ことばは矢のように、あなたのこころに突き刺さる。
あやふやで不安になることばも
その傷が癒えることばも。
春の鬱に入ってきました。
やる気が起きない。
元気も出ない。
出るのは空元気と嘘笑顔だけ。
大学いくとホントに疲れる。
研究室に毎日顔だせ(大学にいる日は)と言われたけど
実験を断腸の思いで諦めた私は
大学でそういうのを身近に見ること自体
苦痛で仕方ないんです。
でも、そんなのこの4月からお世話になる
ほぼ見ず知らずの先生には言えない。
ホントに苦痛で仕方ない。
講義終わったらもう、一刻でも早く
門を飛び出して家に帰りたい。
一人になりたい。
ただ、ぼーっと
布団にくるまって眠りたい。
何もやる気が起きないのに
こうして自分を奮い立たせるのに
少し疲れちゃった。
人と話がしたくない。
人に会いたくない。
エネルギー切れた。
実家帰ろうか
やる気が起きない。
元気も出ない。
出るのは空元気と嘘笑顔だけ。
大学いくとホントに疲れる。
研究室に毎日顔だせ(大学にいる日は)と言われたけど
実験を断腸の思いで諦めた私は
大学でそういうのを身近に見ること自体
苦痛で仕方ないんです。
でも、そんなのこの4月からお世話になる
ほぼ見ず知らずの先生には言えない。
ホントに苦痛で仕方ない。
講義終わったらもう、一刻でも早く
門を飛び出して家に帰りたい。
一人になりたい。
ただ、ぼーっと
布団にくるまって眠りたい。
何もやる気が起きないのに
こうして自分を奮い立たせるのに
少し疲れちゃった。
人と話がしたくない。
人に会いたくない。
エネルギー切れた。
実家帰ろうか
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書きたいことはたくさんあったけど
沢山書きそうになって少し縮めたけど
あなたに生きていることを伝えたかった。
私がここにいますということを伝えたかった。
青い空に続いているあなたの住む場所で
あなたは今、好きなことをしていますか。
あなたが幸せならそれでいい。
何もいらない。
私が遠くで生きていることを知っていて
あなたが幸せならそれでいい。
二度と会えなくてもいい。
手紙もメールも来なくてもいい。
声も聞こえなくていい。
ただ、あなたが生きていて
幸せならそれでいいよ
二度と交わることのない
あなたと私の生きる道は
ただ唯一
同じ空が見られるだけ。
でも、私はそれでいいよ。
それでも幸せ。
あなたと同じ空ならば。
沢山書きそうになって少し縮めたけど
あなたに生きていることを伝えたかった。
私がここにいますということを伝えたかった。
青い空に続いているあなたの住む場所で
あなたは今、好きなことをしていますか。
あなたが幸せならそれでいい。
何もいらない。
私が遠くで生きていることを知っていて
あなたが幸せならそれでいい。
二度と会えなくてもいい。
手紙もメールも来なくてもいい。
声も聞こえなくていい。
ただ、あなたが生きていて
幸せならそれでいいよ
二度と交わることのない
あなたと私の生きる道は
ただ唯一
同じ空が見られるだけ。
でも、私はそれでいいよ。
それでも幸せ。
あなたと同じ空ならば。
昨日そういえば北先生と話してて
自分が何歳になるかを話していたら
不思議な気分になったのだ。
どう考えても私の中では
失われた10年があるので
その分の成長が
止まっている気がしてならない。
心が体に追いつかないのかな。
ことばや文字にしてしまうと
受け入れられないくらいの大人年なのに。
そのくらい勝手に時間が過ぎてしまったのに
私は、失われた分を一足飛びに飛ぶことが
できないままで
ゆっくり進んでいる。
許せないことも多くなったし
許せることも多くなった
でも
相変わらず私は、あんまり変わってない。
もう少しで人生の半分が過ぎるのに
私は大人になりきれないまま
死んでしまうんだろうかと
少しだけ絶望的な気持ちになる。
私は私らしく生きればいいけど
社会はそうは許してくれない
大人の年齢の人間には
中身も一般的な大人を求めるものだ。
私にはそれが窮屈でたまらない。
自分が何歳になるかを話していたら
不思議な気分になったのだ。
どう考えても私の中では
失われた10年があるので
その分の成長が
止まっている気がしてならない。
心が体に追いつかないのかな。
ことばや文字にしてしまうと
受け入れられないくらいの大人年なのに。
そのくらい勝手に時間が過ぎてしまったのに
私は、失われた分を一足飛びに飛ぶことが
できないままで
ゆっくり進んでいる。
許せないことも多くなったし
許せることも多くなった
でも
相変わらず私は、あんまり変わってない。
もう少しで人生の半分が過ぎるのに
私は大人になりきれないまま
死んでしまうんだろうかと
少しだけ絶望的な気持ちになる。
私は私らしく生きればいいけど
社会はそうは許してくれない
大人の年齢の人間には
中身も一般的な大人を求めるものだ。
私にはそれが窮屈でたまらない。
昨日は久しぶりに北先生に会う。
結構前の日とかは調子悪かったのだけど
やっぱり人に会うと違うね
元気になる、というか
話す相手、会う相手が
誰でもいいわけじゃないことを
実感する。
色々と考える話が多かったなあ。
もうちょっと喋りたかったけど
まあ、時間も時間だったのでまた今度で
お願いします。
農業経済で力説してたところは
ああ、やっぱり北先生だな~なんて
思ってました。
それから
宮城県登米市(あの津波で壊滅した多賀城のすぐ北に
隣接しています)にすむ大親友からSOSが来た。
「また、電気もガスも水もない生活になっちゃった・・」
「薬が欲しい。水、電池、携帯充電器がほしい」
速攻で送りましたよ。
小さい子供が二人いるので、子供用のお菓子と
あと、まだ寒いからカイロと
手も洗えないし顔も洗えないけど
飲むための水はもったいないから、ウエットティッシュも。
もう、何がなんでもとりあえず耐えてくれって
やえ(もう一人の親友。私にはこの二人しかいない)も
言ってた。
やえは六ヶ所村の近くに住んでいます。
ちなみに登米の親友は六ヶ所村の小学校の教員でしたが
結婚して登米に行っています。
そんな時にも、職場の例のモンスター女史は吠えまくり。
「てめぇに指図されたくねえ!」なんて
事務連絡をしただけなのにこのありさま。
ストレス溜まって、気づいたら顔面ミオキミアが
一週間も止まらなくなってしまって
ついに昨日一緒に薬出しちゃった。
(みごとに止まったので北先生と無事会えた)
実家への支援は
大学が全くあてにならない(してはいけない)
とわかったので
しょうがないから大学に頼らず
月に何万円かを仕送りすることにしました。
曲がりなりにも私はとりあえず
給料出てるし、仕事はあるし
(学費を多少無視すれば)
普通に生活できるしね。
仕事のことも、実家の事も
友だちのことも、大学の事もあって
さらに私の心身の不調もあり
ここ一週間ちょっと
完全に心のキャパ超えてた。
昨日延々と北先生と喋ってカタルシスを得た感じ。
いつもいつもありがとうございます。
やっぱり誰でもいいわけじゃなくて
誰かじゃなきゃ、だめなんだ。
結構前の日とかは調子悪かったのだけど
やっぱり人に会うと違うね
元気になる、というか
話す相手、会う相手が
誰でもいいわけじゃないことを
実感する。
色々と考える話が多かったなあ。
もうちょっと喋りたかったけど
まあ、時間も時間だったのでまた今度で
お願いします。
農業経済で力説してたところは
ああ、やっぱり北先生だな~なんて
思ってました。
それから
宮城県登米市(あの津波で壊滅した多賀城のすぐ北に
隣接しています)にすむ大親友からSOSが来た。
「また、電気もガスも水もない生活になっちゃった・・」
「薬が欲しい。水、電池、携帯充電器がほしい」
速攻で送りましたよ。
小さい子供が二人いるので、子供用のお菓子と
あと、まだ寒いからカイロと
手も洗えないし顔も洗えないけど
飲むための水はもったいないから、ウエットティッシュも。
もう、何がなんでもとりあえず耐えてくれって
やえ(もう一人の親友。私にはこの二人しかいない)も
言ってた。
やえは六ヶ所村の近くに住んでいます。
ちなみに登米の親友は六ヶ所村の小学校の教員でしたが
結婚して登米に行っています。
そんな時にも、職場の例のモンスター女史は吠えまくり。
「てめぇに指図されたくねえ!」なんて
事務連絡をしただけなのにこのありさま。
ストレス溜まって、気づいたら顔面ミオキミアが
一週間も止まらなくなってしまって
ついに昨日一緒に薬出しちゃった。
(みごとに止まったので北先生と無事会えた)
実家への支援は
大学が全くあてにならない(してはいけない)
とわかったので
しょうがないから大学に頼らず
月に何万円かを仕送りすることにしました。
曲がりなりにも私はとりあえず
給料出てるし、仕事はあるし
(学費を多少無視すれば)
普通に生活できるしね。
仕事のことも、実家の事も
友だちのことも、大学の事もあって
さらに私の心身の不調もあり
ここ一週間ちょっと
完全に心のキャパ超えてた。
昨日延々と北先生と喋ってカタルシスを得た感じ。
いつもいつもありがとうございます。
やっぱり誰でもいいわけじゃなくて
誰かじゃなきゃ、だめなんだ。
神様はいるかと聞かれたら
今の私はいないと答えるだろう
もしいるのなら
今この試練はいったい
何のための試練かを聞きたい。
誰が私の置かれている立場を理解して
対等な立場で聞いてくれる?
誰が私の話を
全部信じて聞いてくれる?
きっと大学で
放射の所長や鈴先生に会ったら
間違いなく泣いてしまうだろう。
だから急いで大学から帰ってきた
家に帰っても誰もいない。
だから泣ける映画を観ようとして映画館に入ったら
泣けなかった
誰かの前で泣くより
一人で泣いたほうがいい
誰も私が泣いている姿なんか見たくない
泣くもんか。
気づいたら
親も捨てて 青森も捨てて
DIDになって友達も捨てて
私には一体
何が残ったというのだろう
新しい世界であたらしい人生で
そんなに幸せなことなのか。
私が生きていることを
誰が認めてくれるというのだ。
私が生き残ったことを
一体誰が喜ぶというのだ
生きていることは
私にとって
ただの試練だ
この先に何があるのだ
この試練を乗り越えて
一体私に何になるというのだ
大切な人や物すら守れない
私はここにいてただ何をしているんだ
誰も認めてくれない
誰かに認めてほしい
私は何のために生き残り
今こうして苦しみながら生きているのだ
世の中に神様がいたとしたら
私はあなたを恨みます
今の私はいないと答えるだろう
もしいるのなら
今この試練はいったい
何のための試練かを聞きたい。
誰が私の置かれている立場を理解して
対等な立場で聞いてくれる?
誰が私の話を
全部信じて聞いてくれる?
きっと大学で
放射の所長や鈴先生に会ったら
間違いなく泣いてしまうだろう。
だから急いで大学から帰ってきた
家に帰っても誰もいない。
だから泣ける映画を観ようとして映画館に入ったら
泣けなかった
誰かの前で泣くより
一人で泣いたほうがいい
誰も私が泣いている姿なんか見たくない
泣くもんか。
気づいたら
親も捨てて 青森も捨てて
DIDになって友達も捨てて
私には一体
何が残ったというのだろう
新しい世界であたらしい人生で
そんなに幸せなことなのか。
私が生きていることを
誰が認めてくれるというのだ。
私が生き残ったことを
一体誰が喜ぶというのだ
生きていることは
私にとって
ただの試練だ
この先に何があるのだ
この試練を乗り越えて
一体私に何になるというのだ
大切な人や物すら守れない
私はここにいてただ何をしているんだ
誰も認めてくれない
誰かに認めてほしい
私は何のために生き残り
今こうして苦しみながら生きているのだ
世の中に神様がいたとしたら
私はあなたを恨みます
実家のある八戸市が津波の被害に遭い
親族津波被害に遭っているのですが
実家に電話するとさほど暗くないし
(むしろ暗いこと言ってられないしくらいの
勢いで、漁師の例のおじさんに至っては
TVのインタビューで(津波の難を逃れた漁船ということで
帰ってきた日にインタビューされていたのだ)
「今年一年はまるっきりしがだながべし・・」
(訳:今年一年は、何をやろうとしても出来ないし、
でも仕方がないだろうし)
と、言ってました。
そうだよね、そう思うのが東北人なんだよな。
自然災害(特に八戸~三陸沿岸の津波)は
来てしまったら、もう誰も恨むことはできないって
そういう考え方なんです。
お金のことに関しても
支援してほしいとか、義援金をくださいとは
言わない。(物資は欲しいというけど)
お金のことを言うのは、恥ずかしいことだと
思っているからです。
私もそういう部分があります。
学費を安くしてほしいとか
分割にしてほしいとか
沢山思うけど
なんだかそういうのを言うのが
何となく嫌なんですよ。
(北先生なら判ってくれるでしょ、この気持ち)
でも、今回は違います
私の手元にはお金がある。
学費を猶予してもらえれば
これをすぐに回せる。
とりあえずの生活費になる。
八戸にも帰ってこれる。
おばあにも会える。
そう思ったからこそ
少し猶予か分割かしてほしいと
思ったのです。
でも、家に話したら
そんなみっともないことすんな!って
絶対言われると思うけどね。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
今日、ガイダンスで
学生が薬の仕分けのボランティアに
沢山参加してくれた、と
お褒めの言葉を贈っていました。
参加してくれた人には感謝状出そうという
話しにもなってます。〇〇大学、大金星です!
なんて、先生もうれしそう。
でもその話に非常に違和感。
被災地の医師、薬剤師、看護師、そして
自分は被災していないけど被災家族の私
医療従事者は、たとえ地震があったって
目の前の患者に集中し
医療を提供するのが当たり前の事なんです。
たった一人で診療と治療を行っている医師だっている。
私も、普段なら4人で行う診療を
ドクターと私二人で、震災翌日こなしました。
だけど、被災地の医療従事者は
誰も感謝状なんてもらえない。
ボランティアで駆け付けた医療スタッフもそう。
誰も感謝状なんか、もらえないんです。
そういう名誉のためにやっているんじゃない。
当たり前のことをしただけなのに。
あたり前の事でなくしてしまうのは
せっかくの彼らに対して
何となく失礼な気がしたのは
私だけでしょうか。
そして風潮する不謹慎感。
その謹慎は
他者から非難されるのが怖くて
自粛しているのですか。
私のことを不謹慎だという人もいる。
確かに
日本に残って何かできるのであれば
残るべきだと思う。
でも、残って家でただ寝てるだけなら
意味がないじゃないの。
自己満足の謹慎や自粛でしょうよ。
この時期飲みに行って悪いのか。
不謹慎だとか自粛だとか騒ぐ人は
謹慎や自粛してその代り何をやっているのか。
自粛して経済を止めて何をしたいのか。
ただ、批判されないために
何もやってないだけじゃないのか。
親族津波被害に遭っているのですが
実家に電話するとさほど暗くないし
(むしろ暗いこと言ってられないしくらいの
勢いで、漁師の例のおじさんに至っては
TVのインタビューで(津波の難を逃れた漁船ということで
帰ってきた日にインタビューされていたのだ)
「今年一年はまるっきりしがだながべし・・」
(訳:今年一年は、何をやろうとしても出来ないし、
でも仕方がないだろうし)
と、言ってました。
そうだよね、そう思うのが東北人なんだよな。
自然災害(特に八戸~三陸沿岸の津波)は
来てしまったら、もう誰も恨むことはできないって
そういう考え方なんです。
お金のことに関しても
支援してほしいとか、義援金をくださいとは
言わない。(物資は欲しいというけど)
お金のことを言うのは、恥ずかしいことだと
思っているからです。
私もそういう部分があります。
学費を安くしてほしいとか
分割にしてほしいとか
沢山思うけど
なんだかそういうのを言うのが
何となく嫌なんですよ。
(北先生なら判ってくれるでしょ、この気持ち)
でも、今回は違います
私の手元にはお金がある。
学費を猶予してもらえれば
これをすぐに回せる。
とりあえずの生活費になる。
八戸にも帰ってこれる。
おばあにも会える。
そう思ったからこそ
少し猶予か分割かしてほしいと
思ったのです。
でも、家に話したら
そんなみっともないことすんな!って
絶対言われると思うけどね。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
今日、ガイダンスで
学生が薬の仕分けのボランティアに
沢山参加してくれた、と
お褒めの言葉を贈っていました。
参加してくれた人には感謝状出そうという
話しにもなってます。〇〇大学、大金星です!
なんて、先生もうれしそう。
でもその話に非常に違和感。
被災地の医師、薬剤師、看護師、そして
自分は被災していないけど被災家族の私
医療従事者は、たとえ地震があったって
目の前の患者に集中し
医療を提供するのが当たり前の事なんです。
たった一人で診療と治療を行っている医師だっている。
私も、普段なら4人で行う診療を
ドクターと私二人で、震災翌日こなしました。
だけど、被災地の医療従事者は
誰も感謝状なんてもらえない。
ボランティアで駆け付けた医療スタッフもそう。
誰も感謝状なんか、もらえないんです。
そういう名誉のためにやっているんじゃない。
当たり前のことをしただけなのに。
あたり前の事でなくしてしまうのは
せっかくの彼らに対して
何となく失礼な気がしたのは
私だけでしょうか。
そして風潮する不謹慎感。
その謹慎は
他者から非難されるのが怖くて
自粛しているのですか。
私のことを不謹慎だという人もいる。
確かに
日本に残って何かできるのであれば
残るべきだと思う。
でも、残って家でただ寝てるだけなら
意味がないじゃないの。
自己満足の謹慎や自粛でしょうよ。
この時期飲みに行って悪いのか。
不謹慎だとか自粛だとか騒ぐ人は
謹慎や自粛してその代り何をやっているのか。
自粛して経済を止めて何をしたいのか。
ただ、批判されないために
何もやってないだけじゃないのか。
今日から大学が始まりました。
行方不明の友達の安否はまだ判っていません。
ここだけ同じように時間が回っていること
大学にいれば外面のいい私の顔は
誰かと会うたび話すたび、
何でもないような様子で
地震のことを話してしまう。
なんだかいまだに現実ではないような感じで
何も実感できないでいるのは
怖くて湊(祖母のいた漁港)へ行けないからかも
しれません。
私は、2歳の時
一時祖母宅に預けられていました。
祖父母と、おじさんおばさんの船に
一緒に乗って漁に行ったこともあります。
だから、兄弟でも湊に対する気持ちが
一番強いのかもしれません。
海が大好きで、よく祖母や叔父さん達が
水揚げしているところの脇で
テトラポットの間で遊んだり
小さな砂場を作ってホタテの貝殻で遊んだり
魚のさばき方を教えてもらったり。
海が今でも好きなのはそのせいだと思うし
海を見るとノスタルジックな気分になり
少しさみしくなるのもそのせいだと思います。
今日のガイダンスで、被災地域に自宅がある人は
もうメールで案内が行っていると思う、と学生課の方が
話していたところで、あれ?と思いました。
そうです
私には連絡が来なかったのです。
なぜなら、
私が学校に登録した保証人(学費支払人)は、
父ではないのです。
学費支払人は、私の名前で登録しているのです。
そのため、大学が言うには
例え実家がテレビで津波に流されていた場所に近かろうが
祖母のいる漁師家屋が津波で流されようと
父親がたとえば震災で行方不明になろうが
学費を払っている人間(私)が被災地に住んでなくて
被害に遭ってないなら問題ないでしょって
そういうことでした。
自宅が被災しようが父の実家が浸水しようが
漁師小屋が津波で流されようが
学費を払ってるあなたに問題なければ
関係ないでしょ!
ってことでした。
家族みんなで支援しようって考えていたので
こういうことをいわれるとは思いませんでした。
ある意味、軽くショック。
しかも、私が話をしている途中で
担当の方が私の話にかぶせて
「でも、あなたの場合学費払ってる人が
あなた自身なんだから問題ないでしょ」
とか割って入ってくるのでイラ。
(今私が喋ってるっつーの!!)
まあね。
うちの大学なんてそんなもんだと思うけどね。
いくら実家が国の被災地認定してても
学費払ってる私が被災地じゃなければ
関係のないことで、連絡もしないわな。
バスまで時間があったので
食道でごはんをたべていたら鈴先生がいて
ちょっとうるっと来てしまった。
ごめんなさい、色々ご心配をおかけしましたが
大学からの回答はこういう結果でした。
北先生は札幌から帰ってきたかしら。
新年度の始まりは
やるせない気持ちでいっぱいです。
例え大学からなんの考慮もされなくても
父の実家が、漁師として再出発できるように
(その前に今年一年の生活だが)
私は支援したいと思います。
と、思っていたら郵便に学費納付書が届いていた。
今月末までに120万だってー。
(父親の一年分の収入だよ、、、、)
なんだかねえ。
私、ちょっと罪悪感でいっぱい。
でも、誰にも素直に話せない。
私が意地っ張りなのか(東北人だから?)
我慢しているのか
泣いてしまいそうで、笑って、
なんでもない振りをする。
きっと、明日もそうだ。
行方不明の友達の安否はまだ判っていません。
ここだけ同じように時間が回っていること
大学にいれば外面のいい私の顔は
誰かと会うたび話すたび、
何でもないような様子で
地震のことを話してしまう。
なんだかいまだに現実ではないような感じで
何も実感できないでいるのは
怖くて湊(祖母のいた漁港)へ行けないからかも
しれません。
私は、2歳の時
一時祖母宅に預けられていました。
祖父母と、おじさんおばさんの船に
一緒に乗って漁に行ったこともあります。
だから、兄弟でも湊に対する気持ちが
一番強いのかもしれません。
海が大好きで、よく祖母や叔父さん達が
水揚げしているところの脇で
テトラポットの間で遊んだり
小さな砂場を作ってホタテの貝殻で遊んだり
魚のさばき方を教えてもらったり。
海が今でも好きなのはそのせいだと思うし
海を見るとノスタルジックな気分になり
少しさみしくなるのもそのせいだと思います。
今日のガイダンスで、被災地域に自宅がある人は
もうメールで案内が行っていると思う、と学生課の方が
話していたところで、あれ?と思いました。
そうです
私には連絡が来なかったのです。
なぜなら、
私が学校に登録した保証人(学費支払人)は、
父ではないのです。
学費支払人は、私の名前で登録しているのです。
そのため、大学が言うには
例え実家がテレビで津波に流されていた場所に近かろうが
祖母のいる漁師家屋が津波で流されようと
父親がたとえば震災で行方不明になろうが
学費を払っている人間(私)が被災地に住んでなくて
被害に遭ってないなら問題ないでしょって
そういうことでした。
自宅が被災しようが父の実家が浸水しようが
漁師小屋が津波で流されようが
学費を払ってるあなたに問題なければ
関係ないでしょ!
ってことでした。
家族みんなで支援しようって考えていたので
こういうことをいわれるとは思いませんでした。
ある意味、軽くショック。
しかも、私が話をしている途中で
担当の方が私の話にかぶせて
「でも、あなたの場合学費払ってる人が
あなた自身なんだから問題ないでしょ」
とか割って入ってくるのでイラ。
(今私が喋ってるっつーの!!)
まあね。
うちの大学なんてそんなもんだと思うけどね。
いくら実家が国の被災地認定してても
学費払ってる私が被災地じゃなければ
関係のないことで、連絡もしないわな。
バスまで時間があったので
食道でごはんをたべていたら鈴先生がいて
ちょっとうるっと来てしまった。
ごめんなさい、色々ご心配をおかけしましたが
大学からの回答はこういう結果でした。
北先生は札幌から帰ってきたかしら。
新年度の始まりは
やるせない気持ちでいっぱいです。
例え大学からなんの考慮もされなくても
父の実家が、漁師として再出発できるように
(その前に今年一年の生活だが)
私は支援したいと思います。
と、思っていたら郵便に学費納付書が届いていた。
今月末までに120万だってー。
(父親の一年分の収入だよ、、、、)
なんだかねえ。
私、ちょっと罪悪感でいっぱい。
でも、誰にも素直に話せない。
私が意地っ張りなのか(東北人だから?)
我慢しているのか
泣いてしまいそうで、笑って、
なんでもない振りをする。
きっと、明日もそうだ。
21日の夜発26日の深夜着で香港に行ってきました。
義理のお姉さん夫婦に会いに行ってきたのです。
こんな災害時に香港に行っている場合なのかと
迷いましたが
行っても行かなくても私ができることは変わらないことを
痛感していたのと
香港行きをキャンセルしてお金を無駄にすることが
今の自分には申し訳なくてできなかったのです。
キャンセルしてキャンセル料を支払うお金が
被災地に行くのであればキャンセルしたけど。
今の自分ができることは、
何事に対しても真摯に向かい、何事も無駄にしない。
買いだめをして食べ物を悪くしたりすることや
無駄な買い物をしてお金を使うこと
無駄に電気や水を消費すること
ガソリンを消費することを止め
自分に出来る範囲で、精いっぱい被災地のことを考えること。
頑張れと他人ごとのように励ますのではなく
自分も頑張る。
自分も出来る範囲の人を、知り合いだとか
そうでないことに関わらず支える。
心を支援する。
私に出来ることはそれくらいです。
成田空港が真っ暗で
きっと日本に来た外国人の方々は
事の大きさに驚いていることでしょう。
成田では色々な国の入国管理局の人が
祖国に帰る自国民の人を支援していました。
(今、各国で在日外国人を祖国に帰す支援をしているのだそう)
私は
とーほく人です。
青森を捨てたけど
とーほく人であることは間違いありません。
私のアイデンティティです。
東北を誇りに思っています。
友だちの家は、家ごと流された-!って言っていて
写真を見せてもらったけど
叔母さんと叔父さんがたっているその家は
あれ?おかしいな・・・
地面にあるのは、2階部分でした。
岩手も宮城も福島も
沿岸部に友達がいます。
海の街出身の人間は
やはり生活に海が無ければ落ち着かないのは
私自身判っているのです。
みんな、宮城や岩手に行っても
ついつい、海の近くがいいんだよね。
歩いて海に行けるとこに住みたいよね、やっぱり。
多賀城の友達は、いまだ連絡取れていません。
生存者にも死亡者にも名前もなく
最後に会って手を振った時ことを思い出しています。
小学校から、ずっとずっと、仲良しだったのに。
私はなぜ青い森でなく
仙台でもなく
もっと遠くの、ここに住んでいるのだろう。
どうして友達と一緒に、辛い被災生活をしていないのだろう。
どうして私だけ、電気がある生活をして
家があるんだろう。
どうしてどうして?という気分が
気を抜くと頭を支配しています。
それでも私は
今は被災地には帰りません。
冷たいと言われても
そこに私が食べる食べ物、水
使う電気、電波、ガソリンは無いのです。
被災していない人間が、安否の確認に被災地に乗り込むのは
ただ自分が安心したいからです。
エゴだと思うからです。
だから私は
命があることを確認した友達や知人には
その人達の生活が安定してから会いに行こうと思います。
余計な気を使わせたくないし
私が、みんなの食べるべきものや使うべきものを
少しでも使うことが申し訳ない。
私はここから祈り
念を送りつつ
少し時間がかかる支援をしようと思います。
私だって、
みんなと一緒に頑張る。
見捨てない。
やえ、いづみ、たえちゃん。
ばあば、せんせい、先輩
みんな。
私は、やっぱり
みんなみたいな
カッコいい人間になりたいと思いました。
高校のころから全然ダメ人間な私は
ずっと皆みたいになりたいと思ってた。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆・゚゚・*:.。..。.:*・゚
たえちゃん
お願い、生きててね。
沈んだ多賀城の上に
たえちゃんが歩いていると、信じてる。
義理のお姉さん夫婦に会いに行ってきたのです。
こんな災害時に香港に行っている場合なのかと
迷いましたが
行っても行かなくても私ができることは変わらないことを
痛感していたのと
香港行きをキャンセルしてお金を無駄にすることが
今の自分には申し訳なくてできなかったのです。
キャンセルしてキャンセル料を支払うお金が
被災地に行くのであればキャンセルしたけど。
今の自分ができることは、
何事に対しても真摯に向かい、何事も無駄にしない。
買いだめをして食べ物を悪くしたりすることや
無駄な買い物をしてお金を使うこと
無駄に電気や水を消費すること
ガソリンを消費することを止め
自分に出来る範囲で、精いっぱい被災地のことを考えること。
頑張れと他人ごとのように励ますのではなく
自分も頑張る。
自分も出来る範囲の人を、知り合いだとか
そうでないことに関わらず支える。
心を支援する。
私に出来ることはそれくらいです。
成田空港が真っ暗で
きっと日本に来た外国人の方々は
事の大きさに驚いていることでしょう。
成田では色々な国の入国管理局の人が
祖国に帰る自国民の人を支援していました。
(今、各国で在日外国人を祖国に帰す支援をしているのだそう)
私は
とーほく人です。
青森を捨てたけど
とーほく人であることは間違いありません。
私のアイデンティティです。
東北を誇りに思っています。
友だちの家は、家ごと流された-!って言っていて
写真を見せてもらったけど
叔母さんと叔父さんがたっているその家は
あれ?おかしいな・・・
地面にあるのは、2階部分でした。
岩手も宮城も福島も
沿岸部に友達がいます。
海の街出身の人間は
やはり生活に海が無ければ落ち着かないのは
私自身判っているのです。
みんな、宮城や岩手に行っても
ついつい、海の近くがいいんだよね。
歩いて海に行けるとこに住みたいよね、やっぱり。
多賀城の友達は、いまだ連絡取れていません。
生存者にも死亡者にも名前もなく
最後に会って手を振った時ことを思い出しています。
小学校から、ずっとずっと、仲良しだったのに。
私はなぜ青い森でなく
仙台でもなく
もっと遠くの、ここに住んでいるのだろう。
どうして友達と一緒に、辛い被災生活をしていないのだろう。
どうして私だけ、電気がある生活をして
家があるんだろう。
どうしてどうして?という気分が
気を抜くと頭を支配しています。
それでも私は
今は被災地には帰りません。
冷たいと言われても
そこに私が食べる食べ物、水
使う電気、電波、ガソリンは無いのです。
被災していない人間が、安否の確認に被災地に乗り込むのは
ただ自分が安心したいからです。
エゴだと思うからです。
だから私は
命があることを確認した友達や知人には
その人達の生活が安定してから会いに行こうと思います。
余計な気を使わせたくないし
私が、みんなの食べるべきものや使うべきものを
少しでも使うことが申し訳ない。
私はここから祈り
念を送りつつ
少し時間がかかる支援をしようと思います。
私だって、
みんなと一緒に頑張る。
見捨てない。
やえ、いづみ、たえちゃん。
ばあば、せんせい、先輩
みんな。
私は、やっぱり
みんなみたいな
カッコいい人間になりたいと思いました。
高校のころから全然ダメ人間な私は
ずっと皆みたいになりたいと思ってた。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆・゚゚・*:.。..。.:*・゚
たえちゃん
お願い、生きててね。
沈んだ多賀城の上に
たえちゃんが歩いていると、信じてる。
地震から一週間過ぎました。
みんな長かったと言っていたけど
私、あっという間だと思いました・・・
毎日いろんなことを考えて
停電対応をして
今後の準備をしたり
せわしなく連絡やら仕事やらでバタバタして
あー 今日も終わってしまった
そんな感じでした
でも
きっと避難所でただ、「待つ」生活なら
一日は長いんだろうな。
私はできる範囲で援助しながら
一生懸命生きる。
手嶋先生は八戸でも山の方だから大丈夫だった
自分の身の回りが大丈夫だからいいってわけじゃないけど
私の周りは、みんな命は大丈夫だった
死が身近に感じて
今までは青森に帰るのをためらっていたけれど
これからは無理やりにでも
帰った方がいいんじゃないかとも思いました。
私は私の生活をしながら
今回起きた津波から復活する手助けをしたいと
そう思います。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆・゚゚・*:.。..。.:*・゚
八戸市の漁港や、久慈市、階上町など
3m近くの津波が来ても
(注:のちに20mであったことが分かりました)
あれだけ被害が少ないのはどうしてか?と
色々な人に聞かれました
そうですね。
私も被害は少ないと思います。
津波がきた割には
被害は少ないかもしれません。
それは、津波の大きさが
陸前高田や気仙沼などとくらべたら
ものすごく低かったこと
地形が海の裏が山と言った
特殊な形をとっている場所が多いことなどが
あげられると思います。
また、私たち八戸市は
何度も津波に襲われています
そして漁港のすぐ裏には必ずと言っていいほど
漁港の名前を冠した公園という名の
高台の避難所があります
年間何度皆あそこに逃げるだろう。
逃げることができる高台がすぐそばにあり
津波が低かったことが
あげられると思います。
また、地震では東北は壊れません。
阪神大震災と違うところはここです。
東北は、いつも津波が奪っていくのです
私たちの、何もかもを。
みんな長かったと言っていたけど
私、あっという間だと思いました・・・
毎日いろんなことを考えて
停電対応をして
今後の準備をしたり
せわしなく連絡やら仕事やらでバタバタして
あー 今日も終わってしまった
そんな感じでした
でも
きっと避難所でただ、「待つ」生活なら
一日は長いんだろうな。
私はできる範囲で援助しながら
一生懸命生きる。
手嶋先生は八戸でも山の方だから大丈夫だった
自分の身の回りが大丈夫だからいいってわけじゃないけど
私の周りは、みんな命は大丈夫だった
死が身近に感じて
今までは青森に帰るのをためらっていたけれど
これからは無理やりにでも
帰った方がいいんじゃないかとも思いました。
私は私の生活をしながら
今回起きた津波から復活する手助けをしたいと
そう思います。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆・゚゚・*:.。..。.:*・゚
八戸市の漁港や、久慈市、階上町など
3m近くの津波が来ても
(注:のちに20mであったことが分かりました)
あれだけ被害が少ないのはどうしてか?と
色々な人に聞かれました
そうですね。
私も被害は少ないと思います。
津波がきた割には
被害は少ないかもしれません。
それは、津波の大きさが
陸前高田や気仙沼などとくらべたら
ものすごく低かったこと
地形が海の裏が山と言った
特殊な形をとっている場所が多いことなどが
あげられると思います。
また、私たち八戸市は
何度も津波に襲われています
そして漁港のすぐ裏には必ずと言っていいほど
漁港の名前を冠した公園という名の
高台の避難所があります
年間何度皆あそこに逃げるだろう。
逃げることができる高台がすぐそばにあり
津波が低かったことが
あげられると思います。
また、地震では東北は壊れません。
阪神大震災と違うところはここです。
東北は、いつも津波が奪っていくのです
私たちの、何もかもを。
母親から連絡あり
津波で漁師道具の入ってる漁師小屋が流され
(注:漁師小屋って平屋建て一件くらいの大きさがあります)
なにもいなくなって真っ黒になった海を見て
祖母が、生きる気力をなくしていたと言われた。
絶望感で泣いていたと。
私の学費は
私の親の収入はもちろんのこと
漁師のおじさんの収入の3倍近くに上ります。
その学費を何とかなんないのか。
あげちゃだめなのか。
それなのに、父も母も、津波でやられた実家の援助をする。
「長男は何やってるの?あなたの親は長男じゃないでしょ?」
と言われたが
長男は、祖父から漁師を継いだため
この津波で今後の収入が絶たれました。
祖母と住んでいたのも、父の兄(叔父さん=長男)です。
祖母を津波の時ピックアップしたおばさん(父の姉)は
生活保護なので自分で精いっぱいだ。
長男一家とおばあさんの収入が
津波でほんの数分で絶たれた。
私はいったいどうしたらいいと思いますか?
学費払うお金はおばあのいる八戸に送りたいです。
誰に相談したらいいと思いますか
学生部長?
おばあに死にたいって言われると
ホントに辛い。
小さいころ私を育ててくれた
おばあちゃんが小っちゃくなっちゃった。
私を乗せて栄丸を出して
沖へ連れて行ってくれたおじいちゃんは
エンジンに挟まれて指が両手で合わせて5本しかありません。
だけどいつも私をだっこしてくれていた。
今はもう癌でなくなり
おばあちゃんは小屋で一人ぼっちになってしまった。
たった一人で津波
怖かっただろうな
私が何か出来ないのでしょうか
私の学費は
高すぎるんだよな・・・。
津波で漁師道具の入ってる漁師小屋が流され
(注:漁師小屋って平屋建て一件くらいの大きさがあります)
なにもいなくなって真っ黒になった海を見て
祖母が、生きる気力をなくしていたと言われた。
絶望感で泣いていたと。
私の学費は
私の親の収入はもちろんのこと
漁師のおじさんの収入の3倍近くに上ります。
その学費を何とかなんないのか。
あげちゃだめなのか。
それなのに、父も母も、津波でやられた実家の援助をする。
「長男は何やってるの?あなたの親は長男じゃないでしょ?」
と言われたが
長男は、祖父から漁師を継いだため
この津波で今後の収入が絶たれました。
祖母と住んでいたのも、父の兄(叔父さん=長男)です。
祖母を津波の時ピックアップしたおばさん(父の姉)は
生活保護なので自分で精いっぱいだ。
長男一家とおばあさんの収入が
津波でほんの数分で絶たれた。
私はいったいどうしたらいいと思いますか?
学費払うお金はおばあのいる八戸に送りたいです。
誰に相談したらいいと思いますか
学生部長?
おばあに死にたいって言われると
ホントに辛い。
小さいころ私を育ててくれた
おばあちゃんが小っちゃくなっちゃった。
私を乗せて栄丸を出して
沖へ連れて行ってくれたおじいちゃんは
エンジンに挟まれて指が両手で合わせて5本しかありません。
だけどいつも私をだっこしてくれていた。
今はもう癌でなくなり
おばあちゃんは小屋で一人ぼっちになってしまった。
たった一人で津波
怖かっただろうな
私が何か出来ないのでしょうか
私の学費は
高すぎるんだよな・・・。
ここ数日連続10時間超出勤(しかも一人とか)で
今日は一日スタッフにお任せしていいよといってもらえて
のんびり家にいて休んでいました。
最近明らかに花粉症になり
箱ティッシュが無くなりそうだったので
買いに行こうとしたら
近所のスーパーが
計画停電の予定地区だからと一時閉店。
それはいいとしても
その隣のミニスーパー
陳列棚に何も食料残ってなかった。
仕方なくコンビニローソンへ行ったところ
そこにも何もなかった・・・
(ただし、アイスはある)
関東の物流は正常です。
今更何を思ったのかわからないけど
普段の3~4倍を買い込む人達がいるからです。
一日の3時間程度停電するからって
買いだめをする必要があるんでしょうか。
3時間、買い物に行かないなんてざらですよね。
何を買いだめる必要があるのか。
買いだめるからものが無くなる。
物がないから危機感をあおる。
そしてまた買いしめられる。
悪循環なんです。
物流は、多少遅れていますが
外国からも入ってきます
少なくとも、関東は正常なはずです。
買いだめる人がいるから、物流が遅れるんです。
ガソリンだってそうです。
週に一度しか車に乗らない人が
今満タンにする必要がありますか。
地震があったって食べる回数も
トイレに行く回数も変わりませんよ。
何日か後、その食料が
無駄にならないことを祈っています。
本当に夜に何も残っていないスーパーの陳列棚を見ると
この地域で一体どれほどの災害が起きたのかと疑問に思う。
今日は一日スタッフにお任せしていいよといってもらえて
のんびり家にいて休んでいました。
最近明らかに花粉症になり
箱ティッシュが無くなりそうだったので
買いに行こうとしたら
近所のスーパーが
計画停電の予定地区だからと一時閉店。
それはいいとしても
その隣のミニスーパー
陳列棚に何も食料残ってなかった。
仕方なくコンビニローソンへ行ったところ
そこにも何もなかった・・・
(ただし、アイスはある)
関東の物流は正常です。
今更何を思ったのかわからないけど
普段の3~4倍を買い込む人達がいるからです。
一日の3時間程度停電するからって
買いだめをする必要があるんでしょうか。
3時間、買い物に行かないなんてざらですよね。
何を買いだめる必要があるのか。
買いだめるからものが無くなる。
物がないから危機感をあおる。
そしてまた買いしめられる。
悪循環なんです。
物流は、多少遅れていますが
外国からも入ってきます
少なくとも、関東は正常なはずです。
買いだめる人がいるから、物流が遅れるんです。
ガソリンだってそうです。
週に一度しか車に乗らない人が
今満タンにする必要がありますか。
地震があったって食べる回数も
トイレに行く回数も変わりませんよ。
何日か後、その食料が
無駄にならないことを祈っています。
本当に夜に何も残っていないスーパーの陳列棚を見ると
この地域で一体どれほどの災害が起きたのかと疑問に思う。
私の実家は
青森県八戸市にあります。
津波の映像が繰り返し流れている
八戸市の舘鼻漁港の映像がありますが
そこには父親の実家があり
祖母と叔父さん、叔母さんが住んでいます。
津波にのまれているのは
その3人の親戚がいる漁師小屋です。
映像で何もかもが流れているのを見ました。
映像でミニストップが流れている様子が出てますが
そこはその父の実家から100メートル先です。
青森には、複雑な思いがありますが
青森県そのものに、私は嫌悪感があるわけではありません。
ただ、私の受けた記憶や思い出が
凄まじいだけです。
津波の時
舘鼻漁港から叔父さんは
祖父の形見の船を避難させるため
沖へ逃げました
津波方向へ逃げるのです。
沖へ行けばいくほど
津波はただの波になります。
何十キロ逃げたでしょうか。
停電していて陸がどっちか分からなかったと言います
でも、真っ暗闇の中で
津波警報が解除されるまで
ずっと海へいたそうです。
2日間飲まず食わずで、音信不通でした。
青森放送系列の日テレを見ていれば
一番青森の情報が入ると思い
日テレを見ていました。
日曜日の昼前
漁港に帰ってきた漁師として
叔父さんが出ていました。
漁師小屋の入り口には
巨大な座礁した漁船が転がっていました。
そこは普段、駐車場のはずなのに。
漁師小屋の中には
貴重な漁業道具があります。
それらはすべて、流れていきました。
めったに会いにいかない私なので
父は私と祖母の並んだ写真をとり
目の悪い祖母のために大きく伸ばして
壁にはってありました。
でも、何もありませんでした。
津波の波は泥波です。
普通の波ではありません。
海底の泥とぐちゃぐちゃにまじった波というか
海の壁が、高さを増しながら
迫ってくるのが津波です。
小さい頃から祖母に預けられていた私は
海の怖さを知っています。
何度も津波警報で逃げました。
でも、こんな津波は、初めてです。
それでも、八戸港は低い方でした。
30センチの津波で人間が立っていられず
流されてしまうのに
10メートルの津波など、想像を絶します。
気仙沼市大島にいる
友人。
海から10メートルの所で
浜の家というお店をやっています。
燃えていました。
海になっていました。
私は関東に住んでいますが
家族と連絡が取れなくても
患者さんの応対を一生懸命やりました。
金曜日、歩いて職場に行って対応しました。
土曜は院長と二人で全部の患者さんをこなし
ピッキングをし、薬をだし
患者さんの話を聞きました。
医療人は冷静であれと
むかしむかし進藤先生が言ってたよね。
どんなことがあっても
目の前の患者だけを見ろって。
ちゃんと守ったよ。
うちの実家が
避難勧告から避難指示になっても
私がどうこうできないから
私は私で目の前の仕事を頑張るから
そっちはそっちで頑張って!って
もう、信じるしかないと思いました。
大学から被害状況の確認が来ましたが
こんなにすぐ被害の状況や金額なんて
判るわけないんです。
だって、何が無くなったのか
どのくらい壊れてるのかとか
まだわからないんだもの、あまりにぐちゃぐちゃで。
でも、漁業は壊滅的なので
もう、今年一年収入源はダメだろうと。
というと、つたないうちの実家が援助になるだろうと。
で、私も援助になるだろうと。
学費を回そうと思います。
年の収入を上回る被害なのは間違いないんです。
私の学費は、実家や叔父さんの一年の収入以上なんです
大学には、ごめんして待ってもらおう。
私の出来ることは
被災地に赴いて無駄な地元の食糧源を分けてもらったり
電気を一人分余計に使うことじゃない。
すぐに使えるお金を送ることだと、思います。
青森県八戸市にあります。
津波の映像が繰り返し流れている
八戸市の舘鼻漁港の映像がありますが
そこには父親の実家があり
祖母と叔父さん、叔母さんが住んでいます。
津波にのまれているのは
その3人の親戚がいる漁師小屋です。
映像で何もかもが流れているのを見ました。
映像でミニストップが流れている様子が出てますが
そこはその父の実家から100メートル先です。
青森には、複雑な思いがありますが
青森県そのものに、私は嫌悪感があるわけではありません。
ただ、私の受けた記憶や思い出が
凄まじいだけです。
津波の時
舘鼻漁港から叔父さんは
祖父の形見の船を避難させるため
沖へ逃げました
津波方向へ逃げるのです。
沖へ行けばいくほど
津波はただの波になります。
何十キロ逃げたでしょうか。
停電していて陸がどっちか分からなかったと言います
でも、真っ暗闇の中で
津波警報が解除されるまで
ずっと海へいたそうです。
2日間飲まず食わずで、音信不通でした。
青森放送系列の日テレを見ていれば
一番青森の情報が入ると思い
日テレを見ていました。
日曜日の昼前
漁港に帰ってきた漁師として
叔父さんが出ていました。
漁師小屋の入り口には
巨大な座礁した漁船が転がっていました。
そこは普段、駐車場のはずなのに。
漁師小屋の中には
貴重な漁業道具があります。
それらはすべて、流れていきました。
めったに会いにいかない私なので
父は私と祖母の並んだ写真をとり
目の悪い祖母のために大きく伸ばして
壁にはってありました。
でも、何もありませんでした。
津波の波は泥波です。
普通の波ではありません。
海底の泥とぐちゃぐちゃにまじった波というか
海の壁が、高さを増しながら
迫ってくるのが津波です。
小さい頃から祖母に預けられていた私は
海の怖さを知っています。
何度も津波警報で逃げました。
でも、こんな津波は、初めてです。
それでも、八戸港は低い方でした。
30センチの津波で人間が立っていられず
流されてしまうのに
10メートルの津波など、想像を絶します。
気仙沼市大島にいる
友人。
海から10メートルの所で
浜の家というお店をやっています。
燃えていました。
海になっていました。
私は関東に住んでいますが
家族と連絡が取れなくても
患者さんの応対を一生懸命やりました。
金曜日、歩いて職場に行って対応しました。
土曜は院長と二人で全部の患者さんをこなし
ピッキングをし、薬をだし
患者さんの話を聞きました。
医療人は冷静であれと
むかしむかし進藤先生が言ってたよね。
どんなことがあっても
目の前の患者だけを見ろって。
ちゃんと守ったよ。
うちの実家が
避難勧告から避難指示になっても
私がどうこうできないから
私は私で目の前の仕事を頑張るから
そっちはそっちで頑張って!って
もう、信じるしかないと思いました。
大学から被害状況の確認が来ましたが
こんなにすぐ被害の状況や金額なんて
判るわけないんです。
だって、何が無くなったのか
どのくらい壊れてるのかとか
まだわからないんだもの、あまりにぐちゃぐちゃで。
でも、漁業は壊滅的なので
もう、今年一年収入源はダメだろうと。
というと、つたないうちの実家が援助になるだろうと。
で、私も援助になるだろうと。
学費を回そうと思います。
年の収入を上回る被害なのは間違いないんです。
私の学費は、実家や叔父さんの一年の収入以上なんです
大学には、ごめんして待ってもらおう。
私の出来ることは
被災地に赴いて無駄な地元の食糧源を分けてもらったり
電気を一人分余計に使うことじゃない。
すぐに使えるお金を送ることだと、思います。