた色
厚く、重たい。
私には分からない色
同じように私にもある
記憶のミルフィーユ
あなたの知らない私の重なり
甘いだけじゃ、ないケーキ
磨いてみないと見えない色。
突然何の前触れもなく古池の夢を見た。
人間の記憶はたぶん
ミルフィーユのように
津軽塗のように
その上に幾重にも別の記憶を重ねることで
ただ、見えなくなっているだけ。
だけどミルフィーユみたいに甘くない。
酸っぱいイチゴのような
胸の中が苦しくなる。
思い出は
甘いだけじゃない。
こうやって重ねても重ねても
時々ひょっこり顔を出す。
あなたの記憶。
死ぬ前に一度だけでいい
ごめんなさいと言って
許してもらう事はできるだろうか
それまでどうか生きていて欲しい
津軽塗のように
重ねて重ねて
わざとそれを磨いては
一番下の色を見せるような。
だけどその一番下の色には
幾重にも幾重にも
知らなかったような色が取り巻いている。
それは私の知らない色
あなただけが重ねた色
厚く、重たい。
私には分からない色
同じように私にもある
記憶のミルフィーユ
あなたの知らない私の重なり
甘いだけじゃ、ないケーキ
磨いてみないと見えない色。
やったら疲れた・・・
しかも一日外来。
薬剤室と受付の往復何回しただろ(笑)
久々に強烈な患者さんに会い
久しぶり過ぎて若干引いてしまいました
いや、分かるんだけどね。
その気持ち。
しんどいし、自分だけ一番にしてほしい気持ち。
分からないでもないんですが・・・・
構造守れないなら治療できないんです。
なんとかドクターが私たちスタッフの知らない間に
患者であるその人にひどいことを言っている
最低な医師であるとアピールしたくて
(もちろん、密室だから分かるハズがないと
好き勝手に言って、医師のスタッフからの心象を
悪くしようとしている=スプリットなのは
分かっているのです)
「診察で死ねって言われた!」
「ここはそんなひどい病院なんですか?」
「前の○○先生に戻りたいっ」
あ の な~!!その○○先生が嫌だと言ってたのは
あなたでしょ~!!!
それにしても
「死ねって言われた」なんて
いくらなんでも誇張しすぎだろう
信じるか信じないかギリギリのラインで言えば
まだ騙せる(?)のに
前の先生に戻りたい一心で同情引こうと
インパクトのあるネタを言おうと(無意識ですが)して
ちょっと言いすぎてる気が(苦笑)
ボーダーにありがちな
近くにいる人に心配や同情してもらいたくて
自分がいかにひどい事をされているかとか
近くにいる人に同情されるにふさわしいことを
言ってしまう対人操作。
そしてその対人操作に乗っちゃうのが
自己愛さん
という典型的な「ボーダー・自己愛」の
組み合わせ。
自己愛さんはボーダーさんのそういう対人操作に
ころっと、ほんとにころっと騙されるというか
まるまる言い分を信じ切っちゃって
自分の自己愛丸出しな攻撃してくるからすごい。
頼られていること
自分に「そういったことをされた」という
内面を語ってくれたこと(真実ではないが)
ああ、自分は特別な存在だ、と
思って満足してしまう自己愛さん。
さらに特別な存在だと思ってもらいたくて
ついボーダーさんの代わりに
戦っちゃうの。
はたから見たら明らかに「操作されてる」
というか、悪く言えば「騙されている」というか。
そういえば大学にもいたなあ
このカップル・・・
しかも一日外来。
薬剤室と受付の往復何回しただろ(笑)
久々に強烈な患者さんに会い
久しぶり過ぎて若干引いてしまいました
いや、分かるんだけどね。
その気持ち。
しんどいし、自分だけ一番にしてほしい気持ち。
分からないでもないんですが・・・・
構造守れないなら治療できないんです。
なんとかドクターが私たちスタッフの知らない間に
患者であるその人にひどいことを言っている
最低な医師であるとアピールしたくて
(もちろん、密室だから分かるハズがないと
好き勝手に言って、医師のスタッフからの心象を
悪くしようとしている=スプリットなのは
分かっているのです)
「診察で死ねって言われた!」
「ここはそんなひどい病院なんですか?」
「前の○○先生に戻りたいっ」
あ の な~!!その○○先生が嫌だと言ってたのは
あなたでしょ~!!!
それにしても
「死ねって言われた」なんて
いくらなんでも誇張しすぎだろう
信じるか信じないかギリギリのラインで言えば
まだ騙せる(?)のに
前の先生に戻りたい一心で同情引こうと
インパクトのあるネタを言おうと(無意識ですが)して
ちょっと言いすぎてる気が(苦笑)
ボーダーにありがちな
近くにいる人に心配や同情してもらいたくて
自分がいかにひどい事をされているかとか
近くにいる人に同情されるにふさわしいことを
言ってしまう対人操作。
そしてその対人操作に乗っちゃうのが
自己愛さん
という典型的な「ボーダー・自己愛」の
組み合わせ。
自己愛さんはボーダーさんのそういう対人操作に
ころっと、ほんとにころっと騙されるというか
まるまる言い分を信じ切っちゃって
自分の自己愛丸出しな攻撃してくるからすごい。
頼られていること
自分に「そういったことをされた」という
内面を語ってくれたこと(真実ではないが)
ああ、自分は特別な存在だ、と
思って満足してしまう自己愛さん。
さらに特別な存在だと思ってもらいたくて
ついボーダーさんの代わりに
戦っちゃうの。
はたから見たら明らかに「操作されてる」
というか、悪く言えば「騙されている」というか。
そういえば大学にもいたなあ
このカップル・・・
ご無沙汰しています
外は雪が降っています。
つい先週の金曜日は20℃もあったのにね
春は3歩進んで2歩下がるです
この間10年ぶりに知人とあってから
その人に関係あるいろんな事を少しずつ
思い出しています
私とその人の共通の知人でD子さんという方が
いました。
私は10年ぶりに会った知人(Tさんとしましょう)に
「Dが死んだの、知ってるか?」
と聞かれました。
その時は、びっくりしたし
「知らないっ!えっ。どうしたの!?病気?」
なんて聞いていましたが
よく記憶をたどっていくと
ずっとずっと昔
何年も前に誰かに聞いたような気が
してきたのです
でも、それも曖昧。
誰にいつ聞いたのか
私がうっすら聞いたような気がしている
D子の死の記憶はもしかしたら
Tさんに聞いたのかもしれないし
妄想なのかもしれないし
死ぬ前に私に電話がかかってきたのかもしれない。
なかなかTさんが教えてくれないので
自殺かな・・・とおもった瞬間
「あっ、自殺だ!自殺だったんだ」
と、何かの糸口がつかめたような感じで
ずるずるずる、と記憶がよみがえって
うっすら聞いた記憶が
だんだんと思い出されてきたのですが
それは誰に聞いたんだろう?
そして私の思い出した記憶は正しいのか
誰に確かめたらいいのだろう
高速で地面にたたきつけられる雪ともいえぬ
雨とも言えぬものを窓から眺めながら
D子の記憶をたどっています
彼女のニックネームは
だいきち だった。
だいきち、なはずだったのに。
外は雪が降っています。
つい先週の金曜日は20℃もあったのにね
春は3歩進んで2歩下がるです
この間10年ぶりに知人とあってから
その人に関係あるいろんな事を少しずつ
思い出しています
私とその人の共通の知人でD子さんという方が
いました。
私は10年ぶりに会った知人(Tさんとしましょう)に
「Dが死んだの、知ってるか?」
と聞かれました。
その時は、びっくりしたし
「知らないっ!えっ。どうしたの!?病気?」
なんて聞いていましたが
よく記憶をたどっていくと
ずっとずっと昔
何年も前に誰かに聞いたような気が
してきたのです
でも、それも曖昧。
誰にいつ聞いたのか
私がうっすら聞いたような気がしている
D子の死の記憶はもしかしたら
Tさんに聞いたのかもしれないし
妄想なのかもしれないし
死ぬ前に私に電話がかかってきたのかもしれない。
なかなかTさんが教えてくれないので
自殺かな・・・とおもった瞬間
「あっ、自殺だ!自殺だったんだ」
と、何かの糸口がつかめたような感じで
ずるずるずる、と記憶がよみがえって
うっすら聞いた記憶が
だんだんと思い出されてきたのですが
それは誰に聞いたんだろう?
そして私の思い出した記憶は正しいのか
誰に確かめたらいいのだろう
高速で地面にたたきつけられる雪ともいえぬ
雨とも言えぬものを窓から眺めながら
D子の記憶をたどっています
彼女のニックネームは
だいきち だった。
だいきち、なはずだったのに。
私は10年前
兵庫のとある街でエフエム放送の
手伝いをしていたことがあります。
そのエフエムを主催していた人と知り合いで
しばらく手伝っていたのですが
10億円の負債を抱え 倒産しました
その後みんなバラバラになり
私もその人達との付き合いもなくなり
音信不通でいましたが
昨年三軒茶屋に事務所を作ったと知りました
ふと私を思い出したらしく
10年ぶりに連絡が来て、会おう!という事になり
昨日、22時から今朝の6時まで飲みながら話して
しまいました。
10年と言う月日は
思っていたより重かった。
沢山話をしました。
沢山判ってもらえました。
私の記憶に無いことも
沢山教えてもらいました。
彼は一言も私を責めなかった。
あの頃の私は
ひどいことも、沢山きっとしただろうに。
最後に私をハグして手を振って別れました。
私の背中の十字架が少し
軽くなったような
そんな気がしました。
私は私の人生を、もう一度生きているんだと
昔の私が会った人に私が再び会う度に
そう、思うのです
兵庫のとある街でエフエム放送の
手伝いをしていたことがあります。
そのエフエムを主催していた人と知り合いで
しばらく手伝っていたのですが
10億円の負債を抱え 倒産しました
その後みんなバラバラになり
私もその人達との付き合いもなくなり
音信不通でいましたが
昨年三軒茶屋に事務所を作ったと知りました
ふと私を思い出したらしく
10年ぶりに連絡が来て、会おう!という事になり
昨日、22時から今朝の6時まで飲みながら話して
しまいました。
10年と言う月日は
思っていたより重かった。
沢山話をしました。
沢山判ってもらえました。
私の記憶に無いことも
沢山教えてもらいました。
彼は一言も私を責めなかった。
あの頃の私は
ひどいことも、沢山きっとしただろうに。
最後に私をハグして手を振って別れました。
私の背中の十字架が少し
軽くなったような
そんな気がしました。
私は私の人生を、もう一度生きているんだと
昔の私が会った人に私が再び会う度に
そう、思うのです
私の地元では津波ニュースでもちきり。
古池は今頃記者だから取材に行ったかな。
気をつけてと、届かない空から願ってみたり。
(願うくらいは許されるかな)
ここ何日か第二の故郷で過ごしていました。
パソコンも持っていかなかったので何も
ネットに関わってませんでした
毎日夕飯と一緒に飲み会になり(さすが東北人)
ガリガリ勉強もしないですごしてしまった。
試験前なのにね(笑)
そういえば3年生になってから
いろんな医療系の大学生と知り合いになり
普段の生活や勉強などを教えてもらったりしていたら
試験前だからと言って、友達付き合いをやめたり
飲み会に行かなくなったりとか
そういう事をしない、っていう人がほとんどで
驚きました。
私、いつも試験前には私生活を犠牲にしていたし
だからこそ今までそれなりの点数をとれていたと
思い込んでいたのです。
そうしなければ駄目なんだ、って。
だけど、どうもそうじゃないって気づいたのです。
試験前に数時間くらい飲みに行こうが
あまり結果には影響しないって。
普段からやってなければ影響するかもしれないけど
普段からやっていれば、試験前の数時間なんて
あまり関係ないんだって。
だから今回は寝たし
誘われればご飯も食べに行きました。
寝なくても環境Ⅱは落ちたと思うし。
なんかそういう風に
自分の凝り固まった考え方がほぐれていくのは
30年も生きてきていても、はっとする。
気持ちのいいものです。
明日は再試験の日。
やることはやったし、沢山勉強もした。
あとは、それを紙の上に、きちんと出せればいいだけ。
私は試験慣れしていないので
つい試験の雰囲気にのみこまれてしまうので
そこだけが問題かな。
古池は今頃記者だから取材に行ったかな。
気をつけてと、届かない空から願ってみたり。
(願うくらいは許されるかな)
ここ何日か第二の故郷で過ごしていました。
パソコンも持っていかなかったので何も
ネットに関わってませんでした
毎日夕飯と一緒に飲み会になり(さすが東北人)
ガリガリ勉強もしないですごしてしまった。
試験前なのにね(笑)
そういえば3年生になってから
いろんな医療系の大学生と知り合いになり
普段の生活や勉強などを教えてもらったりしていたら
試験前だからと言って、友達付き合いをやめたり
飲み会に行かなくなったりとか
そういう事をしない、っていう人がほとんどで
驚きました。
私、いつも試験前には私生活を犠牲にしていたし
だからこそ今までそれなりの点数をとれていたと
思い込んでいたのです。
そうしなければ駄目なんだ、って。
だけど、どうもそうじゃないって気づいたのです。
試験前に数時間くらい飲みに行こうが
あまり結果には影響しないって。
普段からやってなければ影響するかもしれないけど
普段からやっていれば、試験前の数時間なんて
あまり関係ないんだって。
だから今回は寝たし
誘われればご飯も食べに行きました。
寝なくても環境Ⅱは落ちたと思うし。
なんかそういう風に
自分の凝り固まった考え方がほぐれていくのは
30年も生きてきていても、はっとする。
気持ちのいいものです。
明日は再試験の日。
やることはやったし、沢山勉強もした。
あとは、それを紙の上に、きちんと出せればいいだけ。
私は試験慣れしていないので
つい試験の雰囲気にのみこまれてしまうので
そこだけが問題かな。
試験前に私がやってはいけないこと。
それはノートまとめ。
ノートまとめする科目はたいてい落ちる。
前期の薬理もそうだし、後期の環境衛生Ⅱもそう。
でも、苦手と思えば思うほどノートをまとめたくなるし
ノートまとめる時って何も考えてない「ノート転写人間」
になってしまっている感じで
結局頭に入ってないのよね。
そんなこんなで、でも、じっくり
環境衛生学Ⅱの教科書を読んでみて
2週間かかって読み切りました(笑)
試験前にこんなに根詰めてこの科目だけ
やれるはずもないので
一番苦手な科目を2回3回と復習する
いい機会になりました。
これでギリギリで受かった人よりも
この科目が得意になったに違いない。
今いる大学に
旭医から転職しようと思って受けた会社で
面接官していた先生がいるんです
薬理の実習の時に「あれ・・・?」って思ったので
「先生、もしかして・・・」って話かけたら
「どっかで会ったことあるよね?」
そう、その先生も覚えていたのです
私が医局の助手からとらばーゆしようと思っていた
あの試験のことを・・・
(ちなみにその就職の面接は落ちました)
後にも先にも、就職で落ちたのそこだけなんです。
今思えば落ちて良かったとおもうのだけど
面白い巡りあわせだな、とつくづく思います。
北先生も、巡り巡って今じゃ関東で先生やってるし。
中学の時の塾の先生は、今住んでいるところの
近所で開業してるし。
どこで再会するか分からないものですね、人って。
私は小さいころから家では駄目な子と言われていて
(外では活発な元気な子という評価にも関わらず)
家を出てから自由を手に入れたと同時に
カルチャーショックを受けました。
同時にどう生きていけばいいかも
分からなくなったのです。
生きる方法は、人間に本能的に備わっているものなのに
それすらも曖昧であやふやになってしまったのです。
そんな時の状況を知っているのは、その時周りにいて
どうでも良い話とかを、嫌な顔せずに聞いてくれた
いろんな人達です。(特に短大~社会人最初の職場あたり)
私は、その人達とはその場を離れたら
もう一生会う事は無いと思っていました。
辛い思い出話と一緒に
そこに置いてくるものだと思っていました。
そうやって、人っていうものは
時と場所を区切って
生きていくものだと考えていたからです。
だから私にとって
昔お世話になった人とは
自分が会いに行かない限り、近くに行くことも
出来ないと思っていました。
だけどそうじゃないんだね
私の存在が年代ごとにバラバラでいたからこそ
そう思っていただけで
本当は同じ人間の「人生」という流れで
つながっているものだったんだ。
あの頃出会った北先生と今の北先生は
ずっとつながっている同じ人なんだ。
だけど私にはそういう「つながり」の感覚が
ずっとずっと持てないでいたのです。
でもこうしてそういったつながりを
自分の人生というつながりを
しっかりと、少しずつ理解できるようになってきて
あの頃の私も、今の私につながっているんだと
考えられるようになってきたのです。
人生ってステージみたいなもので
そこにどんな人が何人上がっているか
そのステージの上で私はそこの人たちと
どんな関わりをするか
そしてそのステージから次のステージに
飛び移ってくれる人もいるだろうし
いなくなってしまう人もいるだろうけど
もし、また次でも同じ舞台にいられるなら
そのつながりは大事にしていきたいと思っています。
次に会う時に恥ずかしくないような
そんな生き方がしたい。
書いていてふと思った。
もしかしたら
ステージはずっと、
つながっているのかもしれないね。
私という人間の生きる道の上に。
それはノートまとめ。
ノートまとめする科目はたいてい落ちる。
前期の薬理もそうだし、後期の環境衛生Ⅱもそう。
でも、苦手と思えば思うほどノートをまとめたくなるし
ノートまとめる時って何も考えてない「ノート転写人間」
になってしまっている感じで
結局頭に入ってないのよね。
そんなこんなで、でも、じっくり
環境衛生学Ⅱの教科書を読んでみて
2週間かかって読み切りました(笑)
試験前にこんなに根詰めてこの科目だけ
やれるはずもないので
一番苦手な科目を2回3回と復習する
いい機会になりました。
これでギリギリで受かった人よりも
この科目が得意になったに違いない。
今いる大学に
旭医から転職しようと思って受けた会社で
面接官していた先生がいるんです
薬理の実習の時に「あれ・・・?」って思ったので
「先生、もしかして・・・」って話かけたら
「どっかで会ったことあるよね?」
そう、その先生も覚えていたのです
私が医局の助手からとらばーゆしようと思っていた
あの試験のことを・・・
(ちなみにその就職の面接は落ちました)
後にも先にも、就職で落ちたのそこだけなんです。
今思えば落ちて良かったとおもうのだけど
面白い巡りあわせだな、とつくづく思います。
北先生も、巡り巡って今じゃ関東で先生やってるし。
中学の時の塾の先生は、今住んでいるところの
近所で開業してるし。
どこで再会するか分からないものですね、人って。
私は小さいころから家では駄目な子と言われていて
(外では活発な元気な子という評価にも関わらず)
家を出てから自由を手に入れたと同時に
カルチャーショックを受けました。
同時にどう生きていけばいいかも
分からなくなったのです。
生きる方法は、人間に本能的に備わっているものなのに
それすらも曖昧であやふやになってしまったのです。
そんな時の状況を知っているのは、その時周りにいて
どうでも良い話とかを、嫌な顔せずに聞いてくれた
いろんな人達です。(特に短大~社会人最初の職場あたり)
私は、その人達とはその場を離れたら
もう一生会う事は無いと思っていました。
辛い思い出話と一緒に
そこに置いてくるものだと思っていました。
そうやって、人っていうものは
時と場所を区切って
生きていくものだと考えていたからです。
だから私にとって
昔お世話になった人とは
自分が会いに行かない限り、近くに行くことも
出来ないと思っていました。
だけどそうじゃないんだね
私の存在が年代ごとにバラバラでいたからこそ
そう思っていただけで
本当は同じ人間の「人生」という流れで
つながっているものだったんだ。
あの頃出会った北先生と今の北先生は
ずっとつながっている同じ人なんだ。
だけど私にはそういう「つながり」の感覚が
ずっとずっと持てないでいたのです。
でもこうしてそういったつながりを
自分の人生というつながりを
しっかりと、少しずつ理解できるようになってきて
あの頃の私も、今の私につながっているんだと
考えられるようになってきたのです。
人生ってステージみたいなもので
そこにどんな人が何人上がっているか
そのステージの上で私はそこの人たちと
どんな関わりをするか
そしてそのステージから次のステージに
飛び移ってくれる人もいるだろうし
いなくなってしまう人もいるだろうけど
もし、また次でも同じ舞台にいられるなら
そのつながりは大事にしていきたいと思っています。
次に会う時に恥ずかしくないような
そんな生き方がしたい。
書いていてふと思った。
もしかしたら
ステージはずっと、
つながっているのかもしれないね。
私という人間の生きる道の上に。
今日RHの後にコンビニで立ち読みしてたら
「トライ・アンド・エラー」って言葉が出て来ました。
トライ・アンド・エラー。
なんか、胸にぐぐっと来たのです。
思えば私はトライしまくりで、エラーはなるべく見たくない
というか、エラーを恐れるあまり正当化したり合理化したり
していたような気さえする。
エラーに目を向ければもっとよりよいものになるハズなのに
そのエラーが、見られない。というか見たくない。
恥ずかしいやら、悔しいやら、そういう黒い気持ちが
どろどろになるのが怖かったから。
それでまた、うろ覚えのままトライしてまたエラー。
こう考えるとなんて非合理的なんだ。
エラーを恐れないで
それを糧にできるような
そういう強い人になりたいな。
私は負けず嫌いだけど
エラーを見なければきっと
同じエラーを繰り返してしまうよね。
それじゃ全然意味ないじゃん。
目先のことをついつい見てしまいがちな大学の勉強だけど
(とりあえず大学の試験さえ通ればいいや、みたいな)
大学で得た知識を基盤として、臨床やらなきゃ意味ないし
臨床やるのに大学での基礎が役に立たないわけない
ということは、ずっと覚えてなきゃいけないし
それを忘れないように努力しなくちゃならない。
つまり、一生勉強ってことだよね。
目先の試験で間違えても人は死なないけど
臨床で間違えたら大変なことになる。
もっと遠くまで見られるようになりたいな。
エラーを振り返るってことは
もしかしたら躓いた石の大きさや形を
確かめることと似ているのかもしれない。
石の色や石までの距離を
きちんと覚えていよう。
「トライ・アンド・エラー」って言葉が出て来ました。
トライ・アンド・エラー。
なんか、胸にぐぐっと来たのです。
思えば私はトライしまくりで、エラーはなるべく見たくない
というか、エラーを恐れるあまり正当化したり合理化したり
していたような気さえする。
エラーに目を向ければもっとよりよいものになるハズなのに
そのエラーが、見られない。というか見たくない。
恥ずかしいやら、悔しいやら、そういう黒い気持ちが
どろどろになるのが怖かったから。
それでまた、うろ覚えのままトライしてまたエラー。
こう考えるとなんて非合理的なんだ。
エラーを恐れないで
それを糧にできるような
そういう強い人になりたいな。
私は負けず嫌いだけど
エラーを見なければきっと
同じエラーを繰り返してしまうよね。
それじゃ全然意味ないじゃん。
目先のことをついつい見てしまいがちな大学の勉強だけど
(とりあえず大学の試験さえ通ればいいや、みたいな)
大学で得た知識を基盤として、臨床やらなきゃ意味ないし
臨床やるのに大学での基礎が役に立たないわけない
ということは、ずっと覚えてなきゃいけないし
それを忘れないように努力しなくちゃならない。
つまり、一生勉強ってことだよね。
目先の試験で間違えても人は死なないけど
臨床で間違えたら大変なことになる。
もっと遠くまで見られるようになりたいな。
エラーを振り返るってことは
もしかしたら躓いた石の大きさや形を
確かめることと似ているのかもしれない。
石の色や石までの距離を
きちんと覚えていよう。